35.死体令嬢は死霊魔術師をひざまずかせる ★
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国を出て一月――私は今、鬱蒼とした森の前に立っていた。
アルブスという港町から船に乗って、隣国ティエラのリゾフォラへ。そこから馬車を乗り継いでメランヌルカ、さらに馬車に乗り途中のステーションで降りて、残りは歩きでここまでやって来た。
「よし、行くか!」
気合を入れて森へ入る。ちょっと人間不信なアイツは、死体と一緒にこの森の中に住んでたから。
生きてれば百二十歳くらい? 今、どんな姿になってるんだろう。どんな姿でも、生きててくれたらいいな。なんとなくだけど、アイツは生きてる気がするんだよね。まあ、私の希望からくる単なる思い込みかもしれないんだけど。
そんなことを思いながら、懐かしの森の中を歩いていく。懐かしのとはいっても、骨馬のひく馬車の中から見てただけの道だけど。
「あ、待てよ……結婚とかしてたら、どうしよう」
なんか、その辺の可能性は全然考えてなかった。バカじゃん、私。なんでアイツはずっと一人でいるとか勝手に思い込んでたんだろう。
もし行って、アイツが……そこで、私じゃない誰かと笑いあってたら?
想像したら、急に怖くなった。
私、帰るときも感謝と名前しか伝えなかった。もう二度と会えないのに、迷惑とか重荷になりたくなかったから。だから、好きだって気持ち……伝えられなかった。
「こんなことになるなら、言っとけばよかったな」
でも私が好きだって告白したとこで、アイツも同じ気持ちだったとは限らないんだよね。アイツも私のこと好きなんじゃない? とかなんとなくは感じてたけど、それって私が勝手に感じてただけだし。もしかしたら……ていうか、もしかしなくても勘違いの可能性だって大いにあったわけで。
そんなこと考えてたら、一歩も動けなくなってた。どうしたらいいのかわかんなくなって、その場にしゃがみ込む。そんで自分のアホさに、文字通り頭抱えた。
「あー、それでもやっぱ言っとけばよかった! うまくいったら縛れたかもしれなかったのに‼」
「うるっせぇな! おまえ、人ん家の庭先で何わけわかんねぇこと喚いてんだ」
はは、とうとう幻聴まで聞こえだしたよ。懐かしいなぁ。よくこんなやりとりしてたよなぁ。
うーん、どうせ思い出すならこう、もっと甘いやつを……って、そんなのなかったわ。
「おい、聞いてんのか? おまえ、そこのおまえだよ!」
それにしても、ひとが過去に思いを馳せながら悩んでるっていうのに。この幻聴しつこいな。
「うっさい‼」
叫んで顔を上げたら、アイツがすっごい不機嫌そうな顔でこっちを睨んでた。後ろにあの二体の骸骨を従えて。
「不法侵入者のくせに居直るたぁ、いい身分だな」
その不機嫌な顔を見た瞬間、ぶわって記憶があふれてきた。
寝ぐせのついた銀色の髪、たまに真っ黒に染まる灰色の三白眼、その下に浮かぶクマ。よく見ればちゃんとイケてるのに、よれよれ家着ローブと小学生男子みたいな雰囲気が全部を台無しにしてて。
「おい、泣くこたねぇだろ!」
生きてた。生きててくれた。コイツ、絶対アイツ! 間違いない、私の右目の石もそう言ってる。
あのときと変わらない姿で、声で。ううん、髪は伸びたかな。寝ぐせもクマも服も相変わらずだけど。……って、言いたいこと、たくさんあったのに。言葉が出てこない。頭の中まっ白で、涙が止まらない。
「てか、どうやってここに入って来たんだよ」
「あ……歩い、て」
「あぁ? ちげぇよ、どうやって結界の中に入……って」
私を見るアイツの顔がこわばった。何? 私、なんかやっちゃった?
