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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第十四章

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第十話 狂乱


 頭上高く掲げたのは、利き手で強く握りしめられた拳。


 ――駄目だ。


 深奥部からの制止は、間に合わなかった。気づいたときにはもう、拳は蓮の右頬を打ちつけていた。

 月龍の腕力の前に、蓮は子鼠にも等しい。一撃だけで軽々と吹き飛び、床に倒れる。

 前屈みに倒れたのに腹を打たなかったのは、母なる者の本能として、子供を守るためだったのだろうか。


 ほんのわずか、蓮は意識を失ったようだった。しかし襟首を掴み上げると、衝撃のためか即座に覚醒する。

 持ち上げ、宙に浮いた足で抵抗を試みる蓮に、二撃目を当てた。

 蓮の背中は壁にぶつかり、倒れたときにはまた、激しく打ちつけた音がする。


 血臭がした。見れば、蓮の唇の端から血が流れている。口の中でも切ったのだろうか。

 痛いだろう。可哀想に。

 他人事で呟く自分の声が聞こえる。


 膝をつき、倒れこんでむせ返る蓮の顎に、指を当てた。無理に上を向かせて、唇を重ねる。

 舌を割り込ませ、口中をまさぐってより血の味が濃い所を探り当てた。

 頬の内側にできた傷を、舌で舐め、刺激する。


 痛みのためか、蓮の身が竦んだ。けれど抵抗はせず、逆に自ら舌を絡ませ、月龍の口づけに応えようとさえしている。

 月龍のために、ではない。望んでいるだろうことを叶え、満足させて、これ以上の暴力を避けようとしているのだ。


 ――蒼龍の子供のために。


 蓮の胸に伸ばしかけていた手を握りしめると、躊躇なく、その腹に叩きこんだ。

 急所である水月ではない。下腹部――新たな命を育んでいる部分だった。


 蓮の目が一瞬遠くなり、瞼が下りるよりも早く頭を振る。痛みのために意識を手放そうとし、それを防ぐために活を入れた、といったところだろうか。

 失神した方が楽だろう。なのにあえて意識を留めようとしたのは、身を守るためだ。


 気を失えば、抵抗できない。そうなればそのまま、醒めることのない眠りに落ちる、そう思ったのか。

 自分が死んだら、腹の子も死ぬ、だから死ぬわけにはいかない――声にならぬ蓮の声が、聞こえた気がした。


 歯と歯を噛み合わせて拳を握りしめる月龍に、蓮の濡れた瞳が嘆願する。


「お願いです、私を殺したいのなら殺してもいい。だけど待ってください。この子が生まれるまで――あなたが殺したいのは、私でしょう? この子だけは助けて。そうしたらあなたの望み通り、死んでも構いません」


 ずりずりと床を這うように後退している。腰が砕けたのか、床から起き上がれない様子だった。

 先程の一撃が、外的な圧力だけでなく、内側からの激痛をもたらしたのか。


 ――逆だ。

 蓮の訴えに、苛立ちが増す。


 もし蓮が、子供は死んでも構わない、自分を助けてくれと縋っていたら、少しは気分も晴れたかもしれない。

 けれど蓮は、自分の命より、子供の方が大事だと言った。

 それはとりもなおさず、月龍よりも蒼龍を選んだに等しい。


「子供など、おれの知ったことではない」


 蒼龍の子供など、月龍にはなんの関係もない。思う端から、殺意と狂気が理性を蝕んでいく。

 蓮にも伝わっているだろう。本気で、蓮とその子供を殺そうとしていることは。


「お願い。この子、だけは」


 ずるり、と後方へ這う恟恟たる様に、目を細める。この状況にありながらもやはり、蓮の手は腹に伸ばされていた。


 それほどまでに子供が大切か。その子供の父親である蒼龍が愛しいのか。


 狂乱の最中、それでもなんとかかすかに残っていた思考能力も、これを最後に失った。

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