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幕間 星を視る者と最後の愚者

 ベッドの上で、少女は一人首を傾げていた。

 窓の外ではとうに夜の帳が下りており、どころか既に日付が変わろうかという頃合である。

 普段であれば当然のように眠りに落ちている時間であった。


 そこは学院寮の自室だ。

 講師用ということもあって生徒のものよりは若干部屋は広いが、基本的な構造は大差ない。


 長期休暇中ということもあって元より人の気配は希薄だが、この時間ともなれば尚更である。

 自分以外に人影のない室内を見回しながら、少女は首を捻っていた。


「うーん……? はて、私は何故目覚めてしまったんでしょうかねー? 別に何も感じないですし、何かが起こる予定もないはずですよねー?」


 予定などというものは既に当てにならなくなって久しいが、実際その通りでもある。

 この時期、彼女が必要そうなことなどは存在していないはず――ああいや、一つだけ可能性がなくもなかったが、あれは確か時期的にはもう少し後のはずだ。


 そもそも仮にそれが前倒しになったのだとしても、ここからでは幾ら何でも遠すぎる。

 目覚めたところで、彼女に出来ることなど何一つとして存在しないだろう。


「そう言われるとさすがの私も傷つくんですがー? たとえ実際に何一つ出来る事がないとしても、ですよー? まったく、相変わらず乙女心が理解出来ていませんねー」


 そんなものを理解するつもりはないので当然ではあるのだが……さて、戯言はともかくとして、彼女は結局何の為に目覚めたのだろうか。

 今までもそう疑問に思う事はあったが、ここまで何もなかったことは初めてのはずだ。

 彼女の認識外で何かが起こった後だという可能性は、勿論なくはないが――


「――っ!?」


 瞬間、少女が弾かれたように振り返った。


 しかしその視線の先にあるのは窓であり、当たり前のようにそこには何もなく、誰もいない。

 当然である。

 二階というだけではなく、講師用の寮は他とは僅かに離され建っているのだ。


 人目に簡単に晒されるようになっているそこには、人の目が現在ほぼないとはいえ、誰かが忍び込めるはずも――


「……なるほど、さすが、と言うべきでしょうか? これでも気配は消していたつもりだったのですけれど……」


 と、そんな思考を嘲笑うかの如く、窓の内側に、唐突に人影が現れた。


 月光に照らされるその髪の色は、桃色。

 その背丈はそう高くはないが、あくまでもそれは成人を対象としたものである。

 彼女を基準とすれば遥かに高く、その口元に浮かんでいるのは笑みだ。


 女であった。

 少女、ではない。

 おそらくは成人の……だが同時に、それ以上のことは読めなかった。


 その所作はただそこに居るだけで老練を感じさせるが、外見とその表情からは瑞々しいほどの若さも感じさせる。

 端的に言ってしまえば年齢不詳といったところであり、得体も知れず――瞬間、動いたその目が、確実にこちらを捉えていた。


 まるで視線で貫かれたかの如く、そこから目が離せない。

 錯覚だということは分かっているが、息が詰まり、ごくりと喉を鳴らすところまでを空想した。


 それから解放されたのは、女が目元を緩めてからだ。


「……ごめんなさいね。どうしても、一方的に見られる、ということが気になってしまって」

「……もしかして、見えてるんですかー?」

「ええ、勿論。それが私の本領で、役目ですから。『剣』のあなたにならば、理解出来るでしょう?」

「――っ」


 そこで少女が息を呑んだのは、女が口にした言葉の意味が理解出来たからだ。

 いや……或いは、それで確信できたから、と言うべきかもしれない。


 女が何者であるのかということを、きっと彼女はその姿を見た瞬間から分かっていた。


「……あなたは、やはり――」

「そうですね。私は端的に言ってしまうのであれば、『瞳』です。あなたと……っと、申し訳ありません。そういえば、ご挨拶がまだでしたね」

「……そういえば、そうですねー」


 今更と言えば今更だが、それでも女は一度姿勢を整え、にこりと笑みを浮かべると、一礼した。


「初めまして……或いは、お久しぶりです、と言うべきでしょうか?」

「……初めまして、でいいと思いますよー? 少なくとも私は、あなたに会うのは初めてですからー」

「確かにそれもそうですね。それでは、改めて――初めまして」


 そう言ってもう一度深々と頭を下げ……上げ、笑みを浮かべた女の顔を、確かに少女は知っていた。

 かつてリナが、一度だけ会った事があるからだ。


 ……もっとも、会った事がなくとも、女が何者であるのかは、きっと一目で分かっただろうが。


「はい。初めまして、ですねー」


 そうして少女も挨拶を返し……それから、一つの問いを発した。

 ある意味で、最も重要な質問を、だ。


「……それで、私はあなたのことを、何とお呼びしたらいいんでしょうかー?」

「あら、別に何でも構いませんよ? お好きなようにお呼びくださって結構です。聖女でも、第五の王でも、天の瞳でも……人類の観測者でも。ええ、あなたにならば、何と呼ばれようとも問題はないのです。だって、そうでしょう? 私達は、同類なのですから」

