天使は素直なので
ふわふわふわ。すりすりすり。すべすべ。ふくふく。ふるるん。とろん。
……そんな効果音が付きそうなかんじに、僕にくっついてすりすりやっている生き物がいる。
真白い羽はふわふわで滑らか。亜麻色の髪はさらさら。それで、青空みたいな瞳が僕を見上げている。
「……天使だなあ」
うん。そう。
リアンが今、何故だか羽が生えた状態で、僕に懐いています。
僕がこっちの世界に来てすぐ、こうなっちゃったのでまるで状況が分からない。門をくぐって僕の家の前に出たところで、突然、この状態のリアンにくっつかれちゃったものだから。
「ねえ、リアン、どうしたの?」
リアンには今、羽が生えている。ちょっとおかしい。まあ、僕も羽が生えている訳だし、レネだって羽が生えるし、この森では羽が生えていること自体は然程珍しくないけれど……でも、リアンに羽が生えるのは、ちょっとおかしいと思う。
何せ、リアンはちょっと魔法が使える程度の人の子なんだよ。妖精の女王様になっちゃったアンジェとかならいざ知らず、リアンの方に羽が生えるとは。
「くっつきたい気分?」
リアンはなんだかとろんとした笑顔で、相変わらず僕にすりすりくっついてくる。うーん、普段のリアンだったらむしろ、『まだ暑いのにくっついてられるかよ!』って怒って離れていってしまうと思うんだけれど。不思議だ……。
「君、こうしてると本当に天使みたいだね」
更に、普段のリアンだったら『天使じゃねえよ!』って怒りそうなところなのだけれど、今のリアンはむしろ嬉しそうに、真白い羽をぱたぱたさせて、『触って、触って』とおねだりするみたいに僕にますますすり寄ってくる。
……うーん、どう考えても、おかしい。
なんだろうなあ、なんだろうなあ、と思いつつ、僕は軒先に出した椅子の上、リアンにくっつかれた状態でスケッチブックを出す訳にもいかず、とりあえずリアンの羽を撫でて、ああ、本当にこれ、触り心地がいいなあ、なんて思いながらぼんやりしていたのだけれど。
「あーっ!リアンったら、こんなところに来てたのね!?」
そこへ、カーネリアちゃんを先頭に、ライラとアンジェも一緒に駆けてきた。
「あーあーあー……こりゃ、ホントに天使みたいになってるわね。どうすんのよ、これ」
「ええとね……妖精さん、一日たてばなおる、っていってるよ」
そして女の子3人で僕とリアンを囲みつつ、そんな話をするものだから、僕としてはますます状況が分からない。
「ええと、カーネリアちゃん。これは一体、どういう状況?」
なので、そう、聞いてみると……。
「ええとね、トウゴ。これはどうやら……妖精さんの変身おやつのね、『ふぐあい』らしいんだわ!」
……そんな話が返ってきてしまった!
女の子達3人が来たところでリアンがちょっと離れてくれそうになったから、僕はちょっとリアンを引き剥がさせてもらって、ようやく動けるようになった。
そうしたら皆で動いて、僕の家の中へ。立ち話ってのもなんだから、座って状況を聞こうと思って。
……そうしていたらリアンがなんだかそわそわしてきたものだから、しょうがない。また僕にくっつけておくことにした。その途端にリアンは落ち着いたみたいだから、うーん……今のリアンは、とりあえず誰かにくっついていたい甘えん坊天使らしい。
甘えん坊天使はさておき、カーネリアちゃんがお茶を淹れてくれて、ライラがお茶菓子を持ってきてくれて、のんびり話す準備ができたところで……さて。
「ほら、前さ、あんたが食べたお菓子、あったじゃない。天使の輪と羽が生えたやつ」
「ああ、先生に蛍光管が生えたやつか……」
それ、ちゃんと覚えてるよ。先生の頭の上に環状の蛍光管がぷかぷか浮かんでいて、『僕はつくづくこういう役回りなんだなあ』って先生が黄昏てた様子、なんだか面白かったから。
「そうそう、それそれ。あれを妖精さん達が改良したらしくてさ。その試作品を、リアンが食べたんだけど……」
ライラはそう言って、ため息交じりに両手を広げた。『お手上げ』ってかんじだ。
「あのね!どうもね、リアンに変身おやつが効きすぎちゃったらしいの!妖精さんに言わせてみれば、『なんだか予定よりも天使っぽくなっちゃいましたね』っていうことらしいのよ!」
ライラの言葉を引き継ぐようにして、カーネリアちゃんがそう教えてくれた。
そっか、リアンは……ええと、天使っぽくなるお菓子を食べたら、中身まで、天使っぽくなってしまった、っていうこと、だろうか?
