死を覚悟した父が、しようとした事
『ヤバい病院 (1)』で書いた
「N?!
あんな所に入院したら、
お母さんが死んでしまう」
と、
父が言ったのは、
2012年の六月である。
この時は、
K病院に、
入院していた。
父は、
自分の言葉通り
N病院に入院したら、
死んでしまったわけだが。
実は、
この時すでに、
K病院の医師から、
「葬式の準備をしておけ」
と、
言われていた。
私は、
これを言われて、
有り難かった。
姉が、
遠い田舎に、
住んでいるので。
姉は、
「危篤だ!」
と言われてから、
家を出たのでは、
親の死に目に会えない。
この時はまだ、
姉の家庭では。
長女の結婚が、
秋に決まっていた段階だったので、
姉は、
呼べば、
来た。
その後、
父は、
奇跡の回復を見せ、
退院した。
かの様に、
私は、
思っていたのだが。
実態は。
奇跡的に、
生き長らえていたようだ。
食べ物を飲み込めないので、
どうも、
ぶどうを、
一粒ずつ、
食べていたらしい。
残りは、
アイスとかゼリーとか、
で、
生きていた。
そして、
2013年五月に、
父は亡くなった。
その後、
父が、
よく座っていた巨大な椅子の近くに、
一冊のノートが、
残されていた。
読んでみると。
祖母が、
百貫デブだった事が、
書かれていた。
父は、
どうも、
死を直前にして、
自叙伝を残そうと、
したらしい。
自分が生きて来た証を、
残したかったようだ。
でも、
最初の二頁で、
力尽きて。
これを読んだ時、
私は、
『自分も、
自叙伝を残したい』
と、
思った。
高校の時の先生が、
卒業して十年くらい経っていたのに、
自叙伝を送り付けて来た事が、
有ったけど。
私も、
それが、
したい。
でも、
問題が有って。
そう。
私は、
文章を書くのが、
下手くそなのだ。
私は、
底辺不良中学の暴君から、
理系のガリ勉君に転身したので、
読書は、
しない。
それでは、
自叙伝を書くのは、
無理だから。
今、
こうして、
なろうに投稿して、
練習している。
さて、
父は、
ぶどうを一粒ずつ食べていたので、
食費は、
かからない。
元々、
父は、
『共済年金』 + 『医療費無料』
という無敵キャラだったので、
生きてさえいれば、
お金が増える仕組みになっていた。
その父が、
食べ物も、
ろくに食べられなくなって、
考えた事は。
生活費を、
さらに、
削る事だった。
父は、
デイサービスに初めて行って、
そこで体調を崩し、
N病院送りになったわけだが。
それまでは、
いくらデイサービスを薦めても、
行こうとは、
しなかった。
そのため、
母一人で、
デイサービスに通っていた。
私は、
父が、
僅か数百円のデイサービス代を、
惜しんでいるのに、
気付いていた。
そう。
死を直前にした父の
最もやりたい事は、
一円でも多くの金を、
私達に、
残す事だった。




