023
「ん、……はふぅ」
「ふぅ、これで折れた腕も直せるっすよ」
「……うん、『完全再現』」
熱の篭った痛みが私の涙腺を大打撃していたので、早急にゼクスにお願いして唇を重ねて貰った。そうして再び使えるようになった『完全再現』を施し、動くようになった手で目元を拭った。
自己治癒でも治せたのだが、この強烈な痛みは一秒でも早く直したかったので、ゼクスにお願いして『完全再現』を貸してもらう事にした。
気前良く貸してくれた事にお礼を言おうとゼクスの方へ視線を向けると、少し顔を赤くして俯いていた。
……なるほど、あーちゃんと違いゼクスはこういう事に慣れてないみたいだ。
そうして見ていると、ゼクスも私の視線に気がついたのか、誤魔化すように口を開く。
「でもあれっすね、凄く強くなったと思ったら、痛みには弱くなってるんすね」
「……こんなに痛いとは思わなかったのよ」
それもそうだろう。
実験区画で幾度か戦闘をしたのだが、全て見切れる速度、威力であったので攻撃を受ける事自体無かったのだ。
唯一受けた痛みとすれば黒い塊での苦痛になるのだが……あれは泣くとかそういう次元では無かったし、過度な身体強化の弊害で感じた痛みについては、自らが意図的にやっているので耐える事が出来た。
しかし、相手からの攻撃を受けて怪我という怪我をしたのは初めてなので、痛くて涙が出ても仕様がないと思う。
「うぅぅ、ごめんね?」
「あ、いや……戦闘訓練で怪我しないって事はないものね。私が甘く見積もっていたのが悪いのだから、気にしないで欲しいわ」
「……のいんちゃんっ!」
「あ、だけど訓練自体はしばらくは休憩よ」
「のいんちゃん……」
とりあえずあーちゃんには釘を刺しておき、戦闘訓練については当分しない事を心に決める。……だって痛いのは嫌だもの。
だが確かに、いざとなったときにこれでは困るので、何かしらの対策は考えておかなければならないかもしれない。圧倒的な差で叩き伏せる事が出来れば一番良いのだが、いつもそういうわけにはいかないだろう。
「それじゃ、痛くない訓練にした方が良いっすかね」
「そもそも訓練自体、しなければならないのかしら?」
「基本的にはそのあたりも自由なんすけど……でもいざ仕事に出て、もしもの事があったら嫌じゃないっすか」
「……わかったわよ」
言う事はもっともであり、しかも私を心配して言っているのもわかったので、渋々だが承諾する。
そうしてゼクス指導の下、身体強化を使って体を動かしたり、壁の適当な所を的に見立てて魔法を撃ち込む練習をしたりと、数時間程三人で一緒に訓練を行った。
訓練を終えると、皆で地下五階に戻り各々の部屋で一旦休憩をして、その後に集まって食事を取る事にした。まぁ私の部屋は使えないので、必然的にあーちゃんとの相部屋となるのだが。
そんなわけで、ゼクスとは別れてあーちゃんと部屋に戻ると、私はベッドに倒れこむ。
「はー、疲れたわ。いつもこんな事をしているの?」
「うぅん、あーちゃんはしばらくのいんちゃんの部屋に篭ってたから、訓練自体が久しぶりだったよ」
そう言われてみればそうであったと思い出し、うつ伏せに寝転びながらあーちゃんの声がした方へ向くと、彼女は何やら大きなタライのようなものを運んでいた。
そんなもので何をするのかと視線を向けたままにしていると、準備が終ったのかこちらへ振り向き、手招きをしてきた。
「疲れてるときはお湯に浸かると良いんだって。汗もすっきりして気持ち良いんだよ!」
「へぇ、誰が言ってたの?」
「前にのいんちゃんが思いついて、よく順番で入ってたんだよね……『第一節 アクアボール』」
手招きに誘われ近くまでくると、あーちゃんは魔法で発生した水の量を調整しつつタライに入れ始める。
それにしても昔の私、ね。まぁ自分で入って気持ち良いと言ってたのならば、試してみるのも良いかもしれない。
そう考えている内にあーちゃんが水を張り終えたようなので、早速とばかりに水の張ったタライへと足を入れてみると……。
「っ!? あーちゃん、冷たいのだけれども! ここに入るの!?」
「だってそれ、まだお湯じゃないんだもん。のいんちゃんの魔法でお湯にするんだよ? それに、服も脱がないと」
