一つの幕引き
圧倒的。
それがその戦闘を目にした時の、シルヴィアの正直な感想であった。
だが一方的な展開になるのは、ある意味で当然のことだろう。
何せクルトは邪神の力を、欠片とはいえ手にしたのだというのだ。
本能的に感じたあの様子からしてもそれが嘘だとはとても思えず……だから、一方的で圧倒的なのは、当たり前なのである。
押されているのがクルトでなければの、話だが。
「っ……馬鹿な……邪神の力だぞ……!? 欠片とはいえ、それを手にしたオレが……何で押されてやがんだよ……!?」
「欠片でしかないから、であろう? そもそも借り物の力で威張られても、というところであるしな」
「っ……クソッ、ふざけるな……っ!」
叫びと共に、クルトの身体中から溢れる闇が、その密度を増した。
無数の触手が一斉にソーマへと襲い掛かり……だがそれを迎え撃つのもまた、無数だ。
シルヴィアでは視認すら困難なほどの斬撃がそのことごとくを斬り裂き、ただそこには剣閃の軌跡の如く残骸と化した触手だけが残る。
散らばったその中をさらに剣閃が舞い、しかし邪神の力を扱っているが故の意地か、断ち切られた場所から次々と触手が再生していく。
その度に斬り裂かれるが、同じだけの速度で再生し、諦めない。
剣閃と残骸とが舞い踊る中、両者の顔は正反対であり、その状況と同じでもあった。
怒りと焦りの混ざった表情をしているクルトと、どこまでも冷静な様子のソーマ。
その戦闘の明暗は、あるいはその時点ではっきりしていたのかもしれない。
一見すれば、その状況は互角なようにも見える。
しかしそうでないのは、間違えようがないほどに事実だ。
そもそも最初に攻撃を仕掛けたクルトがいつの間にか防戦に回っている時点でそれは明らかであるし、実際のところクルトはソーマの斬撃を防ぎきれてもいない。
ソーマから斬撃が振るわれるたび、少しずつその身体の傷が増えていっているのがその証拠だ。
そしてそれは、先ほどからずっと同じであった。
クルトがどれだけ触手を蠢かせようとも、その数を増やし、ああして密度を増そうと、ソーマはその全てで上をいくのだ。
圧倒的な剣技はクルトの放つ触手を寄せ付けず、その身体を、心を、確実に削っていく。
そんな光景を眺めていると、まるでクルトが弱いようにも見えるが、それは完全な気のせいだ。
それこそ、一目見ただけで分かる。
クルトの操っているあの触手、あれ一つだけで、きっとシルヴィアを殺すには十分だ。
いや……おそらくは、過剰ですらある。
それが、無数にあるというのだから、国一つぐらいならば簡単に滅ぼせるのではないだろうか。
それは冗談でも何でもない、本能的に感じた確信にも近い何かであった。
先ほど感じた……今も感じ続けている圧倒的な死は、気のせいや勘違いで済ませられるようなものではないのだ。
ない、はずなのだが――
「それを何でソーマ君はあんな簡単に斬れてるんだろうなぁ……というか、そもそも剣で普通に斬れてるって時点でおかしくないかな?」
「それには正直我も同感なのじゃが、まあソーマじゃしな。そんなこともあるじゃろう」
そんなことを言う学院長は、その顔からも声からも呆れを隠していない。
強者という意味ならば、間違いなく学院長もその一人であるはずなのだが、その学院長からしてもこれはやはり呆れを覚えるようなものであるようだ。
と、そこでふとあることを思い出したのは、あの時とある意味で似たような状況だったからかもしれない。
とはいえ本来ならば、だからといってそこで浮かんだ疑問を口にするべきではなかったのだろうが……ある種暇ですらあったからだろうか。
気が付けば、シルヴィアは学院長にそれについて問いかけていた。
「そういえば、学院長はソーマ君と昔から知り合いなんですよね?」
「ん? んー……まあ、そうじゃな、一応そう言えるじゃろうな。我の感覚としてはそこまで昔というわけでもないのじゃが。それで、それがどうかしたのじゃ?」
「いえ、その……昔のソーマ君ってどんな感じだったんだろうと思いまして。ちょっと昔のソーマ君っていうのがあまり想像がつかない、というのもあるんですけど……」
「うーむ、昔のあやつ、と言われても、今言ったように我もそれほど昔から知っているというわけではないのじゃが……まあ、そうじゃな。少なくとも我が知っている限りでは、あやつは昔からあんな感じだったのじゃ」
