約束の夏祭り
「トウゴ。食べているか」
「あ、うん。騎士の皆さんが色々分けてくれるので、結構満腹になってきた……」
僕の手には今、串焼きが3本。鶏肉と鹿肉とじゃがいも。更にお腹の中には焼きトウモロコシとから揚げがもう入っている。
「……でもまだ、デザートは入るよ」
僕がそう言うと、ラオクレスはちょっとほっとしたような顔をした。
「なら食っていけ。……ようやく丸く作れるようになってきたところだ」
そしてラオクレスが差し出してくれたのは……綿飴!棒の先にふわふわくるくる巻きつけられた綿飴が、ふんわり丸い形になっている。
「ふふ、ラオクレスが綿飴屋さんって、なんかいいね」
「そうか?似合わんと思うが……む、その『なんかいい』はライラが言うアレか」
「そうかもね」
ラオクレス作の綿飴を受け取って、早速、湿気る前に食べる。ふわっ、とした口当たりの後、しゅるしゅる、と溶けていってしまうこのかんじ。僕、綿飴、結構好きだよ。
「……それにしても、すごい規模のお祭りになってしまったね」
僕はなんだか不思議な気分になりつつ、周囲を見回す。
夜のソレイラを照らす、提灯みたいなランプみたいな、光る植物の明かりの下。大通りにはずらりと、屋台が並んでいる。
さながら、僕の世界でのお祭りみたいに。
「そうだな……森の騎士団だけで運営するつもりが、こうなるとは」
……実は、今夜は『森の騎士団によるちびっこ夏祭り』が開催されています。
ことの発端は単純で、ラオクレスが剣や簡単な読み書きを教えている例の学校で、何か催し物をしたいね、という話になったらしい。
例の学校は元が騎士養成学校だったこともあって、まあ、森の騎士団がたくさん関わってくれているんだけれど……そこで、騎士の皆さんが『なら祭を開くか』っていうことになったらしい。学校に通っている子供や、そうじゃなくてもソレイラに住む子供達に楽しんでもらおうか、って。
……ただ、そういう催し物のノウハウがあまり無かった森の騎士団、町の皆さんに相談して回ったんだそうだ。
そうしたら町の人達が『なら私も協力しましょう』『なら私も』って始まって……最終的に、『ソレイラの子供達の為のお祭りということだが、その子供の中には精霊様も含まれるのでは?』とよく分からないことを言いだした人が居たせいで、『なら精霊様に捧げる祭りとして、大規模にやろう!』となってしまって……。
……そうして、今夜のお祭りになりました。
騎士達が交代で警備と出店の運営をしていて、その間を町の子供達がきゃあきゃあとはしゃいで駆け回っている。そして子供達だけじゃなくて、ソレイラの人達、皆が楽し気に参加していて……さながら、僕の世界の夏祭りのようだ。
何と言っても、騎士団の屋台のアドバイザーになったのが、ほら、先生だったみたいで……そうしたら自然と、並ぶ屋台は『焼きそば』とか『焼きトウモロコシ』とか『りんご飴』とか、そういうかんじになってしまった!いや、勿論、ソレイラで普通に食べられているものの屋台もいくらかはあるんだけれど……。
なんだか不思議な気分だなあ。異世界に、夏祭りが再現されてしまった……。
ラオクレスに「まあ、ゆっくり楽しんでこい」と送り出されて、僕は町の通りをのんびり歩く。不思議な夏祭りの空気に何となく、わくわく、そわそわ。
するとあちこちから『トウゴさん!こちらもいかがですか!?』って色んな人が声を掛けてくれるので、それを丁重にお断りしたり、断り切れずに貰ってしまったりして、更に道を歩いていって……。
「いらっしゃい!射撃だぞー!どうだー!?遊んでいかねえかー!?……あっ!トウゴ!ちょっと寄ってけよー!」
「な、なんでフェイも居るの?」
なんと!フェイが楽しそうに屋台に居るのを見つけてしまった!フェイは法被にねじり鉢巻きというスタイルで、簡単な作りの弓を持っている。どうやら射的屋さん、らしいんだけれど……。射撃屋さん、になっているのはご愛敬なのかな。
「お?トウゴ、どうしたんだ?やってけよー、なーなー」
「いや、ごめんね、フェイ。今、頭の中で『ここは異世界だっけ?』って考えてるところ……」
これも先生の差し金だと思うんだけれど、確かになんとなく、屋台といい、フェイや騎士達の恰好といい、こう、古き良きジャパニーズスタイルというか……うん、そういうかんじなんだよ。だから、こう……混乱する!