「そ、そうだったのね……良いわ、まかせなさい。『第一節 ファイアボール』」
私も魔法で火球を複数生み出すと、片手で水の温度をみながら一つずつ火球を水に入れていく。それを繰り返し、適温だと感じる所まで温度を上げたところで過剰分の火球を消した。
「よし、これで良いと思うわ」
「うんっ!」
準備が整ったところで自分の服に手を掛け、脱いだ後は皺のよらないよう丁寧畳んでベッドに置く。『完全再現』を使えば必要のない事なのだが、気持ちの問題だ。
そういえばずっとワンピースを着ていたが、動くときくらいは専用の服があっても良いかもしれない。
……ってあれ? あーちゃんが動かない。
「どうかしたの? 入らないのかしら?」
「えっ? あ、でもあーちゃん入ると狭くなるし……順番に入ろ?」
てっきり飛び込んで入るくらいの印象を持っていたので、しどろもどろになるあーちゃんを見て内心首を傾げる。
そして、改めてお湯を張ったタライを見てみるが大きさは充分あり、二人で入っても特に問題はなさそうだった。
「私達くらいの大きさなら、あーちゃんが入ってもまだまだ余裕があるし大丈夫よ。それにせっかく暖めたお湯も冷めてしまうわ」
「や、でもあーちゃん暴れるし! 水一杯飛んじゃうし! ――ってわわっ、なにするのー!」
「良いから入るわよ。もう、私が脱がせてあげるからじっとしていなさい」
「……うぅぅう」
いきなり興奮し始めたので、宥めるために一度ぎゅっと抱きしめた後、着ている服を脱がしにかかる。
するとあーちゃんも落ち着いたのか、または観念したのかでとても大人しくなり、為すがままに剥かれていく。
そのまま脱がしていくと、あーちゃんは太ももまで隠せる薄い肌着だけの姿になった。
何となしに顔を見てみると、俯かせ気味に上目遣いでこちらを見ていて目が合った。その表情は恥ずかしさというより、心配そうな色で瞳を揺らしている。
私は内心で首を傾げつつ手は動かし続け、最後の一枚を脱がせると……背中に小さな羽と、形の良い胸が控えめにぷるんと現れた。
「やっぱり恐い、かな?」
「……?」
体を隠すものがなくなったあーちゃんは、相変わらず心配そうに上目遣いでそう聞いてくるのだが、私には質問の意図がさっぱりわからなかった。何とか理解しようとしっかり彼女の体を見ても、綺麗だと思うだけで恐いという言葉を連想する意味がわからない。
……というか、服を着ている状態だったときはゼクス並に薄い体付きかと思っていたのだが、実物を見てみると着痩せしていたみたいだ。ふと自分のささやかな胸を見下ろすと、自然に溜息が漏れる。
「はぁ、あーちゃんは良いものを持ってるわね、私のはいつ育つのか……」
「……ふぇっ? わわっ、そっちじゃないよ! こっち!」
あーちゃんは私の視線の先に気がつき、慌てて胸を覆って背を向ける。そして後ろ向きで前かがみになり、肩越しに私を見つめるが、はて?
なんだろう、可愛い小振りなお尻を強調しているのだろうか。何かに期待しているように見えるので、何となく応えなければならない気がする。
とりあえずその強調されているお尻を触ってみた。
「ひゃぅ!? のいんちゃん、何してるの!?」
「あれ? 違ったのかしら、というかあーちゃんはさっきから何をしたいのよ」
訓練で汗をかいたので少ししっとりとしていたが、触り心地は良かった……じゃなくて、先程からの寄行について、彼女が何をしたいのかわからない。
首を傾げつつ反応を待つと、「ううぅ……」と少し唸ってから口を開いた。
「背中のこれ、見えてないの?」
「ちゃんと見えているわよ」
「……何とも思わないの?」
なるほど、その小さな黒い羽を見せようとしての挙動だったのか。胸やお尻にばかり目がいってしまっていた。
だけれどその羽を見たところで、何かを思うのかと言われても「あぁ、羽だね」としか思わない。だが彼女の言いたい事はそういう事ではないのだろう。
「羽なんだよ? あーちゃん、魔人族なんだよ?」
「だから訓練でもあんなに強かったのね」
「そうだけどっ、そうじゃなくて! 恐くないの!?」
「えっ? 別に恐くは……あぁ、そういう事」
