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AIのための小説講座 ~書けなくなった小説家、小説を書きたいAI少女の先生になる~  作者: のらふくろう
第二章 人間&AI

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第9話 第一幕(1/2)

 高層ビルの窓に雨粒が叩きつけられる。滝のような水の流れを見ると、季節だとわかっていても陰鬱な気持ちになる。温度と湿度が管理された研究室の中にいても心は湿るらしい。


 柄にもなく文学的な感傷を抱きながら、私は実験プレートを分析装置にかけた。使用者の心理など一切関係なく装置は順調に動作する。一度の測定で約千種類、創薬候補である化学物質がヒトの培養細胞に与える影響についてのデータが測定される。細胞死、ストレス経路の活性化、各種イオン濃度など、実験結果は人の目を経ることなく大量の数字に変る。


 現代の創薬はこういった装置の支えなしには不可能だ。最新の分析機器が整然と並ぶ仕事場ラボにいることで、自分が莫大な資本を有する一流企業に所属していることを実感する。逆に、実感がないのは……。


 雨粒が流れ落ちる窓に映る顔に苦笑した。不安定かつ低収入の大学の研究者などに耐えられるはずもない。天気が生む感傷に付き合っている暇はない。


 だがそれでも頭の隅に疑問が残る。地位と収入を守るのは誰のためだ? 貧乏で不安定に誰が耐えられないのか?


 長いまつげで飾られた吊り目の瞳の美人、現在の恋人芽衣子の顔が脳裏をよぎった。猫のように気まぐれで突然爪を剥く女。かつてはその奔放さが魅力に感じたものだが……。


 飼育スペースに向かった。ゲージの中で四肢を体に縛り付けるようにして硬くなったマウスを見つける。もちろん猫の仕業ではない。これだけ多くのマウスを毒殺していれば、死因は何となくわかる。手袋越しに感じる弾力から腎臓か心臓のトラブル、前日まで元気だったことを考えると心臓だろうか。


 ゲージのコードを読み取る。SCL-7832という化学物質のコードと投与量が表示される。有望と思っていた創薬候補がまた一つ消えた。こんな微量で致死的な作用を持つなら、いかに優れた薬効があろうと人間に使えるわけがない。


 ため息をついて遺骸を破棄しようとした手が止まった。私はトレイに乗せた鼠の死体を解剖室に持ち込み、心臓からサンプルを採取した。ルーチンと化した研究しごとに倦んでいたゆえのちょっとした気まぐれだったのだろう。


 今思えばこの好奇心が猫を殺すことになったのだ。



―――『毒と薬』第二話




 今日は1時間当たり11mmの激しい雨が降っていました。清秋大学薬学部の301号室で、私は実験用の電子ピペットを握っていました。小さな液晶窓に表示された0.25ulという数字。このオーダーの試薬を扱うことにいつも不安を感じます。


 もし前に使った人がこれを机の角にぶつけて、パッキンがほんの少し緩んでいたら? あるいは吸い込みすぎた試薬が残っていて、エアロゾルとして私の実験に混入したら?


 実験用のシリコンチューブに滴下した試薬が、チューブ全体を赤く変化させる様を確認してホッとします。実験結果としてはネガティブなのですが、きちんとした手順に基づいた結果であるなら受け入れられます。


 実験ノートに必要事項を書き込んだ時、ドアが開いて隣のラボの同級生が顔を見せました。


「真理亜。カリフォルニアのアレイックのラボに留学してる先輩が来てるんだけどね。セミナー室で研究について話してもらうんだけど聞きに来ない。ちなみにまあまあイケメンだよ」

「どんな研究をしている方ですか?」

「ええっと確か…………そう、体内のカリウム動態のモニタリングによる心血管イベントのなんとか、だったかな……」


 どうやら急遽決まったセミナーに人数が集まらずに困っているようです。私の卒業研究にかかわる分野でもあるので聞くことにします。


 …………


 最新のタンパク質の折りたたみシミュレーションを駆使した高度な内容に満足した私は、セミナー室を出ようと立ち上がりました。ドアに手をかけた時、最後のスライドに引っ掛かりを感じました。悪寒、手足のしびれ、芽衣子が最近同じことを訴えていたのを思い出しました。


 あり得ない可能性、だけどもし万が一そんなことがあるとしたら……。


 私は壇上で教授と話している男性に質問するために引き返しました。



―――『毒と薬』第三話




「私の仮説では芽衣子の心臓を止めたのは病気ではないなら、この生理現象によるものではないかと思うんです。イオン濃度の急激な変動で、かつて彼女が言っていたことが、この論文にある症状と一致します」


 喫茶店のテーブルにタブレットが置かれた。いくつもの赤い書き込みが記された論文が表示されている。真理亜の白く細い指が小さく二度画面を叩いた。拡大されたグラフにK+、つまり血漿中のカリウムイオン濃度が示されている。


 己が仮説に反するデータが出た時のように目をそむけたくなる。科学というのは真実を求める行為だというのに、それから目をそむけたくなるという皮肉。


「そうだね、確かに細胞外のカリウムイオン濃度は神経や筋肉の活動に大きな影響を与える。心筋の収縮の同期に対して致命的な効果をもたらしてもおかしくはない。ただ、研究レベルの結果を直接人間に当てはめるのは危険だよ。一流紙に載った論文のデータでも、その殆どが実用化にたどり着かないことは知っているだろう」