混乱が収まったところで、僕は改めて、フェイの射撃屋さんへ。僕の横では子供達が小さな弓を構えて、一丁前に狩人の目をして的を睨んでいた。けれど、僕が近づいたことに気づくと、子供達は皆笑顔になって、『ふわふわ町長さま、こんばんは!』と挨拶してくれた。……ふわふわ町長さま、とは!
「よーし。トウゴの弓はこれな。矢は5本!的に当たったところの合計点で景品が決まるから頑張れよ!」
フェイが笑顔で弓と矢を渡してくれる。矢は先が丸くなっているし、なんだかちょっと柔らかい素材でできているものだ。面白いなあ、これ。
……子供達が見ている前だし、『ふわふわ町長さま』なんて言われてしまった後だし、なんとか名誉挽回できるといいなあ、と思いながら、僕は弓を構えて……。
矢を放すと、ぽよん、と、矢は見当違いの方へ飛んでいってしまった。ああああ……。
「町長さん、大丈夫?」
「矢を離す時にさ、弓の方が動いちゃ駄目なんだぜ!」
しかも子供達にアドバイスまで貰ってしまった!
「大丈夫。ええと、弓矢なんて初めて触ったから、撃ち方がよく分からなくて……でももう分かったから」
けれども初めての弓矢にしては上手くいったと思うんだよ。うん……。
子供達の『大丈夫かなあ』みたいな視線をなんとか振り払うべく、僕は2本目の矢を番えて、ちゃんと的を狙って、構える。1回目でなんとなく、感覚は分かったから大丈夫……だと思う。
頭の中で推測できた弓矢のコツをなぞりながら、気を付けて気を付けて、矢から手を離すと……ぱすっ、と音がして、矢はちゃんと、的に当たっていた。
おおー、と、子供達とフェイから歓声が上がるのが嬉しい。嬉しい中で3本目。
2本目で的に当たった時、どこに撃ったらどこに当たるかが大体分かった。だから『こんなものかな』と見当をつけて矢を射れば……ぱす、と音がして、的の真ん中にほど近いところに矢が当たる。
……それから4本目と5本目も、それなりに真ん中に近いところに当てられた。ああ、よかった。子供達も目を輝かせて『町長さんすごい!』『ふわふわ様って弓、上手なんだね!』と褒め称えてくれた。……これでも僕、あくまでふわふわ様、なんだね!
「よお、トウゴ。かなり奮闘したじゃねえか!」
僕が弓を置くと、フェイが『これ景品な!』と、妖精印のインクの小瓶をくれた。
……このインクは、描いたものがふわっと宙に浮きあがってしばらくふよふよ漂っている、という、なんとも変わったインクなんだよ。浮いている時間はほんの3分くらいだけれど、これが中々面白くて、今、ソレイラの子供達の間で流行ってる。それの金色バージョンだ。これはちょっとお高いから、ちょっといい景品っていうことなんだろうなあ。
「お前、本当に弓を触るの、初めてか?」
「うん。初めて。理屈は知ってたけれど……」
「まじかよ。すげえよ、これ」
フェイが目を円くして驚いているのがなんだかちょっと恥ずかしくて、嬉しい。
「お前、器用だもんなあ……弓を引く筋力さえありゃ、本物の弓も引けるだろうし、そうすると、とびっきりの射手になってたかもなあ……」
……どうせ、筋肉は無いよ!
