褒められてのびのびするタイプ
「なー、トウゴ。ちょっとお前の世界に遊びに行きてえんだけど、いいか?」
もうすぐ冬休み。そんな折、フェイがちょっと曇った表情で、そう聞いてきた。
「ええと、今日はもう予定は特にないよ。でも、明日は予備校で、明後日からは月曜日で学校だし、そうすると僕、あんまり時間を取れないかもしれない……」
僕はもうじき受験なので。まあ、当然、忙しい。……それから、緊張してもいる。けれど今までとは違って、緊張には不安とか心配とかだけじゃなくて、自信とかわくわくとかもくっついてるんだ。だから、頑張れてる。
「あ、うん。大丈夫だ。今、お前にとってすごく大事な時期だっていうのは分かってるからな!お前の邪魔をするつもりはねえんだ!時間もとれなくっていい!ただ、ちょっとウヌキ先生の家の部屋に寝泊まりさせてもらいてえから、その許可が欲しいんだよ」
フェイはそう言ってくれる。理解のある親友が居て、僕は幸せだなあ、って思う。フェイは僕らの世界の受験のシステムとか、受験がその後の人生に及ぼすものとか、知らない。なのに、それが僕にとって深刻で、大切で……そして、僕が受験っていうものに苦手意識があることも、でも今頑張りたいことも、分かってくれてるんだ。
「分かった。どうぞどうぞ。僕も先生の家に出たり入ったりしてると思うけれど、お互いお構いなく、っていうことで」
「おう!ありがとな!……あ、あと、俺以外の奴も居ていいか?」
早速フェイにOKを出すと、フェイは……そんなことを聞いてきた。
ええと、フェイ以外、ってなると……ラオクレス?魔王?それとも……ええと、ライラ、じゃないよなあ、多分。
なんて、考えていたら。
「ちょっと、ルギュロスを連れて行きたくてよー」
……フェイが、そんなことを言った!
「ルギュロス、最近ちょっと疲れてるだろ?ほら、アージェント家の本家からの風当たり強くて」
「ああ……ルギュロスさん、本家の長男さんを差し置いて当主になっちゃったから……」
そう。今、ルギュロスさんはちょっと大変なんだ。
やっかまれてるし、足を引っ張られている、らしい。それに彼、元々が敵を周囲にたくさん作ってしまう性格の人なので……それで余計に、やりづらい、んだと思う。
「あいつももうちょっと丸けりゃ、ここまで風当たりが強くはねえんだろうけどなあ。それでいて、向かい風を全部跳ね飛ばすほどには、まだ、強くねえ」
「そりゃあそうだよ。人間誰しも、向かい風に立ち向かう元気が出ないことはあるよね」
「だよなあ。でもあいつ、全部の向かい風にずっと立ち向かいっぱなしだからよー……ちょっと息抜きさせてやりてえんだ」
フェイはそう言って、ふ、と笑った。
「頑張る時には頑張らなきゃならねえけど、限界はあるだろ。それを本人が自覚してねえってんなら、尚更まずい。ちょいと不義理かもしれねえけど、強制的に休ませてやらねえと、あいつのことを休ませてやれる奴、あんまり居ないだろうしな」
……うん。そうだね。ルギュロスさんは友達が少ない人なので……その、フェイくらいじゃないかな。ルギュロスさんのことをこういう風に思いやって、それで、ルギュロスさんがやりたがってることを強制的に捻じ曲げてでも、ルギュロスさんが本当にやりたいことの方へ導ける人って。
「こっちの世界じゃ、どこ行ったってルギュロスの気が休まらねえ気がしてさ。どこでどう知り合いに会うか分からねえし、その知り合いが『向かい風』のことだってあるだろうしよ。けど、トウゴの世界じゃ、そういう知り合い、絶対に居ないだろ?」
「うん!」
そうだ、そうだ!僕にとってはこの世界、知り合いが居なくてテストや受験についてあれこれ言う人も居なくて、通わなきゃいけない塾も、気にしなきゃいけない成績も無くて……それが心地よい世界だけれど。それって、ルギュロスさんにも同じことが言えるはずだ。だって、僕の世界は彼にとって、『異世界』なんだから!