「お兄ちゃん、天使さんになっちゃった……うふふ」
「ま、まあ、1日で戻るみたいだし、そんなに深刻に考えなくてもいいみたいだから……ちょっと楽しませてもらってもいいかもね」
アンジェはにこにこしながら、リアンの羽をふわふわすりすり、くすぐっている。リアンはそれがくすぐったいのか、くすくす笑いながら羽をぱたぱたさせていて、成程、ちょっと可愛らしい。普段が小生意気な分、余計に。
その内リアンは、くすくす笑いながらアンジェを抱きしめた。腕でも羽でもすっかりアンジェを包み込んでしまって、アンジェはすっかりふわふわまみれ。きゃあ、と歓声を上げてアンジェが喜ぶと、リアンもますます、にこにこ。
「あら、面白い。じゃ、ちょっと私も撫でさせてもらおっかなあ」
そこにライラがにんまり笑ってやってきて、早速、リアンの羽をふわふわ撫で始める。それに対してリアンは満面の笑みだ!ああ、普段の小生意気な様子が全然無いものだから、本当に、天使……。
ライラが撫でるなら僕も、ということで撫でさせてもらったら、もう、それはそれは手触りが良かった。
リアンの羽は極上の触り心地なんだ。ふわふわなのに滑らかで、それでいてしっとりした手触りでぱさつくところがなくて……ああ、これ、ずっと撫でていたいくらいだ!
「わ、私も撫でてみていいかしら……?」
僕らがリアンの羽を撫でては笑顔になっていたら、カーネリアちゃんもそろり、と手を伸ばしてきた。……すると。
「わあ、リアンがとろけてる」
「とろけてるわねえ。やだ、なんかいいじゃないのよ」
……カーネリアちゃんに撫でられた途端、リアンはふにゃふにゃ、ととろけてしまって、とても気持ちよさそうにうっとりして……そして、アンジェを抱っこしたまま、カーネリアちゃんにもくっついてしまった!
カーネリアちゃんは『リアン!あんまり体重をかけないで!おもたいわー!おもたいわー!』とぱたぱたしているけれど、リアンはお構いなしにカーネリアちゃんにくっついて愛おしげにすりすりやっている。うーん、成程。もっと撫でてほしいみたいだし、もっとくっつきたいみたい。
「……描こうかしら」
「うん。描くべきだよ、これは」
ということで、僕とライラは並んで、そのまましばらく、カーネリアちゃんにすりすりくっつくリアンと、そんなリアンに慣れてきて目を輝かせて頬を紅潮させながらリアンを撫でに撫でるカーネリアちゃんとを描かせてもらうことにした。
いや、ほら、リアンにしては珍しい構図だし、カーネリアちゃんがすごくいい表情だし……その、つい。ついつい。
まあ、放っておいても害はなさそう、ということで、リアンはそのままカーネリアちゃんに任せることにした。
……というのも、リアンを家に連れて帰ったら、ベッドの上にシーツと毛布で天使の巣を作ってしまって、そこにカーネリアちゃんを連れてきて、そのまま巣ごもりを始めてしまったので。
リアンは最初、アンジェも巣に入れようとしたのだけれど、アンジェから『おにいちゃん、だめよ。アンジェはしゅっきんするのよ』と断られてしまったんだよ。ほら、アンジェは妖精の国で『新しく作った変身おやつがちょっと効きすぎなんだけれど』とか『そういえばそろそろ秋の果物が実り始めますね』とか『来週のおやつはどうしましょうか』とか、そういう重要な会議があるらしいから、出勤しなきゃいけないんだよ。
……ということで、今、リアンは巣の中で思う存分、カーネリアちゃんにくっついているところ。カーネリアちゃんにも大丈夫か聞いてみたのだけれど、『こんなこと滅多にないからいっぱい楽しむわ!』と勇ましい答えが返ってきたので、多分、大丈夫だろう。後で様子を見に行くけれど、まあ、あの2人、というか、あのカーネリアちゃんなので……。
「はー、それにしても面白いわね。リアンがああなっちゃうなんて」
