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特訓②

「初めに断っておく。単純に魔法の打ち合いをしたら、俺でもアニマには適わない。ミレニアに一撃入れるなんて、それこそ想像もつかない話だ」

 全く自慢にならないことを、クリーンは腕を組んで偉そうにふんぞり返って言った。

 シンは早くも少し後悔した。迂遠な道かもしれないが、地道に魔術を学んだほうがまだマシだったかもしれない。

「しかし思い出せ。実際に戦えばアニマを負かすことはそれほど難しいことではない。それはあの男との戦いでお前も実感したはずだ」

 連続殺人犯との邂逅。その苦い記憶がフラッシュバックした。

 あの男自身も言っていた。勝敗を分けるのは魔法の技術ではない、と。

 それならばシンに足りないものはもっと別の何かだ。もったいつけるクリーンに先を促した。

「対魔法使い専用のハメ技。それを知っているかどうかで戦いの前提が違ってくる。まずは論より証拠だ」

 クリーンはシンからゆうに十メートルは離れた。

「いまからゆっくり歩いて行って、お前の顔面に右ストレートをぶち込む。お前はそれを魔法で防げ。魔法なら何を使っても良い」

 ミレニアのもとで数日間とはいえ修行してきたシンにとって、それは簡単な課題のように思えた。クリーンの鼻を明かしてやろうと魔術を練り始める。しかしうまくいかない。クリーンは鼻歌を口ずさみながら、本当にゆっくりと歩いてくる。焦っては成功するものもしなくなると思って何度も最初から繰り返すが、しかし、どうやっても魔法は唱えられない。

「どうした? もう時間がないぞ」

 防御しようにも腕が上がらない。回避しようにも足が動かない。そのまま殴り飛ばされた。がんじがらめに巻きつけられた糸が切れたように体の自由が戻ってきたので、なんとか倒れずにすんだ。

「これがハメ技だ。どうだわかったか?」

「わかるわけないだろ!」

「じゃあもう一発」

 クリーンは腕を振りかぶった。反射的に体を守ろうとするが、またも体が動かない。なすすべもなく再び殴られた。

「今度こそわかっただろ?」

 わかるわけがなかった。

「そうか。残念だ」

 シンは殴られ続けた。クリーンは何も教えてくれない。ひたすら拳が降り注ぐ。反撃することも逃げ出すこともできない。

「俺は言ったよな。凡才に興味はない。子供は首を突っ込むな。大人の忠告は聞くもんだぜ」

 声は聞こえているが、シンは痛みでそれどころではなかった。

 鼻血のせいで息が苦しい。血の味がする。どこか口の中を切ったのかもしれない。

「それにしても弱いな。まったく腹が立つぜ。お前がそんなだから、嬢ちゃんにも愛想をつかされるんだ。体よく振られたんだよ、お前は」

 ため息をつきながらも、しかし攻撃の手は緩めない。

 シンは言い返したいが何も言い返せなかった。殴られた体よりも別のところが痛かった。

 クリーンの言動は意味不明で理不尽に過ぎる。それなのに湧き上がるのは、怒りも後悔でもなかった。

「いい加減気づけよ。殴るのも疲れるんだぞ。魔術はあくまで知の体系だ。原因と結果が乖離することはありえない」

 クリーンは言った。魔法なら何を使ってもいい、と。

 つまり、今の状況は魔法を使えば打破できるのだ。しかし魔法は使えない。まるで袋小路に追い込まれたネズミだ。

 極限状態の中、シンは見た。

 クリーンではなく、彼そのものを感じた。

 意識を魔法に集中するばかりで相手が見えていなかった。魔法が使えないのなら、必ずその理由があるはずだ。

 シンの周囲では元素の流れが淀んでいた。対するクリーンの周りは滑らかそのもの。その流れに干渉する。

 拳を受け止めた。

「おっ!」

 次々に繰り出される拳と魔術への干渉を同時に防御する。しかし、思うように体が動かない。右ストレートをもろに食らい、地面に倒れ伏した。

「合格だ。才能ある若者は好きだぜ。俺は」

 クリーンは満足そうに言った。

「こんな、むちゃくちゃな方法が、あるか」

 種さえ理解できれば、それほど難しい話では無かった。

 収束しつつある元素に異物を混入する。本物そっくりに偽装されたそれは、シンが無意識のうちに体を蝕んでいく。元素を取り込もうとすればするほど体の自由を奪われるからくりだ。

