終幕への音
眼前の光景に男――ニコラウスは満足そうに頷いた。
魔法陣は完璧に描け、あとは最後に言霊を紡ぐだけだ。
それだけで、魔神が復活するのである。
思わず口元が緩んでしまうのも、仕方のないことだろう。
「それもこれも、全てはあなた様のおかげですな……おや? もしかして、死んでしまったのですか? まだ死なれては困るのですが……」
気が付けば、足元のそれからは反応が返ってこなくなっていた。
贄の数は足りているものの、これは儀式の核となるものなのだ。
せめてもう少しだけ頑張れと蹴り飛ばせば、僅かに呻き声が返ってきた。
「っ……勝手に、殺し、やがるな、です……っ」
「おや、まだ喋れたのですか? 意外としぶといですなぁ……まあその方が喜ばれるかもしれませんし、結構なことですな」
そうして満足そうに頷いた後で、ニコラウスはさてと呟く。
仕上げだ。
「それでは、お待たせいたしました。ようやく儀式の完成となります。おそらく失敗することはないとは思いますが……いえ、その心配は無用でしたか。あなた様はそのために創られたのですからね」
「……っ」
その言葉に反応を見せたそれに、ニコラウスは思わず口元を歪める。
これで元気ならばもっと面白い反応を示してくれたとは思うものの……まあ、仕方あるまい。
ニコラウスは所詮、スキルで言えばギリギリ下級というところである。
そんな状況であれば、殺されていたのはこちらの方であろうから、今はこれで我慢するしかない。
魔神さえ復活させる事が出来れば、もっと好き勝手出来るのだからと、これからのことを思いながら言葉を続ける。
「唯一の懸念は、あなた様が出来損ないだということですが……まあそれも心配ありませんか。出来損ないだったのは魔王様の器としての話で、その魔王様もあなた様が魔神の巫女としてならば十分だと判断したのですから」
「……うるせえ、です、よ。黙って、儀式でも、何でも、終わらせろ、です」
「ああ、ちなみにですが、ご存知でしたか? この場合の巫女とは、魔王様のそれと同じ……即ち、器という意味なのだということは。……いえ、知らないわけはありませんでしたか。何せあのアルベルト様達も、最初からそのつもりであなた様を旗頭に据え置いたという話ですし。張本人であるあなた様が知らないわけはありませんでしたな」
「……っ!?」
これは半分嘘であった。
魔王がスティナを器として魔神の巫女に命じたのは本当だが、アルベルト達がどういうつもりだったのかは分からないからだ。
あるいは本当に、単純に旗頭としてその身を迎え入れたのかもしれないのである。
だが下っ端でしかなかったニコラウスには、その意図などは知れようはずもないし……それに、真実などはどうでもいいのだ。
驚愕と共にその顔に現れた、その絶望がありさえすれば。
まったく自分達を裏切り滅ぼすつもりだったのに勝手なことだと、それこそ勝手なことを思いながら、ニコラウスは口元を吊り上げる。
これで本当に、準備は完了であった。
希望は抵抗を招き、絶望は抵抗を失わせる。
万が一があってはいけないのだ。
万全を期すのは当然のことと言えた。
そう、それだけのことであり、他意はないのだと、緩みそうになる口元を引き締めながら、ニコラウスは言霊を紡ぐべく口を開く。
魔神を呼び出し付き従えるなど、真なる次の魔王は自分こそが相応しいのではないかと、そんなことを考えながら、そのための音を発していくのであった。
「ああ、そうである。最後に一つ聞きたいことがあったのであるが」
ソーマが伊織にそう話しかけたのは、時間も時間だからお開きにするかと、解散が決定した直後のことであった。
とはいえ、実際には本当に今都合よく思い出したわけではない。
いつ聞いたものかと、機会を伺っていたのだ。
そうしているうちに今になってしまったのだが――
「あん? 大抵のことは話したとは思うんだが……まだ何か話してないことってあったっけか?」
「うむ、スティナのことなのであるが……」
言った瞬間、伊織は目を細めた。
その反応に、やはりかと納得する。
今まで彼女のことは敢えて話してこなかったのだが、どうやら正解であったらしい。
「お前、どうしてその名前を……?」
「どうしても何も、本人に会ったからであるが? ほれ、話もしたであろう? ここに来る前に、とある街で変わった少女と再会してちょっとしたゴタゴタに巻き込まれた、と」
「あー……なるほどな。道理でどことなく見知ったような反応だと、話を聞いた時に思ったわけだ」
しかし思っていたよりは、伊織の様子は穏やかなものであった。
彼女の正体が何であれ、最悪もっと剣呑なことになるかとも思っていたのだが、その心配はなさそうである。
「で、彼女は結局何者なのである? 魔王の娘を騙り、アイナの姉などと言っていたであるが」
「あー、そうだな……まあ、あいつと会ったってんなら、お前も無関係ってわけじゃないだろうし、いいか。それは別に騙りってわけじゃない。アイナの姉ってのは正確じゃないが、姉代わりだったってのなら間違ってもないしな」
「ふむ……そういえば、アイナもそんなこと言ってたであるな」
「……もしかして、アイナにも喋ったのか?」