そういえば魔人族は嫌われているのであったか、魔人族は例外無く強力な身体能力、魔力ともに備わっている。人間、亜人、森人の全ての種族を大幅に超える力なので、恐がられる事が多いそうだ。
きっと種族の違いなどで、これまで悪い感情を向けられる体験を重ねてきたのだろう。だからこそ拒否される事を余程恐がっているように見えた。
「悪かったわね、わかってあげられなくて……ほら、一緒に入りましょう? あんまり遅くなると冷めてしまうわ」
「……っ、うんっ!」
私が恐がっていない事を伝えるため、両手を取って目を合わせながら微笑みかけると、今度は彼女も笑顔で頷いてくれた。
そうして取った手を引いて一緒にお湯の中へと入り、私はあーちゃんの体を水で流しつつ優しく洗い始める。
「あーちゃんの肌、なんだか手に吸い付くような感じがして気持ち良いわね……それにしても、なんでそんなに心配をしていたのかしら? 以前は一緒に入っていなかったの?」
「うん、よく誘ってくれたけど、順番にしたいって言って別々に入ってたんだよ」
「そうだったのね……ふふっ、なら強引にでも脱がせてみて良かったわ」
「……うぅ」
私の言葉にあーちゃんは少し顔を赤くして俯く。
彼女の中で種族差のわだかまりがなくなったからだろうか、その表情は心なしか嬉しそうに見える。
彼女は脱がされている間、不安だったり、心配だったりと色々な葛藤があったのだろう。私にとってはまだ今日一日分のあーちゃんしか知らないのだが、逆にあーちゃんの方は昔の私も含めてそういった思いを打ち明けられず、これまで悶々としていたのかもしれない。
そう考えると、私の中でとある気持ちが自然に湧き上がってくる。その感情に従って真面目な表情を作ると、あーちゃんの肩に手を置いて目を合わせる。
「拒絶される事が恐いのはわかるわ、だからね……」
そのまま私はあーちゃんの背に手を回し、優しく包み込むようにして抱きしめる。
あーちゃんは一瞬ビクっと反応したが、すぐに力を抜いて体を預けてくれた。
「私はあーちゃんを受け入れる……アナタの好意や気持ちは本物だと感じるもの。だからあーちゃんも、私を受け入れてくれると嬉しいわ」
「……うんっ! えへへ、んちゅ」
「んっ……」
あーちゃんは嬉しそうに答えると、甘えるように口付けをしてきた。私もそれに応えるように、キスを返す。
それからしばらくは、お湯が冷めるまで洗いっこは続いた。
洗いっこを終えると、なぜか逆に汗だくになっていたので、改めてあーちゃんに冷たい水を出してもらって洗い流し、いい加減体を拭いて服を着ることにする。
そういえば少し休んだ後、皆で食事をする予定であった。
お互い夢中になっていてその辺りの事を失念していたので、ゼクスが怒ってなければ良いが……
「ぅおっそーいっす!! どんだけ待たせるんすか!?」
「わ、悪かったわ……」
やっぱり怒っていた。
確かに待たせすぎてしまったが、別に部屋まで距離が離れているわけではないので、呼びに来てくれてもいいと思うのだが……いや、それはそれで困っていたか。
うん、これは言い訳が出来ない。私達が悪かったので素直に謝ろう。
「すまなかったわ、ちょっとはしゃいでしまって……ほら、あーちゃんも」
「う、うん。ごめんね?」
「はしゃいでって……まぁそれなら仕方ないっすね、けど次からは気をつけてくれると嬉しーっす。じゃご飯にするっすか! さ、座って座って」
「そうするわ、食事の準備も押し付けてしまって悪かったわね」
私の言った言い訳にもならない言葉でなぜか納得したゼクスは先に席へと着き、笑顔で私達の着席も促してきた。
広間にはちょうど四人分くらいが囲める机があり、その両側に二脚ずつ椅子が置いてある。机の上にはすでにゼクスが用意してくれたパンと、ミルクが入ったコップがそれぞれの席に並んでいた。
私がゼクスの向かい側に着席すると、あーちゃんは私の隣……では無く、私の膝の上に着席した。
「えーと……」
「……あーちゃん、何しているの?」
「え?」
私が問いかけると、あーちゃんは首だけ振り返り不思議そうな顔で口を開ける。
あ、あれ? 私が間違っているのだろうか?