妖精印の金色インクは、その場に居た子供達にプレゼントした。『いいなー』って見てるものだから、つい。皆で仲良く使うんだよ、って言ってプレゼントしたら、皆でにこにこしながらお礼を言ってくれた。ソレイラの子供達はかわいいなあ。
なんとなくいい気分でまた町を歩いていくと……『半月あめ』と書かれた屋台が見つかった。
なんだなんだ、と思いながら屋台を覗いてみると……。
「あっ、!トウゴ!丁度良かった!これ、余っちゃったから食べて!」
「へ!?あ、ライラ、あの、ちょ、んむっ!」
……屋台に居たライラが、僕の口に何かを突っ込んできた。うわうわうわ、人の口を何だと思ってるんだ!
「どう?美味しい?」
「へ?……うん。ほいひい……」
口いっぱいに何かが入ってしまっているので上手く喋れないんだけれど、ふわっ、と柑橘類みたいな爽やかな香りがして、ほのかな酸味とひんやりした甘さが口に広がる。この味は月の光の蜜だな。どうやら月の光の蜜を煮詰めて飴にしてあるらしい。
ちょっと歯を立ててみたら、ぱり、と飴が割れて、中からジューシーなオレンジの果肉が出てきた。じゅわ、と果汁とシロップが口の中に溢れて、爽やかで甘酸っぱくて、とても美味しい。
「これ、美味しいでしょ。オレンジを房ごとに分けて、薄皮を剥いて、それを月の光の蜜のシロップで煮込んでからよーく冷やしておいて……そこに、月の光の蜜の飴を掛けるのよ」
ライラが自慢げにしている横では、妖精達が小さな鍋でオレンジの飴掛けを作っている。成程なあ。オレンジの果肉一房分に月の光の飴が掛かって、ほんのり光っていて……半月っぽい。見た目も味も、中々いいね。
「でもこれってさ、あんまり放っておくと飴が湿気って美味しくなくなっちゃうから……うっかり作りすぎると勿体ないのよね」
「あ、僕に食べさせたのって、それ?」
「そうそう!妖精さん達がさっき注文を間違えて作っちゃった分!」
ねー、とライラが妖精達に向かうと、妖精達は『そうなんですよ』とばかり、ちょっと恥ずかしそうに頭を掻いている。まあ、間違っちゃうことは誰にでもあるよ。
「これ、金柑の甘露煮で作ったら満月飴になるだろうか」
「あ、それいいかもね。次にやるときは満月飴もやってみようかな」
早速、妖精達が『そのアイデアはいいね!』みたいにメモをとり始めたのを横目に、僕は硬貨を何枚か、カウンターに乗せる。ライラは「気にしなくていいのに。どうせ廃品処理だから」って言ってくれたけど、それも申し訳ないし……それに。
「もう1個、買おうと思って。とっても美味しかったから」
「あ、そう?なら、毎度あり、ってことで!」
ライラはにんまり笑って硬貨を受け取ってくれて……その横では妖精達が張り切って、半月飴をこしらえてくれた。どうもありがとう。美味しく頂きます!
半月飴を美味しく頂いて、またのんびり通りを歩く。時間はもうちょっとあるなあ、と思いながら、周りを見回して……。
「……なんだろう、あれは」
僕は、『まおーん掬い』という屋台を見つけてしまった。な、なんだこれ。
あまりにも気になったので立ち寄ってみると……大きな大きなタライに水が張ってあって、その中にきらきら光る宝石がたっぷり入っているのが見えた。そして。
まおーん。
……魔王が、『一回銅貨一枚』と書かれた札を首から下げて、小さな棒付き網を僕に差し出してきた。
「じゃあ、折角なので……」
僕は魔王の腰の巾着の中に銅貨を一枚入れてやって、まおんまおんと嬉しそうな魔王から網を受け取る。
……ええと、これで掬っていいんだろうか。
戸惑いつつもタライに網を突っ込んで、水の底に沈んだ宝石をそっと、掬い取る。網を引き揚げてみたら、網の中にはいくつもの宝石が入っていて……魔王は、まおん、と鳴いて、僕から網をそのまま受け取る。
魔王は網の中の宝石を布の袋に移し替えてくれて、まおん、とそれを差し出してくれた。
「あ、ありがとう……」
お礼を言ってそれを受け取る。……ええと、いいんだろうか、これ。
ちょっと色々心配になったので、袋に入れてもらった宝石を確認してみる。……すると。
「……あ、成程。これ、ガラスかあ」
よかった。魔石とかの類じゃなくて、これ、ガラスだった。綺麗にカットされて、ころころした宝石みたいになっている色硝子。成程ね、これは綺麗だし、子供達が持っていても別に戦争にならないし、丁度いい。
……あ、いや、待てよ?この世界って、ガラスはあるけれど板ガラスはちょっと高価、なんだよね?瓶もガラス瓶ばっかりじゃなくて、陶器の瓶が結構多いし。
つまり、ガラスの加工技術がそんなに高くないわけなんだけれど……。
僕が不思議に思いつつ見ていたら、魔王が屋台の後ろに積んであった色ガラスの塊を、まおん、と鳴きつつ飲み込んだ。……そして、まおーん、というのんびりした声と共に出てきたガラスは、もう、宝石の形になっていた!