「ってことで、早速ルギュロス捕まえてくるぜ!あいつ、やらなくていい仕事やって気を紛らわしてるみたいだからよー、体壊しちまうぜ、あんなんじゃ」
「うん!是非、捕まえてきてほしい!」
ルギュロスさん、根が真面目だからなあ。不器用、とも言うのかもしれない。息抜きがあんまり得意じゃなくて、自分を追い詰めるものを自分から探してしまう、というか、忘れてしまえばいいことを思い返してしまっては自ら傷つきにいってしまう、というか……そういうところは、ちょっと僕に似てる、かもしれない。
そして、そうなってる時、僕は先生に助けてもらった。先生に『見ろ、トーゴ!このおせんべのこの醤油の染みの形、すごくスルメっぽいぞ!』とか『なあトーゴ。つかぬことを聞くんだが、君、下着がブリーフじゃなくなったのって何歳の時だった?差し支えなければそのきっかけも教えてほしい』とか、そういう、ちょっと気の抜ける話を持ち掛けてもらって、気が紛れて、そうしている内に回復できる、というか。
……まあ、多分、今のルギュロスさんにも、フェイの助けが必要なんじゃないかな、と思うんだよ。
「おい、レッドガルド!何のつもりだ!」
「いいじゃねえか!どうせ、今日明日でやらなきゃいけねえ仕事はねえんだろ?なら異世界旅行に行こうぜ!」
ということで、ルギュロスさんを攫ってきた。フェイは意気揚々とルギュロスさんを連れてきていて、ルギュロスさんは如何にも迷惑そうな顔をしている。……のだけれど、ルギュロスさん、やっぱり元気ないんだなあ。ちょっと覇気が無いというか、ツンツン具合が弱いというか。
「おー、ルギュロス君も遂に現実デビューか。よし、じゃあこれを持って行くといい」
「げ、現実だと!?何の話だ!?」
「ささ、これが君のお着換え一式だ。ところで君はなんとなくトランクス派じゃなくてボクサーブリーフ派だと思ったからそれを用意しておいたんだがよかったかな?まあ気になるならぱんつは自分のを用意してくれたまえ」
「何の話だ!?」
そして先生から着替えとかの荷物一式を渡される。まあ、もし着心地が悪かったら一旦こっちの世界に帰ってきて僕が描き替えてもいいし……深く気にしないことにして、さて。
「じゃあ早速行くぞー!」
「いくぞー!」
「だから何の話だと言っているのだが!おい、トウゴ・ウエソラ!せめて!お前は!説明しろ!」
……まあ、ルギュロスさんは混乱していたけれど、混乱している間にちょっといつもの元気が出てきたように見えたので。僕もフェイも安心してルギュロスさんを捕まえて現実へ遊びに行けるっていうものなんだよ。
先生が背後で「行ってらっしゃーい」と朗らかに手を振るのに見送られて、僕らは楽しく門をくぐった。
「……なんだ、ここは」
「ええとね、僕の世界。カチカチ放火王が『現実』って呼んでた方の世界だよ。つまり、僕の生まれた世界」
門をくぐってすぐ、ルギュロスさんは不思議そうに部屋の中を見回した。先生の家の、僕がいつも使わせてもらってる部屋。家具は少なくて、僕の画材が置いてある。そういう部屋で、まあ、何の変哲もない部屋、なんだけれど……。
「……妙な天井だな。なんだ、あれは。シャンデリアの類か?」
「ああ、まあ、うん。電灯だね。点けてみる?」
ルギュロスさん、早速、電灯に興味を示し始めた。これにはフェイもにっこりだ!
