竜と忘れることなかれ*5
緋色の目が怒りと憎悪を湛えて、ヴィオロンさんを睨む。普段の温厚で明るいフェイからは考えられないような表情にヴィオロンさんはたじろいで……引き攣った笑いを浮かべていた。
「……本気か?おい、レッドガルド。私の聞き間違えでなければ、貴様と、私とで決闘、と言ったか?その護衛に頼るのではなく?」
「本気だよ。だってラオクレス相手じゃ、お前、受けずに逃げるだろ?」
フェイは相変わらず、ドラゴンの血を感じさせる目でヴィオロンさんを睨んで……ちょっと笑う。
「ま、そりゃあ、そうだ。ソレイラ精霊御前試合で優勝してる騎士様相手なら、逃げたってそうは不名誉にならねえだろうしな。それで尻尾撒いて逃げるのを笑ってやってもいいけどよ。俺はそんなんじゃ、収まりがつかねえ。お前を完膚なきまでに叩きのめしてやりてえ。だから、俺がやる」
ヴィオロンさんは呆気にとられたような顔をしていた。彼にとっては、フェイがこんなことを言うなんて思わなかったのだろうし、フェイがこんな表情をするなんて思わなかったのだろう。
でもね。あなたが知らないだけで、フェイはちゃんと、ドラゴンの末裔なんだよ。
気づけば、ざわざわと周囲がざわめいて、僕らの方を見ている。今や、フェイとヴィオロンさんは会場の中心だった。
「おいおい、ヴィオロン!まさか『レッドガルドの無能』相手に決闘するっていうのに、『怖気づいた』なんて言わねえよなあ?」
更にフェイがそう畳みかければ、いよいよヴィオロンさんは逃げられなくなる。にやり、と馬鹿にしたような笑みを浮かべて、フェイはヴィオロンさんを睨む。珍しい表情だ。描きたい!
「こんな日にわざわざ決闘か。まあ構わないが、折角のパーティをお前の血で汚したいと?」
「血が出るくらいべっつに気にしねえよ。幸い、こっちには鳳凰が居るからな。多少ケガしたって問題ねえ。存分にやろうぜ」
呼ばれた、と思ったらしい鳳凰が僕のポケットの中の宝石からふわりと飛び出してくる。カラフルな鳳凰の姿はパーティ会場でも殊更に目立って、周囲の人達がますますざわめいた。
「……成程な。召喚獣か」
きゅるるる、と鳴きながらゆったり会場の天井付近を飛んで戻ってきた鳳凰を見て、ヴィオロンさんは、にやり、と馬鹿にするような表情を作った。
「確かお前はレッドドラゴンを手に入れたんだったな。全く、どういった不正を働いたのだか。……レッドドラゴンの陰に隠れていれば当然、戦って負け無しだろうからな。浅ましい奴め。だが構わない。召喚獣を……」
「召喚獣無しでいいっつーの。馬鹿にすんな」
そしてヴィオロンさんは召喚獣有りの戦いを承諾しかけたのに、フェイに召喚獣無しを提案されて、冷水を浴びせられたような顔になる。
「……は?」
「聞こえなかったのか?召喚獣無しで決闘しようっつってんだよ」
フェイの声が凛として会場に響いて、会場も静まり返る。ヴィオロンさんは驚きのあまり何も喋れなくなっているらしい。
「ただし触媒はアリ。杖かなんか使いたきゃ使えよ。俺はいらねえ。別のモン使う。ああ、あと、剣はアリにしようぜ。折角、ケガしてもいい状況が整ってるんだ。血の華咲かせた方が派手でいいだろ?」
「……正気か?お前が?あの、魔法の実技がほぼすべて赤点だったお前が、召喚獣無し、魔法有りの決闘、だと……?」
ヴィオロンさんがようやく喋ると同時、会場もまたひそひそとざわめき始める。それだけ、フェイの言葉は衝撃的だったんだろう。……けれど。
「それとも何だ?お前はレッドガルドの無能とやり合っても勝てねえ雑魚だってか?」
フェイはそう言ってヴィオロンさんを煽る。その表情はどこか楽し気で、そして、その目はどこまでも鋭い。
「……いいだろう!その決闘、受けてやる!ただし、死んでも文句を言わないことだな!」
結局、ヴィオロンさんがそう言って決闘を受けるまでに、そう時間はかからなかった。
「へへ。そう来なくっちゃな!……じゃ、行こうぜ」
フェイはどこまでも楽し気に、そして好戦的に笑っていた。
……僕は今日、親友の見たことのない表情を沢山見られて、なんだかどきどきしています!ああ、描きたい!描きたい!描こう!描かねば!
そうして僕らは会場を移動する。
流石にパーティ会場で決闘を始めるわけにはいかないから、学園内の決闘場を使うことにするらしい。すごいなあ、決闘場もあるのか、この学校。参考にさせてもらって、ソレイラにも決闘場をちゃんと建てようかな。そうすれば精霊御前試合がもっと楽しいと思うし……。
「……あの、フェイ」
そして道すがら、僕はフェイにそっと話しかける。
「あー……悪いな、トウゴ。お前の鳳凰、勝手に使うことにしちまって」
「ううん、それはいいんだけれど」
相変わらず妙なところで遠慮がちなフェイを遮って、僕は言いたいことを言う。
「……あのね。もし怪我をしたら鳳凰が治してくれるし、もし服とか破いちゃっても、僕が描いて直すからね」
僕がそう言うと、フェイはきょとん、として目をぱちぱちさせる。さっきのドラゴンらしい表情とは全然違うなあ。
「だから思う存分、やってきなよ。後始末は僕に任せて!」
「……頼もしいなあ!俺の親友は最高だ!」
フェイはものすごく嬉しそうな顔をして、僕の背中をばしばしやり始めた。なので僕もフェイの背中をばしばしやってみる。頑張ってね、の気持ちを込めて。
……うん。頑張ってほしいし、どうか、勝ってほしい。それで、僕に存分に頼ってよ。だって僕は君の親友なんだぞ!