成程、どうやら魔王は、自分の体の中でガラスを部分的に吸収して、残った部分が宝石の形になるようにしていたらしい。器用だなあ。
……そして、やっぱり、この魔王の能力っていうか技術っていうか、相当なものじゃないだろうか、と思う。う、うーん、つくづく魔王って、不思議な生き物だなあ。
それから僕は『骨の騎士団の骨付き肉屋さん』(大きな大きな骨付き肉をじっくりこんがりローストして、注文した分量だけナイフで削ぎ落して売ってくれる。)とか、『馬のドーナッツ屋さん』(一角獣が角でドーナツの生地に穴を開けてくるくる回して形を整えて、油の中にぽいっと投げ込むパフォーマンスが人気。女性騎士がそれを揚げてお砂糖をまぶして完成。時々馬がつまみ食いする。)とか、『鳥さん触れ合いなでなでコーナー』(鳥が撫でられて満足気。)とか、色んな屋台や企画を見て回った。
……『鳥さん触れ合いなでなでコーナー』では、何故かルギュロスさんが鳥に掴まってお腹の下に入れられていた。「おい!暑いぞ!やめろ!」とルギュロスさんが騒いでいたので、僕は隣のかき氷屋さんで買った桃シャーベットを、そっと、お腹の下のルギュロスさんに差し入れしておいた。鳥の気が済むまで頑張ってね。
「全く、酷い目に遭った……」
それから少し見守っていたら、鳥がようやくルギュロスさんを解放してくれたので、ルギュロスさんは近くのベンチに腰かけて、桃のシャーベットを食べ始めた。美味しそうだったので、僕も買ってきて食べる。ひんやり甘いおやつは、こういう夏の夜にぴったり。
「何なのだ、あの鳥は」
「えーと、態度と体がでっかい鳥」
「それは見れば分かるが」
ルギュロスさんは、むすっ、としながら桃のシャーベットを食べ進めていく。まあ、そうだよね。鳥のお腹の下、この季節にはちょっと暑いよね……。
「ところでルギュロスさん、暑そうな格好してるね」
ちなみにそんなルギュロスさんは、しっかり長袖のシャツにジャケット、という恰好をしている。見ていて非常に暑い。
「当然だ。貴族たるもの、見苦しい恰好はできん」
「成程、見栄っ張りだ……」
同じ貴族でもフェイは夏場は半袖になるし、森の中では全部脱いでTシャツに着替えてることもある。ちなみにTシャツは、『熱い男』って書いてあるやつ。あのね、先生が書いて出したらしいよ、これ……。
「ふん、当然だ。こちらはアージェント家領主だぞ。レッドガルドの放蕩息子などと一緒にされては困る」
「あ、ルギュロスさんもそこで真っ先に考えるの、フェイのことなんだね」
なんだか嬉しいなあ、なんて思いながら、なんとなくにこにこしてしまっていたら、ルギュロスさん、『一体何を言っているんだ』みたいな顔をして僕をじっとり見てきた。いや、でも、僕としてはあなたがフェイと仲良しなようで嬉しいんだよ。
それからちょっとルギュロスさんと雑談しながら過ごしていたら……そろそろいい時間になってきてしまった。
「あ、そろそろ行かなくちゃ」
時計を見て僕が立ち上がると、ルギュロスさんはちょっとだけ寂しそうな顔をした、気がする。
「何か予定があるのか?」
「うん。先生と約束してるんだ」
そう。僕、この後、先生と待ち合わせしてる。
ルギュロスさんには『フェイの射撃屋さん行ってくるといいよ。きっとルギュロスさんなら最高得点が狙えるよ』って教えてあげたので、多分ルギュロスさんも寂しくなく過ごすことができるだろうし……僕は安心して、ソレイラの北の一角へ向かう。
ソレイラの北の方は、屋台が大分少ない。屋台は大体、南の方に固まってるんだ。ほら、騎士団詰め所があるのも、町の商業施設があるのも、大体は南の方なので。
じゃあ何故北に来たか、というと……北は主に、イベント会場だからだ。
