18話:謎の卵*2
「……またこれ、食べるの?」
その日の夜も、鳥は僕に例の木の実を食べさせにきた。そろそろやめてほしい。
「……あの、これ食べるとすごくむずむずするんだけれど」
鳥に被害を訴えてみたけれど、鳥は特に構わずに木の実をぐいぐい押し付けてくる。うーん……無駄な抵抗はやめよう。
その日は、さっさと寝てしまうことにした。木の実を食べたらむずむずし始めるから、その前に寝付いてしまった方がいい。
早速、うずうずして変になってきた体をできるだけ気にしないようにしながら、僕はさっさと眠ってしまうことにした。
勿論、寝ている間も卵を温められるように、適当に卵を転がして向きを変えたり場所を入れ替えたりして、いいセッティングにしてから。
……うん。おやすみなさい。
次の日も変な木の実を食べさせられた。
……なんか、前回よりも高頻度だ。前回はもうちょっと、なんというか、手心があったんだけれど。なんだろう。二回目だからもう気遣わないぞ、っていうことなんだろうか。
そして、午前中の内にラオクレスとクロアさんが様子を見に来てくれた。鳥の巣の中で抱卵していると変化が無いから、2人の訪問はとても嬉しい。
「図鑑を調べてみたが、このような卵の生き物は見当たらなかった」
「そっか」
「本当に、何の卵なのかしらね。これ」
……そして、この卵については手掛かりなし、と。うん、まあ、そんな気はしてた。
「じゃあ本当に、ただ殻の色が違うだけなのかな」
「そうかもね。ふふ、色違いの雛が生まれてきたら楽しいのだけれど」
クロアさんは僕の横から卵をつついて、くすくす笑っている。
「……なんだかこの卵、触っていると落ち着くわね」
うん。そうなんだ。僕も何故だか、この卵を抱いていると落ち着いて、少しはむずむずが軽減されるような気がする。……これ、母性とかだったらどうしよう。流石に母性が芽生えるのは嫌なんだけれど。
「それから、今日の昼過ぎにフェイが来るという連絡があった。どうする?お前のことは伝えて構わないか?」
「うん。伝えていい。僕が居なかったら気にするだろうし、隠しておくのは無理だと思う」
それからどうやら、今日はフェイが森に遊びに来るらしい。……最近色々お世話になってばかりだから、たまにはゆっくりしていってほしい。うん、折角だから、僕が鳥に攫われたっていうニュースで一笑いしてほしい。笑ってもらえれば、攫われた甲斐があったっていうものだ。
「そういえばトウゴ君。お腹空かない?」
「え?」
「サンドイッチ持ってきたの。食べる?」
……クロアさんがバスケットを開けて、中に詰まったサンドイッチを見せてくれる。
それを見て……そういえば僕、攫われてから木の実以外何も食べてないな、ということに気づいた。
「ええと、食べる」
「どうぞ。……ごめんなさいね、もっと早く気づけばよかった」
「ううん。ええと、一応、鳥から食事は貰ってるから、大丈夫」
サンドイッチに挟まっているのはハムとチーズとレタスだ。うん。美味しい。けれど、食べてみてやっぱり思ったのは、特にお腹が空いていない、ということだ。
よくよく考えてみたら、前回もそうだった気がする。木の実以外何も食べなかったけれど、それでも普通に生きていた。ということは……鳥が僕にくれる木の実って、もしかして、すごく高栄養なものなんだろうか?
クロアさんが持ってきてくれたサンドイッチは小さめに切ってあったのだけれど、それでも結局、2切れくらいしか食べられなかった。お腹がいっぱいになってしまったというか。
元々、クロアさんも僕1人で全部食べるとは思っていなかったようで、サンドイッチをつまみだす。結局ラオクレスもつまみだして、鳥の巣で3人揃った食事になった。
うん。こういう場所での食事っていうのも、悪くはない。
ラオクレス達が帰っていって、それからまた僕は妙な木の実を食べさせられて、発熱して、むずむずした。
でも、そうこうしている内に卵がもう1つ孵った。孵ったのは普通の、ロビンズエッグ・ブルーの方だ。
元気に生まれてきた雛を鳥と一緒に出迎えて、そして僕には普通の美味しい木の実が与えられた。ええと、うん。美味しいよ。
鳥は雛に与える餌を探しにいったのか、すぐに巣から居なくなってしまった。親鳥は大変だ。
「……こっちの卵からは何が孵るのかな」
さて、これで残ったのは真珠色の不思議な卵だけだ。これは一体、何の卵なんだろう。
これが孵った時何が出てくるのかな、とわくわくしながら、僕は真珠色の卵を撫でた。
……そんな時だった。
「トウゴーッ!それ孵すな孵すな孵すな!」
フェイの声がして、あれ、と思っていると、上からレッドドラゴンがやってきた。
「え?」
何のことだろう、と思いながらフェイを見ていると……フェイは、血相を変えてこう言った。
「それ、精霊の卵だ!」
……えっ?