「あ、やっぱそうなんだ……」
何となく、ソーマは生まれた時からあんな感じだったのではないかと思ってしまうのだ。
いや、さすがにそんなことはないというのは、分かってはいるのだけれど……。
「ただ……そうじゃな、一つだけ確実にその頃とは違うこともあるのじゃ」
「えっ……それは?」
「うむ、それはあやつの強さじゃな」
「あっ……」
言われ、なるほど思い至る。
それは確かに、その通りだ。
正直こうしてみていたところで、ソーマの強さは意味が分からない、としか言いようがないものである。
王族の端くれとして、それなりに色々な人に会ったことはあるが……そのどんな人と比べてすらソーマは圧倒的であった。
とはいえ、その力が生まれつきのはずはないのだ。
昔はもっと――
「昔はもっと強かったのじゃからな」
「えぇ……!?」
未だソーマ達は戦闘の真っ只中だというのに、思わずシルヴィアは叫んでしまっていた。
いや、だってそうだろう。
今でさえ意味が分からないほどの強さなのに、昔はもっと強かったってどういうことなのだ。
「じょ、冗談、ですよね……?」
「残念ながら、なのじゃ。そもそもその頃の力を振るえていれば、とっくにあの戦闘も終わっていたじゃろうしな。ああして様子見をする必要もなかったじゃろうし」
「様子見……?」
言われ、考えてみれば……確かに、クルトの攻撃は少しずつ激しくなっているというのに、ソーマはその全てに対応している。
ということはつまり、ある程度の余裕を残しているということだ。
だがソーマが手を抜いたり、相手を甘く見ているとは思えない。
その様子が、非常に真剣に見えたからだ。
「あの、どうしてそんなことを……?」
「単純なことなのじゃ。あれは先ほど力を手にいれたばかりじゃからな。そのため、どれだけ力を出せるのかは分からない。おそらくは本人もじゃな。実際少しずつ力に慣れてきておるようじゃし、そこを見極める必要があった、ということじゃな」
「なるほど……でも、それなら力に慣れる前に倒してしまえばよかったんじゃ……?」
それが出来なかったとは思えない。
力量的には勿論、ソーマは顔見知りだからといって情けをかけるようなタイプではないだろう。
「まあそうなのじゃが……あれが手にしたのが邪神の力でなければ、ソーマもそうしたじゃろうな」
「邪神の力だと、何かまずいんですか……? 確かに、見てるとすごく怖いですけど……ソーマ君ならそれも問題ない気も……?」
「そうじゃな、おそらくあやつならば、大抵は問題がない。それでも万が一のことを考えれば、備えないわけにはいかなかったのじゃよ。死と破壊を司る力には、それだけのものがあるということじゃな」
その言葉の意味は、正直なところよく分からなかった。
危うげなく圧倒しているソーマならば、たとえどんなものを持ってこられようと、どうとでも出来る気がするからだ。
とはいえ学院長がそう言い、ソーマがそうしているということは、その必要があるということなのだろうが――
「ま、どうやら取り越し苦労だったようじゃがな」
「え?」
「もう大体、あれの底は見えたのじゃ」
言葉と共に、その翠色の瞳がすっと細められる。
その先では相変わらず無数の剣閃が漆黒の触手を斬り裂いているだけであり、何らかの違いがあったようには見えない。
しかしその呟きが聞こえたかのように、直後、ソーマの方でも動きがあった。
一歩、鋭く踏み込んだかと思うと、その腕が大きく振り切られ、クルトの身体が斜めに斬り裂かれたのだ。
「っ、がっ……!? テメっ……!」
「すまんであるが、もう大体見極めは終わったのであるでな……そろそろ終わりにさせてもらうのである」
「っ、なめるなっ……!」
斬り裂かれた身体からは血が出る事はなく、代わりとばかりに出たのはやはり漆黒の何かだ。
さらに触手の数と勢いが増し……だが、既にソーマはそれを物ともしない。
その全てを斬り裂くだけでは終わらず、クルトの右腕をも斬り飛ばす。
ばかりか、左足、胴の半ばまでと、その斬撃は大きく、深く、クルトの身体を斬り裂いていき――
「グッ……ざっけんな……! これだけの力を手に入れたんだぞ……!? ようやく、ようやくだ……! だってのに、こんなとこで……!」
