1話:絵に描いた餅が飾られる
その日も僕は、先生の家にお邪魔していた。
あの夕立の日に許可を貰って以来、僕は頻繁すぎるくらいに先生の家に遊びに来ている。
「先生」
インターホンを押して呼びかけると、インターホン越しに『おお、よく来たな。まあ入れ』と先生の声が聞こえてくる。
僕はそれを聞いてから、さっと門を通って、玄関のドアを開けて、家の中に入る。
「今日は早かったな。どうした?」
「終業式だったから」
「そう言われてみればもうそんな時期か。早いな。今年も残すところあと僅かだ」
部屋の中に入ると、暖房がふんわりと体を温めていく。ついでに先生は席を立って少しすると、温かいお茶のカップを持って戻ってきてくれた。
僕はそれを受け取ると、ちょっと驚いた。だって、先生の家にあるにしては珍しく、洒落た香りのフレーバーティーだったから。……先生の家で出てくる紅茶は、そのほとんどがお徳用のティーバッグ100個セットとかで淹れた奴。
「これ、どうしたの?」
「ん?ああ、貰いものだ。海外土産らしい。『先生は確かコーヒーはお好きじゃなかったと思ってフレーバーコーヒーじゃなくてフレーバーティーにしました』だそうだ。何故フレーバーを付けたのかはさっぱり分からん」
飲んでみると、外国っぽい香りが鼻を抜ける。なんだろう。木苺か苺かのようだけれど、でも、そうじゃない香りだ。
「トーゴ。これは何の香りだろうな?一応、パッケージには木苺っぽいものが描いてあるが」
「……苺か木苺っぽい気もするけど、わかんない」
「そうか。うーん、僕よりは君の方がこういうのに詳しい気もしたんだがなあ……」
……僕の親なら分かったかもしれない。うん。でも僕はお茶にこだわりは無い。先生よりはあるのかもしれないけれど。
「僕はフランス語は読めんのだが、このパッケージがフランス語だということだけは分かる」
「フランスのお土産なの?」
「そうらしい。……見るかい」
先生が紅茶のパッケージを見せてくれたので、受け取って眺める。
僕もフランス語は当然のように読めない。英語も、学校で習っている程度のものしか読めない。けれど、パッケージに描かれている絵を見て、ああ、これは中々いいな、と思った。水彩じゃなくて多分、カラーインクで描いたものだろう。明るい色合いがポップなかんじで、紅茶のパッケージには丁度いい。
「木苺のお茶……なんだね、これ」
「しかし香りは木苺っぽくないなあ。本当にこれは一体何のフレーバーなんだ?フランス人はこれを木苺だと思って飲んでいるのか?それともフランスの木苺はこういう香りなんだろうか?」
フランスの木苺の事は分からないけれど、とりあえず、ここの庭でとれる木苺とは全然違う香りのお茶だ。
「……まあ、異国の香り、ということなんだろうな。ああ」
うん。まあ、異国情緒。
「ちなみに僕はまだ怖くて開けていないクッキーがあるんだが、食うか?パッケージを見る限り、ピンク色をしているんだが……」
……うん、まあ、それも異国情緒。
謎のお茶を飲みながら、ちょっとピンク色のクッキーを摘まむ。
クッキーはパッケージの色鮮やかさとは一転、割と地味な色味だった。僕も先生も、ほっとした。ちなみに味は、ちょっと薔薇の香りがするような、異国情緒あふれる味わいだ。うん、先生の家で出てくるにしてはちょっとお洒落すぎるかんじがする。
……はじめこそ先生は『慣れない味だなあ。まあ、これも経験か』なんて言っていたけれど、今はすっかり集中してメモ帳にボールペンを走らせている。
先生は集中し始めると、周りのこともクッキーの味も、よく分からなくなるらしい。僕もその感覚には覚えがある。
先生がそうやって集中してしまった向かいで、僕はそっと、鞄の整理を始めた。