そして今日、妖精ショーなるものが開催されるらしく、先生はそれを見るのに僕を誘ってくれた、という経緯。
最近、先生は随分忙しいみたいで、僕と一緒に妖精ショーを見る時間を捻出するのも大変そうだったんだけれど……それでも誘ってくれたから、とても嬉しい。
ソレイラ北部に到着してみると、既にちらほらと人が居た。僕はその中をのんびり歩いて、先生との待ち合わせ場所にしてある『森の鳥さん像』前に立つ。
……この石像は妖精が楽しそうに作って設置していったやつだよ。彫刻としてもなんだかいい出来栄えだし、いつのまにかちゃっかり、こうして待ち合わせ場所に使われはじめているので、撤去はしないでそのままにしてある。
森の鳥さん像のふっくら丸いフォルムを眺めていたら、喧噪の向こうから、からん、といい音がしてくる。
その音で気づいて僕が振り返ると……案の定、先生がやってくるところだった!
「お待たせ、トーゴ!すまんな、遅くなってしまった」
「ううん、そんなに待ってないよ。ところで、先生も浴衣なんだね」
「ああ。折角だからな」
先生はアイボリーの地に土色で模様が入った浴衣に苔色の帯、それに下駄、という恰好でそこに居た。『夏祭りだからな!』っていうことらしいのだけれど、これが中々、似合うんだ。
「トーゴも中々涼し気だなあ」
そして僕は、白地にブルーグレーで模様が入った浴衣に藍色の兵児帯だ。帯はライラが最近染めた奴をくれた。なのでつい嬉しくて、それで来てしまったんだ。兵児帯を着けていると『なんかふわふわしててあんたっぽいわね』ってライラに言われちゃうので、それだけ複雑な気持ちになるんだけれどね……。
「……ところで、浴衣ってこの世界においては不思議な衣装なのかい?『おや、ウヌキ先生、精霊様に愛されているんですね?』とか言われたんだが」
「あっ、うん……ええと、精霊印の服、みたいな扱いになっちゃってるかもしれない……」
一応、温泉には浴衣を置いてあるけれど、浴衣っていうよりはローブっていう方が近いものになっているようだし、僕らが今着ているような、すとん、とした形の着物の類はこの世界では珍しいね。
「まあ、森の騎士の皆さんやフェイが法被を着てくれていたから、その内、ソレイラに着物文化がちょっとは浸透しそうな気がするけれど」
「祭の日の衣装、ぐらいの扱いになるかもなあ。ま、そういうことなら我らはちょっと流行を先取りしちゃいつつお祭りに浮かれる2人、ってところか。中々悪くないじゃあないか」
先生はにやりと笑って、からん、と下駄を鳴らして歩き出す。
「さて。じゃあ少し移動しようか、トーゴ」
「うん。どこまで行くの?」
「ちょっと見晴らしのいいところまで、ってところだな」
歩き出した先生の後にくっついて、僕も早速、歩き出す。何があるんだろう。わくわく。
「よし、ここだな」
やがて先生はソレイラ北の一角……小さな広場になっているところにやって来た。低木に囲まれた場所なので落ち着くのだけれど、周りを見るにはちょっと不適切な気がする。
「先生、ここからだと妖精ショーがあんまり見えないんじゃないだろうか」
「なあに、案ずるな、トーゴ。そこは既に対策済みさ!」
けれど先生はウインクなんてしちゃいつつ、もそもそ、と屈んで……広場の隅っこに生えていた葉っぱの前に陣取る。
……ええと、葉っぱは普通のはっぱに見える。本葉が出てきたばっかりで、糸みたいな蔓がちょこん、と伸びているような。
「これは妖精さんの魔法の植物なのだ。こうやってくすぐると……ほら!」
けれども、先生が指の先でこちょこちょ、とはっぱをくすぐると、葉っぱがくすぐったがってもじもじして、それから、ぽん、と。一気に伸び上がって、大きくなった!