「うん。中々にびっくりした……」
帰り道、僕はライラとそんな話をしつつ、妖精のお菓子ってすごいなあ、と思う。性格というか、気分まで変わってしまうとは……。
「それにしてもなんで、天使になった途端、リアンが小生意気ではなくなってしまったのだろうか」
「あー、それね?天使は素直だから、らしいわよ?」
そっか。成程。素直だから……素直に、撫でられたいと思ったら、人にくっついちゃうのか。そういうものか……。
……ということは、普段、リアンは撫でられたいんだろうか。それとも、甘えたい、のかな。
「ほら、リアンって、普段からお兄ちゃんとして気を張ってるじゃない?お母様はもう亡くなってるらしいし、親父の方は駄目人間なんでしょ?確か」
「うん」
ライラの遠慮のない物言いがなんとなくリアンっぽいなあ、と思いながら頷く。……ちょっと思うところがあるなあ、と思いながら。
「だから……なんかさ、リアンって、甘えたり、撫でられたり、そういう経験、あんまり無いんじゃないかしら」
「……そっか」
今、頑張っているリアンを否定したくはないし、それを『可哀相』なんて、絶対に言いたくない。
けれど……もし、ちょっとだけ、偶に、リアンが甘えん坊天使になりたい時があるなら……今度からもうちょっと撫でたり構ったり、してみようかな。
普段のリアンを見ていて、リアンはあんまりそういうのが好きじゃないような気がしていたけれど、本当は撫でられるのがそんなに嫌じゃないっていうなら……。ほら、年上の者として。ね。
「……そういえば、僕をやたらと撫でたがる先生やラオクレスの気持ちがちょっとだけ分かったような気がしてしまった」
それから、こう、自分より小さな生き物を可愛がりたい気持ちって、こう、僕の中にもあるので……今日、やたらと懐いてくるリアンを相手に、なんとなく、そういう気分になってしまった。うん。
ええと、リアンが天使な分、僕はちょっとだけ、先生かラオクレス……。
……結局その日、リアンは思う存分、カーネリアちゃんと一緒に巣ごもりしたらしい。カーネリアちゃんにすりすりやったなあと思ったら、今度はカーネリアちゃんを撫で始めて、きゅうきゅう抱きしめて、なんとも満足気だったそうだ。
それで、まあ、翌日の僕らは、その話をカーネリアちゃんから聞いているわけなんだけれど。
「それでね!リアンったら、私の頬にキスしたのよ!普段はしてくれないのに!」
「そ、そんなことまで話さなくていいだろ!?」
あの、カーネリアちゃん。隣のリアンが真っ赤になって怒ればいいのか恥ずかしがればいいのか分からなくなっているから、そろそろ、そのへんで……。
「あーくそ……今回はとんだ恥かいた……」
……ということで、カーネリアちゃんが『そういえば妖精さん達が変身おやつの改良品を作ったのよ!』とライラを引っ張っていったところで、僕はリアンに愚痴られています。
「僕としてはちょっと嬉しかったけれど」
「俺は嬉しくねえの!なんでトウゴなんかに懐かなきゃならないんだよ!」
なんかとはなんだ、なんかとは。僕って『なんか』なの?……『なんか』かなあ。うう。
「……リアンは、撫でられるのはあんまり好きじゃない?」
まあ、僕『なんか』のところは置いておくとして、ちょっと気になるので聞いてみる。
「な、なんでそんなこと聞くんだよ」
「いや、嫌いなら止しておくけれど、嫌いじゃないならこれからは時々撫でてみようかと思って」
駄目?と改めて聞いてみると、リアンはぶすっとした顔をする。
「駄目に決まってんだろ。俺、そんな齢じゃねえし」
「僕、君より年上なのにしょっちゅう先生やラオクレスに撫でられてる」
「……トウゴはトウゴだし、いいんじゃねえの?」
いや、よくないよ。それはよくないと思う。……よくないよね?