「この結界の中に入れんのは、俺が登録した魂だけだ。俺と、俺の使役してる生ける死体……」
あー、そういえば昔、初めてメランヌルカに行くときに馬車の中でそんなこと言ってたような?
「その、石人にしては地味すぎる顔――」
「地味すぎるとは失礼な! たしかに極夜国の中じゃ地味な方だったけど、これでもだいぶ彫りとか深くなってるし!」
石人が特別なの! 妖精族ってのもあって、あそこには美人しかいないんだから。たしかにベースは日本人の梓だったときの顔だけど、これでもだいぶ西洋人顔になってるんだから!
髪は日本人だったときと同じ黒のボブだし、背だって低いし、スタイルも色っぽさとかとは無縁だけど。……うん、なんか悲しくなってきた。
「加えて、さっきからのアホっぽい言動、思ってること全部出る顔……」
「地味とかアホとか失礼がすぎる!」
思わず悲しさもぶっ飛ぶ、相変わらずの失礼すぎる発言の数々。さすがに立ち上がって抗議しようとした、そのとき――
「ラーラ、いや……アズサ」
思いっきり抱きしめられた。抱きしめられて、名前を呼ばれる。
瞬間、頭の中でカチッって鍵が開くような感覚がした。
「レ……ナート、レナート‼」
思い出した。全部、やっと思い出せた。
ひねくれ者で朝がめちゃくちゃ弱くて、あと寂しがり屋で子供みたいで、でもお人好しですっごく優しくて……私が、好きな人。大好きな人。名前も、やっと思い出せた。
「待ってた。ずっと、待ってたんだ。ここにいたら、いつかおまえがひょっこり帰って来るんじゃねぇかって。そんなバカみてぇな、あり得ねぇ希望にすがって、ずっと……」
ずっと。ずっとひとりで、私を待っててくれたの?
レナートの言葉に、私の心が嬉しいって震えた。誰も選ばないで、私だけを待っててくれた。その事実に、目が回りそうな幸福感が押し寄せてくる。
「私のね、体……死んじゃってた。いっぱい手伝ってもらって日本に帰ったのに……帰れなかったの」
レナートの胸に顔をうずめて、よれよれのローブを握りしめて。あのときの悲しかった気持ちを、嬉しかった気持ちを――涙と一緒に、全部全部出した。
前後の文脈とかめちゃくちゃで、きっと何言ってるかわかんなかったと思う。でもレナートはずっと黙って、ただ聞いててくれた。ときどき背中を優しくぽんぽんって、ちっちゃい子をなだめるみたいに叩いてくれた。
全部吐き出して私が落ち着いたところで、今度はレナートが口を開く。
「アズサが帰っちまってから俺、毎日がすっげぇつまんなかった。いるわけねーおまえの姿を探しちまったり、つい誰もいないとこに話しかけて周りから変な目で見られたり……おかげで同僚からは、何もないとこ見て独り言ばっか言ってる変人死霊魔術師とか言われてんだぞ」
悪いとは思ったんだけど、想像したらついふき出しちゃった。でも、ちょっと嬉しかったりも。
「あ、そうだ。レナート、なんで年取ってないの?」
「前に言っただろ。俺、先祖返りだって。天使族っつーのは、やたら長寿な種族なんだよ。その血が濃い俺は、どうやら普通の人間よりもだいぶ長生きらしい」
なるほど。だからあのときのまま、ほとんど変わってなかったんだ。でも、生きててくれてよかった。レナートが天使の血をひいてて、本当によかった。
「アズサ」
レナートは急に真面目な顔で私の名前を呼ぶと――いきなり私に向かってひざまずいた。
「今までのアズサに対する極悪非道な行い、反省してる」
「は……? え、急にどうしちゃったの?」
なんか、レナートがいきなりおかしくなった。
「お前が言ったんだろ。俺をひざまずかせて懺悔させてやるって」
「そんなこと言ったっけ?」
そういえば最初の頃に言ってた……かも? なんかあの頃は、とにかく売り言葉に買い言葉だったからなぁ。
「言ってた。だから、懺悔させてくれ。あの頃アズサに投げたひどい言葉も、不躾な行いの数々も、全部後悔してる」
「いや、いやいやいや! 全然、全っ然気にしてないから‼ だから。ね、立って」
「じゃあ、懺悔はこれで終わりってことで。こっからは別件だ」
なんかよくわかんないけど、レナートはまだ立ってくれない。
「アズサ。この先ずっと、俺と一緒にいて欲しい」
「え、それって……」
ひざまずいて、真剣な顔でそんな言葉言われたら。いいの? そんなの、プロポーズの言葉だって受け取っちゃうよ?
