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始まりの儀式

 窓の外から、月の明かりが降り注いでいた。

 静かで良い夜だ、などと思いながら窓辺に近寄ると、ソーマはそこから見える真円の月に落とすが如く、息を一つ吐き出す。

 食後の雑談も終え、今夜使ってもいいと言われた部屋に案内されたところであった。


 何となくその場で周囲を見渡せば、視界には自然と部屋の内装が映し出される。

 そこで再度息を吐き出したのは、明らかに部屋が広すぎるからだ。


「狭いかもしれないが、その時はすまん、とか言ってたであるが……あやつ感覚がおかしくなっているのではないであるか?」


 何せ実家の部屋と比べてさえ、倍以上は広いのだ。

 城の規模から考えれば確かに相応ではあるものの、これで狭いかもしれないはないだろう。


 あるいはそれが謙遜であったのならばおかしくもないが――


「あからさまに本気で言ってたであるからなぁ……」


 まあ、話に聞いている限りだと、既に人生の半分近くをこの城で過ごしているというのだ。

 感覚の一つや二つ狂ったところで不思議ではないとも、言えるかもしれない。


 そんな話を聞かされてしまえば、当然のように思うところはあるが……本人が気にするなと言ってきたのだ。

 ならば今のところ出来ることは何もない。


「……ま、近々何とかなりそうだ、とか言ってたであるしな」


 こっちとしてはそれを信じるしかないだろう。


「さて、と……」


 ともあれ、どうしたものかと考える。

 今からどうするか、ということをだ。


 単純に考えれば寝るべきではある。

 だが生憎と、眠くはないのだ。


 かといってここには暇潰しとなるようなものは見当たらず、フェリシアとシーラは先に休むと言っていたので歓談をしに行くわけにはいかない。

 さすがにここを探索、というわけにもいかないだろうし――


「うん?」


 と、部屋の扉がノックされたのは、その時のことであった。


 しかしそこでソーマが首を傾げたのは、ここを尋ねてくるような人物に心当たりがなかったからだ。

 フェリシア達に関しては先に言った通りだし、執事長がやってくる理由は思い当たらない。

 もちろん、最も尋ねてくる可能性があるのは伊織ではあるのだが、今の時間に伊織がやってくるはずがないのである。


 だが。


「ソーマ? 起きてるか?」

「伊織……?」


 聞こえた声は間違いなく伊織のものであった。


 怪訝に思いながらも扉へと向かい、開け……そこにあったのは、予想通りの姿。

 気楽そうな様子で立っている、伊織であった。


「……何故伊織がここにいるのである?」

「おいおい、久しぶりに会った友人ともっと話をしたいと思うのは自然なことだろ? それとももう十分だってか? さすがにあれだけで十分だと思われるのは若干ショックなんだが……」

「勝手にショックを受けるのは結構であるが、そもそもアイナのところにいったのではないのであるか?」


 そう、それこそが伊織がこの時間に来ることはないだろうと思った理由である。

 久しぶりだというならば、アイナともまたそうなのだ。

 友人と娘で娘の方を優先するのはむしろ自然だろう。


 それにこうして互いがこの世界にいることは確認出来たのだ。

 大体の事情は既に話したし、早急に話さなければならないようなことは特にない。

 話はまた次の機会にでもすればいいことである。


「いや、俺もアイナのところに行ったんだけどな……追い出された」

「おい貴様、何をしでかしたのである? 事と次第によってはただでは済まさんであるが」

「ばっか誤解だっつの。アイナのところに行ったら、自分の用事はもう終わってるからお前のところに行けって言われたんだよ。色々事情がありそうだし、自分はもう元気な姿を見せたから十分だろうってな」

「ふむ……それ単に貴様がどうでもいいと思われてるだけなのでは?」

「おいお前言葉を選べよ? 俺も何となくそうなんじゃないかって思ってるところなんだから、下手をするとこのまま首を吊りに行くぞ?」


 そう言った伊織の顔があまりにも真剣であったから、つい噴き出してしまった。

 ……あやつらが今の伊織を見たとしたら、果たして何と言っただろうか。


「貴様変わっていないように見えて、実際には変わっているであるな。いや……というよりは、変わっていない部分と変わった部分がある、と言うべきであるか?」

「あん? そうか?」

「昔の貴様であれば、今のようなことはたとえ冗談でも言わなかったであろう?」

「あー……そうかもな。ま、色々あったしな。それに、そう言うお前だって、結構変わったように見えるぞ?」

「そうであるか? ……まあ、我輩も色々あったであるしな」


 その色々は、互いにまだ話していないところだ。

 それが理解出来ているからこそ、ソーマは伊織と顔を見合わせると、苦笑を浮かべ肩をすくめた。

 伊織も同じようなことを行い――


「ま、そういうことなら入ればいいのである。ちょうど我輩も暇を持て余していて、どうしたものかと考えていたところであるしな」

「おう、邪魔させてもらうぞ。まあというか、元々俺が家主なんだけどな」


 夜はまだまだ長い。

 その時間で久方ぶりに会った友と語り合うため。

 ソーマは伊織を部屋の中へと、招き入れるのであった。









「ふむ……正気ですかな?」

「さて、どうでしょうね……? もしかしたら、毒にやられて狂っちまったのかもしれねえですよ?」


 血の滴る槍を突き出しながら、スティナはそう言って肩をすくめた。

 それによって槍が動き、突きつけられている男の喉が浅く斬られたが、特に気にも留めない。

 気にしようがしまいが、どうせこの槍がその喉を貫くことに変わりはないのだ。

 ならば気にするだけ無駄というものだろう。


「ま、ですがそんなことはどうでもいいことです。オメエはただ、他のやつらが何処にいるのかを教えればいいだけなんですからね。……今すぐそいつらと同じ目に遭いてえってんなら、話は別ですが」


