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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第十五章

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第一話 尽力


 月龍はすぐ、門衛に医師を呼びに行かせた。まだ間に合うかもしれないと、一縷の望みにすがる思いだった。

 医師が到着するまでの間に、蓮の顔を綺麗に拭い、また、下腹の出血には当て布をする。臥牀に運んで手を握りしめたまま、蓮の髪や頬を落ち着きなく撫で回していた。


 部屋に通された医師が、うっと小さく呻く。顔についた血は拭っていても、傷が隠せるわけではない。暴行の痕を見て取ったが故の驚きなのだろう。

 容態を診るからと寝所を追い出され、気が気ではなかった。姿が見えない、状態がわからない、それだけで心臓が痛い。


 どうにか助かって欲しい。蓮はもちろん、子供も。


 だが、祈りは届かなかった。長い診療を終えた医師は、すがる目で凝視する月龍に、頭を振って見せる。

 子供はすでに腹の中で死んでいたこと、蓮自身も非常に危険な状態にあること。このまま昏睡が続けば、命を落としかねないと。


 まずは死んだ子供を腹から出すことが先決なのだと言う。命のない子供が胎内に留まり続ける限り、不要な負担が蓮の体にかかるらしい。

 一度道具を取りに行った医師は、戻ってくると即座に作業を始めた。


 どれくらいの間待ったのかもわからない。手伝うこともできず、傍に居ることもかなわず、狼狽しながら寝所の前を右往左往する。

 ようやく出てきた医師は、額に汗を浮かべていた。

 その手の中には、血に濡れた布の塊。


 ――なにが包まれているかなど、考えるまでもない。


「その、子が……?」

「男の子でした」


 掠れた問いかけに頷く医師も、沈痛な面持ちだった。月龍は改めて、彼の手の中に目を落とす。布に包まれ、その厚みをもってしてもなお、両手の平よりも小さい。


 ――本当に、小さな命だった。

 失われた、尊い存在。月龍と蓮を繋いでくれていたもの。

 命の損失に、罪悪感を禁じ得ない。だが蓮との絆を、彼女の希望を摘み取ってしまったことが辛かった。


「――大丈夫だ」


 譫言のように、小さく呟く。


「蓮さえ生きていてくれれば――子供はまたいずれ、生まれる」


 そのときこそ、大事にしよう。蓮を、子供を守り、愛すればいい。


「大変申し上げにくいことですが」


 月龍の独り言を聞き咎めたか、医師が重い声を洩らす。


「公主のお命を優先させるため、御子を下から掻き出しました。胎内は深く、傷ついております。完全な回復は、おそらく見込めません」


 発せられた言葉の意味を、すぐには理解できなかった。――したくなかった。

 幾度も頭の中で反芻し、ようやくゆっくりと、正解に辿り着く。


「では――蓮はもう、子供が産めないと……?」


 子供を育む器官が回復しないと言うならば、そういうことになるのではないか。

 問いかけを音にするのも難しいほど、喉の奥が渇きと痛みを訴える。


「絶対ではありません。ただ、可能性は限りなく低いかと」


 そんな、と一言呟くだけで精一杯だった。

 脳裏に蘇るのは、腹の子に向けられた蓮の、優しい微笑み。慈愛に満ちたあの顔は、まさに母のものだった。


 その蓮から、授かったその子供だけではなく、母となる機会すら奪ってしまった。


 感じたのは、罪の意識などという生温いものではない。自分に対する怒り、憎しみ、絶望感――あらゆる負の感情が一気に押し寄せてくる。

 苦痛から逃れたいと思ったのか。錯乱の発作が、顔を覗かせようとする。


 一層のこと、暴れ出していたら楽だったのだろうか。助けに来てくれた医師にも暴力を振るい、逃がし、もしくは殺してしまう。

 そうしたら蓮は助からず、狂気を自分に向け、自らを殺せばもうなにも考えずにすむ。


 だが、衝動は暴力には向かわなかった。代わりに、力が抜ける。膝から崩れ落ち、滂沱と流れる涙を止められずに、両手で顔を覆った。


 蓮と亮以外の前で泣いたのは初めてだった。けれど医師の目を気にする余裕などあるはずもない。感情の波に飲まれ、我を忘れてただただ号泣する。

 慰めの言葉でも探しているのだろうか。頬に突き刺さる医師からの視線が痛い。


「――今はとにかく、公主のお体が大事です。ご容体が落ち着くまで、泊まりこませて頂いても構いませんか」

「無論だ」


 重い沈黙を破った医師の声に、はっと顔を上げる。


「どうか、彼女を助けてくれ」


 なりふりなど構っていられなかった。縋る目と口調の月龍に、医師が驚きの目を向けてくる。

 無理もない。かつて主治医であった彼は、月龍の為人を知っていた。

 武官になってばかり、なんの地位もない少年の頃から、月龍は不遜な態度だった。人間を信用せず、他者を見下していた月龍を知っているだけに、涙して縋りつく姿は奇異に映るのだろう。


 医師はふと、眉をひそめる。

 軽く伏せ気味にした目を月龍からわずかにそらし、小さく頷いた。


「できる限りのことは致します。全力を尽くして」

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