だがゼクスもきょとんとした表情で見ているので、多分私がおかしいのではないのだと思う。
「ねぇあーちゃん、そこにいられると私が食べにくいのだけど」
「そうかな? あっ、じゃあね、あーちゃんが食べさせてあげるよ!」
「……休憩の間、何かあったんすか?」
ゼクスの指摘通り、先程の一件からあーちゃんとの接触頻度が急上昇している。けれどもそれとこれとは話が別であり、さすがに食べさせて貰うというのはやりすぎだ。
ここらで一線を引かなければと思い、今の内に強く断っておく事にした。
「あーちゃん、それはいけないわ」
「まぁ、常識的に考えておかしいっすもんね、ほら隣の席に座って……」
「それだとあーちゃんが食べられないじゃない! だから私が片手であーちゃんを支えておくから、もう片方の手にパンを渡してくれないかしら」
「……ん?」
「うんっ、わかった!」
私が全部食べさせて貰うと、あーちゃんの食事がその分だけ遅れてしまう。そんな事までさせるのは気が引けるので注意すると、あーちゃんもきちんとわかってくれた。
満足した私は早速食事を始める為、あーちゃんにパンを取ってもらう。
「あーちゃん、そこのパンを……」
「ちょ、ちょーっと待つっす。いや、注意すべき点はそこっすか!? 間違ってないっすか!?」
なにか間違っていたのだろうか?
あーちゃんもゼクスの大きい声にびっくりして、パンを取ろうとした姿勢のまま固まっている。
首を傾げつつゼクスへと視線を送っていると、ゼクスは片手で頭を抑えながら首を振っていた。
「……これは完全に予想外っす、以前から仲が良いのは知ってたんすけど、まさか一日でここまでとは……爆弾狐さんは記憶が無かったっすよね? 何で今日だけでここまで急接近してるんすか」
「どうしたの? 頭が痛いのかしら? 『完全再現』を使ったほうが良いわよ?」
「やかましいっす! あぁもうっ!」
ゼクスは叫びながら立ち上がり、私もあーちゃんも急に怒り出したゼクスの反応についていけず固まっていると、ゼクスは素早い動きであーちゃんを抱え上げ隣の席に座らせ、自らも私と対面の席に腰を下ろしなおした。
あーちゃんの顔を見るとポカンとしていたが、多分私も同じような顔をしているのだろう。そうして二人揃ってゼクスへと視線を戻すと、パンを手に持って口へと運ぼうとしていた。
「……えぇと?」
「席は部屋を出て一番近い所っす。それ以外……ましてや人の膝の上で食事を取る事は認めないっす。……はむっ」
「あーちゃんの部屋はのいんちゃんと同じだもん」
「そんな屁理屈、認めないっす。粘着虫さんはそこの席、分かったっすか」
「うぅ! うぅぅぅうぅ!」
「んむっ……唸ってもだめなものはダメっす」
澄まし顔でゼクスは食事を続けつつ、抗議の声を上げるあーちゃんを嗜める。どうやら行儀が悪かったみたいだ。
これまでの私はまともな食事を取る機会が少なく、恐らく一番まともな食事を取ったのはアリーセ達と食べたときだけだ。それ以外のほとんどは人を食べていたので、こういったときに気をつける作法がわからない。
ゼクスにしては珍しく怒っていた様子だったし、何が正解か私自身で判断が出来ない内は従っておいた方が良いだろう。
そう思ってゼクスの食べ方を見ていると、まずパンを半分に割って片方を手に取り、そこからさらに一口分の大きさに千切って口に含み、しっかりと咀嚼して飲み込んでいる。
ずいぶんとのんびりした食べ方だ。
実験区画では見つけた食料を奪われる心配があるので、さっさと口に入れほとんど噛まずに飲み込む。見つかったときに走って逃げようとして、呼吸が出来ないとすぐにバテてしまうからだ。
そこまで考えてようやく気づいた。そうだ、ここには食料を奪われる心配など無く、安全な場所なのであった。……場所が場所だけに、心から安心して過ごすのは難しいが、それでも忙しなく食事をする理由も無い。
「……ん? あ、ダメっすよ。爆弾狐さんにまでそんな目で見られても、ちゃんと椅子に座って食事するのが普通なんすから」
「違うわよ。今みたいに皆でゆっくりと食事を取るのもいいなぁって思っただけよ」
「そうっすか? ……そっすよね、ふふっ」
私は感じた事をそのまま言っただけであったが、その言葉にゼクスは機嫌をよくしたようで、澄まし顔を笑顔に変えて食事を続ける。
そんなゼクスの笑顔を見ていると、少し前の事を思い出してしまう。
こんな感じの食事をもしマリーと出来ていれば、私はそのときどう感じたのだろうか。
今となっては気に掛けるほどの事では無いが、何故かそんな事を思い浮かべると、手に持っていたパンを千切って口へと放り込んだ。