「力を求める気持ちというのは分からんでもなかったのであるが……やり方を間違えたであるな。借り物は所詮借り物。そんなもので強くなったところで、意味などはないであろうに」
「っ、黙りやがれ……!」
叫んだ瞬間、周囲全てを覆わんばかりの闇が一気に溢れ……しかし今までが何だったのかと思うぐらい簡単に、呆気なく、一瞬でその全てが消し飛んだ。
斬り裂く、とかいうレベルではない。
本当に全てが跡形もなく、消えてなくなったのである。
「正直、身のこなしなどは、悪くなかったと思うのであるし、そのまま精進できていれば、と思わざるを得んのであるがな……本当に、残念である」
「っ、ふざけっ……! オレには力が……力が……!」
それでもクルトはまだ諦めてはいなかったのだろう。
何かをやろうと動き、しかし次の瞬間には無意味と化していた。
四肢の全てが胴と斬り離され、さらには胴もその半分が斬り飛ばされる。
全ては一瞬のことであり、闇が溢れる暇すらも与えられない。
そして最後の一閃が、煌き――
「――終わりである」
瞬間。
「――なら、もう」
その首が、刎ね飛ばされた。
首を落とされ、生きていられる生物は存在しない。
それは人の形を捨てようと、神の力を得ようと変わらない摂理だ。
だがその瞬間、シルヴィアの背に今までにないほどの悪寒が駆け抜けた。
まるで今まで感じていたのは、お遊びでしかなかったとでも言うかの如きものであり――
「――ちっ!」
それをシルヴィアが感じたのと、ソーマが動いたのは、おそらくほぼ同時であった。
ソーマの放った斬撃が、残されたクルトの胴を跡形もなくなるほどに斬り裂く。
それを死体蹴りだとは思わなかった。
悪寒は弱まるどころか益々強くなり、その胴があった場所を中心に、先までの比ではないほどの闇が、爆発的に広がったからだ。
その時にはソーマもその場から飛び退っており、数瞬の間を置き、シルヴィア達のすぐ傍へと降り立つ。
しかしそこでシルヴィアが息を呑んだのは、見た事がないほどにソーマの顔にははっきりとした苦渋の色が浮かんでいたからだ。
それはソーマだけではなく、ヒルデガルドも同じようであり、同時にそこには焦りも感じられた。
「……すまんのである。最後の最後で、失敗した」
「いや、あれはどうしようもないじゃろ……まさか最後の最後で、ああくるとは思わんのじゃ」
「え、えっと……どういうこと? 何があったの? ……ううん、何が起こってるの?」
「……あれでは、邪神の力は扱いきれんはずじゃった。それは単純に、人では神の力を扱えんからじゃ。まあそれでも万が一の可能性があったためにソーマは用心を重ねていたのじゃが、その心配はもうないと我らは判断した。そしてそれは間違ってはいなかった……少なくともあれではやはり邪神の力は扱いきれんかったのじゃ。引き出せても、死や破壊の概念を多少操れるぐらいじゃろう」
「だがそれはつまり、それ以上の力を引き出そうとすれば身体が、魂が耐え切れんからである。そこを見極め、限界まで力を引き出されても我輩で対処出来ると判断したために、止めを刺したわけであるが……」
「……あるが?」
「あれは最後の最後で、枷を外したのじゃよ。身体が、魂がどうなっても構わぬと、力を強引に引き出し、溢れさせ、暴走させたのじゃ」
「その結果がアレである……我輩があと刹那早く止めを刺せていれば……」
「だから、あれは予想できぬと言っているじゃろう? あの様子では魂など吹き飛び残っておるまい……輪廻の輪にすら残れんのじゃぞ? やろうと思ったところで、普通は出来ることではないのじゃ」
その言葉と真剣な表情に、ゴクリと喉を鳴らす。
具体的には分からないが……とりあえず有り得ないことが起こったということと、大変なことが起こりそうだということは分かる。
「で、でも、ソーマ君がその直後に倒したんじゃないの? それなら問題は……」
「力が完全にあれに収まっていたのであれば問題はなかったのじゃが、どうにもまだ力の大部分は下にあったようなのじゃ。そして今は、そこに穴が空いた状態じゃな。しかも、暴走というオマケ付きじゃ。このままでは一時間もしないうちにここが吹き飛ぶ……いや、学院で済めば御の字じゃろうな。最悪この国と周辺ぐらいは吹き飛んでもおかしくないのじゃ。その代わりあの力は完全になくなるじゃろうが……まあ、何の慰めにもならんことじゃな」
