018
私は目の前が真っ赤に染まりながらも、懐かしさを感じていた。
この激情、この感覚、この熱気。
魔法の才能が無かった私が、初めて知らずに使った代償を伴う高火力の魔法。
……おねぇ、ちゃん
私には昔、姉がいた。
この国ではない別の場所。森の中にある小さな集落で、両親のいなかった私達姉妹は、二人でひっそりと生きていた。
曖昧な記憶だが、私が八歳か九歳くらいまでは一緒にいられたと思う。
私は肉親であった姉がとても好きだったし尊敬もしていた。そして、私の唯一の味方であった。
「ねね! おねぇちゃん、こう? 『紅の力よ 我が魔力に集いて形を成せ』」
「えぇ、そこで魔力を籠めて……うんうん。それから篭めた魔法を解放するイメージでやれば良いわ。ふふっ、成功するかしら?」
「いくよぉ! 『第一節 ペブルボム』ぅう!」
詠唱を終えると魔法が発動し、私の手のひらの上で指の第一関節ほどの大きさの玉が舞い、パチパチと音を立てて破裂する。
それを見たお姉ちゃんは手を叩いて喜び、褒めてくれた。
「ど、どうかな? ちゃんと出来てる?」
「えぇ、凄いわね! しっかりと教えた通りに出来ているわ! ……将来は狐族一の魔法使いになれるわ」
「えへへ、そうかなぁ……? そうなれたら、お姉ちゃんを助けるよ!」
「ふふっ、期待しているわよ」
大抵の獣人族は身体能力を生かした強さを力と考え、その力を重要視している。
だけど狐族は獣人の中では珍しく適正魔法が扱える魔法特化の種族であり、身体能力よりも魔法の扱いに重きを置き、魔力量や魔法の技術が高いものを尊敬する傾向があった。
そんな中お姉ちゃんはもの凄い魔法使いで皆から一目置かれる存在であったが、逆に私にはあまり魔法の才能がなく、お姉ちゃんの付属品として認識されているみたいで、独りでいるときには誰からも気にかけて貰えなかった。
だけど私にはお姉ちゃんがいたから寂しさなんて無い。お姉ちゃんが出かけている間は必死に魔法の練習をして、帰ってきたお姉ちゃんをびっくりさせる事だけを考えていた。
そしていつかは私もお姉ちゃんみたいになりたくて、お姉ちゃんに暇がある時にはよく魔法の練習をせがんだ。
そんな私のお願いに対し、お姉ちゃんは嫌な顔をするどころかいつも笑顔で付き合ってくれたし、魔法が成功する度に我が事みたいにして一緒に喜んでくれた。
だけどそれも全部、あの日に全て失ってしまった。
「お姉ちゃん、行かないでよぉ……」
「困ったわね、ちょっと遠くへ行くだけだから、少しの間だけ待ってくれないかしら」
「うぅ……」
「大丈夫よ安心して? 私は帰ってくるから、その時はまた一緒に魔法の練習をするわよ。だから、ね?」
「…………うん」
いつも必ずお姉ちゃんが出かけるときにグズってしまう私だったが、この日はいつも以上にお姉ちゃんを引きとめようとしていた。何かはわからないのだが、私の仲でとても嫌な予感がしたので行かせたくなかったのだ。
どこに行って何をするについて、前日までのお姉ちゃんの説得で納得はしていたのだが、何故だか別れ際になると胸がざわついてしまい、姉ちゃんを引きとめようと必死になっていた。
このときの私は、恐らく何らかの予感を感じ取っていたのだろう。
だけれど、お姉ちゃんの口から魔法の言葉が出てくると、私には肯定しか出来ない。
「大丈夫よ安心して」
魔法がうまくいかないとき、恐い夢を見たときや寂しくて泣いてしまったとき、いつもお姉ちゃんのこの言葉で安心させて貰えた。
何があってもお姉ちゃんだけは味方、ずっと守ってくれると思わせてくれた言葉だったので、私はその言葉を信じて送り出してしまったのだった。
しかし、お姉ちゃんが帰ってくる事は無かった。
今更にして考えてみれば、私の口調は無意識にお姉ちゃんを真似していたのかもしれない。
普通に考えれば記憶の元となるグレッグや、年齢の近かったエリスを参考にする方が自然な筈なのにそれをしなかったのは、ケリーの口調がお姉ちゃんに似ていたから、無意識にその口調を選んでしまったのかもしれない。
あの日お姉ちゃんがいなくなってから、私は一年も経たずに心が磨り減ってしまい、初めてこの魔法を使った。
張り裂けそうな痛みや、詰まるような苦しみを失くす為に……そして、私を誰かに見つけて貰い、寂しさを埋める為に。
――ッ!?
懐かしい記憶を思い出していると、突然の頭痛で我に返る。
私は一体何を……?