ぱちん、と電気のスイッチを入れると、ぱっ、と部屋が白っぽく明るくなる。この白い光は異世界の人からすると珍しいだろうなあ。まだまだ蝋燭の火もあちこちで使われている世界では、光はもっと温かい色をしていて、もっとゆらゆら揺らぐんだ。
「魔石ランプより安定した光なのだな……ふむ、興味深い」
僕は蝋燭や暖炉の光を見るのが好きだし、妖精がふわふわ光りながら飛んでいるのも好きだし、魔石ランプの、時々ちょっと不安定な光もどこかノスタルジックっていうか、そういうところがあって好きなのだけれど。ルギュロスさんは僕らの世界のLEDの灯りがお気に召したみたいだ。
「もし気に入ったなら、これの小さいランプ、持って帰る?」
「ふむ……」
ルギュロスさん、『気になるがそう言ってやるのは癪』みたいなかんじで、はいともいいえとも言わずに黙って、ただ、興味深そうに部屋の中を眺めている。……ちょっと、調子が戻ってきたかな?
さて。疲れているルギュロスさんを連れてきちゃったので、早速、ごはんにしよう。
「じゃ、ルギュロスはちょっと待っててくれよな!今すぐ作るからさ!」
「お前達が作るのか……?」
「うん。まあ、ゆっくり待っててね」
さて。ごはんはカレーだ。フェイがこれをいたく気に入ったものだから、『異世界から初めて遊びに来た人にはこれを振舞う』みたいな決まりごとがフェイの中に生まれたらしい。フェイ、すっかり張り切ってる。
なので僕もそんなフェイをお手伝いだ。包丁で食材を切るのはフェイの方が上手いのだけれど、じっくり炒めたり、味を調えたりするのは僕の方が得意。役割分担しながら、台所で働く。
「……異世界の厨房というものは妙だな」
……そうしていたら、そわそわと落ち着かなげにルギュロスさんが寄ってきた。疲れてるんだろうから休んでいてほしかったのだけれど、今の彼には『ゆっくりする』っていうのが落ち着かないのかもしれない。……あと、もしかすると、僕とフェイが2人揃って料理してるから、仲間外れみたいでちょっと寂しかったのかもしれない。
「おっ!ルギュロスも一緒にやるか?」
「はい、ルギュロスさん。これでひたすら玉ねぎを炒めてほしい」
「お、おい、私はやるなどとは一言も言っていないぞ!」
……まあ、ルギュロスさんがちょっぴり寂しがり屋さんだっていうことはもう分かっているし、静かに1人で居ると嫌なこと思い出したりしちゃうんだろうな、っていうのも分かるので。僕は手に持っていた木べらをルギュロスさんに渡して、フライパンの前を明け渡す。どうぞどうぞ。
フェイはにこにこしながらルギュロスさんを迎え入れて、異世界の台所についてあれこれ話し始めた。
ルギュロスさんは最初こそ迷惑そうな顔をしていたのだけれど、その内すっかり落ち着いてしまって、ちょっと不器用にフライパンの玉ねぎをかきまぜながら、フェイと楽しく喋り始めた。
……ルギュロスさんにはこういう経験も大切なんだろうなあ。
「よし!じゃあ食うぞ!いただきます!」
「いただきます!」
「それがこの世界での食前の祈りか……?」
まあ、そんなものです。ということで僕ら、カレーを食べ始める。ルギュロスさんはカレーを食べてすぐ『食べたことのない味だ』と、少し驚いたような顔をしていた。それからスプーンが良く進んでいるところを見ると、どうやら、ルギュロスさんもカレーを気に入ってくれたらしい。
