あなたへ
ある日の昼下がり。そろそろ暑くなってきた今日この頃だけれど、森は『寒いのは好きだが暑いのはなあ!』という僕と先生の好みによって、ちょっと気温控えめでお送りしております。
それでも日向に居ると汗ばむ気温だし、この世界は屋外での肉体労働が多い世界なので……妖精カフェでは、冷たいメニューが大人気。
「はい。オレンジのジェラート4人前。あとミントティーな。ごゆっくりどうぞ」
リアンが笑って配膳してくれたジェラートとお茶のガラスポットを前に、僕らはにこにこ。
「いやあ、ここの氷菓がとても美味しいと聞いてね!この暑さだ、仕事なんてやっていられるか!ということで来てしまったが……その甲斐はあったなあ!」
「いやはや、全くだ。うーん、妖精さん達は我が家の敷地内に分店を出す気は無いだろうか……」
「どうだろうなー。オースカイア領に分店を出すかどうかはちょっと考えてるらしいけどな!」
……そう。今、僕とレッドガルド家の皆さんとで、妖精カフェの端っこのテラス席を占拠しています。
「美味い!ちょっと暑い日にはこういう、さっぱりしたオレンジ味の氷菓がとてつもなく美味いなあ!」
「涼やかでありながら滑らかな舌触りだ。これは氷の精とリアン君の仕事かな?」
「だろうなあ。リアン、なんか最近どんどん氷の魔法の精度が上がってきてるみたいだぜ」
レッドガルド家の皆さんがわいわいと楽しくジェラートを掬っては口に運び、ミントティーに『さっぱりする味わいだ!』と喜んでいるのを見て、僕はなんだか嬉しくなる。一家団欒のところにお邪魔させてもらって、光栄です。
それから追加でオレンジのシャルロットを頼んで『美味しい!』ってやったり、レッドガルド家の楽しい会話に僕もわくわくさせてもらったり、最近のソレイラの話をしたり、僕が巣ごもりしちゃった時の話をしてフェイのお父さんにもローゼスさんにもにこにこされてしまったり……まあ、そういう風に、楽しく過ごした。
過ごして、いた、んだけれど……。
「おい!レッドガルド!話がある!」
……なんだかすごい剣幕で、ルギュロスさんがやってきた。
「今日、ソレイラの図書館に立ち寄ったが、あれは一体何だ!?妖精達が私に判を持たせて、妙なインクで判を押せ、と、大量の短冊を持ってきたのだが!?」
あ、それ多分、本の仕分け作業用だと思う。ほら、妖精図書館の検索魔法。あれに引っ掛けるために、本の情報を書いた紙に魔石のインクでハンコを捺して管理してるから、ルギュロスさんはそのお手伝いを頼まれたっていうことじゃないかな。
「何故私が入館した途端に妖精達が、さも『ああ働きに来たんですね』とでも言うかのように寄ってきて判を持たせた!?大方貴様が何か言ったのだろう!」
ルギュロスさん、妖精達のハンコ係にされてしまったのが不服だったらしくて、ぷりぷり怒っている、のだけれど……。
「おい、聞いているのかレッドガルド!」
「あ、あのよー、ルギュロス……」
フェイが気まずげに、のろのろ、と挙手しつつ、言った。
「俺、確かにレッドガルド、だけどよー……」
「私もレッドガルドだ」
そしてローゼスさんが嬉々として挙手しながら、言った。
「そして私もレッドガルドなのだよ、ルギュロス君!」
更にお父さんも目を輝かせて、言った!