終業式っていうのは、とにかく荷物が多い。後から後から、冬休み中の注意点をまとめたプリントや、冬休みの宿題、それから返しそびれたままだったらしいテストの返却なんかが一気に来て、鞄の中がぐしゃぐしゃになる。
皺になったプリントは親に出した時に顰蹙を買うので、ある程度綺麗に揃えてファイルに入れ直したり、皺になってしまっている奴は綺麗に折って畳んでそれらしくする。
……そうして整理していると、再生紙のプリント類の中で一際異質な紙に行きあたる。
「……お」
僕がそれを見ていると、いつの間にか集中が切れたらしい先生が、僕の手の中にあるそれを見ていた。
「トーゴ。それは成績表かい?」
覗き込んでくる先生に、僕は紙きれを手渡した。
「ふむ……流石だな。実に理想的な通知表だ」
「うん……」
僕の成績表は、テストの順位のところは数が小さくて、通知表の欄は大体大きい。まあ、いつも通りだ。
「体育が2期連続で5か。よくやった」
「うん。先生のおかげだ」
長座体前屈は肩を竦めておいてからスタートすると記録がものすごく伸びる。立ち幅跳びは測定の係がよそ見した瞬間に飛ぶといい。握力は握力計によって誤差が出るから計器を変えて何回か測定すること。反復横飛びは測定の係が居る側じゃない方の脚は線に届いていなくてもカウントされる。持久走は真面目にやっていればそれだけでタイムが縮んでいく。……先生に教わったことを実践してしまったら、体育の成績が伸びた。うーん、8割方ずるい。
「去年は体育が5じゃなくて4だったことがあったな。あれはなんでだったか……」
「声が小さかったから減点された」
「ああ、思い出した。それで僕は、『なら次からマイクとアンプを持っていくといい』と言った」
「それで僕はちょっと困った」
丁度、今から1年前の出来事を思い出して、僕はちょっと笑った。あの時から先生は変わってない。
「そして……なんと、今回はテストが学年1位か!凄いな、君は!」
先生は僕の成績表を見て、とても嬉しそうな顔をする。まるで自分のことのように。……何なら、自分よりも、ずっと。
「……どうした、トーゴ。あまり嬉しそうではないが。これなら君の親御さんも満足するだろう?親の機嫌は良いに限るぜ、トーゴ」
そうだろうな、とは思う。3位なら2位を目指せと言われるし、2位なら1位を目指せと言われるけれど、1位なら何も言いようがないだろう。まあ当たり前ね、この調子でやれよ、みたいなかんじで多分終わる。
「……別に、嬉しくは、ない」
けれど、それだけだ。特に嬉しくは、思わない。
「ふむ、そうか。まあ、そんなものか」
すると先生は少し、首を傾げた。
「僕は割と、一等賞が好きな性質だな。まあ、一等賞になった経験は恐らく、君よりずっと少ないが」
先生は僕の成績表を見て、けらけらと笑う。
「うん。小気味いいね」
「……そう?」
「そうとも。まあ、これは君の成績表であって僕の成績表ではないが……君が高く評価されている、というのは、まあ、小気味いい。例え、この評価が君の興味の無いものへの評価だったとしても、だ。何せ、君が上手くやっている証拠だからな」
先生はそう言って、クッキーを1つつまんで、お茶でそれを流し込んだ。その表情は、確かに、ちょっと嬉しそうに見える。
……嘘を吐いている訳じゃない、っていうのは、分かる。
けれど、それが僕には分からない。
「……僕が嬉しくないのは、僕が、成績に興味が無いから、なんだろうか」
成績表を見ても、気持ちは動かない。
少しの不安と心配はあるし、何より、『これで文句は言われないな』とか『この成績表を何の交渉カードにしたら有効か』とかそういう考えは多少動くのだけれど……頭が動くことと気持ちが動くことは、どうにも違う。
……そんな僕を見ていた先生は、ふと、納得したように言った。
「成程な。確かに君は名誉だの評価だのには無欲なタイプに見える」
