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寿司屋でのひととき

 岬での甘いひとときを終えた俺と来栖さん、そして、沙羅姉は、鴨川さんの運転の元、次なる目的地へと向かう。いよいよ、今日のメインイベントである、夕食会だ。沙羅姉が言うには、今から行く寿司屋は、予約のなかなか取れない名店らしい。


「それにしても、沙羅姉はどうやってその寿司屋に予約をねじ込んだんだろうね。まさか、金にものをいわせてってわけじゃ……」


「もしそうだとしたら、ちょっとだけ六条先輩のこと、見損なっちゃいますよね…… でも、わたしは六条先輩はそんなことする人じゃないって信じてますっ! はいっ!」


 そんな俺達の話を聞いていた沙羅姉が、助手席から俺に向かって、少しムッとしながら言った。


「おいおい、私がそんな非道な手段を使うわけがあるまい。今回は、予約を入れておられた常連のご夫婦に、大将からお願いしてもらって、同席させて頂けることになったのだ。だから、最低限のマナーは守ってくれよ、二人とも」


 いや、いきなりそんなこと言われても。俺も来栖さんも、寿司を食べるときのマナーなんて知らないって。俺と来栖さんが顔を見合わせながら、ゴニョゴニョと話していると、沙羅は笑いながら、俺達に言った。


「な~に、そう難しく考えなくてもいいっ! あまり騒いだり、許可なく写真を撮ったりしなければ、大将もご夫婦もそこまで厳しくは言わないさ。あとは、むやみに業界用語を使わないことくらいかな。それなら大丈夫だろ? 二人とも」


 まぁ、それなら、俺も来栖さんも大丈夫かな。それにしても、デートに寿司っていったら、どこぞのお金持ちのデートコースだよな。俺、なんだか緊張してきたよ。


「ちなみになんだけど、来栖さんは、寿司は食べられるかな? ほら、光り物がダメとか、そもそも生物がダメとか」


 念のため、俺が来栖さんに確認すると、来栖さんは、目をキラキラさせながら、鼻で息をしている。そして、来栖さんは興奮しながら俺に言った。


「わたしっ、お寿司は大好物なんですよっ! でも、わたしが行ったことがあるのは回転寿司だけなので、回らないお寿司を食べるのは初めてなんですっ!! あ~っ! 本当に楽しみだなあ~っ!」


 それはよかった。それにしても、来栖さんは、本当に感情を隠さないだよな。そこが、来栖さんがみんなに好かれる理由のひとつなんだろうけど。


 そんな話をしながら、ふと、窓から外を見ると、外はもう薄暗くなっていて、時間もすでに午後六時を回っている。時間的にもちょうどいいし、腹具合もいい感じだ。さすがは沙羅姉の計画したデートプランだ。


「さあ、着いたぞ、二人とも。車から降りて、私についてこい」


 俺と来栖さんは、沙羅姉に連れられて、こぢんまりとした寿司屋の前に辿り着いた。俺はてっきり、やたら豪華な店構えを想像していたから、少し拍子抜けだな。そんな俺の考えを見抜いてか、沙羅姉は俺にこう言った。


「海人、寿司屋というものは、これくらいの規模でやっているところの方が旨いものだぞ。それに、私はあまりギラギラした店が苦手なんだ。とにかく、入るぞ、二人とも」


 そう言いながら、沙羅姉は寿司屋ののれんをくぐり、いつもより控えめな声で、中にいる大将に呼び掛ける。


「大将、ご無沙汰してます。今日は無理を聞いてもらい、本当に助かりました。それに、本来なら、お二人が静かに食事をなさるところを、私達がお邪魔をして申し訳ありません。お詫びといってはなんですが、本日の食事代は、私が持ちますので」


 そう言って、沙羅姉はカウンターに座っている老夫婦に深々と頭を下げる。その老夫婦は、『食事が賑やかになって嬉しい』と言ってくれたけど、やっぱり、気を遣うよな。


 そして、俺と来栖さん、そして沙羅姉は、老夫婦の隣を二席ほど空けて、並んでカウンターに座った。すると、すぐに店員さんがおしぼりとお茶を出してくれた。おしぼりからは、なんだか梅の香りがして、お茶には産毛が浮いている。これは高いお茶だぞ。


「それじゃあ、いつも通り、おまかせで三人前、いいところをお願いします。いや、ここの寿司は、どこをとってもいいところでした。これは申し訳ない、ハッハッハッ」


 この沙羅姉のこなれた様子、どう見ても学生のそれじゃないよな。そんな沙羅姉を、来栖さんは憧れの眼差しで見ている。


「六条先輩って、『大人の女性』って感じで、カッコいいですよね~っ。わたし、あんな風に余裕をもって会話ができる女性って、憧れちゃいますっ!」


 まぁ、沙羅姉はお金持ちの令嬢なわけだから、これくらいの場数は踏んでいてもおかしくないよな。それでも、沙羅姉のこのコミュニケーション力は、ずば抜けて高いのは間違いないよ。


