真相と絶望
あまりにも予想外すぎる光景に、シルヴィアは思わず言葉を失っていた。
だってそうだろう。
待ち構えているのは、てっきり『ラルス』だとばかり思っていたのだから。
それなのに何故クルトが……いや、そもそもの話。
クルトは今、入院しているはずではなかったのか。
だがこちらに挨拶をしてきたのは、間違いなくクルトだ。
と同時に、一つの疑問を覚える。
それは、挨拶と共に上げてきた、その右腕だ。
徹底的に壊され、動かすように出来るかすら分からないとまで言われたそれは、問題なく動いているようにしか見えない。
否、それよりも何よりも、その顔だ。
元に戻るどころか、顔の形に復元可能かすら不明と言われたはずのそこには、傷一つ見られなかったのである。
これは一体どういうことだと、混乱するなという方が無理な話であり――
「うんうん、驚いてくれたみたいでよかったよ。じゃないと、わざわざこんなことした甲斐がなかったしね。まあ正直、バレバレだと思ってもいたんだけど。まったく、そんな調子じゃ簡単に騙されちゃいますよ? ――まっ、オレが言えたこっちゃねえがな!」
「……っ!?」
だがさらに混乱を与えようとするかの如く、瞬間、その顔付きがガラリと変わった。
口調だけではない、一つ一つのパーツは同じはずなのに、そこに居たのはまるで別人のようだ。
「ったく、しっかし、我ながら相変わらず気持ち悪い口調だぜ。昔のオレは何考えてあんな口調で喋ってやがったんだか……ま、どうでもいいことだがな」
「……クルト、先輩……ですよね?」
「あん? 見りゃ分かんだろ? それとも別の誰かに見えんのか?」
「見えません、けど……でも、そもそもクルト先輩は、確か入院しているはずじゃ……それに、怪我のあとも」
「何だよ、まだ分かってねえのか? 簡単な話だろ? オレがここに居る以上、それはオレじゃねえってことだよ」
「クルト先輩じゃ、ない?」
そんなことはないはずだ。
だってあの日見つかったのは、クルトだと……いや?
しかしそこまで考えて、ふとシルヴィアは気づいた。
そうだ、そもそも、顔が判別不可能なほどにグチャグチャになっていたのに、それでもクルトだといわれていたのは何故だったのか。
それは、つまり――
「ようやく気付きやがったのか。オレとアイツは、運良く背丈が似てたからな。で、オレの服を着せて学生証も仕込んだってだけだ」
あれこそが、行方が分からないと言われていたラルスだった、ということだ。
それは行方が分からないはずである。
……一瞬、何かが引っかかったような気がしたが、それは続くクルトの声に紛れた。
「まあ顔を魔物に食われたように細工した上で破壊したりもしたが、それだけのことで騙されてくれんだから、テメエらは本当に単純だな。こっちとしては楽で助かったが」
「……そっか、髪の色が」
「おう、そのままにしてたらバレバレだからな。つっても、あんまオレに有利でも面白くねえから、敢えてヒントを出したりもしたんだが……その調子じゃわざわざやった意味もなかったか」
「……ヒント?」
そんなものあっただろうか?
頭を捻ってみるも何も思い浮かばず、そんなシルヴィアを見てクルトが肩をすくめた。
「んだよ本当に欠片も気付いてねえのかよ。アイツの右腕を壊してやっただろ?」
「右腕……それが、何か?」
「何かもクソもねえよ。オレは左利きだぞ? 右腕壊したって意味ねえだろうが」
「……あっ」
それで思い出した。
確かにクルトは、左腕で槍を持っていたのだ。
しかしさすがにそんなところまでは、気にしてもいなかった。
「ま、というわけで、これでネタばらしは終わりだ。……いや、中身はくだらねえもんだが、意外とこういうのも悪くねえな。アルベルトの野郎が無駄に悪巧みが好きだったのも今となっちゃ割と理解出来るもんだ。で、まあ、それはともかくとして……テメエはそもそもそんなことより、他に気にする事があるんじゃねえのか?」
「え? ……あっ、そうだっ、マリアは……!?」
あまりの驚きにクルトの方に意識がいってしまっていたが、ここにはマリアを助けに来たのだ。
それを思い出し、クルトの腕の中にいる、マリアへと視線を移す。
その瞬間心の中にひんやりとしたものが浮かんできたのは、その姿がグッタリとしており、ピクリとも動いていなかったからだ。
「っ……!? マリア……!?」
「別に危害を加えちゃいねえよ。弱いものイジメをするなんざオレの趣味じゃねえしな。むしろ危害を加えられたのはオレの方だぜ?」
そう言ってクルトが差し出してきたのは、マリアを抱えているのとは逆の手であった。
分かりづらいが……その手の甲には歯形のようなものが見える。
危害を加えられたということは……まさかあれをマリアが?