無欲、なんだろうか。
嬉しくない、というのは……欲が無い、っていうことと、確かに似ているのかもしれない。欲しくない、っていうことだから。
うん。欲しくない。
別に、成績表は、欲しくはない。無いと親が怒るだろうから必要だけれど、必要なだけであって、欲しくはない。
それに、名誉、と言われてしまうと……やっぱり、欲しくはない、気がする。
先生の言う、『一等賞が好き』っていうのも、よく分からない。
それから僕が黙って謎のお茶を飲んでいると、先生はやっぱり黙って台所に行って、お茶のおかわりが入ったポットを持って来た。そして、僕が特に何も言わない内に、僕のカップにお茶を継ぎ足した。……まあ、消費にご協力ください、っていうことだろうから、黙って飲む。
「ふむ、そうだな」
それから先生も自分のカップになみなみとお茶を注いで、そして唐突に話し始めた。
「僕が思うに、名誉だの評価だのというものは、他者から与えられる許しだ。『ここに居ていいぞ』っていう」
「……許し?」
僕が繰り返すと、先生は神妙な顔で頷いた。
「そうだ。許しだ。ついでに、程度によって『ここに居てくださいお願いします』や『あなたの為に場所を作っておきましたよ』になるのだろうな。まあ、それが僕には割と気分よく感じられるんだが、君にとっては……『必要』という程度のものでしかないかもしれない」
……そうか。それはなんとなく、しっくりくる。
僕にとって、この成績表は、僕が家に居るための許し、なのかもしれない。これがないと多分、僕はそこに居られない。だから、無いと困る。必要。それだけのことだ。
「無論、許しなど無くとも居座ることは可能だな。精神が図太ければね」
「うん」
僕は精神が図太くない。だから、僕にはこの成績表が必要なんだろう。評価を得るために。どこかに居るために。
「……ま、君は『僕は神経が図太くない』みたいな顔をしているが、多くの人間がそうだな。何なら僕だってそうさ。神経は図太くない。だから……まあ、そういうことなんだろう。人間はある程度、『承認』がほしい生き物らしい」
承認。……なんとなく、よくないもののような、そんな気もする。承認欲求、というと、まあ、あまりいい印象では語られないと思うけれど。
「ま、そこの是非はこの際、置いておこうじゃあないか。僕は承認欲求とは、この飽食の時代、希死念慮の時代において当たり前に存在する欲求だと思っているが、まあ……それは三段目が満たされた人間の驕りかもしれないな。うん」
……ちょっと言ってる意味が分からなくなってきたけれど、それは先生も分かっているんだろう。ちょっと気を取り直したようにお茶を飲むと、また、話し始める。
「まあ、そういうもんだと思えばいい。君は評価を必要としていないんだろうが、それは通行許可証とか滞在許可証みたいなものだ。あるに越したことは無いさ」
うん。まあ、そう割り切ってしまえば、そんなものなのかもしれない。
「君は名誉も評価も特に欲しくない、と言っていたが……通行許可証も滞在許可証も、あったらあったで楽しいんだろう。実際、色々なところに行けるというのは、まあ、楽しいものらしいぞ。このお土産をくれた彼女も旅行は楽しかったらしい」
そっか。僕は旅行の趣味はあまり無いのだけれど……どこへも行けないよりは、どこへでも行けた方がいいっていうのは、まあ、分かる。
「まあ、僕も時々、欲しくない名誉を頂くことがあるがね。それはそれで、便利は便利だ。そこは割り切っていこうじゃないか、同士よ」
「うん」
そうだね。割り切って、評価や、名誉……成績表とか、それへのコメントとか、そういうものを、受け取っていくべき、なんだと思う。きっと。
……それからふと、先生は言った。
「けれど……やはり、折角なら、『ここに居ていいぞ』の『ここ』は、誰かの心であってほしいものだな」
