幕間 魔族の領域
魔族の支配している領域はディメントなどとも呼ばれるものの、厳密に言うならばそれは通称であり、俗称だ。
地名や国名などではなく、そこを示す正式な言葉ではないのである。
いつからかそこはそう呼ばれるようになり、それが現在も続いているというだけなのだ。
とはいえ、そもそもの話、正式にそこを何と呼べばいいのかなどということは、おそらく誰も知りはしないだろう。
精々が、元何々国の何々領だった、ということが分かる程度だ。
その理由は単純で、誰も名付けてなどいないし、根本的に名付けられる者が存在していないからである。
大体のところ、魔族が支配している、などとは言うものの、その境を決めているのは主に人類側だ。
言うならば勝手にそう言われているだけであり、誰かが具体的に支配し治めているわけではないのである。
確かに魔族側には魔王と呼ばれる存在がいるが、国を興しその地を治めているわけではないし、仮に建国したと宣言したところで当然のように人類側に認められることはないだろう。
つまりどれだけ広い面積を持ち何と呼ばれたところで、そこは正式に誰かの物になったわけではない、今も放棄され続けている土地、ということにしかならないのである。
もっともそれではさすがに困るということで、仮称ディメントと付けられた名が現在でも使われ続けているということなのだが……ともあれ。
そういったことも関係しているのか、ディメントは全体的にその気風が自由だ。
何せ国に属していないということは、そこに住む者達を縛る法がないということである。
それがそれぞれの自由へと繋がるのは道理だろう。
しかし文字通りの意味での無法ではあるが、無秩序というわけでもない。
その象徴とも呼べるようなその場所をいつも通りに眺めながら、エイラはこみ上げてきた欠伸を噛み殺した。
「むーん……暇にゃ……」
頭頂部に存在する耳をピコピコと動かしながら、ぼやくように呟くも、勿論それで暇でなくなるということはない。
まあ忙しいのは忙しいので嫌なのだが、人は居るというのにやることがないというのはこれ如何に。
「まったく、どうせおみゃーらも暇なんだから、注文の一つでもすればいいものを……本当に使えないやつらにゃ。そんなんだから万年底辺冒険者なんにゃ」
「ああ!? 聞こえてんぞ、クソ猫!」
「聞こえるように言ってるんだから当然にゃ。悔しかったら注文するか、底辺からさっさと脱出してみるにゃ」
「ああ!? 脱出出来んならとっくにしてんだよクソが! っていうかそれと注文すんのは何の関係もねえだろうが!?」
「そりゃあちしが暇じゃなくなるためのものなんだから当然にゃ」
「ただのテメエの都合じゃねえか!?」
比較的近くの場所に居る男とそんなやり取りをするも、すぐに男は前方に向き直ってしまう。
まったく、ろくに暇つぶしにも付き合わないとか本当に使えない男にゃ、などとぼやくも、当然本気で言っているわけではない。
自分がこうしてここに居るのと同様、男もまた食い扶持を稼ぐためにそこに居るのだ。
働かなければ生きていけず、働かない者に人権はない。
「……ま、そもそもの話、魔族に人権なんてものは最初からないんにゃけど」
自分で思いついたくだらないギャグに肩をすくめつつ、エイラは再度その場を眺める。
全ては暇なのが悪いわけで、つまりは暇つぶしとなるような何かがあればいいのだ。
しかしそこに居るのは相変わらず景気が悪そうで、さらには人相も悪いやつらばかりであった。
端的に言ってしまうのであれば、そこは冒険者ギルドだ。
厳密にはフェルガウ支部などとも付け加えるべきなのだろうが、そういった細かいことはどうでもいいだろう。
つまりそこに居るのは先ほどの男も含め皆冒険者なわけであり、様々な顔ぶれが並んでいた。
男が居れば女も居るし、老人が居れば少女にしか見えないのも居る。
エイラと同じ獣人種が居ればデモニスも居るし、人類種は勿論のこと、一見するとそれとは分からないが、確か吸血種も居たはずだ。
いつだったか、貧血かと思って助けたら血を吸われて、それが切欠で付き合うことになったとか惚気ていた輩が居たので、間違いない。
こうして改めて確認してみると、人種年齢性別を問わず本当に色々な者が居るが、それにエイラが何とも思わないのはこれがいつものことで、いつもの光景だからだろう。
外では国によっては単一の種族しか住んでいないことも珍しくないと聞いた時には、随分と驚いたものだ。
ディメントと外とを隔てている境界から比較的に近い場所に位置しており、そこそこの大きさを誇るここフェルガウには、それなりの数の人々が日々行き交っている。
そうなれば必然的に様々な者と接することになり、ドワーフやノーム、アマゾネスなどともエイラは会った事があるのだ。
ないのはエルフと……あとは魔女ぐらいだろうか。
魔女に関してはともかく、境界の近くにエルフの森があるにも関わらず、エルフに会ったことがない。
