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葛藤、そして

 爽やかな風が抜ける屋上。その風に乗って、オレの鼻を刺す鉄の匂い。そして、目の前に広がる、血、血、血。そして、ゆっくりとその血溜まりのなかに落ちていく、六条先輩。なんだ、なにが起きた、なんで、こんなことになってしまったんだ。


 オレは、思わずベンチから立ち上がり、六条先輩の方へと駆け寄ろうとした。でも、オレの足は、縛り付けられたように動かない。そして、オレの頭のなかで、誰かの声がした。


 (ホットケヨ、イイキミジャナイカ。アノイマイマシイ、シノノメノ、ダイジナダイジナ、オサナナジミガ、カッテニクタバッテクレタンダ。コノママ、コノオンナヲオイテ、ニゲチマエ)


 そうだ、六条先輩はオレから桃花を奪っていった、東雲先輩の幼馴染で、桃花を奪う手伝いをしていた女だ。そんな女のために、なんでオレが助けを呼ばなきゃいけないんだ。


 助けを、呼ぶ? 誰を呼ぶんだ? 今は授業中、屋上には誰も来るはずないのに。いや、なにかが変だ、それ以前に、オレは、六条先輩を放って、なにをやっているんだ?


 (イヤ、ソレデイインダヨ、()()()。オマエハワルクナイ。ダカラ、コノママ、コノオンナヲオイテ、ニゲヨウゼ?)


 誰だ、オレにこんなことを言うのは。このまま六条先輩を放っておいたら、六条先輩、死んじまうじゃねぇか。そんなの、いい訳ねぇじゃねぇか! クソッ! 動けっ! 動けっ! 動けっ!!


 (イイノカ? コノオンナガ、モシタスカッタラ、オマエハ、モウドコヘモニゲラレナイゼ?)


 誰かが、オレにささやいている。誰だ、お前は。いや、()()()の正体を、オレは知っている。こいつは、オレだ。オレの嫉妬心が作り出した、もう一人のオレだ。


 オレは、このバケモノからの誘いを振り払おうとした。でも、オレの心の大半は、もうこのバケモノに囚われてしまっていた。チクショウッ! このままじゃ、このままじゃ!


 こんなの、嫌だよ。オレのせいで、オレの馬鹿げた嫉妬のせいで、人が死ぬなんて。オレ、とんでもないことをしちまった! 嫌だ、そんなの、嫌だっ! 誰か助けて、助けてくれよおっ!


 そんなとき、ふと、オレの頭のなかに、六条先輩の笑顔が浮かぶ。そうだ、これは、オレと椿が、東雲先輩と桃花が一緒に登校するのに協力したあと、一緒にお茶を飲んだときに、六条先輩が見せた、あの笑顔だ。


『佐伯、お前とはなんだか馬が合いそうだっ!』


『へへっ! オレも六条先輩のこと、もっとお堅い人だと思ってたけど、話してみたらメッチャ話しやすくて驚いたぜっ! これからもよろしくなっ!』


 その六条先輩の笑顔を思い出したオレの頭のなかで、なにかが、弾けた。


「うああああああああっ!!!!」


 オレは、六条先輩に駆け寄ろうと、足を前に出した。すると、さっきまでは全く動かなかった足が、何事もなかったかのように、動いた。オレは必死で六条先輩に駆け寄った! 六条先輩っ! 六条先輩っ! 六条先輩っ!


「六条先輩っ! オレが悪かったっ! オレは、本当は、東雲先輩に襲われてなんかいねぇんだっ! 全部っ! 全部全部全部っ! オレが東雲先輩に嫉妬してついた、嘘だったんだあああっ!」


 オレは、血溜まりの上に倒れている六条先輩に向かって、叫んだ。すると、六条先輩が、顔だけを起こして、オレに笑いかけながら、言った。


「そうか……それなら、いいんだ……よく……話して……くれたな、佐伯っ……つらかった、よな……? でも……お前が……こうして……正直に話して……くれてっ……私は……安心……した……よっ……」


 六条先輩は、それだけ口にすると、笑顔のまま、再び顔を床に横たえた。そんな、六条先輩、ダメだ、頼む、死なないでくれっ! オレは必死で血が出ているところに、自分の制服の上着を押し付ける。でも、オレの制服が血で赤く染まるだけで、全く血は止まらないっ!