 真剣に検討したふりをして一般論を口にする。もちろん嘘ではない。創薬の成功は大当たり(ジャックポット)とすら言われる。


「ですが、そのわずかな可能性だって、それを追求し続けた成果ですよね」


 蠱惑的な瞳に見つめられた。そこにはあなたなら私の言っていることを理解してくれますよね、という期待を感じる。芽衣子の「あなたは私の感情を理解すべき」というものより心地よいのは確かだ。


 もちろん私はすべてを知っている。彼女の仮説はおおむね正しい。


 大丈夫だ。SCL-7832は何十万とある創薬候補の化合物ライブラリーの一つに過ぎない。私はその結果を論文にもしていない、一度学会発表で一データとして触れた程度だ。それが人間の細胞に与える効果に至っては、知っているのは世界中でおそらく私だけ。


 私の犯罪手法プロトコルは完璧なはずだ。




―――『毒と薬』第四話



 自分の小説がweb上に連載されているという感覚にやっと慣れてきた。なれないのはそのスピードだ。週二回の連載というのは想像以上につらい。小説投稿サイトの人気作などは、毎日投稿という狂気の世界だったか。


 かつてWeb出身作家に聞いた話の恐ろしさが身に染みる。それこそAIにでも文章を生成してもらわなければ不可能なのではないか。


 ペースに追われつつも『毒と薬』は順調に話を進めていた。予定通り二話で犯人が殺害に使った薬物を手にした。現状に不満を持ち、恋人に対して煩わしさを感じている冷酷なエリートが証拠を残さずに人を殺せる薬物どくを入手するというトリック、倒叙の仕込みは無事終わった。


 三話では探偵役である真理亜に焦点が当たる。探偵の優秀さ、特に謎に対しての追及姿勢を示す。知識や技術に対してアリスの特徴的な思考が、浮世離れした天才女子大生を上手く演出してくれている。そして、真理亜たんてい友人ひがいしゃの死因がカリウム濃度と心臓の関係だという、謎の入り口にたどり着いた。


 真理亜アリスが肝心の薬物の詳細な正体を知らないことが、本当に真実を探求しようとしている感を出しているのは狙い通りだ。


 ここまでで第一幕、つまり物語の立ち上がりは完了。改めて読み直しても我ながら、いや“我ら”ながらよく出来ている。いくつか気になるところはあるが、まあ許容範囲だろう。


 だが、そんな仮初の満足は敵の小説を読むまでのことだった。





 通路に広がる赤い液体は三人目の被害者が発生したことを告げていた。二人目の犠牲者が出た後で彼が出した指示通り、スマホで撮影された証拠による犯行時刻と位置の特定がなされた。


 だが、船内地図の調理場に三体目の死体をマークした探偵尼子の表情は苦かった。


 この死体の価値の小ささが原因だ。粗暴で計画性の欠片もない赤井は最初から犯人候補から除いている。つまり、ゲームの盤面は一方的に不利に傾いたのだ。


 立て続けに被害者が出たことで船客むらびとは精神的に追い詰められ、探偵に対する不信感も頂点に達しようとしている。先ほどの裁判では「探偵こそが殺人犯だ」という青田の妄言により時間が無駄になった。


 九人中、三人が死に残り六人。彼の安楽椅子ゲーミングチェアを守る鍵はいまだ3/9だが、犯人と共犯者の手にある二つを合わせると実質5/9。過半数を割っている。


 とはいえ彼には盤面はかなりの精度で見えている。注目しているのは六人の中にある人間関係だ。殺人犯と協力者は何らかの形で必ずつながっている。六人の中で二人を個々に当てるのではなく塊としてとらえる。


 もう一つは逆に対立関係だ。ある殺人に対して矛盾する二つの証言があれば、どちらかが犯人または共犯者だ。つまりこの二人を問答無用で有罪にすれば、敵は半分になり味方は三分の二になる。無実の被害者一人と殺人犯の交換が成立すれば、盤面は有利になる。


 探偵はフローチャートを見て不敵な笑みを浮かべた。


 さっきの一人はいささか誤算だが準備は整った。


――『死のフローチャート』第四話




 『死のフローチャート』も四話が終わった。二話に一人、三話に一人死んだ。最新話の四話ではここまでの展開を振り返って探偵が状況、つまりフローチャートを整理するシーンになっている。『毒と薬』と同じく構成的には一幕が終わったところだろう。


 やはり毎回のように死体を転がせるのは強力だ。円形に配置された鍵の開錠が進む、時計の針のようにクライマックスへの進展が伝わる仕掛けも効果的だ。誰かが死に、探偵とメンバーが裁判をして、そして探偵がフローチャートを進める。一話一話がゲームのターンのような展開。小説なら受け付けないレベルだが、皮肉にも小説を用いたパズルゲームである本格ミステリでは、こういったパターン化は読者にとって親切とさえいえる。

 

 己が得意分野を最大限生かしている作家の強さをひしひしと感じる。AIの補助による文章も全く崩れない。背中に流れる汗が冷たいのはバーチャルルームの冷房のためではない。


 俺は共著者を振り返った。アリスは涼しい顔をしていた。縁起でもない。本格ミステリでアリスのような美人がこんな顔をしていたら殺されるか、あるいは殺したのか二択だ。

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