とりあえず、精霊の卵、とやらは毛布に包んで僕から離させてもらった。鳥が見たら怒るだろうなあ、と思いつつ、でも、フェイがあまりの剣幕できたものだから、温めるのは一度中断した方がいいな、と思わされた。
「ええとな、トウゴ。多分、お前が温めてるそれ、精霊の卵なんだよ」
うん。それは聞いた。でも精霊の卵っていうのが何なのか分からない。この卵、精霊が入ってるんだろうか?
「精霊の卵ってのはな、こう……簡単に言っちまうと、精霊が新しく生まれるための卵だ」
「そっか。じゃあこの中には精霊が……」
……精霊の雛が入ってるんだろうか?そもそも精霊って、鳥?いや、まさか。いや、でもこうやって卵があるんだから、精霊って、卵生……?
「……いや、それならまだいいんだよ。いや、よくねえけど。いいか?トウゴ。この卵はなあ、『精霊が新しく生まれるための卵』だ。孵った時に、中から精霊が出てくる必要はねえらしい」
「え?どういうこと?」
まるで意味が分からないことを言われて困っていると……フェイは、緊張した面持ちで、僕の前に本を出してきた。
本の中には、真珠色をした卵の絵が描いてある。それは鳥の卵みたいな形だったり、植物の種みたいな形だったり、宝石みたいだったり、色々だ。まあ、精霊っていうものも、姿形はまちまちらしいし。
……ただ、問題はそこじゃない。
精霊の卵の絵の下に、こう書いてあった。
『精霊の卵は孵るために精霊以外の魔力を大量に要するため、多くは長い時間をかけて孵化する。だが、魔石の豊富な鉱床や魔草の草原、或いは高い魔力を持つ精霊以外の生き物がある環境では、1週間ほどで孵る場合もある』
『精霊が気に入ったものが近くに居た場合、それに寵愛を与えて魔力を増大させた後、卵を孵させることがある』
『精霊の卵はそれぞれの形で孵ると、新たな精霊となる。また、卵を孵した者に精霊としての力を注ぎ、精霊にしてしまうこともあるらしい』
……うわ。
「こわいね……」
「こわいだろ……」
僕、どうやら、精霊にされそうになっているかもしれないらしい。こわい。
「ちなみに、精霊になるって、どういう……?」
「さあ……俺も精霊を見たことはねえからなあ。どういうことになるのかは、全然分からねえんだけど」
そ、そっか。まあ、そうだよね。フェイ、最初に会った時に言ってたし。精霊に会ったことはない、って。大体、精霊についての記述なんて、図鑑の中にも無かったんだ。すごく珍しい情報なんだなあ、これ……。
「ま、まあ、トウゴが精霊にされそうになってるかは分からねえけどな?ほら、別にお前が精霊にならなくても、この卵の中に精霊の雛が入ってりゃいい話だし……」
「……でもその時って、卵を孵した僕のことを、刷り込みで親だと思い込んだりするんじゃないだろうか」
精霊になるのは嫌だけれど、精霊の親になるのも嫌だよ。
「そうなんだよなあ……うーん、でもよ、あの鳥、わざわざトウゴを選んで抱卵させようとしたわけだろ?なら、トウゴに何かしたかったんだろうとは思うんだよなあ……」
「まあ、抱卵させようとしてたよね」
「だなあ……。あ、でもそれってもしかして、トウゴが持ってる魔石とかに反応したんじゃねえか?単純に、魔力の多いものを巣に持って帰って、卵を孵そうとしたとか!」
そうか。まあ、鳥だし。光物は好きなのかもしれない。僕の鞄には水晶の結晶が2本刺さっているから。それかな。
「そもそも、あの鳥が精霊だって保証もねえしな。もしかしたら、精霊が鳥に托卵してたのかもしれねえし」
そうだとしたら、僕って下請けの下請けじゃないだろうか。
まあ、そう考えると少し気が楽になる。うん、そうだ。あの鳥が精霊だって考えるよりは、精霊が鳥に托卵したって考える方が……。
「他にあの鳥、妙なことしてなかったか?」
フェイにそう聞かれて、幾分楽な気持ちで答える。
「うん。まあ、卵を温めさせられたのと……あとは、卵を温めるために、変な木の実を食べさせられたくらい」
けれど……フェイは、妙な顔をする。
「……え?お前、変なモン食わされたの?」
「うん。スパイシーな柿みたいな……食べると熱が出て怠くなって、ついでに今回は魔力が体の中でぐるぐるして体の中がむずむずした」
「そ、そりゃあ……」
フェイはすっかり困った顔になってしまった。
「……お前、それ、精霊の寵愛じゃねえの?」
……うん?