 このままじゃ、六条先輩が本当に死んじまう! そう思ったオレは、誰か助けを呼ぼうと屋上から校舎に戻ろうとした。でも、その前に、屋上と校舎をつなぐドアから誰かが飛び出してきた。


 …………


「東雲先輩っ!」


 俺が教室まで戻って、すぐにでも授業が始まろうというタイミングで、教室の外から、俺を呼ぶ声がした。その声に反応して、俺が教室のドアに目をやると、そこには、肩で息をしながら泣いている、鍋島さんがいた。


「どうしたの? 鍋島さん。そんなに慌てて」


 俺がそう言うと、鍋島さんは黙って俺を教室の外に引っ張り出して、俺をどこかにつれていこうとする。そして、鍋島さんは誰もいない廊下で足を止め、俺に言った。


「東雲先輩っ! 六条先輩には黙っているように言われたんですけど、やっぱり、こんなの黙っていられませんっ! 大変なんですっ! 六条先輩が……っ!」


 そして、鍋島さんは、俺が来栖さんと初めて手を繋いだ日に、鍋島さん達が行った計画と、そのあと、沙羅姉と二人の間で交わされた約束について聞いた。そんな、沙羅姉、なんでそんなことをっ!


「鍋島さんっ! 沙羅姉は、本当にそんな約束を、君達としたんだねっ!?」


「は、はいっ。でも、まさか本当にそんなことするなんて、思わなくって。あのときは、『本気かも』って思ったけど、冷静に考えたら、そんなことあるわけ無いって思ったし、さっきだって私に、『そんな無理はしない』って、言ってたし……っ! でも、もしかしたら……っ!」


 マズイ! 沙羅姉は、一度約束したことは、なにがあっても、絶対に守る性格の人間だ。それは、自分の命がかかったって例外じゃないだろう! 俺は鍋島さんに向かって、指示をした。


「とにかく、まずは救急車だっ! あっ、でも、二人がこの学校のどこにいるか解らない! クソッ! 早くしないと、沙羅姉がっ!」


 俺が頭を抱えていると、鍋島さんが俺に言った。


「多分、屋上ですっ! 葵、なにか悩みごとや嫌なことがあったら、屋上のベンチに座って、頭を落ち着かせるクセがあるのでっ! でも、六条先輩が本当にそんな無茶をしているとは……」


「いやっ! 確実に、沙羅姉は君達との約束をはたして大怪我をしている!! 俺には解るんだっ! だから、早く救急車をっ!!」


「は、はいっ!」


 救急車を呼ぶのと、救急隊員を屋上に案内するのは鍋島さんに任せて、俺は屋上へと駆け出した。頼む、沙羅姉、どうか、無事でいてくれっ!


 …………


「沙羅姉っ!!」


 俺は必死で屋上までの階段を駆け上がり、ドアを開けた。すると、風に乗って強烈な血の匂いがした。そして、俺の目の前には、手に血がついた佐伯さんが。


「佐伯さんっ! 沙羅姉の容態はっ!?」


 俺は、佐伯さんの両肩を叩いてから、佐伯さんに尋ねる。佐伯さんは、俺からの声に、嗚咽を漏らしながら答えた。


「六条先輩っ、オレのせいでっ、腹を切ってっ、倒れてっ、そのまま動かなくなってっ、オレ、必死で血を止めようとしてっ! でも、止まらなくてっ……!」


 俺は、そんな佐伯さんをその場に放置したまま、この匂いの元へと駆けていった。そこには、血溜まりの上に倒れている、沙羅姉がいた。


「沙羅姉っ! 俺だっ、海人だよっ! 大丈夫! もう救急車は呼んだからっ! すぐに病院に連れていくから、安心してくれっ!」


 そんな俺の叫びに、目を閉じて倒れていた沙羅姉が反応する。そして、沙羅姉は、弱々しく俺に血だらけの手を伸ばす。


「ああ……海人か……すまんな、海人に黙って……こんなことをして……だが、これで、お前の冤罪は……晴れたの……だから……私は……満足……だよ……」


「今はそんなことどうだっていいっ! 沙羅姉、頼むから、俺をおいて死なないでくれよっ! 沙羅姉には、俺が来栖さんと幸せになるところを、一番に見て欲しいんだっ! だからっ! だからっ……!」


 俺は、沙羅姉から差しのべられた手を握った。その手は、いつもの暖かい沙羅姉の手じゃなくて、まるで、蝋人形のように、冷たかった。そして、沙羅姉は、とぎれとぎれに、俺に言った。


「心配するな、海人……私は……死なんさ……いや、お前の……晴れ姿を見るまでは……私は……死ねない……よ……」


 そう言った直後、沙羅姉の手から力が抜けた。そして、沙羅姉は再び目を閉じて、そのまま動かなくなってしまった。その直後、屋上のドアが、勢いよく開く。


「こっちですっ! 早くっ!」


 そこには、救急隊員を先導する鍋島さんがいた。こうして、沙羅姉はそのまま救急隊員に応急処置を施されて、病院へと運ばれていった。本当に、この事態を見越して救急車を呼んでおいてよかったと身震いしてしまう。


 そして、屋上には、泣きじゃくりながらたたずむ佐伯さん、それをなんとか落ち着かせようとする鍋島さん、そして、こんな事態が起こってしまったことを大いに後悔する、俺の三人が残された。

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