森の白百合*2
……ということで、僕の方の悩みも説明した。もう説明しました。口に出すの、何となく恥ずかしくて嫌だったんだけれど言ってみたら少し気が軽くなったような気分になれたから、案外悪くなかったかもしれない。
「成程なあ。そういうケースなら……うーむ、確かに、『実は男でした!』と安直にやっちまうのは危険かもしれないなあ……」
「逆上して森に火を点けられそうだもんね」
先生が神妙な顔で頷いているのを見ながら、僕も頷く。この異世界で僕は、作るのは難しくても壊すのは簡単だと学んだので。
……と思ったら。
「いや、そうではなくてだな……そのヴィオロン君とやらはサクラちゃんの見た目が可愛かったから追いかけているんだろう?中身がどうとかそういう話ではなさそうだが」
「うん」
「なら、見た目が可愛ければ男の子でもいいやってなるかもしれない。僕にはよく分からんが世界には変態がいっぱい居るんだぜ、トーゴ」
……そうなのか。そっか。うん……うん……。
「先生も、変態……?」
「いや僕は……うーむ、しかし、男は皆、変態だっていうからなあ……。となると、僕は無害な変態ということになるのかもしれない……」
「そっか。じゃあ僕も無害な変態さん……」
よしよし、と僕が頷くと、先生とフェイがちょっと何とも言えない顔をした。……先生が変態さんなんだったらいいだろ、僕も変態さんだって……。
「じゃあやっぱりトウゴは女装かあ。災難だなあ」
「うん……」
そして、まあ、どうやら僕は女の子の恰好をする羽目になりそうなので……うん……。
「……ねえ、ウヌキ先生。私、思ったんだけどさ」
そこでライラが挙手して、発言。
「先生が『ヴィオロンはサクラ・ロダンのことをさっぱり忘れた!』とか書いたら一発なんじゃないの?」
……そうだね。そうだった。
先生は書いたものを現実にできちゃう人で、しかも、目に見えないものをどうこうするのはお手のものなんだった!
けれど先生は腕組みしつつ、唸る。
「ううーん……まあ、確かにそうなんだが。だがなんというか、それは僕の信条に反する。文章を具現化できるからといって、それで人の心を動かすっていうのは……なんというか、字書きの名折れってもんだろう」
「あー……成程ね。ちょっと分かったわ。私とかトウゴとかが森を描く時、キャンバスに『ここに森があります』って文字で書くようなもん?」
「そういうもんだ」
「成程、それは僕としても絵描きの名折れ……」
想像して、分かった。それは確かに僕らのプライドが許さないやつだ。そうだよね。何のために僕ら、絵を描いているんだっていう話だよ。確かに僕も絵を描いたら実体化する人だけれど、僕は実体化させるために絵描きになったわけじゃなくて、絵を描きたいから絵描きになったわけであるので……うん。
僕とライラ、ついでにフェイも納得したところで、けれども先生はちょっと悩まし気に唸る。
「いや、だがしかし、トーゴの身に危険が迫っている中だからな、名折れだのなんだの言っている訳にはいかん。よし、僕は書くぞ!」
「うーん、いや、先生は書かなくていいんじゃないかな」
なので僕は、ついつい言ってしまった。
「確かに危険が増すのかもしれないけれど、増えたら増えたでその時だよ。先生の文章も僕やライラの絵も、僕は大事にしたい」
意地っ張りじゃないかな、とは自分でも思うし、そのせいで危険が増すなんて馬鹿らしいとも思うけれど……でも、張りたい意地が、あるので。僕の、いや、僕らのそれぞれの表現に対する意地って、決して、蔑ろにしていいものじゃないって思っているので。
……それから。
「それに……ラオクレスを侮辱したの、ちゃんと訂正してもらいたいし。それから……えーと、その、実は、ちょっとだけヴィオロンさんと話してみたくて。あの人、芸術に興味があるみたいだったから……もしかしたら、仲良くなれるかもしれないし」
どうでしょうか、という気持ちで皆を見てみると……。
「……トウゴぉ、お前のその、真っ直ぐな姿勢、すごくいいと思うけどな?でもな、ヴィオロンについてはあんまり仲良くしようとしない方が……いや、まあいいかぁ!」
フェイが真っ先に、折れてくれた!