「ま、別にオレをどうにかしようと思ったわけじゃねえだろうがな。つーか、むしろ逆だな。自分で自分をどうにかしようとした、ってわけだ。いや、さすが王族に仕えるだけはあんな。さすがにあの覚悟は、ちと感心したぜ?」
「……それって、どういう?」
「目を覚ました瞬間、どういう状況かを瞬時に察したんだろうな。で、自分がどうすればオマエに最も不利益を与えないかまで考えたんだろう。ほんの僅かな躊躇もなく、自分で舌を噛み切ろうとしたんだからな」
「……っ!?」
「おっと、さすがにさせてねえぜ? 言っただろ? 感心したってな。思わず口に手を突っ込んじまったよ。おかげでこれだ。痛え痛え」
「それは……ありがとう、って言うべき……?」
変な話だが、話の通りならばマリアの命を助けてもらったのは事実だ。
そしてそれを、嘘とも思わない。
マリアならばそうしてもおかしくないと、そう思うからだ。
「さて、その直後にこうして気絶させたわけだし、そもそもこいつを攫ったのはオレだぜ? 礼を言われるのはなんか違うと思うがな」
「それは、そうかもしれないけど……じゃあ、どうしてそこでマリアを助けたの? ワタシを誘き寄せるだけなら攫ってくるっていう事実があればいいだけなんだから、もうマリアがどうなっても構わないはずなのに」
「んなの決まってんだろ? コイツが死んでると分かったら、テメエはその瞬間に逃げてただろうからな。コイツもそれが分かってたからこそ、死のうとしたんだろ? だが生きてりゃテメエは逃げられない。じゃなきゃ一人でここまで来た意味がねえからな」
「……っ」
それは、事実だ。
シルヴィアにはいざという時のための、緊急脱出用の魔導具が持たされている。
というか、先日の事件があったからこそ、持たされるようになったのだ。
そのためそれは迷宮の中でも問題なく動作するものなのだが……完全に読まれているようであった。
「ま、つっても、やっぱ逃げたいってんなら逃げても構わないぜ? その時にはさすがにコイツがどうなってるかは知らねえがな」
そう言って嗤ったクルトが、ほんの少しだけ利き腕の方に……マリアを抱えている方に、力を加えたのが嫌でも分かった。
こちらが何とかマリアを助けられないか、様子を見ているのにも気付いているのだろう。
そして生憎と、それが可能そうな隙は見当たらない。
唇を噛みながら、先を促した。
「……逃げないよ。それで? 一体ワタシに、何の用があってこんなことしたの?」
「……ま、確かに話が早いに越したこたねえか。とはいえ、別にオマエを殺そうってわけじゃねえ。おっと、本気だぜ? それだけが目的ならとっくにどうにかしてたしな。もっとも、厳密に言うとやろうとして失敗したんだが……本気でどうにかしようと思ってたら、それこそオレがあの時直接全員殺してたってな。だから少なくとも、殺すつもりはねえよ。ちっとばかり危害は加えるかもしれねえがな」
危害を加える、という言葉に再度唾を飲み込むが、意を決すと臆さず前に進み出た。
あれはつまり、とりあえず自分のところまで来いと、そういうことだと思ったからだ。
殺さないと言ってはいるものの、それで安心出来るほど、シルヴィアは物を知らないわけではない。
例えそれが本当だとしても、死んだ方がマシだと思うようなことが、世界には溢れているのだ。
だけど湧き上がってくる恐怖を押し殺しながら、足を進めていく。
もう、とうにどうするかは、決めているのだ。
自分の身に何があったところで、マリアだけは助けてみせる、と。
やがてクルトの元へと近付き……ふとそこで、ようやくクルトの背後に何かがあるのに気付いた。
それは何らかの台座のようだった。
そこには複雑な文様が描かれており、その中央には漆黒の球体が埋め込まれている。
何となく嫌な感じのするものであり……しかしそれに目を奪われている間に、クルトがナイフを差し出してきた。
「……っ!?」
