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冥合奇譚 ~月龍の章~  作者: 月島 成生
第十三章

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第一話 扁将軍


 幾度目のため息なのか、数えるのもばかばかしくなるほどだった。


 ――あの日、蓮のために別れてやってもいいと覚悟を決めたとき。

 結果的に傍に残る状態となった蓮を、やはり諦めることができなくなった。感情を見せない蓮を再び、力で支配する日々が続いている。


 落ち着かない。休憩の間、談笑する同僚や部下たちには加わらず、練兵場の隅の階段に腰を下ろしている。

 一人、離れて過ごすのはいつものことだ。もっとも不安のために膝を揺らし、苛立ちを抑えきれずに爪を噛むのは常ならぬことではあったが、月龍の様子に気を配る者はいない。だから月龍も周囲を気にすることもない。


 蓮は今、宮殿に来ている。嬋玉(センギョク)に呼び出されたのだ。

 趙靖に結婚の内諾をもらって以降、蓮は一度も宮殿を訪れていなかった。月龍と出会うまでは十日と開かずに訪ねてきていたのだから、嬋玉が不自然に思うのも無理はない。


 ただ単純に会いたかっただけの可能性もある。王に顧みられなくなって久しい嬋玉にとって、蓮や亮との会見は慰められるものだろう。

 立場上、表立って会うことの出来ない亮と違い、蓮はなんの制約も受けずに会える数少ない人間だった。


 その、会えるはずの蓮に、もう何ヶ月も会っていないのだ。寂しくなって、とうとう呼び出しをかけたのだとしてもおかしくはなかった。


 けれど、不安は募る。月龍が蓮に、嬋玉と会うことも禁じたのは彼女の鋭さを知っているからだ。

 様子の違いに気づけば、詮索もされるだろう。嬋玉に問われれば、蓮はきっとすべてを話す。

 否、問われるまでもない。今の監禁状態を続けるよりはと、自ら打ち明けることも考えられる。

 そうならないために、問題が起これば亮たちを殺すと脅しをかけてはいるが、安心できる状況ではない。


 そもそも、蓮の体調が万全ではなかった。

 体つきこそ華奢ではあるものの、蓮は決して病弱ではない。

 その彼女がここ最近、眩暈のためか頻繁にふらついている。朝も吐き気でもあるのか、なんとか起き上がってもなかなか動けず、口元を押さえている姿を幾度も見かけた。


 仮に態度はつくろえても、健康を害していることに気づかれれば医師が呼ばれる。診察で体を見られれば、素肌に残る暴行の痕が白日の下に晒されるだろう。

 そうなれば、別れさせられるのは必至だ。むしろ月龍が無事でいられるはずもなく、死を賜ってもおかしくはない。


 挨拶をしたらすぐに帰れと、蓮には言い聞かせた。戻らなければどうなるかわかるだろうと、念を押して脅迫もした。

 だから大丈夫。思う傍ら、そのようなはずがない、蓮は月龍を嫌っているのだから逃げようとする、ならば外に出たこの好機を無駄にはしないだろうとの悲観が浮かぶ。


 また嘆息をしかけて、ふと気配を感じて目を上げた。

 その場に立っていたのは、(ヘン)将軍。岷山攻略の計画が立てられたときに配属されて以降、月龍にとっては直属の上官に当たる男だった。

 慌てて腰を上げようとする月龍を手で制し、扁はその隣に座る。


 扁はあまり、形式に重きを置く男ではない。その偏見のなさが、王子の友人とはいえ素性もわからないという厄介な立場の月龍を、快く自軍に引き入れるところにも表れていた。

 武官と言うよりも文官の方が似合いそうな痩躯と、温厚な人柄。月龍の出世にも、僻みや中傷が飛び交う中、貴官の実力だおめでとう、と喜んでさえくれた。

 月龍を認めてくれる、数少ない人物である。


「先ほど、蓮公主をお見かけした」


 穏やかな調子のまま発せられた言葉は、月龍の体を硬直させた。

 顔の痣は、おしろいで隠してある。一目で月龍の蛮行が露見するとは思えない。

 だがあの無邪気だった蓮の覇気がない表情は、嬋玉など近しい人間以外にも気づかれるかもしれない。


 異変が知られれば――たとえば噂にでもなれば、亮の知るところとなるのではないか。

 知られれば、奪われる。

 増した恐怖感のために、扁に目を向けることもできない。


「いや、驚いた。しばらく見ないうちに、随分とお美しくなられて」


 月龍が抱く内心の焦慮など知らぬげに、扁がにこやかに続けた。

 あまりに予想外の言葉だった。勢いよく、扁を振り返る。


「たしかにお年頃だからな。色々とお変わりになる時期ではあろう。それにしても、幼さが抜けた面立ちは、さすがは殿下と同じ血筋の公主。絶世の美女とはあのような方を言うのだろうな」


 嫌味など言う男ではない。扁が口にした褒め言葉はきっと、本心なのだろう。


 今の蓮は、たしかに美しいと言えば言えるのかもしれない。ふっくらとしていた頬は、やつれたせいですっきりとした線になっている。

 いつも、誰にでも向けていた笑顔は、愛らしくはあっても幼さを強調していた。けれど無表情を刻む今の顔は高貴さを醸し出し、むしろ公主らしくはある。


 ただそれは、少女から女への成長だけではない。月龍に与えられた苦痛がもたらした変貌だ。

 なのに、他人の目にはあの愛らしかった頃よりも美しく映るのか。


「いやいや、その美しさのために私が懸想した、というわけではないぞ」


 愕然とした眼差しを向ける月龍に、嫉妬などしてくれるなよと冗談めいた顔で笑う。

 仕方なしに苦笑を返すと、「ではな」と片手を上げて扁は去って行った。


 周囲とは違い、扁はよく月龍を気にかけてくれる。一人で離れているところに寄ってきては、一言二言、他愛のない話をするのはよくあることだった。

 今回はその話題が見かけた蓮のことだっただけで、扁が言うように深い意味はないのだろう。


 けれど、複雑な心境にならざるを得なかった。


 月龍が傍に居てほしいのは、幸せそうに笑う蓮だ。笑みも感情も忘れた姿は、苦痛でしかない。

 だが妍麗なる様子は、他者の目には魅力的なのかもしれない。


 ――他の男が、蓮に目をつける。奪われる危険性が増す。


 逃げられぬように足を折るか、それとも斬り落とすか。自力で動けぬようになれば、嫌でも月龍を頼ってくれるだろう。

 ならば目を潰すのもいい。日常の生活すら送れず、すべてに月龍の手が必要となる。


 否、それでも公主の身分と美貌を欲する男はいるかもしれない。一層のこと、顔を潰そうか。熱湯でもかけて皮膚を爛れさせれば、誰も見向きしなくなる。

 たとえ蓮の姿がどのように醜くなり果てたとしても、月龍の想いは変わらない。他の誰にも縋れなくなれば、蓮は完全に月龍だけのものになる。


 ――ただそうなれば、ほしいと思った笑顔は二度と見られず、そう期待することすらできなくなるだろうけれど。


 どうしたらいい。どうすれば自分は――蓮は幸せになれる。


 答えは見つからず、目頭に浮かんだ熱をこらえるため、膝に額をつけて頭を抱えた。

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