「ほら。前、医者が言ってたろ。魔力が急に増える場合の中に、精霊の寵愛を受けた時、って。……あいつは裏切った奴だけど、医者としての腕は悪くなかったしさ、信用に値すると思うぜ」
ああ、あのお医者さん。うん、言っていた気がする。それは無いね、と思って真っ先に切り捨てた可能性だったけれど……まさか。
「あの鳥が、精霊……!?いや、まさか!」
「いや、俺もなんか認めたくねえ気持ちでいっぱいなんだけどよお、でも、多分、そういうことなんだよなあ。普通に考えて、あんなにでかい鳥、居ねえし」
いや、飛ぶ馬も刺す馬も居るんだから、大きな鳥くらい……。
……いや、うん。
今思い返すと、あの鳥が密猟者の人達を懲らしめるための証文を持ってきてくれたんだっけ。あれ、もしかしたら、森を守るためにやってくれたことだったのかもしれない。
ということは……やっぱり、あの鳥が、この森の精霊?
……確かに、道理でなんだか態度が大きいというか、堂々としているというか、立派というか、そういうところはあるけれどさ。
「まあ、あの鳥に食わせられた木の実のせいで魔力が増えたんだろ?だったらやっぱりあの鳥、精霊なんじゃねえかなあ。精霊でもなきゃ、そんなことできねえって」
「『精霊の寵愛』?……愛なのかな、あれ」
「ほら。鳥が餌を与える行為って、愛情表現だっていうじゃん」
もしかしてそれ、求愛給餌のことを言っているんだろうか?……もし鳥がその意図で僕に木の実を食べさせているのだとしたら、凄く困る。
「いや、あの木の実、愛情にしてはとんでもない味だったけれど……」
愛の鞭ってやつだったんだろうか?だとしたら……うーん、次からは遠慮してもらいたい。
「いや、怖いのは味じゃねえと思うぜ?まず、お前は精霊に気に入られてるっていう証拠になる」
うん。だからすごく困ってる。
「それに、ほら。その木の実ってお前の症状を聞く限り、お前の魔力を揺らして魔力を増やしてるモンなわけだろ?」
まあ、多分。ということは、あの鳥、僕の魔力を増やしたかった?増やしたかった理由、は……。
「魔力を増やすと……ほら、人間から精霊に近くなるからよお……」
あああああ!こわい!嫌だ!やめて!これ以上怖い話しないでほしい!
どうしよう。僕はこのままいくと精霊にされてしまうらしい。或いは、精霊の親。
どっちに転んでも、なんか、嫌だ。
……先生が前、言っていた。日本人にとっての『神様』は絶対的な存在でも善でもないから、『神様に気に入られる』のは結構怖いことだよな、と。
海外の小説なんかでよくある『神の御加護がありますように』とか『勝利の女神が微笑む』とかは、日本人としては、その……よくよく考えると、ちょっと怖いよな、とも。
うん。多分、日本の神様の御加護には『人間離れしてしまう』とか『神様の機嫌を損ねたら呪われる』みたいなデメリットがあるし、『勝利の女神に微笑まれた』人はそのまま勝利の女神様に気に入られて神隠しに遭う。うん。
つまり、『精霊』になったり『精霊の親』になったりしたら、多分それは、人間を卒業してしまうことになる。いや、卒業じゃない。多分、中退。人間中退は嫌だ。
……僕にとってこの世界の『精霊』って、そういうイメージだ。そしてどうやら、フェイ達も同じらしい。
よくよく考えてみると僕はこの世界の宗教のことをよく知らないし、そもそも宗教があるのかどうかも知らないのだけれど……その宗教が一神教であろうと多神教であろうと、その下に『精霊』が居るのは確かで、その『精霊』は図鑑とかを読む限り、どうやら『日本の神様』に近い代物らしい。
この世界の『精霊』は色んな姿をしていて、時々自分勝手。愛情深かったり嫉妬深かったり、親切だったり意地悪だったり、おおらかだったり神経質だったり。そういう、『ちょっと人間っぽい』ものなんだろう。多分。
「初めてお前を見た時、お前のこと、精霊だと思ったっけなあ……まさか、本当に精霊になるとは」
「なりたくないよ。怖い」
そもそも精霊っていうものが何なのかもよく分かっていないのに、そういうものに勝手にされたら困る。よく分からないものに作り替えられてしまうのは怖い。
「ま、とりあえずどうしようもねえから、直談判しようぜ!」
「……相手、鳥だけど」
「そこはトウゴの謎の力でなんとか」
ならない。なんとかならないよ。なんだよ、謎の力って。
……でも、腹は括らないといけない。
人間を中退しないために。よく分からない謎のものに変えられないように。
うん。鳥が、帰ってきたから……。