そのことに気付いた時、エイラは随分と不思議に思ったものだが、その実態を聞いてみれば不思議でも何でもなかった。
何のことはない。
エルフから魔族となるものはほとんどいないという、それだけのことである。
元々エルフは絶対数が少ない上、繁殖力が弱いというのもあるが、他の種であれば魔族へと堕としてしまうような者達も、エルフはそうさせないのだという。
互いに助け合うことで、仲間を守る、とのことだ。
ただしその反動なのか、仲間以外には相当厳しいらしいが。
身体に触れることを許すことはなく、常に堅苦しい態度で、笑みを見せることもない。
エルフは皆頭が固いと言われているのも、そういったことが理由らしいのだ。
まあともあれ、結局のところ何を言いたいのかと言えば、そういうわけなので、多少見た目や人種が多彩だろうと、それを見ていたところでエイラの暇つぶしにはならない、ということである。
それこそエルフでも来てくれれば、などと思うが、それが無理なのは改めて言うまでもないことだ。
「ぬー……暇なのにゃー」
なので最終的には、そうしてその場に突っ伏すしかないのであった。
これでエイラが受付嬢でもやっているのであれば、もうすぐ暇などとは言っていられないような修羅場が発生するのだろうが、生憎とエイラが居るのはギルドはギルドでも、ギルドに併設された酒場だ。
念のためこうして待機してはいるものの、注文など一度でもあればいい方だろう。
何せ今は未だ朝早い時間である。
これから依頼書が張り出されるという時間帯なわけであり、彼らが待機しているのもそのためなのだ。
酒場などが利用されるわけがない。
それが分かっているからこそ、本来接客担当でしかないエイラしかこの場にはいないのだ。
まあ同時にだからこそ、こうしてだらけることも出来ているわけだが。
「だからってあと一時間以上も暇だとかやってられないにゃー……せめて新顔でも来れば少しは――にゃ?」
と、そんな風に愚痴っていた時のことであった。
ここのギルドは入って正面に受付、左奥には換金所などが並び、右奥に酒場が併設されているという、典型的なギルドの作りだ。
つまりエイラの位置からは誰かがギルドに入ってくればすぐに分かるようになっているのであり……皆が殺気立ち始めた中、新たにここに足を踏み入れた者が居たことにすぐに気付いたのである。
それは三人組のようであった。
一人はおそらく人類種の少年であり……あとの二人は、不明だ。
何せ二人とも白いローブを羽織り、フードまで被っていたのである。
背丈から少年と同年代だと思われるが、それ以外は一切が分からなかった。
そんな怪しさ丸出しで、しかも少なくともエイラは少年の顔に見覚えはない。
即ち望んだ通りの新顔であり……だが次の瞬間にエイラは悟っていた。
あ、あいつらやばいやつらだ、と。
「ふむ……普通にギルドであるな」
「……ん、普通」
「当たり前ではないですか。何を言っているんですかあなた達は……?」
少年達の声は、離れた場所に居るエイラのところにまではっきりと届いてきた。
しかしそれは少年達が大声で喋っていたというわけではなく、その場が異様なほどに静まり返っていたからである。
数瞬前まで殺気すら放っていた男達が、必死になって息を殺してすらいたのだ。
見る者が見ればおそらく滑稽な光景でもあっただろうが、エイラがそれを笑うことはないだろう。
というか、自身も少年達の姿を確認した瞬間に寝たふりへと移行していたので、どちらかと言えば笑われる側だ。
これを笑える者がそもそも居れば、の話だが。
改めて言うまでもないことだろうが、魔族といったところで、その大半は普通の人類だ。
法がないからといって無秩序に行動することはなく、逆にたった一つの単純なものによって制されている。
それは、力だ。
力がある者が法であり、上。
それは結局のところ、外と大差ないということでもある。
ただ、今この場にいるのは、荒くれ者揃いの冒険者達だ。
尚更にその傾向が強く、また自負もある。
だからこそ、だ。
だからこそ……一目で実力がまったく読めないあの少年がどれだけやばいのかを、エイラですら察することが出来たのである。
力が法の魔族だからこそ、そういったことには皆が敏感なのであった。
ここは所詮境界近くの街。
魔族の中でもやばいやつらは、こんなところで群れることなく、もっと奥へと向かう。
要するにここにいるのは、粋がったりはするものの、色々な意味で大したことのない者ばかりであり……何故そんな場所に、あんなのが。
一見何処か暢気そうな少年だったが、それが余計に恐ろしい。
上級冒険者……或いは、それ以上か。
つい先日もあからさまにやばそうな少女が来たばかりだというのに、どうしてこんなに続けて。
それに懲りずに暇だとか言ってたから罰でも当たったのだろうかと、冷や汗を流しながらエイラは割と真剣に悩む。
女神は魔族の祈りでも聞き届けてくれるのだろうかと、そんなことを考えながら、少年達が早々にどこかに行ってくれるのを、心の底から願うのであった。