「おっと、別にオレが刺そうってわけじゃねえぜ? いや、そうしても構わねえんだが、さっき言ったように弱いものイジメは趣味じゃねえんでな。そこに黒い球体があんだろ? そこにオマエの血を垂らしてくれればいい。これはそのためのもんで、オマエをこんなとこに呼んだのも、そのためだ」
そんなことをする意味が分からなかったが、どうせ聞いたところで教えてくれないだろうし、拒否することも出来ない。
大人しくナイフを受け取ると、指先をほんの僅かに切り、にじみ出た血をそこに垂らす。
赤黒い液体が、黒い球体に、一滴、二滴と、まるで吸い込まれるように、染みていき――異変を感じたのは、次の瞬間であった。
「――え?」
それは、揺れであった。
最初は小さく、だが徐々に大きくなっていく。
まるで、何かが目覚め、叫んでいるかのような、そんな揺れだ。
「な、何これ……!?」
「くっ、はははっ……! 正直半信半疑だったが……くくくっ、まさかこんなことで封印が解けるなんてな……!」
「ふ、封印……?」
「ああ、そうだぜ? なんだ、知らなかった……いや、教えられてなかったのか? ここには邪神の力の欠片が封印されててな。その要となってるのが、その台座だ。で、その封印を解くための最後の鍵ってのが王族の血ってことだったんだが……いや、本当に驚いたぜ? こうして、本当に邪神の力の欠片を拝めるなんざな……はははっ!」
その言葉を聞いて、シルヴィアは血の気が引くのを感じた。
確かに、マリアを助けるためならば何でもするつもりではあったが……まさかそんなことをしてしまうなんて、思ってもいなかったのだ。
邪神なんて、そんな……でも――
「っ……じゃ、じゃあ、これでボクの役目もおしまい、ってことだよね?」
「ん? おう、まあ、そうだな。それで……?」
視線を向けられる。
ただそれだけのことでシルヴィアは、この場から今すぐに逃げ出したい衝動にかられた。
だがそれをしてしまえば、こんなことをしでかしてしまった意味もなくなってしまう。
だからせめてと、唇をかみ締めながら、見つめ返す。
「なら、マリアをこれ以上捕らえておく必要もないでしょ? ワタシはちゃんと従ったんだし、解放を……」
「おお、確かにそうだな。コイツをこれ以上こうしとく意味はねえ。ところでこれは素朴な疑問なんだが……オレがいつ、オマエがオレの言うことに従ったらコイツを解放するって言った?」
「……え?」
それは……言っていない。
シルヴィアが勝手にそうだろうと思い込んでいただけだ。
しかし。
「そんなっ……だって今、これ以上捕まえておく意味はないって……!?」
「ああ、その通りだ。つまりオレは今、不要なものを持ってるってわけだが……いらねえもんは、ちゃんと処分しなくちゃなあ?」
「っ……!?」
その言葉の意味するところは、クルトの浮かべた笑みを見れば嫌でも理解できた。
つまり……マリアを――
「さっき、弱いものイジメは……!」
「おう、趣味じゃねえぜ? それは今だって変わってねえ。だがなぁ……見ろよ、この力? この力の前では、テメエらなんざ弱いものですらねえだろ? よくて虫けらだ。なら……オレのこの力の試し撃ちに使ったところで、何の問題もねえよな?」
「そん、なっ……!?」
約束が違う、と叫びたかったけれど、そもそも約束などしてはいないのだ。
それに仮に約束していたところで、今のクルトがそんなものを守るとは思えなかった。
いや、あるいは最初からそのつもりだったのか。
それでは、本当に何のためにこんなことを……。
「くはははっ……! 世間知らずのお姫様が、本当にご苦労様だったな! まあ、せめてコイツと同じところに連れてってやるよ……で、向こうで会ったらどんな風に殺されたのか、ってのを教えてやるといいぜ? きっと泣いて喜んでくれるだろうからな……!」
「っ、やめっ……!」
「――ふむ。なんというか、呆れるぐらいの三下な悪役っぷりであるなぁ。ここまで予想通りだと、逆に拍子抜けするぐらいである」
「別に楽ならばそれに越したことはないと思うのじゃが? というか、アレを見てそんなことを言えるのは貴様ぐらいなのじゃ」