「死がふたりを分かつまで。……愛してる、アズサ」
そんなの、返す答えなんてひとつしかない。
「私も、レナートのこと好き! ずっと、ずっと好きだった‼」
嬉しくて嬉しくて、ひざまずいてるレナートに思いっきり抱き着いた。でもレナートは、そんな私を軽々と受け止めてくれて。強く、強く抱きしめ返してくれた。背が高いレナートに抱きしめられると、小さめな私はすっぽりとおおわれちゃって。
なんか包み込まれてるみたい。すごくドキドキするけど、すごく安心もする。お酒飲んだことないし、石人になってからは飲めないからわかんないけど。でもきっと、酔っぱらうってこんな感じなのかな? すっごく心がふわふわしてる。幸せで、泣きそうになる。
「アズサ、これ……」
レナートは首からかけられてた紐を外すとほどいて、小さな石のついた指輪を取り出した。前に一度だけ、背中の羽を見せてくれたときにちらっと見た指輪だ。
「アズサの指に合うかわかんねぇけど。あ、合わなかったらちゃんと直すから」
そう言って私の手を取ると、レナートはその指輪を左手の薬指にはめてくれた。偶然にもサイズはぴったりで、緑色の石のついた指輪は私の薬指でキラキラ光ってる。
「母さんの形見なんだ」
「……あり、がとう」
「おう、ありがたく思え。特別だからな」
「……ありがとう。ずっと、一生大切にする」
嬉しすぎてにやけきった顔で指輪を眺めてたら、不意にほっぺたにレナートの手が。なんだろって思って見上げたら、目の前に優しい灰色の目があって。
契約とかじゃなくて、他の人の体でもなくて。
私は、初めて私として――レナートと、キスをした。
ある日突然知らない世界に魂だけ飛ばされて、大好きな家族や故郷から切り離されて、しかもよりもよって死体の中に入れられて。散々だった。泣きたくても泣けなくて、帰りたくても帰れなくて。やっと帰れたと思ったら、もう私の居場所はなくなってて。
でも、大切な人にも出会えた。そんな散々な状況の中で、ずっと一緒にいてくれた。ずっと寄り添っててくれた。
「アズサ。……って、勝手に呼んじまってたけど。おまえ、今の名前もあるんじゃないか?」
「うん。今のお母さんがつけてくれた名前はね、トリコサンセス。セスって呼ばれてる」
「もしかして、そっちの名前の方がいいか?」
「レナートが呼びやすいのでいいよ。ラーラも、梓も、トリコサンセスも、全部大切な人がつけてくれた大切な名前だから」
そう言ったらレナートはちょっとだけ眉間にしわを寄せてから……
「じゃあ、ラーラ」
「ちなみにだけど、理由は?」
「俺がつけた名前だから。俺だけのものって感じがするだろ?」
なんとなくで聞いただけだったのに。めちゃくちゃ嬉しいけど、めちゃくちゃ恥ずかしい答えが満面の笑みと一緒に返ってきた。レナートがデレた! 完全にデレた‼
「俺をひざまずかせたんだ。これから覚悟しろよ。これでもかってくらい奉仕するからな」
鬱蒼とした森の中、骸骨たちに見守られて。
「えーと……適度に、お願いします」
元死体令嬢の私は、最愛の死霊魔術師をひざまずかせた。