「わあ、びっくりした」
「そう!これはこうやって伸びて、台や椅子になってくれる葉っぱなのだ!ということで、ささ、どうぞどうぞ」
「あ、お邪魔します……」
すっかり伸び上がった葉っぱは、もう、僕や先生の背丈を超えるくらいの高さだ。踏み台になるような葉っぱが数枚あって、そして、その先には大きな葉っぱが4枚。座面と背もたれみたいになっているその葉っぱに、よいしょ、と腰かける。先生もやってきて、よっこいしょ、と僕の隣に腰かけた。
大きく成長した葉っぱのベンチは、中々に座り心地が良かった。妖精はすごいものを作るなあ。
それから、先生が買ってきたおやつや僕が描いて出した飲み物なんかを準備していると、『間もなく、ソレイラ北部において妖精ショーが開催されます。皆様、是非ご覧ください』と、クロアさんの声のアナウンスが聞こえてきた。……今日のクロアさんは鶯嬢らしい。ぴったりだ。
ちなみにソレイラには放送機器がちょっと整備されている。最近、フェイが試しに作った道具なんだ!
「そろそろ始まるかな?」
「うん。楽しみ」
僕らはうきうきわくわくしながら夜空を見上げる。今日は晴天。ちょっと雲があるけれど、概ね晴れた夜空の下、段々、観客が増えてきて、僕らの葉っぱベンチからも、人々が楽し気にしているのが見えて……。
……そして、ショーが始まった。
ソレイラの音楽隊が演奏する音楽をバックに、妖精達が踊る。
妖精達がふんわり光りながら、夜の空を飛び回る。さながら蛍のようで、どことなく郷愁を感じさせる光景だ。いや、僕、蛍の実物を見たことは無いんだけれど。
しゃらしゃら、きゃらきゃら、と聞こえてくるのは妖精達の歌声なのかもしれない。僕らには意味の分からないその言葉が、夏の夜に漂って何とも涼し気で、これは中々いいなあ、と思う。
「描かなきゃ」
「うむ。僕も書かなきゃあなあ」
そして僕ら2人、並んでそれぞれ、スケッチブックとメモ帳を取り出して、描いたり書いたり。
妖精達が自分達の光で生み出す模様は、何とも幻想的だ。これは筆が進むというものだよ。こういう光景は元の世界じゃあ絶対に見られないやつだなあ。
そうして妖精達の様子をしばらく眺めていたら、妖精達はその内、竹の葉っぱを取り出してきて、それをふりふりやりつつ踊り出した。
……すると、竹の葉っぱから染み出したらしい森の魔力がふんわり光って、空気に溶けて、地上へと落ちてくる。
それに合わせて音楽もちょっと様子を変えて、アップテンポで華やかな曲調になっていく。妖精達の動きも華やかになっていって、くるくるくる、と宙で回転したり、宙返りしてみたり、と、個々の妖精達が楽しそうに動き回っている。
妖精学者の人が見たらとんでもなくびっくりするようなものなんだろうなあ、これ。本来なら、聖域とか、そういう場所でしか見られないようなものなのかも。でも、妖精がとても楽しそうだから、見ている僕らもなんとなく楽しくなる。そんな妖精ショーだ。
「……ねえ、先生。ところであの竹って」
「ああ……最近、ちょっと増えていたのを間引きがてら、ああやってショーの小道具にしたらしいぞ」
も、もしかして竹、ちょっと増えちゃった!?だ、駄目だよ!侵略してこないで!僕のこと、竹林にしちゃ駄目!ああ、後で竹には改めて釘を刺しておかなければ!