「――は?」
哄笑と、呆然と。
そのほんの僅かな隙間。
一瞬だけ生じた意識の間隙を縫うが如く、瞬間、シルヴィアの意識の端で光が煌いた。
それが何なのかは分からなかったが、一つだけ分かった事がある。
その結果、クルトの左腕が、その肩から断ち切られたということであった。
「っ、な……!?」
「油断大敵。事を成した時にこそ、注意すべし。何にでも言え、誰にでも言えることであるな」
「貴様の場合、注意したところでどうにか出来るものでもない気がするのじゃがな」
「さすがにそれは言いすぎであると思うが……まあ、とりあえずアレであるな。――下がれ、下郎」
「――がっっ!?」
そして次の瞬間、クルトの身体が壁の方へと吹き飛ばされ、叩きつけられた。
反射的にシルヴィアは下がってしまったが……そこでふと気付く。
支えを失ったマリアは、当然のように地面へと――倒れることはなかった。
いつの間に現れたのか、そこには新たな人影が二つあり、その片割れが支えていたからだ。
そしてそれは、見知った二人であり――
「……ソーマ、君? 学院長さん?」
ソーマとヒルデガルドであった。
だがそうして現れた二人は、そこで当たり前のような顔をして頷く。
「うむ、さっきぶりなのである」
「我はちょっとだけ久しぶりなのじゃな」
「……えっ? えっ? どう、して?」
それは、色々な意味での、どうして、だ。
どうしてここに居て、どうして助けてくれたのか。
偶然にしては、あまりに出来すぎている。
タイミングも、狙ったようにしか見えず――
「うん? 我輩に出来る事があれば手助けすると言ったであるし、了解したとも言ったであろう?」
「えっ、うん、確かに言われたけど…………えっ?」
あれは、そういうことだった、ということなのだろうか?
つまり、あの時点で、何も言っていないにも関わらず、ソーマは全てを察して……?
だがその疑問を解消する機会が訪れることはなかった。
すぐにそんなことがどうでもよくなるようなことが、起こったからだ。
先ほど台座を見た瞬間に覚えた、嫌な予感。
それを何倍にも膨れ上がらせたようなものが立ち昇ったのを感じたのである。
「くっ、はははっ……! おいおい、確かに油断したのは事実だが、それでもまったく分かんなかったぜ? つーかもしかして、何も言われずとも察しやがったのかよ? どんだけだよ、ったくよ……!」
声に、反射的にシルヴィアは視線を向け……正直に言って、後悔した。
壁に寄りかかるようにして立ち上がったクルトが、直前までのものとは違うと……いや、あるいは、既に人ではないのだと、直感してしまったからだ。
「ところで一つ聞きてえんだが、いいか?」
「何であるか?」
「色々な意味で驚いてる様子が欠片もねえが……何処まで分かってやがった?」
「……? それが何を意味しているのかは分からんであるが、発見されたのがラルスだったことには、我輩もヒルデガルドも一目で理解出来てたであるぞ? まあ、シルヴィア達には、我輩達が気付いていないと思わせるために敢えて知らせていなかったであるが。気付かれてると思われたら、我輩達に分からないように動かれる可能性が高かったであるし、それは面倒だったであるからな」
「ちっ……なるほど、そんでオレは見事に引っかかったってわけか。ったく、今回のことでオレも意外と頭使えるんじゃねえかと思ったが、気のせいだったみてえだな。……ま、でも別にいいさ」
そう言って嗤った顔を見た瞬間、身体の震えが止まらなくなった。
今まで見たことのあるどんな魔物だろうと、それに比べれば可愛いものだ。
ここに来るまで必死になって一人で迷宮を進んできたあの道中すらも、今この時と比べれば何ということもなかったのだと感じた。
いや、あるいは――
「もう頭を使う必要なんてねえだろうからな……!」
それは死そのものなのかもしれないと。
絶望の中で、シルヴィアはそんなことを思った。