「あははっ! 『いくら燃やしても構わない だからこの輝きに気づいて』」
あぁ、そうだった。またやってしまったのか。
今も私は楽しい気持ちなんて欠片もなく、笑いたいなんて思ってはいないのだが、そんな意思に反して声はあがり、心の燃焼は止まらない。
笑いながら進む詠唱に連れて、溢れ出した感情が炎に変換されていくのがわかる。
最初に炎となって燃え尽きたのは、喜びだった。
お父さんから食糧をもらえたとき、飴玉をなめたとき、服を作って貰えたとき。
そして、マリーに抱きしめてもらえたとき……同じ喜びでもそれぞれ違った嬉しさで湧き出た感情があったはずなのに、今ではその感情を思い出すことは出来ない。
恐らく抱いた感情の量によって次々と燃やされてしまうのだろう。そして炎となり燃える尽きる。
今こうして思考している間にも、怒りが炎に変換されきってしまった。
間もなく詠唱も完了する。
そのときにはきっと、マリーを失った悲しみも燃え尽きてしまうのだろう。
この感覚を私は知っている。
これまで培っていた感情を糧にして、その全てを魔力へと変換して一瞬の大きな炎を作り出す。
この魔法が発動してしまえば、私が抱いていた想いが全て灰燼と化してしまう。
だけど、それはそれで良い事なのかもしれない。
この半身を削がれたかのような喪失感を持ち続けて生きていく事は、とてもではないが私には辛すぎて無理だろう。
だけどこの魔法であれば、そんな想いも全て焼き尽くし、白紙に戻してくれるのだ。
……まぁ、それがたとえ良いことでは無かったとしても、どうせ私にはもう止められない――
「『心蝕魔法 フォルム・フレア』」
詠唱を終え、魔法が発動する。
部屋の中全体に真赤な花が一瞬にして咲き乱れ、そしてすぐに消えた。
その炎は不思議と私自身に害は無い様で、熱量は全く感じない。
私の感情と一緒で、何も感じない。
「はぁ、はぁ……」
私の心蝕魔法は、その過程でじわじわと熱量を上げていくのだが、実際に発動するのは一瞬だけだ。しかしその一瞬で魔力も使い切ってしまい、体内にあった魔力は枯渇してしまっていた。
そこでやっと感情の氾濫は無くなり……いや、感じていたそもそもの感情自体を失ったからなのか、冷静に周りの状況を確認する事が出来る様になった。
「……」
突入時に八十人弱もいた男たちの姿は無い。全員燃え尽きたか。そして化物は原型は留めているものの、表面は真っ黒ですでに生きている気配はない。
だが男達よりも近くにいるマリーは、何故かそのままの状態で残っている。もしかすると、私が無意識に範囲から外したのか……?
そうなるともう、私とマリー以外は今の魔法で焼き尽くされ、灰になってしまったのだろう。
……と、そう思っていたのだが。
「全く、やってくれるっすね……」
「……」
不意に掛けられた声に振り向くと、そこにはゼクスがいた。いつもの余裕の笑顔が無いし、服は煤だらけで焦げた箇所などもあるのだが、特に大きな怪我や火傷を負っている風には見えない。そしてその足元にエルナが倒れていた。
なるほど、二人で何らかの魔法を使って逃れたか。
「はぁ……今回のは自分に非があるかもっすね、はぁ、ちと反省っす」
「生きていたのね。エルナは?」
「大丈夫っすよ。魔力枯渇で倒れてるんすけど、ちゃんと生きてるっす」
起き上がって来なかったので聞いてみたのだが、よく見てみるとエルナの胸が上下しているので、ゼクスの言葉通り息のある事がわかった。
「よく無事だったわね。化物ですら炭になっているというのにね」
「ははっ、あんまり舐めないで欲しいっすね……と、言いたいところなんすけど、前髪さんがいなかったらヤバかったっすね。ふぅ、『完全再現』」
ゼクスも魔力を大きく消耗したようで、軽口を叩きながらも顔色は悪い。だがそれでも、しっかりとした足取りで私に近づいてきた。
そして今のは何か魔法だろうか? ゼクスが魔法を唱えると、服の焦げ跡や体に付いていた煤などが無くなり、綺麗な状態になった。
「その魔法は?」
「あーまだ思い出さないっすか……ま、今んとこそれはそれで良いっす。そんな事よりも爆弾狐さん、そろそろ時間無くなるっすよ?」
「時間?」
「や、見た目変わってるの気づかないっすか? 獣化してるっすよ、爆弾狐さん」
「……」
体に目を向けてみても、違いがわからない。
背の方へ目線を向けると一本しかなかった尻尾が九本に増えてたが、その程度であった。
それと時間に何の関係が……あぁ、そうか。
「……魔力の枯渇」
「そうっす。多分っすけど、獣化解けた瞬間に意識飛ぶっすよ、前みたいに」
そうだった。
狐族の獣人は、魔法特化の所以はこの獣化にある。
カールみたいな身体能力特化される大半の獣人は、その元となる獣となり身体能力が向上するが、狐族は見た目の変化が小さく身体能力も変わらない。
代わりに魔力量が一時的に飛躍して増加するのだが、しかし短時間しか保たない上に元の許容量以上に消費していれば、魔力枯渇を起こして気絶するのであった。
「とりあえず気絶したら自分が運ぶんで、出来れば早いとこ寝て欲しいっすね」
