急転直下
訓練場の一角は、物々しい雰囲気に包まれていた。
事情を知っている者ばかりではないだろうに、その場の雰囲気に飲み込まれたかのように、誰も彼もが一言も発さないままに、ただ一点のみを見つめている。
それは祈っているようにも、或いは諦めているようにも見えた。
……いや、厳密には、例外が二人ばかり居たか。
迷宮で実習を続けていた者達を連れ戻し終えたカミラは気楽そうにそこを眺めていたし、連れ戻された中の一人であるシーラは何処か不満そうに迷宮へと通じる入り口を見つめている。
だがあとの者達の様子は、本当に同じだ。
それは、ラルスも例外ではなかった。
しかしそれも仕方のないことだろう。
ソーマ達の凄さは間近で見て知ってはいるものの、全てを知っているわけではない。
そこに疑問を覚えてしまうのは、当然のことだ。
……とはいえ、どうでもいいことと言ってしまえば、どうでもいいことでもあった。
ラルスにはもう、関係のないことだからだ。
皆の意識がこちらに欠片も向いていないことを確認すると、ラルスはそっとその場から動き始めた。
別にこの場に残ることを強要されているわけではないのだが、何せこの空気だ。
下手に誰かにバレてしまえば、面倒なことになりかねない。
故に細心の注意を払いながら、ゆっくりと、それでもなるべく素早く移動し、その場を後にする。
――その直前に一瞬足を止めてしまったのは、最後に残った躊躇いの心故か。
だがそれは本当に一瞬だ。
すぐに歩みを再開した足は、そのままラルスの身体を訓練場の外へと連れ出していく。
正直に言ってしまえば、学院での生活は悪くなかった。
いや、むしろそれなりに気に入っていたと言ってもいいだろう。
しかし。
それも、ここまでだ。
「……邪神の力の欠片、か」
この後に待っているだろう未来を想像し、ラルスはその口元をほんの少しだけ緩めた。
迷宮から帰還したソーマ達を待っていたのは、熱烈な歓迎であった。
それはまるで奇跡でも起こった、とでも言わんばかりであり……それを不快に思わなかったと言ったら嘘になるだろう。
喜んでくれているのはいいが、その騒ぎの大きさは、それだけ意外だと思っていたということの証――ソーマ達を信じていなかったことの証左でもあるからだ。
とはいえ実際にソーマが浮かべたものが苦笑であったのは、それが本気で喜んでいることが分かっていたからでもあった。
そこに水を差すほど、ソーマは狭量ではないのだ。
まあ、喜んでいたのは主に講師であり、生徒の半分以上は事情を理解していないようではあったが。
「ふむ……というかこれ、今日迷宮の実習受けていた者達全員が残っている気がするのであるが? 何でこんなことになっているのである?」
迷宮実習の時は基本的に一日の全てをそれに使うことになるが、それをどう使うのかは生徒達の自由だ。
特に全員が戻って来るのを待つ必要はなく、誰がどう考えても非効率極まりない以上、やる者がいるはずもない。
勿論友人を待つ、などであれば話は別だが――
「……まあ、何となく、っていう感じなんじゃない? ここが今までどんな雰囲気だったのかは、大体想像が付くし」
「あー……まあ少なくとも講師は残ってる必要があるのですし、そのほとんどが緊迫感を漲らせてたら帰りづらそうではあるのです」
「それって結局は、ワタシのせいってことだよね? うぅ……皆に謝らないと」
もしかしたら多少は帰った者もいるのかもしれないが、視界に映っている人数を考えるに、やはりほぼ全員が居ると考えて間違いないだろう。
目当ての人物を探すのも一苦労である。
「む? シーラも居たであるが……何故か睨まれているような気がするであるな。はて、何か怒らせるようなことをした覚えはないのであるが……」
「怒ってるというよりは、拗ねてる、の方が近い気がするのです?」
「多分それで正解でしょうね。結果的にとはいえ、仲間外れにしちゃった形になったわけだし」
「さすがにあれは不可抗力だったのでどうしようもないのであるがなぁ……」
「それをシーラも分かってるから、怒ってる、じゃなくて、拗ねてる、なんでしょ」
「そういうことだと思うのです」
そんなことを話しつつ、ソーマはさらに視線を動かしていく。
目が合うなり苦笑し肩をすくめたカミラに、安心したとでも言いたげな表情を浮かべているヘレン。
ヘレンと似たような顔をしているのがおそらくは事情を知っている生徒達で、あとは事情を察したような顔をしている者達と、不思議そうな顔をしている者達に分かれている。
中にはちらほら帰り始めている者達の姿もあって、割と混沌とした状況であった。
気が付けば講師の数は半分ほどになっていたが、その残った講師たちは未だ同僚達と喜びを分かち合っており……そうしてグルリと見渡し終えたところで、ソーマは首を傾げる。
