元最強、魔神に落胆する
伊織の隣に降り立ったソーマは、周囲を見渡すと小さく一つ息を吐き出した。
随分と酷い有様だと、そう思ったからである。
元はどんな景色が広がっていたのかが分からないぐらい、そこにあるのは剥き出しの地面のみだ。
それでも何かがあったのだと分かるのは、何かが焼け焦げたような匂いが漂っているからである。
本当にそれぐらいしか、何かがあったのだという名残は存在していないのだ。
そうして一通り眺め、この光景を作り出した人物へと視線を向けると、ソーマは今度こそはっきりと溜息を吐き出した。
言葉を向けるのは、隣の人物へとである。
「まったく……しつけに失敗したのではないであるか、親代わり?」
「反論のしようもないな。アイナは結構しっかり育ってくれたみたいなんだが……」
「アイナは貴様を反面教師にして育っただけな気がするであるがな」
「ああ……確かにそれはありそうだな」
「認めてどうするのであるか」
と、そんな風に伊織と漫才めいた雑談を交わしていると、ようやく向こう側から反応があった。
もっとも、反応があったのは欲しかった方ではなく、その隣にいる見知らぬ男のものではあったが。
「……なるほど。どうやらそちらの方は、あなた様のご友人のようですな。どうして救援にお呼びする事が出来たのかは定かではありませんが……まあ、いいでしょう。どうせ既に手遅れなのです。むしろ魔神の力を振るうことの出来る相手が増えたと考えれば、こちらにとっては都合が――」
「ふむ……ところで伊織、一つ質問なのであるが」
「――なっ」
「……何だ、気になったことでもあるのか?」
何やら男が喋っていたが、それを無視し伊織に言葉を向けると、男は何故か驚き、伊織はどこか面白そうに言葉を返してきた。
しかしそこでソーマが首を傾げたのは、本当に二人の反応こそが、ソーマにとっては予想外だったからである。
ソーマは別に男に用事はないのだから、その男が勝手に喋っているのを無視したところで、驚かれたり面白そうにされる謂れはないのだ。
とはいえ、だからどうだということでもないので、そのまま伊織の返答に答えることにした。
即ち、質問の内容であるが――
「うむ……我輩確か魔神とやらが出たと聞いてここに来たはずなのであるが……もしやアレが、件の魔神、ということであるか?」
そう言ってソーマが示したのは、当然と言うべきか男の隣にいるモノだ。
姿そのものは見知ったものではあるが、そこから感じる気配は確実に異なっている。
が。
「もしそうなのだとしたら……正直我輩がっかりなのであるが」
「……ほう? その心は?」
「だってそうであろう? あの程度で神を名乗られたところで困る……というか、片腹痛いというところであるし」
それは煽りでも何でもない、純粋な感想であった。
純粋に、単純に、あの程度で魔神を名乗っているのかと、そう言っているのだ。
「まったく、先日のあれもそうであるが、もしかしてこの世界での神という名は物凄く安っぽい扱いなのではあるまいな? てっきり物凄い力を使ってくるのかと思ったのであるが……当てが外れたのである。何らかの参考になるかと思ったであるが、この様子では見る価値すらなさそうであるな」
「また随分と言ってくれるな。まあ確かにちょっと神って名を気軽に使いすぎな気はするが……それでも、あれはあれでそこまで捨てたもんでもないんじゃないか? というか、そういうことにしておかないと、そんな相手に一方的にやり込められた俺が形無しなんだが?」
「ふむ……そもそもその時点で割と我輩は疑問なのであるが、貴様本当に本気でやっていたのであるか? もちろん、ふざけてたとまでは言わんであるが……」
「……さて? まあ確かに、途中からは俺では無理だと思ったから、ずっと本気でやってたとは言えないが……それでも、真面目にどうにかしようとしてたつもりではあるぞ?」
その言葉にはきっと嘘はないのだろう。
大体の話、嘘を吐いたところで意味がない。
もっとも、だからといって全てを語っているかどうかは、話が別ではあるが。