ちなみに彼、さっきまでカレールーに警戒心むき出しだったんだけれどね。まあ、それはナイショにしておいてあげよう。
カレーを食べて、洗い物を『魔王も連れてくりゃよかったか……』なんて話しながら終わらせて、さて。
「ところで私は何の説明もされずにここまで来たのだが?」
ルギュロスさんが、説明を求めてきた。まあ、そうだよね。
「あー、そういやそうだったっけ。普通にカレー食ってるから忘れちまってた」
「なんだと!?」
ルギュロスさんがいつもの調子を取り戻してきたみたいで、ちょっと怒ったような素振りを見せてくれている。元気のないルギュロスさんよりも、怒りっぽい元気なルギュロスさんの方がいいので、僕もフェイもにっこり。
「ま、簡単に言っちまえば、息抜きだ、息抜き。お前、ここ最近ずっと詰めてただろ」
……ということでフェイがそう言うと、ルギュロスさんはちょっと警戒するような、そんな顔をする。
「息抜きだと?生憎そんな暇は無い。用がそれだけなら私はもう戻るが」
なんというか……ルギュロスさんのこういう反応を見ると、ああ、ルギュロスさん、沢山気を張って、沢山疲れてて、それで、ちょっぴり傷ついたりもしているんだろうなあ、と思う。どうか元気になってほしいな、とも思うし……まあ、要するに、僕もフェイも、立ち上がりかけていたルギュロスさんを捕まえて、『まあまあそんなこと言わずに』と引き留めることになったんだけれど。
「ま、いいじゃねえか。それによー……こういう機会でも無けりゃ、お前、異世界の知識、得られねえだろ?」
フェイがそう言ってにやりと笑うと、ルギュロスさんはちょっと言葉に詰まった。まあ、アージェントさんがあれだけこっちの技術や知識に執心してたわけで、その有用性とかはルギュロスさんも分かってるんだと思う。
「ならこちらの書物をありったけ寄越せ。戻ってその分析を行えばそれで済む話だ」
けれどもルギュロスさん、頑なだ。まあ、彼も合理性を重んじる人なので……わざわざ異世界に来なくてもいいだろう、という考えなのは、分かる。
分かるけれど、僕だってルギュロスさんを休ませたいので、頑張る。
「分からないものが分からない状況だと、こっちの知識を仕入れてもうまく活用できないと思う。だから、まずはこっちの世界のことをちょっと勉強する、っていうことで、どうだろうか」
僕からも改めてお誘いしてみると、ルギュロスさんはちょっと言葉に詰まった様子を見せてくれた。……なんでだろう。ルギュロスさんって、フェイ相手にはどんどん言い返せるみたいなんだけれど、僕相手だとちょっとやりづらそうなことがままある。ルスターさんもそういうこと、ある。
……なんとなく、僕の頭の中でライラが『あんたふわふわしてるからやりづらいんでしょ』と言ってきた。ああもう、僕の頭の中でさえライラはこういうことを言う!
「それにお前、どうせ一日二日くらいサボっても問題ないくらい仕事速いじゃねえか」
「……それはそうだが。ああ、お前とは違うのでな」
「なら僕らが連れ回しても大丈夫だよね。許してくれる?」
頭の中のライラは押し退けつつ、ルギュロスさんにお願いしてみる。フェイと一緒に詰めよれば……ルギュロスさんは、ものすごくやりづらそうな顔をしながら、ものすごく深々とため息を吐いた。
「……明日の夜には戻るからな!」
よし!やった!ルギュロスさんが折れた!やった!