「よし!じゃあ条件付きでヴィオロンとサクラ・ロダンの会談の席を設けるか!で、俺も混ざる!俺もヴィオロンと話す機会、欲しかったし!」
「そういうことなら会場は妖精カフェにしておいてよ。そうしたらクロアさんと私が居られるからさ、最悪、何かあってもクロアさんがどうにかしてくれるし、私だってヴィオロンをトウゴから引っぺがすぐらいできるしさ」
ライラもにんまりしながらそう言ってくれるのだけれど……いや、ライラは、その、ちょっと、あんまり見られたくないっていうか……うう。
「僕も同席するかなあ……いや、通行人Aとして参戦、っていう方がいいか。それでもし、どうしようもなくヴィオロン君がトーゴに危害を加えそうだったなら、その時は僕の矜持なんざポイッとやってしまおう。書いて解決するぞ」
そして先生もそう言ってくれたので……うん。
無事……いや、無事、っていうかんじでもないけれど。
僕は、もう一度『サクラ・ロダン』としてヴィオロンさんと会うことになりました。
フェイがヴィオロンさんに『ロダン商会は無かったけど、サクラっていう女の子なら見つけたぜー』と連絡を入れてくれた。そうしたらヴィオロンさん、二つ返事で『会う』とのことだった。やっぱりあの人、友達が居ないんだろうなあ……。
それからフェイとヴィオロンさんとで何度かやり取りしてもらって、『妖精カフェでお話しすること』『フェイも同席すること』『カフェなので当然、他のお客さんも居ること』なんかを了承してもらって……そして。当日。
「ふふふ……またトウゴ君を可愛くできるなんて嬉しいわ」
「僕はあんまり嬉しくないんだけれどね……」
僕はクロアさんによって女の子にされました。ううう……でもしょうがない。ラオクレスの不名誉はちゃんと訂正したいし。うん。よし、頑張るぞ……。
ということで。
僕はフェイと先生と一緒に妖精カフェへ。いつもの端っこのテラス席に案内されて、そこに座っておく。……他のお客さん達も、僕を見ている気がする。やめてやめて、あんまり見ないで!恥ずかしいよ!
「よし。じゃあ僕はここに陣取ろうかな」
けれど、先生が僕とフェイのテーブルの横にそっと陣取ってくれて、ちょっとだけ視線を遮ってくれた。ありがとう先生!
先生の向かいにはいつの間にやらやってきた魔王がちょこんと腰かけて、クロアさんにおせんべと煎茶を注文していた。ぱりぱりぱりぱり、とおせんべを齧る音と、まおーん、というのんびりした声をBGMに聴いていたら、なんとなく緊張がほぐれてきた。
そうして先生もいつの間にか、魔王の御相伴に与っておせんべを食べたり、煎茶を飲んだり、羊羹を食べたりし始めたところで……。
「おっ!ヴィオロン!こっちこっち!」
店の入り口にヴィオロンさんが現れた!……よし!頑張って振るぞ!
……そうして僕らの席には、女装した僕、フェイ、ヴィオロンさん、という3人が着くことになった。ヴィオロンさんとしてはフェイが同席しているのが嫌みたいなのだけれど、僕はフェイが居てくれた方が心強いのでこのままで……。
あ、あと、ヴィオロンさんとしては、隣の席で魔王がぱりぱりおせんべを齧っているのも気になるらしいのだけれど、ぱりぱり、ずずず、まおーん、みたいなBGMがあると僕は大変に落ち着くので……。
「ええと……お久しぶりです」
ヴィオロンさんが周囲をきょろきょろ見回している間に、僕は早速、挨拶を済ませてしまう。
「あ、ああ……サクラ嬢も、お変わりないようで」
僕も緊張しているけれど、ヴィオロンさんも緊張気味なようだ。まあ、そうだろうなあ。彼からしてみたら、完全にアウェーな状況だし。
「あの、初めに1つ、いいですか?『お父様』のことで……」
なので早速、僕からどんどん仕掛けていく。今日の僕はいつもより積極的なんだよ。やけっぱちとも言うよ。
「……その、ラオクレスさんには何も非は無いんです。実の父娘でもなく、愛人関係でもなくて……ただ、あそこへ行くのに、ラオクレスさんに一緒に来てほしいと私がお願いしたんです」
最初にすべきことはラオクレスに掛けられた不名誉な疑惑の払拭だ。彼が『一回り以上年下の女の子を愛人として囲っている』なんて噂が立ったら、あまりにも申し訳ない!