目当ての人物の姿が、何処にもないように思えたからだ。
「ふむ……ヒルデガルド?」
「駄目じゃな……我も見つけられんのじゃ」
どうやら見落とし、というわけではなかったらしい。
それは勿論、シルヴィアを罠にはめた人物として、目星を付けていた人物、という意味だ。
そもそも状況を考えれば、元からそう選択肢は多くはなく……さて。
「偶然先に帰っていた、というのは、さすがにないであろうな」
「気付かれたことに気付いて逃げた、ということじゃとすれば、迂闊にも程があるといったところなのじゃが……」
それはもう、自白したも同然だ。
誤魔化す事が出来ないと思ったのならば、不自然というほどでもないが――
「……或いは、本命のところに向かった、というところであるか?」
「それもありそうじゃが、結局本命が何なのかは絞りきれておらぬのじゃからなぁ……ふむ。完全に後手じゃな」
「さすがにこの状況で先手を打つのは難しいであるしな」
「ふーむ……まあ、最終的に追い抜ければ問題はないのじゃが……」
と、そんなことをこっそりと話している時であった。
不意に、今までとは違ったざわめきがその場に発生したのだ。
「ちっ、すまんがちょっと退いてくれ……!」
「おい、もう大丈夫だからな。気をしっかり持てよ!」
それは先ほどソーマ達も出てきた場所、迷宮へと通じる建物であった。
そこから二人のおそらくは講師だろうと思われる者達が出てきては、何事かを叫んでいるのだ。
「ふむ……半分ぐらい講師が居ないのには気付いていたであるが、既に迷宮の調査を行っていたわけであるか」
「みたいじゃな。我が何も言わずとも行っているとはさすがではあるのじゃが……」
状況的におかしいと思ったのは、何もソーマ達だけではないということだ。
そのためソーマ達が戻ってきたのを確認した直後、即座に迷宮の調査へと向かったのだろう。
地下迷宮は全生徒が利用する場所であり、また同じようなことが起こられても困る。
そういうことだ。
そして何か騒いでいるということは、おそらく何かが発見された、ということなのだろうが――
「……どうにも人を運んでいるように我輩には見えるのであるが」
「我にもじゃな。全員退避していなかった……いや、さすがにそれは確認したじゃろう」
「となれば、その後で入った、ということであるか?」
実習が行われる日は、念のために実習に関係のない者達が入ることは禁止されている。
中で余計なトラブルが起こらないよう、万が一のことを考えてだ。
つまり状況的に考えれば、全員連れ出された後で、誰かが侵入したということである。
時間的に考えても、比較的浅い階層で見つかったようだし、有り得ないとは言い切れない。
だが。
「ふむ……まあいくら考えても憶測の域を出ることはないであるか。それにしても、やけに急いでいるようであるな?」
「そうじゃな。まあおそらくは魔物にやられて倒れていたところを発見した、というところなのじゃろうが……」
まあ、珍しい話でもない。
特に今は、他に実習をしている者達が誰もいない状況なのだ。
何を考えてそんな場所に行ったのかは知らないが、それまでとは大分勝手が異なっていたはずである。
ならばそこで事故が起こってしまうのは、容易に想像が出来ることだ。
もっともそれは、ソーマ達が気にするようなことでもない。
アイナ達は騒ぎが起こった時に、何事かと見に行ったようではあるが、ソーマ達は今別に考えることがあるのだ。
冷たいようではあるが、何処の誰とも知らない相手のことを気にかけている余裕は――
「――え!?」
ない、のだが、そこでソーマが視線を向けたのは、今の叫びが聞き覚えのあるものであったからだ。
間違いなくアイナのものであり、驚いた理由は運ばれてきた者が誰であるかを知ったから、といったところだろうか?
となれば、顔見知りであった可能性が高いが……特に親しい者達は、今この場に居るはずだ。
「ふむ、同じ学科の誰か、というところであるか?」
「そこまで推測していながら、やはり関心は薄そうじゃな?」
「我輩はあまり学友達と交流していないであるからなぁ……」
いい加減さすがに名前ぐらいは覚えてきたものの、ソーマは学生生活を送りに学院に来たわけではなく、魔法を覚えに来たのだ。
そこに価値を認めていないというわけではないのだが、現状の優先度的に疎かになってしまうのは仕方のないことであった。
が、そんな風に何処か暢気に考えられていたのはそこまでだ。
視界に映ったのは、焦った顔でこちらへと向かってくるアイナの姿。
そして。
「ソ、ソーマ……!」
アイナから伝えられた名前に、さすがのソーマも目を見開いた。
それは、予想だにしていないものだったからである。
迷宮から運ばれてきた者の名は、クルト・ミュンヒハウゼン。
ソーマ達のパーティーの、引率役の先輩のそれであった。