「え?」
余りにも唐突だったから、一体何のことかと思った。
けれど、先生はなんだか楽しそうに続ける。
「名誉にも評価にも、色々ある。そうだな、君の成績表はあるコミュニティや君の家庭に居場所を貰うためのものらしいが、それとは別に、他者の心の中に居場所を貰えることもある」
お茶を飲んで、それから先生は、にんまり笑って椅子の背もたれに背を預けた。
「特別なことだ。他者の心の中に居ることが許されるっていうのは、コミュニティや階級、社会やなんかの中に居ることを許されるより、ずっとずっと、特別なことだ」
その先生の笑顔がなんとも幸せそうで、見ている僕も、なんとなく、嬉しいような、そんな気持ちになる。
「……心の中に」
呟いてみるけれど、実感は湧かない。
先生が嬉しそうにしている理由を知りたいのに、どうにも、分からない。それがもどかしい。
「僕は君のことを評価してるよ。トーゴ」
僕がもどかしく思っていたら、唐突に、先生はそう言った。
びっくりする。
急に、嬉しそうに、それでいて真剣に先生はそう言うものだから。
「君は面白い奴だ。ついでに、中々思想家で哲学的なところもある。何より芸術家だな。それから、未熟ではあるが、君の成長を見ているのはとても楽しい。前も言ったが、君は僕の心の餌になっているし、時々、餌どころじゃない、とんでもないところも見せてくれるな。……うん。だから、僕は君を評価している」
先生はそう言うと……僕が整理していた鞄の中身の、プリント類をまとめたファイルの……その下に置いてあった、別のファイルを手に取る。
その中身をぺら、と見て、先生は嬉しそうに頷いた。
「ああ、あと、君が描くものも評価している。この絵は随分と出来がいいんじゃないか?うん。でこぼこしながらころんとしていて実に良い。上手いな。もっと描け。……僕が描くとこれはどうせ、ヘタのついたピンポン玉みたいになるんだろうな。容易に想像ができる」
……そっちのファイルに挟まっているのは、僕が裏紙や白紙に鉛筆で描いた絵だ。先生が見ているのは、柚子。先生の家の庭でとれた奴だ。
「……と、いうわけだが。どうだい、トーゴ。僕は君を評価してる。僕の心の中に、君専用の居場所を作ってある。ここに居てくれると楽しくていいなあ、と思っている」
「うん。嬉しい」
素直に、言葉が出てきた。
……自分でもちょっと、びっくりした。
先生がくれた『評価』は、僕が今までにあちこちでもらってきた『評価』や『名誉』とは随分と違うものだったけれど……色々と、納得できてしまった。
嬉しい。もっと欲しい。期待に応えたい。先生の言う『気分が良い』はまだちょっと分からないけれど、でも、そういう気持ちは、少し、分かった。
……そうか。嬉しいこともあるものなんだな。評価とか、名誉とか、そういうものって。
まだ、よく分からないけれど。でも……ちょっとだけ、分かった、気がする。
「そうか。嬉しいか。それは僕も嬉しいなあ。まあ、こういう評価もあるってことだけ、覚えておくといい。これだけ覚えておけば、いらんもんを頂いてしまった時も涼しい顔でやり過ごせるってもんさ」
先生はけらけらと笑う。それを見ていて、僕は……ふと思いついて、言いたくなって、言ってみた。
「……僕も。僕も先生を評価してる」
心の中に、あなたの居場所を作ってある。
それを伝えるために、僕は、あなたを高く評価している。
「そうかい。それは嬉しいね」
先生はにやりと笑って、そう応えてくれた。
それから僕らはまた色々話して、笑って……そんな折、先生はひょい、と居なくなって、それから、ひょい、と戻ってくる。
……そして、持って来たらしいそれを僕の前に置いた。
「ところで君は今日が何の日か知ってるか?」
……机の上に置かれたのは、古い、美術の教科書と資料集だった。