 魔法に長じているものにこそ、絶大な効果を発揮するのは明白だ。本式に魔術を練るわけでもないのでタイムロスも少ない。

 対魔法使い専用のハメ技と呼ぶにふさわしい技だった。

「これでも手加減してお前にも見破れるくらいに抑えてやったんだ」

「……クソやろう」

 毒づきはしたが、シンはどこか晴れやかな気持ちでクリーンの横顔を眺めていた。

「頃合だな。そろそろ来るころだと思ってたぜ」

 親指で示された方角に顔を向けると、歩いてくる人影が見えた。着物の裾が泥道で汚れないように注意しているせいで歩きにくそうだ。

「やはりそうでしたね。魔力場の乱れにこの人ありです」

「何でも俺のせいにしたら良いと思ってないか? 嫌われたもんだ」

 持っていた番傘を勢い良く突きつけられたクリーンはおどけて両手を上げた。

「素行不良のイカレ賭博師に対しては妥当な評価だと思います。ところで、シンさんは何か宗教上の理由でもおありですか? こんなところで寝ていると風邪を引きますよ。衛生状態も良くないですし、感心しません」

 いつもの調子でにっこり微笑む耀子に、シンは笑い返そうとしたが、殴られた痛みのせいで、顔が引きつり、何とも言えない不細工な表情になってしまった。

「変な顔。まるで狐につままれたみたいです。雲隠れされて、化かされた気分になったのはこちらですのに。二人の愛の巣にお邪魔したのがよほどお嫌でしたのね」

「それがどうも振られたらしいぜ」

「そうなのですか?」

 クリーンを野放しにすると、話がややこしくなりかねない。シンは自分で説明することにした。耀子は説明の間、目を閉じて相槌を打っていた。

「困りましたね」

 彼女にしては珍しく不満を露わにして小首を傾げた。

 シンが不思議そうに見つめていると、口元を袖で隠して柔和に微笑んだ。

「アニマさんがいらっしゃらないのに、これ以上事件に関わるのは嫌です。クリーンさんの因縁に付き合う気にもなれません」

 笑顔を崩さず冷徹に言い切った。

 シンには耀子の考えが読み取れなかった。アニマがミレニアによって別邸に軟禁されているのは事件とは何の関係もないはずだ。

「耀子は殺人鬼をこのまま野放しにしてもいいっていうのか?」

「誰もそんなことは言っていません」

「ならッ!」

「少しは落ち着いてください」

 立ち上がろうとしたシンを耀子は片手で制した。それだけでシンは地面に縫い付けられたように動きを封じられた。

 耀子の瞳は冷たく冴えていた。

「一週間も何の音沙汰も無かったんですよ。その間、私がどんなふうに考えていたかわかりますか? 私のことを血も涙も無い冷たい女だとお思いですか?」

 耀子の声は淡々としていたが、鬼気迫るものをシンに感じさせた。そして自分の浅はかさを悟った。

「心配かけてごめん」

「わかってくだされば結構です。心配しました。すごく、すごーく心配しました。いきなり消えるのはこれっきりにしてください。心臓に悪いです」

 今度こそ耀子はいつものように柔らかく笑った。

「しかし、それはそれとして困りました。お二人をお探ししている間に、次に事件の起こりそうな候補地までいくつか絞れていたりして。日時もそれとなく。どういたしましょう?」

「どうするって……」

 窘められたばかりなので、シンは即答できなかった。

 クリーンは小刻みに肩を揺らして笑い声を漏らした。

「かわいい顔してホントいい性格してんな。貼り付けた笑顔の裏で何を考えているか、わかったもんじゃねー。俺なんかよりよっぽど性質が悪いんじゃねーか?」

「甚だ心外です。私は裏表の無いのが自慢なんです。人聞きの悪いことを言わないでください」

 耀子は頬を膨らませてむくれた。

 シンの耀子に対する印象は出会ったころと比べて大分変化してきていた。初めからどこかつかみ所の無い性格だと思っていたが、多分に毒を含んでいるのが驚きだった。友好的な関係を築くことができていて良かったとシンは思った。

「俺はアニマを取り戻したい。事件より何より優先したい。自分勝手だと思うけど」

「そうですね。それに賛成します」

「しゃーねーな。付き合ってやるよ。ミレニアの魔術に興味もあるしな」

 二人の同意を得て、ひとまず方針は定まった。

 捕らわれのアニマ奪還作戦。

 メンバーはシン、クリーン、耀子の三名。

 敵は魔術界の権威、ミレニア・ヒートへイズ。

「勝てるかな」

「まぁ正攻法じゃ無理かもな。何しろ敵の居城に攻め込むんだ。城攻めには三倍の兵力がいるのが常識だ。しかも相手は伝説級の人物。三人合わせてミレニア一人分になるかどうかも怪しいと思うぞ。しかし、だからこそやりがいもある」

「それなんですけど、別に攻めなくても良くないですか?」

 意外な提案をした耀子本人は至って真面目な顔をしている。

「搦め手で行きましょう。私に良い考えがあります」


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