「なので、彼には不名誉なことなんて何も無いんです。誤解をされていたら、とても悲しいので、その……」
「あ、ああ。分かっているとも。大丈夫だ。その……あなたの言葉を信じよう。森の騎士団長殿は誇り高き人物だと聞いている」
……あんまり上手く言えなかったような気がするけれど、ヴィオロンさんにはちゃんと伝わったらしい。よかった!
「ああ、よかった!変な誤解をされているんじゃないかって、ずっと不安だったんです!」
思わず心の底からほっとして、笑顔になってしまう。よかった。ラオクレスの不名誉をちゃんと払拭できたなら、目的は1つ達成された!
さて、じゃあ早速だけれど、次の目的を、と思ったら……。
「……では、その……サクラ嬢」
「あ、はい」
ヴィオロンさんが話し始めたので、僕は出しかけた話を一旦引っ込める。なんだなんだ。
「その、森の騎士団長殿があなたのパートナーではない、ということなら……あなたには特定の異性が居ない、ということか?」
「え?あ、はい……」
……僕、思わず身構える。これは、これは、来るぞ。向こうから、来たぞ。
「そういうことなら……どうか、私との交際を考えては頂けないだろうか」
差し出された小ぶりな花束。ヴィオロンさんの真剣な表情。そして固まる僕。隣で笑いをこらえているフェイ!そしてソワソワしている先生に、まおーんとマイペースな魔王!
「ご、ごめんなさい。そのお話はお受けできません……」
……僕は周りの人達の存在に勇気をもらいつつ、ちゃんと、ヴィオロンさんを振りました!よし!
……ただ。
「まあ、そうだろう。申し訳ない。突然、こんな申し出をして。不躾だった」
ヴィオロンさんはそう言ってちょっと申し訳なさそうな顔をすると、また、そっと花束を差し出してきた。
「ではこちらは、友好の証として。どうか受け取ってほしい」
「あ、はい……」
花に罪は無い。クロアさんも言っていたけれど、花を捨ててしまうのは心が痛む。
だから僕はそれを受け取って……それから、ヴィオロンさんは言う。
「まずは友人として、これからもどうか、お付き合いいただきたい」
うん。まあ、それはいいんだけれど。僕もヴィオロンさん、できれば友達になりたいって思ってた。
……いや、よくない!僕はいいけど、ヴィオロンさんからしてみたら、よくない!
つまりこれって、サクラ・ロダンのことを全く諦めていないっていうことじゃないかな!?
僕としてはヴィオロンさんと友達になるのは一向に構わないけれど、この人、多分、そういうつもりで『友好の証』なんて言ってないぞ!なんてこった!
……ということで、僕が1人、どうしようどうしよう、と慌てていたら。
「あー……ヴィオロン。悪いんだけどよ、こいつは駄目だ。本当の意味で『友達』になるってんならいいけどよ、でも、少しでも恋人にする気が残ってるっていうんなら、やめてくれ」
フェイが、何か助け舟を出してくれる。
「なんだと?」
ヴィオロンさんは当然、ちょっと気色ばむのだけれど……。
「こいつな?こいつは……その」
フェイは、宙に視線を彷徨わせつつ、言った。
「そ、その……そう!妖精!妖精なんだ」
……うん?
「よ、妖精……?」
「そう。妖精。だから普段は人間の町には居ねえの。たまーにこっちに来るけど、普段は妖精の国に居るんだよ!」
フェイが。フェイが……なんだか、すごい嘘を吐いている。
いや、妖精、って。あの、フェイ。ねえ、フェイ。あのさ。ねえ。僕、僕……どういう顔をすればいいの!?
……い、いや!僕が戸惑っていたら駄目だ。当事者は僕だぞ。そして僕はソレイラの町長で……ソレイラに火を点けられないように穏便にヴィオロンさんを振らなきゃいけないんだ!よし!