さて。僕らは早速、先生の家にある図鑑を広げてみたり、異世界の道具……ライターとか、ボールペンとか、扇風機とか、そういうものを1つ1つ見ていったり、楽しく過ごした。
ルギュロスさんは、フェイみたいに分かりやすくはないけれど、それなりに好奇心も持ってあれこれ楽しんでくれたみたいだ。ちょっと意外だったのだけれど、ルギュロスさんが気に入ったらしいこっちの世界の道具は……『鏡』だった。
確かに、これだけ歪みが無くてよく映るガラスの鏡って、確かに向こうの世界には無い。その分、向こうの世界には、魔法で作った水鏡とか、魔法をかけた金属鏡とか、そういうものがあるんだけれどね。こっちの世界の鏡の、透き通るようなガラスの質感と平らで歪みの無い鏡面の美しさが、彼の心に響いたらしい。
……ルギュロスさんの異世界土産は、鏡とLEDランプにしよう。
それからルギュロスさんとフェイは荷解きして、寝床を用意して、あれこれ話して……それから異世界のお風呂を楽しんでもらった。尤も、ルギュロスさんにはこっちのお風呂、そんなに好評じゃなかったけれど。まあ、機能としては向こうの魔法のお風呂の方がちょっと高性能だから。
でも、先生がルギュロスさんの荷物に入れてくれた発泡入浴剤は気に入ったみたいで、『向こうに戻ったらウヌキにもう少し用意させて買い取る』と意気込んでいた。『買い取る』っていうあたりが、ルギュロスさんのいいところだと思うよ。
僕はその辺りでお暇した。流石にこっちの世界で外泊しちゃうと怒られてしまう。無駄に怒られるのは、僕には当然よくないし、親としてもエネルギーと時間の無駄遣いなので、よくない。お互いの為にも、あんまり怒られないようにしておくに限る。特に、最近はすっかり親に心配をかけているので……。
僕はその日の夜、ベッドにもぐりこみながら『今頃フェイとルギュロスさんはどんな話をしているかなあ』なんて考えて、ちょっと楽しくなったりして、まあ、ゆっくり眠った。現実の世界のベッドは向こうのベッドよりもちょっとだけ寒いような、そんなかんじがする。でも、嫌いじゃないよ。これも。このベッドはこっちの世界で一番古くからずっと、僕の居場所であってくれた場所なので。
僕は翌朝からもう予備校へ。受験も間近だから、とにかく描いて描いて描かなきゃいけない。心頭滅却。
……そうして朝から昼、昼から夕方まで、ずっと描いて描いて描いて……とにかく描いて、最後に描いたものの評価も頂いてから、急いで予備校を出る。
ちょっと忙しいけれど、この後、フェイとルギュロスさんと待ち合わせなんだよ。
「おーい!トウゴー!」
「ごめん、待たせちゃった!」
ちょっと小走りに駅前へ向かったのだけれど、1分、集合時間を過ぎてしまった。当然、待ち合わせ場所にはもう、フェイもルギュロスさんも居る。ごめんなさい。
「ま、いいっていいって!待つのも楽しいからさ!」
フェイはそう言って笑ってくれるし、ルギュロスさんも何も言わない。ルギュロスさんが文句を言わないんだから、何とも思っていない、ってことだろうなあ。
「ところでルギュロスさん、服、似合うね」
ルギュロスさんは、先生が用意したんだろう服を着ている。
品のいい黒のトレンチコートにシルバーグレーのマフラー。靴は慣れの問題があるからショートブーツ。彼の淡い金髪とブルーグレーの目と相まって、如何にも冬っぽい色合いで、冬っぽい雰囲気だ。よくよく見たらコートもマフラーも、結構いいブランドものだった。先生、こういうところ、茶目っ気があるよなあ。
……それで、まあ、フェイもそうだけれど、ルギュロスさんも、その、整った容姿をしているので。
道行く人が、「ねえ、あの人モデルかな?」「外国人だよね。すごく綺麗」なんて囁き合っているのが聞こえる。視線も集まってる。まあ、クロアさんとラオクレスとフェイが3人で居た時には及ばないけれど……ああいうすごいインパクトが無い分、ルギュロスさんって『現実に馴染む』かんじがあるんだろうなあ。
「……今の女は、何を言っていた?」
ルギュロスさんも、注がれる視線や交わされる囁きには気づいているらしい。そっか、まあ、そうだよね。そういうのに敏感だからこそ、ルギュロスさん、疲れちゃってるんだろうし……。
「ええとね……ルギュロスさんがモデルさんかな、って」
まあ、嘘を吐いた方がいい相手ではないので、正直に教える。……すると。
「……絵の、か?」
ルギュロスさんが僕を見て訝し気な顔をしている。いや、あのね、この世界は確かに僕の生まれた世界だけれど、僕みたいなやつは少数派なんだよ!