「そう!つまり俺達3人揃ったところに『レッドガルド』なんて言われても!誰のことか分かんねー!」
そうしてフェイは、ローゼスさんとお父さんと仲良く肩を組んで、『我ら仲良しレッドガルド!』とやっている。
……ルギュロスさんは、唖然としている。ま、まあ、この人、こういう仲良し家族とは縁のない人生だったんだろうしなあ。レッドガルド一家のこの仲良しぶりは、ルギュロスさんからしてみれば謎なんだろうなあ。
「……そ、そんなものは分かっているだろうに、一体何を」
ルギュロスさんはまごまごしながら、ちょっとたじろぐ。けれど、フェイ達、レッドガルド仲良し三人組にじっと見つめられて……ルギュロスさんは、苦り切った表情で、言った。
「……フェイ・ブラード・レッドガルド。お前のことだ!」
ということで、カフェのテラス席にもう1つ椅子が追加されて、ルギュロスさんもやって来た。『茶を飲みに来たわけではないのだが!』とルギュロスさんは言っていたけれど、まあ、諦めて諦めて。
ルギュロスさんのカップに冷たい蜂蜜ピーチティーを注いであげたら、ルギュロスさんはぶすっとした表情ながら、落ち着いてくれた。この人やっぱり、桃が好きなんだろうなあ。
「そういやルギュロスってよー、俺のこと、頑なにレッドガルド呼ばわりだよなあ」
「……レッドガルド家の子息なのだからいいだろうが」
「えー、偶にはフェイって呼んでくれよー。俺はお前のことアージェントって呼ばねえのによー」
そして、早速フェイに絡まれて嫌そうな顔をしているルギュロスさん。
……フェイの言う通り、よくよく考えてみると、ルギュロスさんってフェイのことを『レッドガルド』って呼ぶ。まあ、彼なりの意地の張り方なんだろうから、別にいいんだけれどさ。
「呼び方って結構、面白いよなあ。うーん、例えば……おーい、ウエソラー」
「へっ?」
フェイが唐突に僕の名字を呼ぶものだから、僕、ちょっとびっくりした。
……そして、思い出す。そういえばフェイって、最初に会った時から僕のこと、『トウゴ』って呼んでたから、『ウエソラ』の方で呼ばれたのは初めてだなあ、と。
「ええと、じゃあ……れっど、がるど……うーん、なんだか恥ずかしい」
ついでにお返し、ということで、フェイのことも『レッドガルド』と呼んでみるけれど、なんだか違和感があるというか、ちょっと恥ずかしいというか。
「おー……なんか、学園の同級生みてえだなあ」
「あ、分かる分かる。僕も同じクラスの人に呼ばれるとき、今のフェイみたいなかんじだ」
違和感の正体は多分、これだなあ。そっか、フェイと同じ学校に通ってたら、こんなかんじ、だったのかも。
……ちょっと新鮮で、面白い。すごいなあ。呼び方ひとつで、結構変わるものだなあ。
「呼び方変えてみると新鮮だよなー」
「うん」
「一体何なのだ、お前達は……」
なんだか呆れたような顔のルギュロスさんを横目に、僕とフェイは頷き合って……。
「アージェント家当主さん!」
「勇者ルギュロス殿!」
「な、何なのだお前達は!」
いつもと違う呼び方でルギュロスさんを呼んでみた。案の定、ルギュロスさんはなんだか戸惑いつつ、恥ずかしがっている。ちょっと面白い。
なんというか……ちょっと珍しく、悪戯心がむくむくしてきてしまう、というか……。
「成程なあ」
「成程ね」
「だから何なのだお前達は……!」
僕とフェイはまた頷き合って……そして。
「一丁、いつもと違う呼び方巡り、してみるか!」
「うん!」
そういう結論に、至りました。なんでだろう。……ええと、フェイやレッドガルド一家と一緒に居ると、何となく、悪戯好きな気分になっちゃう、んだと思う!
ということで、その日フェイは僕の家に泊まっていって……翌日。
「おっ!ラオクレス発見!」
ラオクレスの家の前でラオクレスが剣の素振りをしているのを見つけた。まあ、このくらいの早い時間にラオクレスが家の前で素振りをしているのはいつものことなので、ラオクレスがここで発見されるのは別に珍しいことではないんだよ。
「じゃあ、行ってこい、トウゴ!」
「うん」
ラオクレス、びっくりするかなあ、と思いつつ、ラオクレスに近づいていって、ラオクレスは僕が近づいてくるのを見つけて、ちょっと表情を和らげて……。
「トウゴ。今日は早いな」
「うん。おはよう。ええと……エド!」
僕がラオクレスを見上げてそう呼んだ途端、ラオクレスは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になってしまった!