そう言ったゼクスは一仕事を終えたような表情をしており、ふぅと溜息を吐くと近くの床に座り込んだ。どうやら私の獣化が解けるのをここで待つようだ。
私はそのゼクスの行動に対して何ら思うことは無く、マリーの方へと視線を移した。
「……」
少し前までは、胸が裂けるような痛みを感じていたはずなのに、今ではその辺にある石ころを見るのと同じで、何の感慨も湧いてこなかった。
悲しみも苦しみも、既に全てが灰燼となって消えてしまっている。
何となく触ってみると、氷は先の魔法の影響で溶けているみたいなのだが、感触は少し固く、そして冷たい。
「……ソレはもうダメっすよ」
「えぇ、知ってるわ」
そんなことは言われなくてもわかっている。
ただ何となく、触れればそのときの気持ちを思い出せるのでは無いかと思っただけだ。だけど私の思いに反して、なんの感情も湧いてこない。
そのままペタペタ触っていたのだが、それを見ていたゼクスはあまり良く思わなかったらしく、私のワンピースの裾をクイクイっと引っ張っる。死体と引き離したいようだ。
「もう良いじゃないっすか」
「そうね、じゃあ最期に……はむっ」
「……は?」
感情を失っても記憶は残っている。
マリーへの感情を失った今でも、彼女がどれだけ支えになっていたかは覚えている。そしてそんな彼女をそのまま捨て置く事に忍びなく思った私は、迷わず口をつけた。
「え? ちょ、なにを? 意味、わかんないっす……本当に、何やってんすか……?」
「もぐ、ん……なにって、見ての通りよ」
「だって、そんな事をして……下手したら死ぬっすよ?」
「あぁ、やっぱり死体は食べ物では無かったのね。周りの反応から薄々は気づいていたけれども、今やっと確信を持てたわ……あむ」
「いいからっ、食べるのを止めるっす!」
丁度五口目を口に含んだとき、ゼクスに力を入れて引っ張られてバランスを崩した私は、そのまま座り込むように倒れてしまった。
座ったまま自分の体に視線を落とすと、あれほど気に入っていたはずのワンピースは、今やマリーの血で汚れてしまっている。
そんな自分の状態をぼんやりと眺めながら口に残っていた肉を飲み込むと、マリーの記憶が流れ込んできた。
私と出会う前のマリー、出会った時の混乱しているマリー、一緒にいてくれたマリー、死ぬ間際に私を庇ったマリー。
様々なマリーの記憶を一つ一つ読み解いていっても、私は何も感じない。
それがどうしようもなく苦しいはずなのに、理性ではその事もわかるのに、その実感が湧かない……悲しいとは、思えない。
「ゼクス」
「あーもう、こんな汚して……で、なんすか? お腹痛いって言っても自業自得っすよ」
「……何も感じないの」
「あー……」
ゼクスの冗談を無視して話を続けると、ゼクスは曖昧な返事で返してきた。
「さっきまではすごく悲しかったのよ、なのに、今は何も……何とも思わないの」
「……」
ゼクスは答えに窮しているのか、目線もどこかずらして微妙な表情で固まっている。
「あの魔法、本当は使ってはいけない魔法だったのよね? それに今の私の状態……何も感じない。こんな事は異常だと思うのだけれど、何となく以前にもこんなこんな事があったような気がしてならないのよ。ねぇ、ゼクス?」
呼びかけるが、ゼクスは何も言わず俯いてしまった。
「私はこれから、どうすればいいの? マリーの事も、グレッグの事だってどうでも良い……そんな風に思ってしまっているのよ」
既にマリーへの愛情も消え失せ、グレッグの事すらお父さんだと思いたい気持ちも無くなってしまった。
国を崩そうと決意した記憶や、マリーの事を大事にしていた記憶はまだ残っている。だけども、それを実行したいと思ったり、マリーを殺された恨みを晴らそうとも思えない。
意欲的に行おうとする原動力、その為の感情が全て抜け落ちてしまったのだ。
一体私は、これからどうすれば……
「そっすね……今は、今だけは休むべきっすよ。きっと寝て起きたら、また一歩ずつ積み上げる事が出来るっす。……思い出しているかはわからないっすけど、大丈夫だから安心して欲しいっす。起きた後は全てが上手くいくっすよ」
気がつくとゼクスは真っ直ぐに私を見つめ、安心させるように言葉を重ねてきた。
ここまでゼクスの意図してきた事はさっぱり理解出来ていなかったが、それでも今は私を安心させようとしている事はわかる。
「そう、なの? そうだったら、良いわね……」
「おっと」
時間が経つ毎に私は体に力が入らなくなってきており、ゼクスの言葉で気が抜けてしまったのか、ふっと前のめりに倒れそうになったが、ゼクスはそんな私を正面にまわって受け止めてくれた。
私はもはや瞼を開ける事すら辛くなってきたので、このまま眠ってしまいたい。
多分間も無く獣化も解けてしまうのだろう。
「そうっすよ。だから今は、ゆっくりおやすみっす」
そのゼクスの言葉を最後に、意識は沈んでいく。
思考が落ちる間際に頬を伝う何かを感じたが、私はそれが何なのかはわからないまま意識を手放した。




