表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第十三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

136/188

第三話 姮娥


 いつものように平伏する蓮の姿を見つけたときの安堵たるや、言い知れぬものだった。一日中、不安に胸が潰れる思いでいたから、反動でより舞い上がる。

 喜色を満面に浮かべ、そのまま寝所へと運び去った。


 ふと目を覚ましたのは、夜中のことだった。隣にいるはずの蓮の、気配がない。

 沸き上がったのは、既視感だった。あのとき蓮は隣を抜け出し、隠れて一人、涙していた。今もどこかで、声を殺して泣いているのだろうか。


 ならば傍に行きたい。泣いている間、肩を抱いて宥めてあげたい――浮かんできた想いを、頭を振って断念する。

 追いかけて行ってはきっと、泣くことすらできなくなる。知らぬふりをすることが、蓮のためだ。


 けれど、とてもではないが眠れる心境にはなれない。せめて近くにいたくて、そっと臥牀を抜け出す。

 以前居たところに、姿はなかった。何処へ行ったのだろう。不安に思いながら、蓮の居場所を探した。


 不用意に動いて気づかれてもいけないから、慎重に足を進める。かすかな水音を捉えたのは、寝所を抜け、居間に差し掛かった頃だった。

 中庭の方だろうか。音に吸い寄せられ、自然とそちらへ向かう。回廊を出ると、柱の陰に隠れてそっと、様子を盗み見た。


 新月の宵であった。暗がりの中、星明りにのみ照らされ、井戸の傍らに蹲る蓮の姿が見える。


 なにをしているのか。怪訝に眉をひそめる月龍のことなど知らず、蓮は井戸からくみ上げた水を、その身にばしゃりと浴びせた。

 見ると、井戸の周りは泥状にぬかるんでいる。もうすでに、幾度も先ほどの行為を繰り返している証だった。


 夏が近いとはいえ、やはり夜はまだ冷える。その中、薄い肌着一枚で水をかぶればさすがに寒かろうと思うのだが、当の蓮はなにか思いつめたような眼差しをしていて、寒がっているようには見えない。

 思わず踏み出した足が砂を踏みしめ、じゃりっと鳴った音が月龍の存在を知らせたらしい。蓮ははっと顔を上げて、振り返った。

 かすかに驚きの色は見えるが、泣いていたわけではないようだ。ひとまずは安堵し、だがすぐに疑問に襲われる。

 このような夜中に水を浴びる理由は、何処にあるのだろうか。

 少なくとも月龍には、見当もつかない。


「――なにをしている。このような時刻、場所で」


 尋ねる口ぶりは、詰問調だった。

 いつものことだ。蓮は怯む様子も、怯えの色も見せない。歩み寄る月龍に向けられた視線は、ただただ冷たかった。


「身を――清めていたのです」


 一瞬蓮が言い淀んだ、戸惑いの意味がわからない。

 わかるのは、自分が感じた寂しさと怒りだった。ギリ、と音を立てて歯を噛みしめる。


「おれに触れられた体は、それほど汚らわしいか」


 吐き出した憎々しげな声に、蓮は答えない。黙って、項垂れるように俯いた。

 それが、肯定の返事に思えた。


 独りで泣いているのではないかとの心配も、蓮を思いやっていた気持ちも、その場で四散する。

 髪から垂れる滴が頬に落ち、まるで涙だった。


 月龍を拒絶して泣いている。そう見える様さえ美しく、天上から舞い降りた姮娥(コウガ)のようだ。

 なるほど、それで今宵は天に月がないのか。


「無駄なことだ」


 地に落ちた月の女神を、抱き竦めるよりも早く押し倒す。


「幾度身を清めようと、その度にこうして汚してやる」


 濡れた衣服の上から、冷えた蓮の胸を握りしめる。低く囁きかける(おぞ)ましいはずの声に、蓮はすぅっと目を閉じた。

 観念した表情に、一抹の虚しさが浮く。

 けれどもう、止められない。どうせなにをしても、蓮の心は取り戻せない。

 もうどうでもいいのだと、諦めから発した自棄が月龍を支配している。


 そして二人は泥にまみれながら、その夜も忌わしい行為を繰り広げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