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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第十六章

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第四話 期待


 やはり、別れてやるべきなのだろうか。

 蓮の前から逃げ出したあと、不意に思う。


 体は確かに万全ではないだろう。けれど手を借りれば歩行もできるだろうに、蓮は初めから歩く気もないのか、月龍の腕に抱きかかえられて移動する。必要以上に月龍の手を煩わせようとしているのは、明白だった。


 無論、月龍には嬉しいことだ。だがそうやって嫌がらせをすることでしか憂さを晴らせないのは、蓮にとっていいことではない。

 月龍を不幸にすること、それを見届けること。蓮の望みは、なんと消極的なのだろう。そのために自らの幸せも諦めるというのだから。


 本当に月龍を絶望させたいのなら、方法は簡単だ。月龍を捨てて、さっさとここを去ればいい。


 亮に証人を頼もうか。別れたとしても、生涯蓮以外を愛さず、結婚もせず、近づけさせない。もし誓約を違えたら、亮の名の元に月龍を罰すると。

 そうしたら蓮も安心して、月龍を捨てられる。


 ――そうなった場合、月龍の末路は決まっているけれど。


 苦い思いが、自嘲を呼ぶ。

 蓮のためならばなんでもする、その気持ちに嘘はない。それでも、最も彼女のためになる方法を知りながら、自ら選択する潔さはなかった。


 なにか方法があるのではないか。たとえ同じ道ではなかったとしても、蓮を幸せにしながらも月龍が傍を離れずにいられる方法が――そう考えてしまう月龍は、度し難い。


「――月龍」


 考え事に気を取られていたせいだろうか。呼びかけられるまで、背後に生まれた気配に気づかなかった。驚きに、指先がぴくりと震える。

 驚いたのは、人の気配に気づかなかったことに対してではない。聞こえた声が、自力では体を起こそうともしない蓮のものだったからだ。


 何処か硬い響きには気づいていた。決意めいた色が見え隠れしていることにも。

 だがそれが些細なことにしか思えぬほど、高揚のために我を忘れていた。


 蓮の方から呼びかけてくれた。しかも、名を呼び捨ててくれた。

 仲がこじれたあとはずっと、尊称を欠かさなかったというのに。


 なにより、蓮が臥牀を下り、歩いてきてくれた。

 居間までの距離はたいしたものではない。けれど長く使われることのなかった足の筋肉は衰えているはずだし、人間は長い間歩かないでいると、体が歩き方を忘れてしまう。


 ――許してくれたのか。


 痛みさえ伴う動悸は、抑えきれぬ期待のためだった。


「蓮――」


 笑顔で立つ蓮の姿が、脳裏に浮かんでいた。

 しかし、喜色満面で振り向いた月龍の目に飛び込んできたのは、いつもと同じ険しい顔つき。

 否、いつも以上かもしれない。歪んだ眉と眉間に寄った皺、瞳に宿る光は剣呑だった。


 そして、胸の前でなにかを持っているのが見えた。


 その正体に、目を疑った。驚き、走り寄ってきた蓮を相手に、咄嗟に体が動く。

 無意識だった。蓮の手を掴まえ、腕を捩じり上げる。

 痛みに力が抜けた彼女の手から落ちたのは、懐剣だった。


 月龍が目にしたのは、白刃の煌めき。到底蓮には似合わぬものだ。まして人に向けるなどとは、まったく考え難い。

 考え難いけれど、視認してしまった以上、認めないわけにはいかなかった。


 ――蓮が、月龍を殺そうとしたのだと。


「いたっ……」

「あっ」


 愕然としていた月龍を我に返らせたのは、蓮が上げた悲鳴だった。慌てて手を放す。


「すまない、つい習慣で――」


 月龍の言い訳も最後まで聞かず、蓮はさっと逃げ出した。

 おぼつかない足取りで、それでも必死に走ろうとしている姿が痛々しい。

 けれどなにより鮮明に焼きついたのは、見上げてくるあの、怯えた目つきだった。


 暗殺に失敗した以上、月龍が報復として暴力を振るうとでも思っているのだろうか。もしかしたら、殺されると考えているのかもしれない。

 そのような心配は、必要ないのに。思う端から、苦さがこみ上げてくる。先ほど考えていたことが、思い出された。


 蓮の幸せのためには、月龍が姿を消すのが早い。その方法として、殺害を思いついたのだろう。

 否、単純に殺したいと願うほど、月龍が憎いのかもしれない。


 蓮が、月龍の死を望んでいる。


 わかっていたつもりだが、こうやって目の当たりにすると思い知らされた気分だった。また、実行に移そうとまで思いつめた蓮の気持ちを考えると、辛くなる。

 床に転がった懐剣に目を落とし、ふと嘆息した。


「刺されてやればよかったか」


 ぽつんと呟いたのは、偽りのない本音だった。

 それで蓮の気がすむのなら、月龍の命など惜しくない。

 刃を払ったのは幼い頃からの訓練の成果にすぎなかった。武官としての習慣が、これほど憎いと思ったことは他にない。


 けれど、おかげで妙案を思いついた。


 覚悟を決めると、月龍はそっと懐剣を拾い上げた。

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