「な、どうした、急に……」
そして、なんだか照れたような渋い顔になったラオクレスは、ちら、と、僕の後ろに居たフェイに目を留めた。
「……フェイの差し金か」
「ははは。半分はそうだな!でももう半分はトウゴの意思だぜ!」
フェイはにこにこ笑って『おはよう!』と元気に挨拶した。ラオクレスは渋い顔で『ああ』と言いつつ、ちょっと落ち着かなげに僕を見降ろした。
「それで……その、急にどうしたんだ。俺をその名で呼ぶことにしたのか?」
「え?ううん。その……偶には、こういうのも新鮮でいいですね、っていう。そういう話」
ということで、僕は昨日の話をラオクレスにしてみる。ルギュロスさんが後でちょっと怒りそうだけれど、まあ。
「成程な……確かに、お前に『エド』と呼ばれると、違和感が、ある、というか……」
そしてラオクレスは、なんだかむずむずしたような顔で、そっぽを向きつつ、言った。
「むず痒い」
「……むずがゆい、のかあ」
ラオクレスの反応がなんだか新鮮で、僕とフェイは頷き合う。
これは、色々実験してみると新たな発見がありそうですね、と。
「ところで今のラオクレスの顔、描いていい?」
「……俺は一体どんな顔をしていたんだ」
「なんか恥ずかしそうな顔だな!」
ついでに、珍しい表情を描くチャンスでもありそうだ!よし!描くぞ!
ラオクレスを描いたら、今度はソレイラの町へ移動する。行き先は妖精カフェの裏手。丁度そこには、出勤前のアンジェとお見送りのリアンとカーネリアちゃんが居たので……。
「女王陛下!行ってらっしゃいませー!」
「頑張ってね、女王様!」
そう、アンジェを呼んでみた。するとアンジェはきょとん、とした後に、照れたみたいな、もじもじとろけた笑顔を浮かべて、『がんばるね』と言って妖精の国へ出勤していった。お勤めご苦労様です。
「……なんだよ、フェイ兄ちゃんとトウゴは変なこと思いついたのか?」
「いやいや、変なことなんて思いついてないぜ、セレス!」
「ちょっと呼び方を変えてみると新鮮だよね、っていう話をしてたんだよ、セレス君」
なんだか怪訝な顔をしていたリアンにも話しかけてみると、リアンは『うわっ、ぞわぞわする』と顔を顰めつつ……にやり、と笑って、フェイを見上げて……。
「フェイ様におかれましてはご機嫌麗しゅう」
リアンは優雅に一礼しながら、そう言った。
「うおおっ!?すげえ!すげえぞわぞわする!」
「だろー。へへへ……で、ウエソラ!どうだ!?ぞわぞわするだろ!」
「ああ、リアンが同級生みたいになってしまった……」
僕に対してはものすごくフランクなリアンを見ていると、まあ、いつも通り、というかんじだ。うう……僕の方が年上なのに。しかも僕、精霊なのに……。
「あら、あら!楽しそうね!私も混ぜて頂戴!ええと……フェイお兄様!」
「おお、妹よ!」
続いてカーネリアちゃんが混ざりに来た。フェイはカーネリアちゃんをひょいと抱き上げて、くるくる振り回し始めた。カーネリアちゃんはきゃあきゃあと歓声を上げつつはしゃいでいる。本当に兄妹みたいだなあ。フェイは赤でカーネリアちゃんはオレンジで、暖色系でいいかんじだ。
「それから、トウゴお兄様も!」
「やっぱりこれは変なかんじだなあ」
フェイがカーネリアちゃんを地面に下ろすと同時、カーネリアちゃんは僕に飛びついてきたので、僕は彼女を抱きとめつつ、くるん、と一回転して元の位置へ。流石にフェイみたいにぐるんぐるんやる腕力は無いです。
「それから……ええと、リアン、様?」
「……ええと、カーネリア、お嬢、様……?」
ついでにカーネリアちゃんとリアンもお互いに不慣れな呼び方をして、ぎこちなく固まって……たっぷり二呼吸後、2人は同時に吹き出して、笑いだした。
そうしてきゃらきゃらと子供達の笑い声が響いていると、妖精達がなんだなんだ、お祭りか、とばかりに寄ってくるので、『そうじゃないよ』と説明することになってしまったけれど……まあ、やっぱりこういうの、新鮮で中々いいですね、ということで。
