第弐拾玖話 水神乙姫
リアは自分の掌を見ながら何やら不満気だ。わかってはいたが、やはりかという落胆が大きかった。
大きなため息をつくリアから二人は眼を離せないでいる。
「リャーカさん……あれで序列二位なんですか? じゃ一位って」
「あれよりもさらに凶悪も凶悪。出会った瞬間に命を取られるほどにね」
言ってリャーカはファルを一瞥する。詳しくは言わないでおこう。あれは余計な情報だ。知らない方がいい事など、世の中には腐るほどある。
水龍がまるで水の中を泳ぐかのようにリアの周りを泳いでいる。
「リャーカさん、あれ、水龍って言いましたよね? ってことは青の心臓の力って」
「青の心臓はすべての水を操る事が出来るのよ。あの子にとって水は自分の身体みたいなもの。生前は……」
一度言葉を切る。
言ってよいのだろうか。さきほどの事とはまた違う事ではある。これはリアに関する事だし、もう言い訳の仕様がないほどリアは覚醒している。何を言われても納得は出来ないかもしれないが、少しは気持ちが晴れるかもしれない。
「生前は、水神乙姫、って言われてたわね」
「水神乙姫……」
「すべての水を司る存在のトップ。さっきのクラウを吹き飛ばしたのだって水を操ってやったのよ」
「え?」
「吸血鬼は身体を霧に出来る。霧って水でしょ?」
「あっ」
そう言われて合点がいった。
「水になったら青の心臓から逃げられるわけもない」
「それでリアは一度、大剣を投げつけてクラウを霧の状態にして捕まえたって事ですか?」
「その通り。でも覚醒したてでだいぶ力が弱くなっているみたい。本来ならあんな小細工しなくても捕まえられたのに。生物の身体は半分以上水でしょ? それを操りさえすればいいだけの話だけど。そうもいかなかったみたいね。それに血だってある」
「ち?」
「血液よ。血は水みないなもんでしょ? 昔は血を操って操り人形にしたり、血を沸騰させて殺したり……暴れまくってたのよ」
「……たしかにそれは凶悪ですね」
今のリアからは想像が出来ない。当たり前だが、生前だ。人格は違うだろうとファルは無理矢理自分を納得させた。
「リヴァよ、力を貸せ。あやつを屠る」
そう言われた水龍はちらりと木の根で座り込んでいるクラウに視線をやった。ぴくりとも動かないし、気絶しているのか、はたまた死んだのか。
「……よいのですかな? あれは――」
「よい!」
言葉をかぶせて肯定する。自分がルールだ。そんな性格を知っているので水龍は反論はしなかった。
「……御意に。貴女様は我が主。我は貴女の命令に従う」
言った瞬間だった。近くの森の中にある湖か川だろう。それが爆発した。水が天高くに舞い上がり、そして重力によって下へと落ちて来る。さながら雨のように。
しかし、その雨は地面を潤す事はなかった。リアの周りで水滴がピタリと止まったのだ。そしてそれは渦を巻き、ドリルのような形を形成する。その数は五つ。
まるで剣の切っ先を向けるように、ドリルの先端はクラウの方へと向けられた。
その瞬間にリャーカは掌を自分の顔の前で合わせた。すると足元から淡い、綺麗な緑色の光がゆっくりと浮いて来た。それは当然、近くに居たファルも包む。
「この中から出るんじゃないわよ」
その言葉でファルは察した。これは結界だろう。
結界の気配を察してリアが視線を振る。まずはリャーカと視線が合う。
「乙姫……」
短く、言葉を交わす。
「兄上か」
そしてリアはその隣にいたファルへと視線を流した。二人の視線が交差する。その時間は一秒にも満たなかっただろうが、ファルにはとても長く感じた。
瞬間、リアが一瞬だけフッと口元を緩めた気がした。リアはすぐに前へと視線を戻す。
そして、言う。
「兄上、護れよ」
誰を? とは愚問だろう。
「リア……」
青の心臓の音が高鳴る。青の波紋が広がり、その場を支配した。
「終いだ」
放たれた水の竜巻は、一直線へとクラウに向かっていったのだった。