 こうして、俺と来栖さんは、大将の華麗な手捌きによって握られていく寿司に目を奪われる。こんなこと言っちゃいけないんだろうけど、回転寿司やパックの寿司と比べたら、天と地ほど差があるのが、あんまりグルメじゃない俺でも解る。


「東雲先輩っ! このお寿司のシャリ、ちょっと赤いですよっ! やっぱり、回らないお寿司はシャリから違うんですねえ~」


「俺も、こんな手の込んだ寿司を食べるのは初めてだよ。沙羅姉は、この寿司屋にはよく来るのかい?」


 俺からの問いに、沙羅姉は食べる手を止めて、備え付けの手拭き紙で手を拭いてから、お茶を一口飲んでから答える。


「ああ、最近は入院していたこともあってご無沙汰だったが、だいたい週に一回は世話になっているな。海人も、自分で行き付けの店を見つけて、来栖を連れてくることが出来るよう、自分を磨けよっ!」


 参ったな。俺みたいな一般庶民が、そんな贅沢出来るわけないじゃないか。俺はそんなことを考えながら、目の前の下駄に乗せられていく寿司をよく味わって食べる。


 コハダから始まって、鯛、赤身、穴子、イクラ、鰹、椀物、鯵、雲丹、中トロ、大トロ、そして、〆のまるでプリンみたいな玉子焼。合計十貫と椀物と玉子焼、どれも(多分)江戸前の一仕事をした、見事な味と見た目だった。


「さて、おまかせはこんなものだが、なにか追加で握ってもらいたいものはあるか? 二人とも、遠慮しなくていいぞ?」


 沙羅姉はそう言うけど、このあとにはイタリアンも控えているんだ。ここは、これくらいにしておいた方がよさそうだよな。


「俺はもう大丈夫だけど、来栖さんはどうかな?」


 俺が来栖さんにそう言うと、来栖さんはおずおずと手を上げて、恥ずかしそうに言った。


「あのっ、ここのお店には、サーモンってあったりしますかっ?」


 それを聞いた大将は、なんだか申し訳なさそうな顔をしている。そして、そんな大将に沙羅姉が助け船を出す。


「すまん、私が言っていなかったのが悪かった。基本的には、江戸前の職人はサーモンは握らないんだ。すべての店がそうとは言わんが、一応、頭に入れておくといい」


「そ、そうなんですね。わたし、回転寿司しか行ったことなかったから、知りませんでした。ごめんなさい、大将さんっ!」


 そう言いながら、来栖さんは大将に頭を下げる。そんな来栖さんを見かねてか、大将は、注文に答えられなかったお詫びとして、俺達全員にデザートの水菓子をサービスしてくれた。


 こうして、晩飯の第一部が終わり、俺と来栖さんは大将と老夫婦に会釈をして寿司屋の外に出た。そして、会計を終えた沙羅姉が少し遅れて寿司屋から出てきた。


「沙羅姉、一応聞いておくけど、おまかせで一人前いくらするんだ? この寿司屋」


 俺からの質問に、沙羅姉はニッと笑いながら答える。


「安心しろ、海人。さっきのブティックみたいな無茶はしないよ。一人前で、ほんの三万円程度さ。私達は酒を飲めんから、こんなものだろっ!」


 いや、さっきのパーティードレスが高すぎて、金銭感覚が麻痺しそうになるけど、一人前三万円も結構な値段だぞ? 俺の小遣いの約二ヶ月分、いや、この際、今日はお金のことは考えないでおこう。


「六条先輩、さっきは六条先輩に恥をかかせるようなことを言ってしまって、ごめんなさい」


 来栖さん、さっきのことをまだ気にしてるみたいだな。沙羅姉は、そんな来栖さんの頭をなでながら、来栖さんを元気付ける。


「いや、さっきも言ったが、先に説明をしていなかった私が悪いのだ。それよりも、私は来栖が遠慮せずに、ちゃんと自己主張をしてくれたことを嬉しく思うよ。次は、サーモンを握ってくれる寿司屋を探しておくから、楽しみにしていてくれっ!」


「は、はいっ! ありがとうございます、六条先輩っ!」


 沙羅姉からの言葉に、来栖さんも元気を取り戻してくれたみたいだ。さあ、いよいよ次は、本日最後のデートスポットだ。俺達は、鴨川さんが待つ車まで戻って、寿司屋の前をあとにした。

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