「んー……なんかお前、俺のこと疑ってないか?」
「まあ、疑っているかいないかであれば、間違いなく疑ってはいるであるな。だって貴様、何か言っていないことがあるであろう? 例えば、真面目ではあっても、本気には程遠い力しか出す事が出来ない、とか」
瞬間、伊織はほんの僅かに、だが明確に反応を見せた。
そして本人もそれを自覚したのだろう。
直後に伊織は苦笑を浮かべると、肩をすくめたのだ。
「ま、確かに、今の俺は本気を出す事が出来ない。勇者としての制約ってやつのせいでな。人類の危機なら幾らでも力が出せるんだが、今回のはただの俺の危機だ。そのせいで勇者としての力は欠片も出せない。もっともそれは、相手が魔神だってのも理由の一つではあるが」
「なるほど……そういうことであるか」
それならば納得出来るというものであった。
伊織から感じる力は、明らかにあの魔神とやらよりも上なのだ。
幾ら攻撃が通じないとしても、その程度で遅れを取るとは思えない。
だがそれを十全に発揮する事が出来ないというのであれば、頷けるというものだ。
と、ソーマがそれに納得を見せたのと同時、もう一つ納得を示す声が上がった。
完全に無視する形となっていた、男からのものだ。
一応注視はしていたし、途中で身体を小刻みに震わせていたのも知っているのだが、何故か唐突にその顔に笑みを浮かべたのである。
そしてその顔のままで、こちらへと話しかけてきた。
「なるほど、なるほど。そういうことだったのですな」
「……何やら勝手に納得し始めたのであるが、あれはどういうことである?」
「どっちかっていうと、俺もそれを聞きたい側だけどな」
「いえ、いいのですよ? そんな時間稼ぎを続けなくとも。私にはもう全てが分かりましたから」
「うん? 時間稼ぎ、であるか? いや、何を言っているのか分からないのであるが……」
当然それは本心からのものであったが、男はそれでさらに何かを勘違いしたらしい。
笑みを深めると、さらに何度も頷きを見せた。
「ええ、ええ、そうでしょうとも。そう言わざるを得ないでしょうとも。つまり、あれですな? 先ほどのは一度きりのこけおどしで、今は援軍がやってくるのを待っているのでしょう? 私のことも無視してみせたのも、今のように意味深そうな話をしていたのも、そのために時間を稼ぐため、だったというわけです。確かそちらには、執事長とやらが残っていたはずですし、その者がやってくるのを待っている、というところですか。まったく、危うく騙されるところでしたよ」
「ふーむ……伊織、本当にあれは何を言っているのである?」
「まあ、つまりあれだろ。自分に理解出来ないことがあると、それを何とか自分に理解出来るように色々捻じ曲げて理解しようとするタイプ。特に害はなさそうだし、相手する必要もないんじゃないか?」
「それも時間稼ぎのための会話なのでしょう? ふふ、もう騙されませんとも。……とはいえ、正直私としてはどっちでもいいのですがね。あと一人増えたところで、魔神が負けるはずがありませんし。ただ……あなた方はそれでよろしいのですかな?」
「ふむ? どういうことである?」
「単純な話ですよ。もうスティナ様に残された時間はほとんどないようですが……それでも時間を稼いでしまってもいいのかと、そう言っているのです」
とりあえずソーマがあの男に対して分かったことというのは、何やら間違った自信を持ち、こちらのことを勘違いしているようだということだけだ。
こっちは何一つとして、ブラフのようなものは使っていないというのに。
ただそれでも、その言葉には妙な真実味があり……どうやら、実際その通りでもあるようであった。
「ああ、いえ、そう言ったところで、あなたにはよく分からないですかな? どんな状況なのか、まだ理解出来ていないでしょうし。それでも時間稼ぎをしていたのは……予め決めていたのですかな? まったく抜け目ない話ですが……」
「いや、状況は大体理解しているであるが? 我輩も話は聞いていたであるしな」