「あ、いや、こっちの世界での『モデルさん』はほとんど、絵のモデルさんじゃないんだよ。うーん……案外、説明が難しい」
僕はなんとか頑張って『モデルさん』の説明をした。それから最後に『要は、ルギュロスさん格好いいですね、っていうこと』と分かりやすい説明を加えると、ルギュロスさんは鳩が豆鉄砲食らったような顔をしてしまった。
「へへへ、成程なー。よかったじゃねえかルギュロス。確かにお前、そこそこ整った顔してるもんなあ」
「そ、れは……と、当然のことだろう。アージェント家当主として、身なりには気を遣っているからな」
あっ。ルギュロスさんがなんだかちょっと照れている!珍しい!描かなきゃ!……あっ!こっちの世界だと魔法画でささっと描くことができない!なんてこった!
「で、どこ行くんだ?なんか面白いもん、見せてくれるんだろ!?」
「うん。まあ、この季節限定の、この世界ならではのもの、見られるところがあるんだよ」
ちょっと照れてるルギュロスさんを、なんとか5分以内にささっと描かせてもらって(本当はもっとたくさん時間を掛けたかったのだけれど、しょうがなく)、そろそろ出発。
「でんしゃ、乗るんだな?」
「うん。ここから2つくらい先の駅に向かうよ」
……今日、フェイがルギュロスさんを連れてあちこちに行っていたようなのだけれど、折角だから僕も一緒に出掛けたかったんだ。
でも冬のこの時期、夜になるのがとっても早い。だから、僕の予備校が終わってから出掛けて楽しい場所ってあまり無いのだけれど……1つだけ、心当たりがあるんだよ。この季節のこの時刻だからこそ、っていうやつだ。
ということで、僕ら、目的の駅へ。
「こっちだよ」
「待ってくれトウゴー!ルギュロスがカイサツで詰まった!これどうするんだー!?」
「何だこれは!何故鳴いている!?」
「鳴いてるんじゃなくて鳴ってるんだよ、それ。ちゃんとタッチしないと……」
……フェイは案外さらっとできたし、クロアさんも全く戸惑ったところが無かったし、ラオクレスも案外その辺りが上手だったし、まあ、気づかなかったけれど……異世界の人には、自動改札ってちょっとハードルが高いのかもしれない。今、ルギュロスさんが改札で詰まっています。
「くそ、他の者達は通していくのに、私にだけ門を閉ざすとは……」
「そりゃあ、無賃乗車されないようにするのが彼ら改札のお仕事なので……」
フェイにもルギュロスさんにも、もうちょっとちゃんと、ICカードの説明をしよう。多分フェイのことなので、『理屈はまだ分かってねえけど、これを翳すと門が開く!通行許可証みてえなもんだ!』とか説明してたんだろうし、そうなるとルギュロスさん、『ならこのくらいの高さで翳してやればカイサツとやらからも十分見えるだろう』とか思っちゃうんだろうし……。
……と、まあ、ルギュロスさんがちょっと改札に怒ったりしていたのだけれど、駅前に出たらそんな怒りも全て吹き飛んでしまう光景がある。
「うわーっ!綺麗だなあ!」
フェイ、大興奮。そしてルギュロスさんも……。
「……美しいな」
ちょっと茫然としたように、目の前の光景に見惚れている。
……ここにあるのは、イルミネーションだ。白と青のLEDが、凄く沢山、きらきら煌めいている。
ここの駅前は冬になるとこうしてイルミネーションで飾られるし、この駅前の通りの並木がずっと、LED並木になるものだから。すごく綺麗なんだよ。
「でしょう?こういう冷たい色の光は、向こうの世界よりこっちの方が得意分野なんだよ」
僕は、この世界の綺麗なものを改めて好ましいと思えたし、フェイもルギュロスさんもこれを気に入ってくれたみたいなので、嬉しい。
そのまま僕ら、しばらくイルミネーションを眺めていた。これは異世界では中々見られない光景だし、この光景をフェイとルギュロスさんと一緒に見られるっていうのも、特別なことだし。ね。