それが嘘ではないということなど、アレを見れば一目瞭然であった。
今も刻一刻と悪寒は増すばかりなのだ。
それが吹き飛べば……きっとそのぐらいのことは起こるのだろう。
だがそれが分かったところで、どうしようもない。
だってそんなものをどうにかする方法など、あるわけが――
「……ふぅ。ま、仕方ないであるな」
「……ソーマ君?」
何かを諦めたかのような呟きが気になって、シルヴィアはソーマに声をかけたが、それに反応はなかった。
ソーマはヒルデガルドへと視線を向けると、仕方なさそうにその肩をすくめる。
「すまんであるが、あとは頼んだのである」
「…………貴様、それは」
「ああ、勘違いして欲しくはないのであるが、別に死ぬつもりはないのであるぞ? ただまあ、ちとどうなるかは予想が付かんであるからな。何がどうなってもいいように、貴様に後を任せるだけである」
「……それを貴様がやる必要は、ないと思うのじゃが?」
「いや、半分ぐらいは我輩の責任であろう? まあ別の誰かがどうにか出来るというのであれば、是非とも変わってもらうのであるが、生憎といないであろうしな」
「……じゃが」
「ヒルデガルド」
「……分かったのじゃ。だが、貴様の尻拭いをするのはごめんなのじゃ。だから……ちゃんと戻ってきて、自分の口で言うのじゃぞ? 勿論、我にもじゃ」
「さて、約束は厳しいのであるが……ま、精一杯頑張ってみるのである」
何を言っているのかは相変わらずよく分からなかったが、一つだけ分かる事があった。
それは、非常に嫌な予感があるということだ。
あとは、敢えて言うならば――
「ソーマく――」
「――シルヴィア」
かけようとした声は、学院長によって遮られた。
翠色の瞳がこちらの身を貫き、それ以上の言葉を許さない。
「我らは先にここを出るのじゃ。まあ、魔導具を使う故、特別なことは何も必要としないのじゃがな」
我らというのは、一体誰と誰のことなのか。
いや……ソーマは一体、どうするつもりなのか。
そう問いかけたかったが……乞うようなその目を見てしまえば、何も言うことは出来なかった。
地面に横たえたままのマリアの手を握り、伸ばされた学院長の手に、こちらからももう片方の手を伸ばし、重ねる。
震えているのはどちらなのか、よく分からなかった。
「ではな、またなのじゃ」
「うむ、またなのである」
気が付けばソーマは、こちらに背を向けていた。
だからその顔が今どんなものなのかはまったく分からず……そして。
シルヴィア達はそのまま……ソーマを見捨て、地下迷宮を後にしたのであった。
「……ふぅ」
後方から気配が消えたことを確認し、ソーマは一つ息を吐き出した。
正直に言って、どうしたものかと思わざるを得ない。
ヒルデガルドに言った言葉は、間違いなく本心からのものだ。
死ぬつもりはない。
だが実際どうなるかは、やってみなければ分からないのだ。
とはいえ、今更グダグダ言ったところで意味がないのも事実である。
既にやると決めてしまったのだ。
なら――
「あとはやるだけであるか」
呟きながら、そこへと向かって歩き、近付いていく。
あれは正真正銘、神の力だ。
死と破壊の権能。
触れればソーマといえど、ただでは済むまい。
しかも現在は絶賛暴走中である。
さてどうしたものかと、もう一度思い……それでもやはり、やることに変わりはない。
「さて……」
影響を受けることのないギリギリの範囲。
そこまで近寄ったところで、ソーマはその足を止めた。
ここからならば、まあ何とかなるだろう。
剣を掴んだままだった右腕を、そのまま頭上まで持ち上げた。
呼吸を深く吸い、吐き出す。
余計なことを考える必要はなく、やることはただの一つ。
この後のことも、脳裏を過ぎる全てのことも、その前には全て削ぎ落とし――
「どうなるであろうなぁ……」
それでも、何に対してのものなのか、思わず漏れた呟きと共に、腕を振り下ろす。
そして。
――剣の理・神殺し・龍殺し・龍神の加護・絶対切断・万魔の剣・一意専心・明鏡止水・リミットブレイク・オーバードライブ:決戦奥義――