「……はい? 聞いていたとは、どういうことでしょう? あなたは向こうの邪魔をしにいった者と同一人物ですよね? それほどの人数がいるとも思えませんし……となると、話を聞けていたはずが……いえ、それもまた時間稼ぎですかな? なるほど……まだ諦めてはいない、ということですか……」
勝手に納得してしまったことにソーマは肩をすくめ、溜息を吐き出す。
実際のところ、そのままの意味なのだが。
というのも、どうやら伊織は、遠くにいる相手にこちらで喋っている声を届ける、などという魔法を使えるようなのである。
それで以って、ソーマは向こうで自分の仕事を果たしながら、伊織達の会話も聞いていたのだ。
正確には聞かされていた、と言うべきではあるが……別れた直後にその魔法が使われていたので、おそらく伊織はこうなることをあの時点で既に予想していたのだろう。
伊織が無駄にあの男と会話をしていたのも、相手から情報を引き出し、ソーマへと聞かせるためだったのだ。
それらは念のためだったのかもしれないが、まったく相変わらず色々な意味で、食えないやつである。
しかしともあれ、向こうが納得しているというのならば、わざわざそれを教えてやる義理もない。
それと。
「まあ、何であろうと構いませんし、あなたが信じなくともいいのですが……後悔しても知りませんぞ? このままでは本当に、スティナ様は――」
「ま、そうであるな。ではとりあえず、それを何とかするであるか」
「……は? 一体、何を――」
――剣の理・神殺し・龍殺し・龍神の加護・絶対切断・万魔の剣・明鏡止水・虚空の瞳:斬魔の太刀 参式・改。
話を聞いていたため、何となくどんな状態なのかは推測が出来たし、あとは実際に見る事が出来れば対処するのは容易い。
要はスティナの状況がまずそうなのは、その魔神とやらに無理やり命を奪われてるからだ。
だがそれを可能とするのは、双方の間に何らかの繋がりが発生しているからである。
ならば、それを絶ってしまえば、それ以上のことはすることが出来ない。
それだけのことであった。
「……っ!? ば、馬鹿なっ……スティナ様と魔神の繋がりの一部が……!? 一体、何をしたのです……!?」
「ふむ……なるほど、それぐらいは分かるのであるか」
傍目から見れば、今ソーマがやったことは、その場で剣を振るったというだけだ。
てっきりそれでまた変な勘違いをするか、気付きすらしないんじゃないかと思っていたのだが……さすがにそれは、相手を舐めすぎていたようである。
とはいえだからといってわざわざ解説してやる義理もなく、ただ肩をすくめて返す。
「さて……我輩が言うことは、一つ……いや、二つだけである。一つは訂正。先ほど汝は時間稼ぎなどと言ったであるが、少なくとも我輩にそんな意思はないのである。そもそもそれを相手にするのには、我輩一人で十分過ぎるであるし」
「っ……い、いいでしょう……何をしたのかは分かりませんが、こちらにいるのは魔神。勇者さえ抑えきったこれに、勝てる者などいるわけがないのですから……!」
「まだ二つ目を言っていないであるから、勝手にやる気になられても困るのであるが……ま、元々こっちは汝に言うつもりのことではなかったであるし、構わんであるか」
何やらやる気になっている男を無視し、ソーマはその隣に立ち、こちらをジッと見つめている魔神とやらへと視線を向ける。
否……それは、その奥にいるのであろう、スティナへと向けたものであり――
「そういえば、我輩汝にまだ借りがあったままであったのを、覚えているであるか? まあ、覚えていなくとも我輩が覚えているので問題はないのであるが……そういうわけで、ちょうどいいのでそれを返そうと思うのである。これから、汝を助けることによって。ちなみに勝手に我輩が返すことなので、それによる文句は受け付けないのであしからず、である」
「っ……またしても、この私を……!? ――やってしまいなさい、アストライアー……!」
「さて……では言うべきことは終わったであるし、さっさと始めて、終わらせるであるか」
そう呟くと、こちらへと向かってきたそれに向けて、ソーマも一歩を踏み込んだ。