 ちらりと視線を向けた先にあるのは、都合二十ほどの人影だ。

 首を突かれ、刎ね飛ばされ、もしくは雷に焼かれては、その全ては死体と化している。


 そう断言出来るのは確認したからであり、何よりもスティナがそれらを作り上げたからであった。


「まったく……嘆かわしい話です。あなた様は我々の旗頭でもあったはずですが……そのあなた様が、どうしてこんな心変わりを……」

「ですから、毒でも食らったせいじゃねえんですかね? ……もっとも、スティナとしては何も変わったつもりはねえんですが」


 そうだ、何一つ変わってはいない。

 変わっていないからこそ、本当は最初からこうすべきだったのだ。

 そのせいで無残に朽ち果てることとなっても、妙な責任感などを出すべきではなかったのである。


 あるいは、責任を感じるならば、取る手段を間違えたのだ。

 魔王の娘だからと、皆を率いるのではなく。

 皆に引導をこそ、渡してやるべきだったのだ。


 そう、だからスティナはこんなことをしているのである。

 この者達がまたくだらないことを企んでいることを、知ってしまったから。

 今度こそ責任を持って潰すために、その覚悟を固めて、やってきたのだ。


 正直発見できるかは賭けではあったものの、何とかそれに成功し……この時間まで待ったのは、予想以上に集まった人数が多すぎたからである。

 一斉に襲い掛かられたところで問題はなかっただろうが、一人も逃がさないとなるとどう考えても無理であった。

 そのため、作戦に移る直前になって人数が分かれ始めてから、ようやく開始したのだ。


 しかしそのせいで、他の者達が何処に集まっているのかは分からなかった。

 作戦ごとに集まる場所が異なるということは聞いていたものの、スティナが聞けた場所は自分に振られた作戦の集合場所であるここだけだったのだ。


 だからこそ、一緒にここへとやってきて、その全ての場所を知っているはずのこの男をこうして締め上げているのだが――


「で、いつになったら喋り始めんです? それとも、拷問が希望なんですか? 正直気が乗らねえですし、やったこともねえですからかなり荒っぽくなっちまうとは思うんですが……ま、あんま時間に余裕もなさそうですしね。そっちがお望みならそうするしかねえですか」

「まあまあ、そう慌てず、少し落ち着きくだされ。焦ったところでいい結果には結びつきませんし……そろそろ、いい頃合でしょうからね」

「はい? オメエ、一体何を――っ!?」


 瞬間、ぐらりと頭が揺れた。

 視界がぶれ、直後に吐き気が襲ってくる。


「――ごほっ!?」


 吐き出されたのは、地面に広がっているのと同じ、赤黒い液体であった。

 何故、という疑問が頭を過ぎ去り、だがすぐにそれどころではなくなる。

 身体に力が入らなくなり、その場に倒れ伏してしまったのだ。


「かっ、はっ……なに、がっ……!?」

「ふぅ……やれやれ、さすがに肝が冷えましたな。まさかここまで効いてくるのに時間がかかるとは……さすが、と言うべきでしょうか?」

「まさ、か……毒、です? ですが、オメエらの、出した、ものは……」

「ええ、一口も口にされませんでしたら、それも少し焦りましたよ。まあそれでも、摂取させる方法は他にもあるものです。もっとも、気付かれてはいけませんから、全員に報せはしませんでしたし……不幸にも巻き込まれてしまった者達は、こうしてあなた様の気を引かせるために使わせていただきましたが」

「っ……オメ、エ……!?」

「おや、どうしてお怒りになられるので? 結局は同じことではありましょう? とはいえ、ある程度耐えられるようにひっそりと薬も飲ませていたのですが……その者達よりも効きが遅いとは。いやはや、本当にさすがでございます」


 慇懃無礼といった様子で頭を下げる男の姿を横目に、必死に身体を動かそうとするが、指一本動くことはなかった。

 咳だけが自分の意思に反して繰り返され、その度に地面を赤黒く染め上げる。


 それでも、すぐに死んでしまうことはなさそうではあるが……この様子では同じことだろう。


「ああ、ご安心ください。あなた様を殺すようなことはいたしませんよ? ええ……そんな勿体無いこと、するわけがございません。折角こんなに相応しい状況を作り上げたのですから」

「相応、しい……状況、です……?」

「はい。彼らはあなた様の目を誤魔化すためではありましたが、同時に贄でもあるのです。そして……おや? これはまた都合のいいことに、あなた様はどうやら、とある存在の封印を解くのに必要なものを身につけておられるご様子。ええ……本当に、都合のいい状況です」

「まさ、か……!?」


 当たり前のことではあるが、スティナはこの地に眠るモノを目覚めさせる気はなかった。


 それでも素材等を持ったままでいたのは、万が一のためである。

 万が一、これらを使われてしまう事がないように、だ。

 処分している時間もなかったし、自分が持っているのが一番だと思ったのである。


 それが――


「さて……では少々お待ちください。これから魔法陣を描きますので。ああ、ご安心を。作戦が開始されるまで、まだ時間はたっぷりとありますから」


 そう言って男は、嗤った。

 瞳の奥に、暗い火を灯したまま。

 破滅の道を進んでいることに、気付かずに。


 あるいは……気付いていながらも、それで構わないと、告げるように。


「それでは、始めましょうか。あの魔王様も、最終的には忌避したという――魔神復活の儀式を」


 その言葉と共に、男はその口元を、不気味なまでに歪めたのであった。

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