「……っ」


 女が浮かべた笑みは、きっと心からのものだった。

 だが……或いはだからこそ、少女は息を呑む。


 同時に、その脳裏には様々なことが過ぎっていた。

 色々なことを考え、想定し……その上で結局、続けてその問いを口にする。


「なるほど……では、あなたが何をしにこんなとこにまで来たのか、お聞きしてもー?」

「あら、つれないですね。あなたが何とお呼びしてくださるのか楽しみにしていたのですけれど……まあ、それは次の楽しみに取っておきましょうか。確かに事が事ですから、早めに伝えておいた方がいいでしょうし」


 そう言って女は、その口元の笑みを消した。

 瞬間雰囲気がガラリと変わり、その姿からは荘厳さすらも感じるようになる。


 なるほど、聖都の中心であり、神に選ばれた今代の聖人だというのは、伊達ではないらしい。


 そして。


「これはまだ確定したわけではないのだけれど……それでも、確定したと言ってしまってもよろしいでしょう。おそらくは……近い将来、新しい魔王がこの地に誕生します」


 そんな言葉を、告げてきたのであった。















 いつも通りにその場に足を踏み入れると、少女は思わず溜息を吐き出していた。

 視界に映し出されたその光景が、見るからに廃墟だったからである。


 とはいえそれもまた、いつも通りだ。

 別に何かがあって廃墟同然になったわけではなく、ここは元からこうなのである。

 それでもいつもと違って見えるのは、やはり今ここに居るのが自分だけだからだろうか。


 そんなことをつい考えてしまい、少女は再度溜息を吐き出した。


「こうして考えてみると、あいつらはあいつらでそれなりに役に立ってたってことですかねえ。問題しか起こさねえようなやつらでしたが……居なければ居ないで問題があるとか、本当に厄介なやつらです」


 それは勿論のこと、二重三重の意味で、だ。


 もっとも、愚痴ってみたところで、何がどうなるわけでもない。

 とりあえず出来るところから、手をつけていくしかないだろう。


「とはいえさて、どうしたもんですかねえ……折角情報を手に入れてきたってのに、これじゃあどうしようもねえです」


 周囲を見回してみれば、そこにあるのは先に述べたように、如何にも廃墟と言った部屋だ。

 しかしそんな場所ながら僅かに生活感を感じるのは、実際ここで生活をしていた者達が少なからず居たからである。


 だが今その場には、少女以外の人影はなかった。

 たまたま留守にしている、というわけではあるまい。

 少なくともここ数日……否、数ヶ月という単位で、誰かが立ち寄った形跡はなかった。


「……諦めた、ってんならまだマシなんですがねえ」


 そんな呟きを、あの胡散臭い優男ならば、嘆いてみせただろうか。

 或いはあの胡散臭いモヤシならば、大仰な立ち回りを見せたのかもしれない。

 あの粗暴な男ならば、やはり粗暴な口調で罵ったかもしれず――


「そんなのを懐かしいとか思うあたり、末期ですねえ」


 おそらくは、ここらで大人しく終わらせてしまうのが、賢い選択というものなのだろう。

 今ならばもしかしたら、まだ戻れるのかもしれない。

 最悪戻れずとも、きっと細々と生きていくことぐらいならば可能だ。


 しかしそんな選択は許されない。

 何よりも自分自身が許さない。


 確かに始めたのは自分ではないし、結局のところ自分は担ぎ上げられたようなものだ。

 だがそれを免罪符にするわけにはいかないだろう。

 選んだのも、進んだのも、最終的には自分の意思なのだから。


 そもそもあの三人はともかくとして、他の者達もきっと多かれ少なかれ似たようなものだった。

 多分、何事もなければ、日々に不満を抱きながらも、それなりに満足しながら過ごしていたに違いないのである。

 それを崩し……果てにはこんな有様へと変えてしまったのだから、その責任は取らねばならない。


 もう誰も残っていないのに、ではない。

 もう誰も残っていないからこそ、だ。


「そのためにも、これが本当だったりしてくれたら嬉しいんですが……本当にこれ信用できるんですかね? よりにもよってこんな場所に、しかも魔神、ですか。胡散臭いってレベルじゃねえんですが。これならまだアルベルトやトビアスの方がマシな気がするです」


 しかし言ったところで、やはりどうしようもない。

 これに賭けるしか、残された道は存在していないのだ。


 分が悪いなど、それこそ最初から分かりきっていたことである。

 むしろここまで続けてこられたことが、奇跡的と言ってしまってもいいだろう。


 ならば――


「さてさて、本当にどうなりやがりますかねえ。どうせなら最後は呆気なくじゃなくて、派手に散りてえところなんですが……」


 痛いのは嫌ですが、などとうそぶきながら、少女は最後に一度だけそこを見回すと、あとはそのまま未練を感じさせる様子もなく、その場を後にするのであった。

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