「おお、魔王様!ご機嫌麗しゅう!」
「魔王様!今日もお掃除してきたの?えらいね」
それから道中、魔王に出会って、魔王から『まおーん?』とちょっと不思議そうな反応を貰ったり。
「精霊様!今日も見回りですか!いや、見回りっつうかおやつたかりに来たんだな?」
「精霊様……っていうのも違うな。ええと、先輩……?」
鳥が僕らに呼ばれて、キョキョン!といつにも増して自慢げに羽を広げるのを見守ったり、描いたり。
「騎士団長!お勤めご苦労様です!」
「骨と鎧の騎士団長は今日も格好いいなあ!」
がしゃ君にぴしり、とした敬礼を返してもらったり。森の愉快な仲間達からも、ちょっと変わった反応が貰えて、僕、満足。
それから僕らは騎士団詰め所へ。ええと、そこにクロアさんが居そうだったので。
「こんにちはー、クロアさん居るかー?」
「あら、よく分かったわね……ああ、トウゴ君も一緒なのね」
案の定、クロアさんはそこに居た。ラオクレスと話しながらお茶を飲んでいたみたいだ。
「森の精霊様にかかれば私の居場所もすぐ分かっちゃうっていうことかしら」
まあ、そういうことです。僕は森なので、森の中に居る森の子達の場所はちゃんと分かるんだよ。森として意識を集中させればね。
「ラオクレスから聞いたわよ、トウゴ君。なんだか面白いこと、してるんですって?」
「うん。皆のいつもと違う表情が見られて、とても描き甲斐があるよ」
ほらね、と僕がスケッチブックを見せると、クロアさんは『まあ』なんて笑いながらスケッチブックを見て……そして。
「じゃあ、私のことは何て呼んでくれるのかしら?」
そわそわ、わくわく、といった様子でクロアさんは僕らを見つめてくる。……なので。
「じゃあ僭越ながら……レディ、お手を拝借」
フェイがクロアさんの手を取って、手の甲にキスをした!わ、わわわ、フェイってこういうこと、サラッとやって絵になるからすごいなあ!
「あらまあ。なんだか照れちゃうわ。ねえ、フェイ様?」
クロアさんも優雅に微笑んで返すものだから、2人揃って絵になる!描きたい!描いた!よし!
「それで、トウゴ君……いいえ、ウエソラ君はどう呼んでくれるのかしら?」
「え?ええと……」
……けれど急に話を向けられて、ちょっと、困る。『クロア』って呼び捨てにするのはなんだか違う気がするし、『レディ』なんて僕みたいな所詮ちんちくりんがやってもなあ、と思うし。『カレン』って呼ばれてもクロアさん、困る、だろうし。そしてクロアさん、苗字が無いし!……うーん。
「……お姉さん」
なので、苦肉の策で、そう、呼んでみた。……すると。
「……まあ!」
クロアさん、頬を紅潮させて、目をきらきらさせて、僕を見つめて……そして、ぎゅっ、と!ぎゅっ、と僕を抱きしめ始めた!うわうわうわ!
「こんな弟が欲しかったわ!」
「クロアさん、離して、離して!」
「クロアさん?違うでしょ?ほら、もう一回呼んでみて!」
「え、えええ……お姉さん……」
せがまれてもう一回呼んでみたら、クロアさん、またなんとも嬉しそうな顔で、またぎゅうぎゅうやるんだよ!離して!離して!落ち着かない!
そうしてしばらくして、僕はようやく解放された。ああ、落ち着かなかった……。
「……何をやっているんだ、クロア」
僕がようやく落ち着いていると、ラオクレスが呆れたような顔でやって来た。
「あら、しょうがないじゃない。トウゴ君がこんなに可愛いんだもの」
それにクロアさんは少し頬を膨らませつつ答えて……それから、ふと、その目を悪戯っぽくきらりと輝かせて、言った。
「ね、エド?」
……途端、ラオクレスが、何とも言えない顔で固まってしまった。
「あら、どうしたの?エド」
クロアさんがラオクレスの胸のあたりを指先でつつきつつ、更にそう言うと、ラオクレスが……ラオクレスが、とんでもなく渋い顔をしている!