それから『そろそろ冷えてきたし帰ろうか』っていうことになって、ちょっと名残惜し気なルギュロスさんをフェイと一緒に引っ張っていこうとしたところ。
「すみません!あの、そこのお兄さん達、モデルさんですか?」
2人組の女性が、そわそわどきどきした顔で話しかけてきた。ええと。
「いや、私は……モデルさんではない、が……」
ルギュロスさんにはもう『モデルさん』の説明をしてあるので、ルギュロスさんがちょっと困りつつそう答えてくれた。……あのね、ルギュロスさん。モデルさんは『さん』まで含めた職業名じゃないよ。僕が悪かったなあ、ちゃんと教えないと、ルギュロスさんがちょっと不思議なことになってしまう。後でちょっと修正しておかなければ……。
「モデル『ではない』っていうことは、俳優さんですか?それともアーティストとか?」
「職業か?それならば、貴族、ということになるのだろうが……」
そしてルギュロスさん、実に素直にそう答えてしまった!……まあ、彼の容姿と堂々とした立ち居振る舞いは、正に『貴族』っていうかんじなので、違和感は無いんだけれども。
「え?貴族?」
「ああ。所領を治めている」
「あー、ええと、この人、お忍びで外国から来てるんですけれど、その、本当に本物の貴族なんです。ちょっと大きい家の」
ルギュロスさんが実にそのまま説明してくれるので、僕が慌ててちょっと助け船を出した。彼らは外国の貴族なんですよ、ということで。……うう、外国ってどこだろう。どの国だったらこういう貴族が居るんだろう……。
「す、すごい!イケメンなのに更に貴族!?天が二物与えてるじゃないですか!」
「うわあ……確かに、高貴な顔立ちしてますもんね!」
ま、まあ、女性2人組はルギュロスさんの出身地なんて気にならない様子ではしゃいでいるので、まあ、いいか……。
「あの、それで、貴族のお兄さんにこういうの、失礼かもしれませんけれど……私達と一緒に、ご飯、いかがですか?」
それから女性2人は、なんとも思い切ったお誘いをしてきた。わあ、ルギュロスさんがびっくりしてるし、フェイもちょっともじもじしてる!
「あの、そちらのお二人もご一緒に。ええと……そちらはお付きの人?ですか?」
けれど女性の片方がそういうことを言うものだから、フェイが笑いだしてしまった!
「おいおいおい、俺、お前のお付きかよ!」
「ふん。お前の品の無さが顔に出ている、ということだな」
フェイがルギュロスさんの脇腹を肘でつっつくと、ルギュロスさんはなんとも尊大な笑顔でフェイを見下ろした。(フェイの方がちょっとだけ身長が低いんだよ。そして、ルギュロスさんはふんぞり返りがちだから、フェイが見下ろされがちなんだよ。)
フェイとルギュロスさんのやりとりを見て、女性2人は『あれ、間違えたかな?』みたいな顔をしているんだけれど、あのね、フェイも貴族です。お付きの者は、強いて言うなら、僕。
……そうしてフェイが一頻り笑って、ルギュロスさんもフェイを小馬鹿にした後。
「まあ……彼らは付き人ではない。友人だ」
ルギュロスさんが、そんなことを言った。
……ちょっと見上げてみたら、ルギュロスさんが、なんだかじんわり柔らかい笑顔を浮かべていた。
「折角の誘いを無碍にするようで悪いが、友人達が体を冷やすといけないのでな。そろそろ失礼する。……ほら、行くぞ」
なんだかびっくりしてしまった僕とフェイを引っ張るようにして、ルギュロスさんは駅に向かって歩いていく。
彼の歩幅はいつも通り、ちょっと広めで、堂々と肩で風を切るような姿勢の良さがよく似合う。
……そんなルギュロスさんを見た僕とフェイは、こっそり顔を見合わせて、満面の笑み。
ルギュロスさん、ちょっと元気になってくれたみたいで、よかった。
それから……僕ら友達がいる、っていうことを思い出してくれて、嬉しい!
