第三十七話 空間魔法
そっとバスケットの蓋を開けると、小さな魔法陣が展開し、焼き菓子が二つほど消えて無くなった。
「空間魔法!?」
あちらとこちらの空間を繋げて召喚させる魔法だ。繋げる場所は異界、別空間、体内、脳内、精神世界等、魔導師が別と判断する場所ならば何処でも繋ぐ事が出来る高等魔術。この魔術が得意な属性というのは決まっていて、紫水晶の瞳を持つと言われる闇の魔術師だ。先程院長が話していた森で拾った子供というのは、この魔法の主に違いない。なんといっても一年間甘いものを食べていなかったのだ。フライング食べがしたかったのだろう。
私は小さな窓から、食い入るように外の森を見た。あそこだ。あそこにいる。私が座らずに窓の横に立っていたのは、退路確保とセキュリティーの為なのだが、今は当初の目的はあちらの彼方に葬り捨てて、じっと森の入り口を凝視して当たりを付ける。
なんとなく場所を特定し駆け出した。
子供の魔術師は野放しにして置いては危ないのだ。魔術師と分かれば誘拐される。特に悪い者に誘拐されると、悪事に徹底的に利用される。孤児院に行き着いた血統的に潜性遺伝を繰り返して、ポッと出た魔導師は、領主か王家か教会かとにかく大きな組織で保護しなくてはならない。
間髪を容れずに走り出した私に、
「シリル、追って」
というルーシュ様の声が追随した。
◇◇《視点がルーシュに変わります》
小さな部屋に残されたルーシュと院長は茶でもあったら飲みたい所だったが、生憎ともてなし的なものは全く受けていないので、テーブルには何も乗っていない。茶も高価な物だからなとルーシュは考えていた。今度来る時は差し入れに茶とあと子供が勉強する為の紙とか? それに野菜の苗なんかも良いかな? と平和に考えていた。しかしこの院長は失礼の塊だから、もう少し信用を取り付けてから渡すかと狭量な事を考える。
「元気な部下ですね?」
「ああ、元気だけが取り柄だな」
「取り柄が元気しかない部下なのですか?」
「一応言っておくが、物の例えだ。元気以外にも取り柄はいっぱい有る」
「部下への評価が高いんですね?」
「低いよりは良い上司だと自負しているが」
「それは尤もです。どこら辺を評価しているんですか?」
「……魔力素養の高さに頼らず努力している所。勤勉な所。素直な所。力に謙らない所。善性が高い所」
「……それはロレッタさんの方ですね」
「……まあ、そうだな」
「シリルさんへの評価も知りたいですね」
「シリルは……、魔法能力が馬鹿高い所、動くべき所で動ける判断力。そして頭が良く回る」
「成る程、概ね賛成です。素直な方では無さそうですからね」
院長は初めてルーシュに対して笑った。
「お茶を出さないのは、意地悪ではなく、茶葉がないのです」
「概ね理解している」
「久しぶりにお茶が飲みたいですね?」
「届けさせよう」
「寄付金が止まった事情は知っていますか?」
「それは解決した。再度止まったら取り返しの付かぬ馬鹿という事だ」
「寄付金の三割を納めなかった報復ですか?」
「そうなるな」
「腐りモノはどの辺りに?」
「いずれ分かるだろう」
「つまり公にすると?」
「………どういう形でかはまだ分からないが」
院長は立ち上がり、窓辺に向かう。
小さな窓を開けると、風が少し入って来てルーシュの髪を浚った。
「……子供を育てると色々な事が起こります。困った事も沢山起こりますが、やはりそれ以上に楽しい事も起こります。私が歩んで来られたのは、あの小さな道しるべ達のお陰です。だって子供が相手だと諦めるという選択肢が存在しなくなりますからね……。解決するしかないのです。どんな手を使っても。例え教会の命令に逆らっても」
ルーシュも、良くこの小さな孤児院の院長が教会の命令に逆らえたなと思う。
大きな組織に刃向かうのは勇気がいるだろうに。大変なストレスであり恐怖だ。
この院長は良い度胸をしている。
子供を守る為なのだろう……。美味しい茶くらい提供しないと胸くそ悪い。
「あの子を連れて行くのはいつになりますか?」
「今日、そのまま保護する。十なら一年後王立学園魔法科に上げる。後見はエース家が見よう」
「会わずに決めて良いのですか?」
「……会わずとも想像が付く。人間の性格形成は持って生まれた物が六十パーセント、環境から影響を受けた物が四十パーセント。赤ちゃんの状態で拾われたという事は、この孤児院の教育が四十パーセントと考えられる。そして空間魔法を操るのなら闇の魔術師になる。闇の魔術師が大切にしているものと言えば想像が付く。その大切なものと引き離されないよう保護先を慎重に選別しているのなら、悪い教育者ではない」
院長は目を細めてルーシュを見る。
「本当に……洞察力の高い魔法士が派遣されたのですね……」
「大切なものと引き離さない確約は他の者には頼めぬし、王家の直轄地。エース家が見ないなら王家になるが、それは避けたい」
「……あなたはエース侯爵家の直系なのですね」
「初めからそう言っている」
そう言ってやると、婆さんは楽しそうに笑う。
「だってお若すぎる三人が来たのですもの。若い方って潔癖だから、教会が決めたルールを破るなんて不敬だとか、寄付金を全額取ろうなんてがめついとか色々言われそうじゃないですか? 私はがめつくて不敬で横暴でも良いんですけどね? 子供が元気なら何でも良いんですよ? なんであんなルールが突然出来たんでしょうね?」
「それは院長よりがめつく横暴で立場が上の者が勝手に作ったからだろう」
「では、王家も各貴族も与り知らぬ事という事でしょうか?」
「もちろん。教会でも正式な議会は通ってないだろうな?」
「では立場の高い人間が、こっそり勝手に付け加えたルールなのですね? これからも寄付金は全額頂いても大丈夫ですか?」
「もちろん」
ルーシュは用意してきた寄付金を懐から出す。
「次回からの訪問は、歓迎して貰おうか?」
寄付金を受け取った院長は、これまでで一番良い笑顔をルーシュに向ける。
めちゃくちゃ現金な婆さんだな? ある意味ブレてない。