それを見て、僕の頭と心は、一瞬でいっぱいになる。だって、僕のは捨てられてしまったから。でも、ここにあるのは、捨てられてしまったのに似たような、それでいてもっと古くて立派なのがあって……。
「頑張っている君に、メリークリスマス、だ。トーゴ。ご褒美と言うにはあんまりにもショボい僕のお古だが、これを君にあげよう」
嬉しい。とても、嬉しい。
今までに他の人達から貰ってきたどんなプレゼントよりも、嬉しい。
「いや、僕も今日の今日までクリスマス・イブってことをすっかり忘れていたもんだから、お古しか用意できなかった。忘れてさえいなければもうちょっとなんとかしたんだが……」
「……ありがとう。絶対に、大事にする」
上手く言葉が出てこなくて、それしか言えなかった。でも、それだけだ。僕が言いたいのは。
……やっぱり、僕、あなたのことをすごく評価してる。あなたの前に心が全面開放だ。本当に。
「ほら、トーゴ。そろそろ帰る時間だぞ」
それからずっと、美術の教科書と資料集を読んでいた。そうしたらいつの間にか時間が経っていて、先生に肩を揺すられてはっとする。
時計の針は確かに、もう結構な時間になってしまっていた。僕は慌てて、帰り支度を始める。
……その途中で、貰ったばかりの美術の教科書と資料集を鞄に入れかけて、思い直す。
「……あの、これ、先生の家に置いておいてもらっていい?持って帰ったらまた捨てられてしまう」
「ああ。いいとも。君が使ってる部屋に置いておこう」
先生は楽し気に笑って、僕から教科書と資料集を受け取った。
「結局、あんまりプレゼントらしくなかったな、これは」
そう言って先生は『失敗、失敗』とでも言いたげに笑うけれど。
「ううん、最高のプレゼントだ!」
僕にとっては、こんなに嬉しいことって、無い。
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第四章: 高い場所より狭い場所
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僕が精霊になって、少し経った。僕はまだ絵を描いているし、これからも多分、描く。
森の中は相変わらずだけれど……フェイが絵を持って帰った、という話をしたら、ラオクレスも1枚、持っていくことにしたらしい。
……彼が絵を持っていくとは思っていなかったから、なんか、その、意外だ。
「ええと、それ、飾るの?」
「……駄目か?」
「いや、いいんだけれど……ちょっと意外で」
ラオクレスが選んだのは、竹の絵だ。まっすぐ空へ伸びる竹の。少し小さめの画用紙に描いた奴だけれど、竹の涼やかなかんじが気にいっている。
「……まあ、いいだろう。偶にはこういうこともしてみたくなる。……俺には似合わないかもしれないが、これもお前の言う『心の餌』という奴だ」
ラオクレスはそう言って、竹の絵を竹製の額に入れて持って帰った。ええと……彼にとっての心の餌になったなら、その、幸いです。
「あら、素敵な画廊。こんなに素敵なもの、好きなだけ見られるなんて、本当に贅沢よね。ここ、まるで森の中みたいだわ。……まあ、森の精霊様が描いている絵だものね、これ」
クロアさんも僕の家の2階を眺めながら、それほど時間をかけずに1枚、絵をとった。
「これ、貰っていっていいかしら?他の人達も貰っているのよね?」
「どうぞ。……あなたがそれを選ぶの、ちょっと意外かもしれない」
「そう?素敵だと思うけれど」
クロアさんが選んだのは、大きな木に鳥の巣がいくつかあって、そこに独り立ちしたコマツグミの子供達が住んでいる絵だ。要は、森の中の鳥の絵。
「この鳥さん達、かわいいじゃない。親鳥の実物は生意気だけれど」
……うん、まあ、気持ちは分かる。生意気とかわいいは、両立する。うん。