「またこのカイサツは……!」
「あれ、おかしいな。今度はちゃんとタッチしたように見えたんだけれど……」
「ルギュロスぅ。お前、やっぱカイサツに嫌われてるんじゃねーの?なーなーカイサツー。こいつ悪い奴じゃねえから通してやってくれよー」
……まあ、帰りもルギュロスさんは改札で詰まったのだけれど。ああ、ルギュロスさん、怒らないであげて!改札はね、脅しても聞いてくれないんだよ!
その日の夜の内に、ルギュロスさんとフェイは向こうの世界へ帰っていった。ルギュロスさん、忙しいんだなあ。
それから翌日、僕は学校帰りに先生の家に寄って、門を通って森を訪れて……丁度妖精カフェに居たフェイのところへ飛んでいく。
「ま、あいつ、ちょっとは息抜きになったみてえだし、よかったと思うぜ」
「そっか。なら、よかった」
フェイはミルクティーとアップルパイ、という『ウヌキセット』なるセットメニューを頼んでいたので、僕もそれを注文する。
……ちなみにこの『ウヌキセット』、ソレイラどころかレッドガルド領、そしてその外まで人気が広がりつつある人気作家のマモル・ウヌキとのコラボレーション企画だ。先生が好きな組み合わせをセットメニューにしたやつで、まあ……先生がこれを頼む時、恥ずかしそうにもじもじするのが見ていて楽しい。
「あいつさー、顔がいいだろ?だからか、俺と一緒に昼間歩いてても、結構女の子から声掛けられたんだよなあ……。あと、あいつ、頭いいからよー、割と色々すぐ理解できて……そーいうので自信取り戻したのか、なんか、元気になったよなあ……」
ま、まあ……ルギュロスさんは多分、褒められて伸びるタイプだから。異世界の、全く他意が無いって分かってる誉め言葉を沢山浴びて、それで、ちょっとのんびり過ごして、元気になれたんだろうなあ。まあ、よかったよかった。
「へへへ、それにしても、『友人』だもんなあ……あいつが自分の利益関係なく俺達のこと『友人』って言ったの、初めてじゃねえか?」
「かもしれない。……うん、そうだね。同窓会でのアレは、ルギュロスさんの利益の為だったね……」
ルギュロスさんは、今までにも僕やフェイと『友人』っていうことにしておいた方が得な時には『友人』っていうことにしてくれていたけれど、今回みたいにまるきり損益が関係ないところで『友人』って言ってくれたのは初めて、かもしれない。
「嬉しいよなあ」
「うん。嬉しい」
「あいつを元気にするために連れてったはずが、俺達が元気になっちまったもんなあ……」
「元気のお裾分け、もらっちゃったね。ふふ……」
僕ら、また顔を見合わせて笑って、そこに丁度届いたウヌキセットを僕も食べ始めて……またルギュロスさんが元気じゃなくなってきたら異世界に連れて行って息抜きさせてあげよう、と思う。
だって僕ら、『友人』なので。
……ちょっとぽかぽかして、嬉しい気分だ。ルギュロスさんも、こうだといいな。
……それから。
後でフェイから聞いたんだけれど、ルギュロスさん、自分の部屋に小さなスノードームを飾ってるらしい。ええと、現実のお土産に買ったものなんだってさ。底面が鏡になってて、LEDの小さな灯りが点くやつ。
……それを眺めるルギュロスさんが、ちょっと優しい顔をしていたから、フェイは嬉しかったんだそうだ。いいなあ、僕も見たかったなあ。そして描きたかった。
まあ……今後もルギュロスさんとお付き合いしていたら、その内また、描く機会をもらえそうなので。その時は思う存分、描くぞ!