「……やめろ。寒気がする」
「あら、そんなこと言わないで?ね、バルクラエド……?」
更にクロアさんがラオクレスの目をじっと見上げてそう言うと、ラオクレスはちょっと目を見開いて、そして、すごい勢いでクロアさんから距離を取った。あれっ。
「……な、何故、今、魅了の魔法を掛けようとした!?」
「えっ……掛けようとしていないのだけれど」
そして混乱するラオクレスと、首を傾げるクロアさんとを見て……その、なんというか、僕とフェイはそっと、退散することにしました。なんだか見ていて僕らまで恥ずかしくなってきてしまう!すたこらさっさ!すたこらさっさ!
「あら、トウゴ。それにフェイ様も。どうしたのよ、そんなに慌てて」
詰め所から出たら、ライラが丁度歩いていた。その手に画材があるので、多分、ソレイラの景色を描きに行くところだろうなあ。完成したら見せてもらおう。
「おお!これはこれは、ライラお嬢様。ご機嫌麗しゅう」
……そしてそこで、フェイがそんな挨拶をした。ついでにライラの手を取りそうだったので、それはちょっと止める。多分ライラはそれやられたら照れちゃうよ。
「ど、どうしたのよ、フェイ様」
案の定、ライラは『ライラお嬢様』っていう呼ばれ方だけで随分照れている!ほら!クロアさんにやるのと同じ調子でライラに接しちゃ駄目だよ!
「あー、これな?呼び方を変えてみよう、っていう企画中。結構新鮮で面白いぜ」
「へー……妙なことしてるのねえ」
「いやいや、これが案外、面白くてね……ほら」
ライラは呆れたような顔をしているけれど、きっとライラなら分かってくれるだろう、と思って、スケッチブックを見せる。するとライラ、ぺらぺら、と捲ってみて、へえ、と目を瞬かせた。どうやらライラにもこの表情の珍しさやこういう表情を描く楽しさが伝わったみたいだ!
「じゃあ……そうね。今日も絵ばっかり描いて、楽しそうね。ウエソラ君?」
「そりゃあ楽しいよ、ラズワルドさん」
ということで、僕らも早速。
……うん。
「ライラは同級生でも違和感が無いからなあ」
「な、なんか私はちょっと変なかんじしたけど……なによ、ウエソラ君、って」
いや、そう言われても。僕はトウゴだしトーゴだし、ウエソラ君なんだよ、ラズワルドさん。
そこでふと、思ってしまう。もし、ライラが同級生だったら。クラスに、絵描きの友達が居たら。
「……ライラが学校に居たら、ずっと楽しかっただろうなあ」
もしかしたら僕は、先生の家以外でも、絵を描けるようになっていた、かもしれないなあ、なんて思う。或いは、絵を描けなくったって、もっとずっと、楽しかったかも。
「そう?ま、それは光栄だけどね。でもさあ、こっちの世界に来る前のあんたって、お絵かき小僧じゃなかったんでしょ?なら、そういうあんた見ててもあんまり楽しくなかったかもね」
でもライラはなんというか、ドライだ。いや、まあ、確かにそうかもしれない。以前の僕だったら、ライラが絵描きだったとしても、ライラに話しかけに行く勇気は無かっただろうし。
「そっかあ……」
「そうよ。私が気に入ってんのはあくまで、絵描きで絵が大好きなふわふわのトウゴ・ウエソラなんだからね!」
……でも、そっか。そういう、僕が好き……。うん。嬉しい。僕も、絵描きで絵が大好きな僕が好きだよ。
……いや、でも、ふわふわな僕は別に好きじゃないよ!