そうして妖精達のダンスが終わって、ソレイラ中が拍手に包まれる。妖精達が揃ってお辞儀をして、ぱたぱたと退場していくのを見送って……すると。
『続きまして、森の騎士達による演目です。火薬を用いた火花で夜空に大輪の花を咲かせます。皆様、一瞬の花をどうぞご覧ください』なんていうアナウンスが流れてきた。
あれ、と思っていたら、続いて『尚、この演目は大きな音が鳴りますが、びっくりせず、安心してお楽しみください』とアナウンス。……大きな音がして、夜空に火薬で火花、というと……。
どん、と、音が響く。銃も無いこの世界だから、皆、『何の音だろう?』とびっくりした様子ではあったけれど、事前のアナウンスがあったからか、そのアナウンスにクロアさんがほんのり魅了の魔法を乗せてソレイラの人達を安心させてしまったのか、然程、会場はざわめかなかった。
……けれど、次の瞬間。
ぱっ、と、花火が開いた。
色とりどりの炎で作られた花弁の一枚一枚が輝いて、そして、花開いてすぐ、滴るように火花が落ちていって、夜空に溶けるように消えてしまう。
多分、この世界初の打ち上げ花火は、観客の心を大いに動かしたらしい。そこかしこから歓声が上がる。
続いて、観客の歓声を掻き消すみたいに、もう1発。
また、ぱっ、と花火が開いて、少し遅れて、また花火が消えていく。
……ほんの数秒だけの光景に、僕の目は釘付けになった。
打ち上げ花火……僕、こういう風に見たこと、なかったんだ。写真や映像で見たことはあったけれど、こういう風に実物を見るのは初めてで、それで……。
……思い出されるのは、先生の家の庭で、手持ち花火に火を点けた、あの日のこと。
「打ち上げ花火……なんで、この世界に?」
「そりゃあ、僕の仕業だぜ。トーゴ」
思わず漏れた言葉に、先生はにやりと笑ってそう言う。それから先生は、ふ、とまた、夜空へ顔を向けた。
「約束だったからな」
ぱっ、と咲く花火に照らされた先生の横顔が、少し寂しそうで、じんわり嬉しそうで、見ていると胸が締め付けられるような、そんなかんじがする。
「ほら。君と花火大会でも見に行くか、って、約束しただろう。覚えてないかい?」
「……覚えてるよ。当然」
先生の家の庭で、手持ち花火に火を点けた日のこと、覚えてる。忘れる訳がない。
先生が僕の嫌な記憶を塗り替えてくれた。楽しみなことを作ってくれた。それを、忘れる訳がないよ。
「先生こそ、そんなこともう覚えてないと思ってた」
「おいおい、そんなこと、だなんて!言ってくれるじゃあないか、トーゴ!僕は君と花火を見に行くの、結構楽しみにしてたんだぜ?」
先生の言葉を聞いて、只々、嬉しくなる。嬉しくて、胸か喉かが詰まるような、そんなかんじ。
僕は先生のことが大好きで、先生のことをとても大切に思ってるけれど……先生も、僕のことを大切に思ってくれてる。死んでしまった後でも、こうやって、約束を守ってくれてる。それが、すごく、嬉しい。
「うっかり死んでしまった僕だが、君との約束を果たせて、本当によかったよ」
先生はそう言って、にや、って笑う。
「……ま、そういう訳で、今日は目いっぱい楽しもうじゃあないか!まだまだ夜は長いぜ?なあ、トーゴ」
「うん」
夜は、長い。まだまだ、これから。……それに、夜だけじゃなくて、朝が来て、明日が来て、明後日が来たって、きっと。きっと、楽しいことが、たくさんあるんだ。
「綺麗だね」
どん、と低く音がして、ひゅるひゅる、と笛のように音が響いて……ぱっ、と、光る。色とりどりの火花が濃紺の空に長く長く尾を引いて、落ちて、消えていく。
花火が打ち上げられる度、強い光に照らされて、空に僅かに浮かぶ雲が照らされる。花火の火薬の煙も光に照らされて、なんだか少し不思議な見た目。
……綺麗だった。すごく。