「それに、ラオクレスとかウヌキ先生とかはもう、なんか……なんか、何言ってもダメだろ、あれ。俺も撫でられるし……」
あ、うん。それは思う。彼らに『撫でるのをやめてください』って言ったらきっと、ちょっと傷ついてしまうだろうし、ラオクレスなんて、僕を撫でるのが癖になっているみたいで、僕の頭が隣にあると何とは無しに撫でていたりするし……。
「……あのさリアン、時々だったら、撫でてもいい?その、今回、なんだか無性に、人の子ってかわいいなあ、って思ったものだから……」
「お、おい、トウゴ、また精霊化が進んでるんじゃねえの?大丈夫か?」
リアンに心配されてしまったけれど、多分大丈夫だよ!
ちょっと癪だったので手を伸ばして、勝手にリアンの頭を撫でてしまう。輪っかが無くても、羽が無くても、天使みたいなリアンの頭はやっぱり撫で心地がいい。
「お、おい!やめろよー!」
「もうちょっとだけ」
リアンは嫌がってみせてきたのだけれど、でも、その割に僕の手を払いのけようとはしない。……うーん、やっぱり、そんなに嫌じゃない、んだと思う。
「……やっぱり嫌?」
一応念のため、ちゃんと聞いてみることにする。けれど……その必要は、なかったかもしれない。
「……しょうがねえからちょっとだけならいいよ」
赤くなりながらリアンはぼそぼそ、と言って、それから、ぐりぐりぐり、と僕の手の平に頭を擦り付けるようにして撫でられにきたんだ。
なんだかその様子が年相応というか、ああ、人の子ってかわいいなあ、と思わされるというか……。
……リアンはすごく格好いいやつだし、僕より大人びたようなところもあるけれど。でも、こうやって撫でられてる時の顔を見ると、どうにも、可愛がりたくなってしまうので。リアンが可愛がられることを望んでいなかったとしても、僕の我儘、っていうことで。
なので時々、こうやってリアンを撫でては年上面をさせてもらおうかなあ、なんて、思う今日この頃でした。
……いや、年上面っていうか、森の精霊面、っていうことで。ね。
……ところで。
「そういえばね、とりさんがね、天使のおやつ、食べちゃったみたいなの……」
リアンが食べちゃった『とっても素直になってしまう天使のおやつ』なんだけれど、あれ、どうやら妖精達はいくつか作っていたらしくて……そのうちの1つが、例の巨大コマツグミのおやつになってしまったらしいんだよ。
ただ……。
「……何も変化が無いね」
「そうね。普段通りだわ……」
変化が無かった。リアンのように、誰かにすりすりくっつきたくなったり、甘えてみたり、っていうことが、なかった。
そう!あの鳥は天使のおやつを食べても、まるきりいつも通りだったんだよ!
「……あの鳥、元々素直じゃん。意味ねーだろ」
「そうだね……」
ま、まあ、あの鳥の普段の振舞いには裏表が無くて、本当に鳥の本心から、鳥のやりたいようにやってる、っていうことが分かった……かな?
……つくづく、あの鳥は変な鳥だ。
「あっ!でも、鳥さんの頭の上に輪っかが浮いてて可愛いわ!」
「鳥自身もあれを気に入っているように見えるね……」
唯一の変化は鳥の頭上に浮く、天使の輪っかなのだけれど……光り輝くそれが鳥のお気に召したらしくて、鳥はいつもより幾分ご機嫌だ。キョキョン、と自慢げに鳴いている。
「……まあ、あの鳥さんは元々、天使ってガラじゃないわよね」
「うん」
天使のおやつを食べても天使にならないやつも居る。
鳥を見ながら、なんとも言えない気分になった、そんな森の晩夏のある日のことでした。
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