第参拾伍話 決着
大きな音がファルも元へと近づいてくる。ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。その大きな足音に恐怖はない。足音はファルの前で止まった。
「……い、狗飼?」
生暖かい風がファルの顔にかかっているエプロンを揺らした。それからは静かなものだった。目の前から大きな気配が消えたのだ。
「狗飼?」
再び声を掛けるが反応はなかった。見られたくないと言っていたがファルはゆっくりとエプロンを外した。そこには自分の目の前にうつ伏せで倒れている狗飼と離れた場所でギリがかろうじて立っていた。自然は破壊され、見る影もなかった。木々はなぎ倒され、大地はえぐられている。どこか違う場所に移動したのではないかと、勘違いしそうなほど景色が違っていた。
ギリに至っては、左ひじから上がなかった。それを懸命に右手で握り締めて出血を止めようとしている。身体にも大きな傷跡が付いている。正直言って、なぜ立っているのか不思議だ。狗飼と逆でもおかしくはない。
「ま、まだだ……」
顔からは脂汗がしたたり落ちている。意識を保っていられる時間はそう長くないだろう。だが、ギリにはまだやることがある。その為にここまでやってきたのだ。
ゆっくりとギリはファルに近づく。
「さぁ、やるのだ。ファル・リュミーナ。お前が私の命を奪わなければ、私が狗飼の命を奪うぞ」
ここまで来れば、言われなくてもさすがにわかる。もう隠す余裕もギリにはないのだろう。
「あなたは……あなた達は私たちの敵じゃない」
ギリの眼を見据えて言った。ギリは一度深く眼を閉じるとそれを否定する。
「敵だ。敵は倒さなければならない」
クラウとまったく同じ事をしている。
この二人は、自分の命を懸けて自分たちに何かを伝えようとしてくれている。その目的はわからないが、確実に自分たちを殺す気などないのだ。それだけは言い切れる気がする。
「私は、お前の敵だ」
まるで自分に言い聞かせるかのように同じ言葉を言う。そこから覚悟がファルへと伝わる。
「私に……これ以上……」
言葉に詰まる。ギリは倒れている狗飼をちらりと視界に入れる。それだけでファルはギリが何を言いたいのかを理解する。
『卑怯な真似をさせないでくれ』
容易に続きがわかった。ファルは覚悟を決めなければならない。仲間を守るため。自分に何かを伝えようとしてくれている不器用な人の想いを守るためにも。
ファルはゆっくりと立ち上がって前を、ギリを見据える。その瞳に映る覚悟にギリは少し微笑んだ。
「そうだ。お前なら、出来る。私は、お前が手を出さなくてももうすぐに死ぬだろう。だが、お前がやることに意味があるのだ。あと一度、もう一度だけ命を奪う感覚がわかればいいのだ。そうすれば――」
ファルは応えなければならい。両手を前に突き出して重ねる。深く息を吸い込んで、吐く。ファルの意識は加速して景色がモノクロへと変わる。
「そうだ。迷うな」
視える。
「クラウよ。もうすぐだ」
運命の糸が視える。
「きっとこの世界は―――……」
ギリの糸を右手で掴み、左手で手繰り寄せた違う運命の糸に重ねた。ファルは繋げた糸を放す。すると急激にモノクロの世界が鮮やかに戻って行った。
ギリが倒れるのと、リアと狗飼が目を覚ますのはほぼ同時の事だった。