「うむ。夏の夜の花火っていうのは、こう、他にはない風情があるな。華やかでド派手でちょいと煩い割に、ちょっと儚い。そして花火の下には人が集い、出店が集い、煙と食べ物の匂いがして、なんとなくそわそわするこのかんじ!実にいいね!」
先生も満足気ににこにこしていて、僕も嬉しくなる。
「……おや、トーゴ。描かないのかい」
「あ、うん。もう魔法画で何枚かは描いたんだけれど……」
僕はなんだか、こんな気持ちになる自分をちょっと不思議に思いながら、スケッチブックを閉じて、膝の上に置く。
「なんとなく、明日、家に帰ってからゆっくり思い出して、じっくり描きたい気分なんだ」
僕がそう言うと、先生は、きょとん、としてから、じんわり嬉しそうに笑って、僕の頭を撫でた。
「そうかい。なら今はじっくり花火を観察するといいさ。この空気感というのか、雰囲気というのか……そういったものまで味わえるのは今日くらいだぜ、トーゴ」
「うん」
人の賑わい。煙の匂い。お腹の底を揺らすような花火の音。夜空に咲く火花の美しさ。花火に照らされる先生の横顔。
すごく嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、ほんの少しだけ悲しいような、寂しいような、そういう気持ち。
僕、今日のこの景色も、この気持ちも、一生忘れないだろう。
……そうして大盛況の内に、『ソレイラちびっこ夏祭り』は終了した。ちびっこもそうじゃない人達も、大いに楽しんだ。……ソレイラの人達はこういう珍しいものに慣れっこなんだけれど、他所から観光に来ていた人達なんかは、妖精ショーや花火を見て『アレは一体何だったんだ!?』ってものすごく驚いたらしい。
特に、王様。……実は、ラージュ姫とオーレウス王子と一緒にちょっと近くまで来ていたらしくて、遠くから、花火を見ていたんだそうだ。それで、王様の知識に全くない花火という存在を目撃してしまって……びっくりしたあまり、気絶してしまったんだとか。
後でラージュ姫が『全く、お父様は!あんなに綺麗だったのに、碌に見ずに気絶してしまうなんて、勿体ないことをしたものです』と嘆いていたので、今度また、花火大会をやることになるかもしれないね。
……と、まあ、そういう風に評判だった夏祭りなんだけれど。
翌日、午前中に花火の絵をたっぷり描いて満足して、またじんわりと嬉しくなって……さて、おやつを食べに妖精カフェに行こうかな、とソレイラへ下りたら。
町の人から、「トウゴさん!精霊様も花火がお気に召したんですかね?きっとご機嫌なんですね!よかった!」なんて声を掛けられた。
その後にも何人かから、声を掛けられて……その、『精霊様も花火が気に入ったらしい』っていう情報が、何故か、流れていて……不思議に思って、ソレイラを見回りしていたら。
「ああ、トウゴさんこんにちは!見てください、ここにもこの花が!精霊様も祭の花火がお気に召したみたいですね!」
道行く人が指差した先、ソレイラの中の、ちょっとした公園みたいなところの端に咲いていたのは……。
「……は、花火っぽい花だ」
なんと、花火っぽい花だった。
え、ええと……どうやら僕、花火が忘れられないあまり、うっかり、花火みたいな花を町中に咲かせてしまったらしい!ああああ、多分、花火の絵を描いていた時!花火を実体化させないようには気を付けていたのだけれど、森の感覚の方でどこか緩んでいたんだと思う!それで、こういう花が、いっぱい……!
「お花、綺麗ね!」
「花火みたいなお花だから、もしかすると今日中には萎れてしまうかもしれないわねえ」
子供連れのお母さんが微笑まし気に花火の花を見ていたり、道行く人々が花火の花を見て表情を緩ませたりしていく。ついでに何故か僕にも、微笑まし気な表情が向けられて……ええと、その、その……。
……明日までには、この花、片付けておきます……!
お祭りの後には、後片付けが必要だもんね……。ううう。