そうして僕の絵は、僕の家以外にも飾られることになった。
なんというか、これは……ええと、やっぱり嬉しいし、恥ずかしい、気がする。
皆の家に僕の絵が飾られているという何だか嬉しくて恥ずかしい状況になってから、1週間。僕は相変わらず、森の絵を描き続けている。
ただ……木じゃなくて、生き物を多く描くようになった。
「あら、綺麗な鳥ね。この子はどこに居るの?」
「森の外側の方の、南側。今、子育て中なんだ」
精霊になって森中の様子が分かるようになったから、森の動物も描き放題になった。……そもそも、今までは森にこんなに生き物が居ることも知らなかったのだけれど。
「こっちの鹿は?」
「これも南の方。西の方に出かけることも多いみたいだけれど」
「これは兎かしら?こんな生き物も居るのね。知らなかったわ」
「レッドガルド家の方と行き来してると、北側ばっかり通るからね」
そういうわけで僕の家の2階には、森の絵に混じって生き物の絵も増えてきている。クロアさんが『画廊』と呼ぶここも、少しはそれらしくなってきただろうか。
『画廊』なんて大したものじゃないけれど、それでも、絵を何枚も何枚も完成させて並べておくだけで少しはそれらしく見えてしまうのだからすごい。
「そろそろ油絵もやってみようかな」
「そういえばあなたが使う絵の具って変わっているわね。あんまり見ないわ」
うん。そう言われてみればそうだ。この世界に来てから、まだ、油絵か壁画ぐらいしか絵を見ていない。もしかしたらこの世界では水彩画は珍しいのかも。
「この、ふわふわしたかんじが素敵なのよね。透き通って、滲んで、ぼやけて、ふわふわして。あなたみたい」
……僕って透き通って滲んでぼやけてふわふわしてるの?それ、半分以上悪口になってないだろうか。
「あ。ねえ、このリスの絵、貰っていい?」
「どうぞ。……その内クロアさんの家が僕の絵まみれになってしまいそうなのだけれど」
「ええ。そうするつもりなの。これからもよろしくね」
……クロアさんはそう言って、壁にくっつけておいた絵を1枚、丁寧に外した。彼女は彼女の裸婦画もそうだけれど、僕が描いた絵をよく家に飾る。いいのかな。家の壁、僕の絵まみれにしてどうするんだろうか。そんなに気に入ってくれた?うーん……。
森を描いて、動物を描いて、それからもまた色々なものを描いた。
空を描いたり、石を描いたり。宝石の絵を描いたり、餅の絵を描いたり。クロアさんが作ってくれた朝食を描いたり、クロアさんを描いたり。遊びに来たフェイを描いたり、ラオクレスを描いたり。
そうこうしていたら、フェイが餅の絵を面白がって持って帰ったり。……え?餅の絵、飾るの?いや、気に入ってくれたなら、それはまあ、いいんだけれど。
でも、フェイは『絵に描いた餅』の諺の意味をなにか勘違いしている気がする。
『つまり、でっけえ夢の象徴だろ!』って。うん。いや、間違ってはないけどさ。けど、うーん……?
そうして僕はひたすら絵を描き続けていた。
……そんな、ある日。
「おーい!トウゴー!」
フェイが唐突にやってきた。いや、フェイが来る時は大体いつも唐突だ。唐突に来て、泉で水浴びしている鳥を撫でたり、馬を眺めたり、ハンモックで昼寝したり、僕の絵を覗いたり、僕らとお喋りしたりして帰っていく。これが彼の気晴らしらしいので、僕らはフェイが唐突に来ても別にいいやと思っている。
「お前に依頼だ!」
なので、唐突に依頼が来ても、まあ、驚かない。
「うん、分かった。今度はどこに飾る絵?」
「ええとな、玄関ホールらしいぜ」
そっか。じゃあ明るい絵かな。……なんて、考えていたら。
「あ、ちなみに、レッドガルド家からの依頼じゃないからな」
「うちに来たお客人が、お前の絵、気に入ったってさ!どうする!?」
……うわ。
こ、これは……びっくりだ。