「いや、姉妹とかがいるのかと確認しただけである。それほど不自然な聞き方でもなかったであるし、多分勘付かれてもいないとは思うであるが……さすがにそこは断言出来んであるな。それとも、話しておいた方がよかったであるか?」
「いや、話してないってんなら問題はない。まあ何というか、そこら辺はちょっと複雑でな」
「で、あろうな」
そんな雰囲気を感じ取ったからこそ、アイナには喋らず、伊織にも中々聞く事が出来なかったのだ。
「ふむ……ないとは思うであるが貴様の浮気相手の子供、とかではないであるよな? アイナよりもスティナの方が年上のようであるし、そうなると確かに色々と複雑……いや、あるいは前妻の子とかである可能性も……? その場合、スティナが居ては色々と居づらいであろうし……辻褄は合うであるな」
「合わねえよ。そもそも俺とスティナの間に血の繋がりはねえしな」
「では妻側の連れ子……?」
「いい加減にしねえとぶっ飛ばすぞ?」
まあ本気で言っているわけではないので、肩をすくめて返す。
だが本気ではなかったが、多少そういった可能性を考えていたのも事実だ。
姉代わりだったり、そういった言葉から察するに、スティナは一時的にせよ伊織やアイナ達と間違いなく一緒に暮らしていたのである。
そこには相応の理由があったはずであり……しかし今はそうではない。
ならばそこにもやはり相応の理由があるのだろうと考えるのは容易く、さらにはスティナは何かろくでもないことに関わっていそうな懸念があるのだ。
そうして考えていくと、考えられる可能性は幾つもなく――
「まあ、とはいえ、見当違いではあるが、かすってもいないと言い切ると語弊が生じるな。少なくともアイナとスティナの間には血の繋がりがあるからな」
「む? アイナとスティナが? んー、貴様はこの世界では天蓋孤独の身であるはずであるし……魔王の娘というのも騙りではない……? ……まさかではあるが、貴様と前魔王の……」
「だから俺とは血の繋がりはないっつってんだろ。……とはいえ、当たらずとも遠からず、ってあたりをぶっこんでくるあたり、お前は本当に相変わらずだがな」
「当たらずとも遠からず? それは――」
どういうことかという問いかけは、声になることはなかった。
それを遮るかの如く、直後にソーマの耳へと轟音が届いたからだ。
何かが爆発したようなものにも思える音に、反射的に二人は顔を見合わせる。
「……こんな時間に、近くで工事が行われてるわけではないであるよな?」
「聞いてはいないが……もしもそうなら、さすがに近所迷惑すぎるな。ちょっと抗議に行ってくるか」
「ふむ……では我輩も付き合うとするであるかな」
「……いいのか?」
「幾ら何でもこれは煩すぎであるしな。披露する機会こそなかったであるが、これでもそれなりに腕に自信はあるであるし、多少荒事になっても役に立てると思うであるぞ?」
「……みたいだな」
伊織がそう返してきたのは、適当に話を合わせるためではあるまい。
こちらがどれだけ出来るのかを、ある程度把握しているからだ。
ソーマがそうであるように。
少なくとも、勇者だ魔王だという言葉が、戯言ではないのは事実のようであり……だからそこで苦笑し肩をすくめたのは、随分遠くまで来たものだと、改めて実感したからだ。
「やれやれ、殴り合いの喧嘩すらもしたことはなかったのであるがな」
「俺は……まあ、多少は慣れてたか? 面倒だから積極的に何かをすることはなかったが」
「ほう? そうなのであるか? 初耳であるが……」
「敢えて言うようなことでもないだろ?」
「それもそうであるが……今度はその頃の話も聞いてみたいものであるな」
「変なフラグ立てようとすんな。……ま、次機会があったらな」
そんなことを言い合っていたのは、互いに予感のようなものを覚えていたからだろう。
伊織の口癖ではないが、とてつもなく面倒な何かが迫っているのを、ソーマ達は認識していたのだ。
面倒だからといって放置していたらより厄介なことになりそうだということも、また。
「さて……面倒だが一仕事してくるか」
「今回ばかりは同感であるな。さすがに寝たいのであるが……ま、仕方ないであろう」
先ほどから音は、断続的に続いており、気のせいでなければ近付いてもきているようだ。
放置しておいたら何が起こるのかは……きっと、想像の通りである。
アイナ達を起こしに行く暇は生憎とない。
この音だしそのうち起きるか、あるいは既に起きている可能性もあるが……特に指示を出す必要はないだろう。
彼女達も相応に経験は積んできているのだ。
自分で最適と思われる行動を取れるに違いない。
フェリシアだけは心配ではあるが……そこはシーラがフォローするだろう。
ちらりと伊織の様子を伺ってみれば、聞かされた話から大丈夫だということは分かっているだろうに、その顔には隠しきれないほどの心配が浮かんでいた。
しかし本人もそれは自覚しているだろうから、敢えて何も言わず、ソーマは肩をすくめる。
「では、行くであるか」
「……そうだな」
そうして伊織の指が鳴らされ、ソーマ達はこの音の元凶と思われる場所へと向かうのであった。