「そ、そうなんです。だから、私、人間の男の方とは、ちょっと……ごめんなさい」
種族が違うんですよ、ということを前面に押し出しつつそう言って、改めてお断りする!
……すると。
「……種族の違いなど、関係無い」
ヴィオロンさんは、そう、言った。……うん。
「私はいくらでもあなたを待てる。一月に一度、いや、一年に一度の逢瀬しか望めないとしても、それでもあなたを想おう」
「え、あ、あの」
そういう話ではないです。そういう話ではないんですよ、とは思うのだけれど、ヴィオロンさんは諦めが悪い。
「で、でも、妖精なので」
「きっとあなたを振り向かせてみせよう。どうか、時間を頂きたい」
ヴィオロンさんは、諦めが、悪い。
「いえ、ですから、その、人間の男性は……」
「だが今、特定の異性のパートナーが居る訳ではないのだろう?ならばどうか、あなたの心の片隅にだけ、私の居場所を賜れないだろうか?」
ヴィオロンさんは、諦めが、悪かった!ああああああ!
ラオクレスの不名誉を払拭するためにも『異性のパートナーは居ない』って言ってしまったけれど、それが裏目に出てしまった。いっそのこと、人妻っていうことにしておけばよかっただろうか!
ああ、これはいよいよどうしたらいいんだろう!フェイも僕の隣で困ってる!
こうなってはもう、穏便に、なんて言ってられないかな。うう、最悪、逆恨みされて火を点けられたらその時は森の結界でなんとか……!
……そうして僕が強い言葉を頭の中で用意したり、フェイが僕の肩に手を回しかけたり、ヴィオロンさんがまた何か言おうとしている中に。
「そうよ。彼女、『異性のパートナー』は居ないわ」
すっ、とライラがやってきた。
彼女はするり、と僕の横にやってくると、にっ、と笑って、それから……すり、と僕の頬を撫でた。な、なんだなんだ。
「ね?サクラ?『異性の』パートナーは居ない、のよね?」
「あ、うん……んっ?な、何?なんで撫でるの?」
そのまま首筋を撫でられて、髪(かつらだけど!)を一房、するりと撫でられる。くすぐったくて目を細めていたら、ふと、ライラの手が僕の肩と側頭部に掛けられる。大事に包み込むみたいに触られて、なんだなんだ、と思っていたら。
ふに。
……ライラの唇が、僕の頬に触れて、離れていった。う、うわわわわわわ!
「ら、ライラ!?」
顔が熱い!今、僕、絶対にものすごく顔が赤いと思う!びっくりした!びっくりした!
そんな僕を見下ろしながら、ライラもちょっと頬を赤らめつつ、にや、と笑った。
「サクラは?私にはしてくれないの?」
「え、ええと……」
……多分、ライラは助け舟を出しに来てくれたんだろうなあ、とは思う。まだ流れが読めないのだけれど……。
ということで、ここは乗った方がいい、んだと思う。うん。大丈夫だ。海外では、挨拶みたいなものらしいし。多分、この世界、ちょっと海外準拠だし。そ、それに……別に、ライラにするの、初めてでも、ないし……。
ふに。
そうして勇気を出してライラの頬に口づけてみたら、その、思いの外、彼女の肌が柔らかかった。あああああ……。
「……っていうことなの。お分かりかしら、お客様?」
ライラはちょっと頬を赤らめつつ、多分ライラよりももっと顔が赤い僕の頭を胸に抱きよせて撫でながら、ヴィオロンさんに言った。
「悪いんだけれど、この子、私のなの」
成程、どうやらこういうことらしい!確かにこれなら嘘を吐いていたことにはならないし、お断りする要件は満たしている!ライラはすごいなあ!すごい!すごいんだけれど……ううう。
「だからサクラのことは諦めて頂戴。……ね?サクラ?」
「う、うん……私、ライラの……なんです……」
僕は恥ずかしくて目が潤んできた。ヴィオロンさんは雷に打たれたような顔で僕とライラを見ている。フェイはものすごい顔で笑いをこらえている。
まおーん。ぱりぱりぱり。ずずずず。まおーん。
……魔王のおやつの音をBGMに、僕はどうしようもない恥ずかしさを抱えて、きゅ、とライラにしがみつくことにした。
なんとかして!