……ということで、フェイとの企画を楽しんだ僕は、夕方。
「ということだったんだよ、先生」
先生の家で報告がてら、ご飯。いや、今日は先生が『以前作りすぎたかえしで牛丼作ったぞ!』って呼んでくれたから。つい。
「成程なあ。確かに、呼び方っていうのは、個性が出る。関係性も出る。今までの付き合いとか、そういうのも、出る。こだわりどころだな。日本語は自分自身の呼び方がたくさんある言語ではあるが……相手の呼び方、っていうのも、中々面白い」
案の定、先生はこの話を気に入ってくれたみたいだ。先生は言葉を扱う人だから、こういうの、絶対に面白がってくれるって思ったよ。
「それにしても、クロアさんとラオクレスのシーンは是非、僕も見たかったね!」
「えええ、あれ見たら照れちゃうよ……」
「いや、そりゃ当然、僕も照れちゃうだろうが、今、丁度そういうシーンを書いていてね……」
先生が悩んでいるのを見て、ああ、先生も誘って一緒に回ればよかったかなあ、なんて思う。確かにあれは、勉強になった。照れちゃうけど。照れちゃうけどさ。
「あっ、なのでトーゴ!君は次に出る新刊、読まないでくれたまえ!ちょっとえっちな雰囲気の奴なのだ!」
そっか。こっそり読んじゃおう。
それから僕は先生と一緒にお夕飯。牛丼とお味噌汁とお漬物。コクのあるかえしの味がよく利いていて、中々美味しい味わい。牛丼の真ん中にぽとりと落とされた卵の黄身がまろやかで、またなんとも美味しいんだよ。
「いやあ、醤油と味醂を大量に出しちまった時にはどうしたものかと思ったが、こうしていけば案外無くなるかもなあ」
「うん。美味しいね、これ」
畳の上、机を挟んで向かい合わせに牛丼を食べつつ、僕らはそんな話をして……そして、ふと、思い出して、言ってみた。
「……ね、護さん」
「うおおわあっ!?」
そしたら、先生がひっくり返ってしまった。そ、そんなにびっくりしなくたって!
「……急にやられると結構びっくりするもんだなあ」
「いや、先生ほどにびっくりした人は居なかったよ……」
びっくりされて僕がびっくりしたよ。まさか、ひっくり返るなんて!
「……じゃ、じゃあ、僭越ながら僕も……その、うーむ……」
そして先生はちょっと落ち着かなげな顔で居住まいを正して、じっ、と僕を見て、言った。
「上空、君……」
……なんとなく、緊張する。なんでだろう。緊張する!
「……違和感がすごいなあ、トーゴ」
「うん……すごいね、先生」
そしてお互い、いつもの呼び方で呼び合って、お互いに緊張が解ける。はあ、なんだかどきどきした。
「うーむ、やっぱり君はトーゴ、ってことにしとかないかい?」
「うん。やっぱり僕はトーゴだし、先生は先生だね」
慣れ親しんだ呼び方っていうのは、やっぱり大事だなあ。『トーゴ』で『先生』には、僕らの歴史が詰まってる、わけだし。いや、歴史っていうにはちょっと烏滸がましいかもしれないけれどさ。
……でも、僕のこと、『トーゴ』って呼んでくれるのは先生だけだし、先生を『先生』って呼ぶのも、僕だけなんだ。
僕はフェイのことを『フェイ』って呼ぶけれど、クロアさんは『フェイ君』だし、ライラは『フェイ様』だし。ラオクレスのことも『ラオクレス』って呼ぶ人と『エド』って呼ぶ人と『騎士団長殿』って呼ぶ人が居るわけだし。
『個性とか関係とか今までの付き合いとかが呼び方に出る』って先生が言っていたけれど、正にそんなかんじだ。
それを確認できて、ちょっとだけ、嬉しいような、そんな気がする。
「そうだなあ。まあ、偶には新鮮で楽しいね。僕も急にラオクレスを『オリエンス殿!』とか呼んでみるか……」
……うん。そうだね。まあ、偶にはこういうのも楽しい、っていうことで。皆のちょっと変わった表情を描きたい時には、これ、すごくいい。
あと、先生をものすごーくびっくりさせたい時には、『護さん』って、呼んでみようかな。
ええと……そうだな、主に、先生が締め切りに追われつつもぼーっとしている時、とかに……。
『今日も絵に描いた餅が美味い』の3巻の予約が開始しました。最終巻です。いわゆる打ち切りですが、書籍だけで物語がきちんと完結するように書いてございます。ということでどうぞよろしくお願いします。