そうして決闘場には、すごい数の観客が入り、ステージ上にはフェイとヴィオロンさんが向かい合って立つことになった。
「すごいなあ、この数」
「当然だ。あのレッドガルドの無能の次男が決闘すると言っているのだぞ。見物したがる者も多いだろう。そしてヴィオロンは学園内でもそれなりに目立つ奴だったからな。家柄も悪くない。これもまた、注目を集めるには格好の材料だ」
僕は横でルギュロスさんの説明を聞きつつ、ふんふん、と頷いて……。
「……ところで、トウゴ・ウエソラ。私のいない隙に随分と面白そうなことをしていたではないか」
「僕がやったんじゃないし、ルギュロスさんは勝手に離れていっちゃったんじゃないか」
ルギュロスさんはなんとなく、仲間外れにされた気がして寂しいのかもしれない。それとも、フェイがヴィオロンさんに喧嘩を売るところを見逃したのが悔しいのかな。どっちもかも。
「あっ、皆さん、そろそろ始まるようですよ!」
ラージュ姫がそわそわした様子でステージを示す。そこではフェイとヴィオロンさんが近づいて、握手している。まあ、試合開始前の挨拶、っていうことなんだろう。
「あのレッドガルドが一体どういう戦法をとってくるものやら……魔法は言わずもがなだ。剣術にもそれほど冴えがあるわけではない。勝てる要素が思いつかんが、喧嘩を売った以上は勝つ算段があるのだろうな」
ルギュロスさんは興味深そうにフェイを見ている。彼は精霊御前試合でフェイに勝ってるもんね。
「うん。フェイは多分、勝つよ」
でもフェイは今日、勝つと思うよ。
召喚獣無し、魔法あり、剣もあり、っていうこの条件なら、フェイは結構、いい線行くと思うんだ。
僕らがじっと見守る中、決闘の準備が進んでいく。フェイとヴィオロンさんはステージの端と端に立って、それぞれの武器を構えていた。
フェイは精霊御前試合の時と同じような、細身の剣。ヴィオロンさんは剣は無しで、杖を持っている。
……僕、この世界で魔法の戦いってほとんど見たことが無い。少なくとも、こういう風に杖を構えて戦おうとする人っていうのは相当珍しい、というか……いや、でも魔法の杖自体は見たことあるな。ジオレンさんが前金っていうことで僕にくれようとしたもののなかに立派な魔法の杖があった気がする。
そうしてステージ上を観察していたら、ふと、フェイと目が合った。フェイは僕に気づくとにこにこしながら手を振ってくれて、僕もそれに手を振り返す。
ああ……ちょっと緊張するなあ。フェイの緊張なんて、僕の緊張の何倍も何十倍もあるんだろうけれど。僕も何故か、緊張してしまう。なんでだろう、フェイの緊張をお裾分けされてしまったんだろうか。どきどき……。
そうしていよいよ、決闘が始まる。
構え、の合図と同時にフェイとヴィオロンさんはそれぞれの武器をそれぞれに構えて、空気がピンと張り詰めて……そして。
始め、の合図と同時、2人が一斉に動き出す。
ヴィオロンさんが何か、杖を構えて魔法を唱え始める。風が渦巻いて、中心に水が湧き出て……そして、対するフェイは。
びちゃり、と、赤い液体が床に飛び散る。それは、フェイが撒き散らした赤い絵の具。彼の血に魔石の粉やレッドドラゴンの鱗をブレンドした特別なやつだ。
一見して血にしか見えない(そして実際、内容の8割は血の)液体が撒き散らされて、観客はどよめく。ヴィオロンさんも魔法の準備を進めながらちょっと驚いた様子だ。
けれど絵の具は、ただ無計画に撒き散らされたわけじゃない。対戦相手のヴィオロンさんからは見えないだろうけれど、フェイ達をやや上の方から眺めている観客席の人達には見えているはずだ。
フェイが撒いた赤絵の具は、魔法の模様の形をしている。
……そして。
にやり、と笑ったフェイは、魔法を使う。彼が唯一使える炎の魔法だ。けれどその魔法は小さな火の玉なんかじゃない。
床に赤く描かれた魔法の模様で増幅されて、緻密に制御されて、絵の具の魔力を使い果たしながら形を変えていって……。
巨大な、炎でできたドラゴンの姿をした魔法が、ヴィオロンさんに向かって飛翔していった。
ヴィオロンさんは驚いただろう。フェイが絶対に使えないような魔法を使ったんだから。
炎でできたドラゴンは咢を開いて、ヴィオロンさんへと迫る。その迫力たるや、観客席から見ていたって十分すぎる程なんだから、相対しているヴィオロンさんにとってはとんでもない迫力だっただろう。
けれどヴィオロンさんも冷静だった。彼は用意していた水と風の渦を炎のドラゴンへ向かわせる。風の渦はドラゴンを巻き込んで捕らえて、中心にあった水の塊がドラゴンの呼吸を止めにかかる。
炎のドラゴンは水と風とに包まれて、やがてあっさりと消えてしまった。
「なんだ!見掛け倒しか!実にレッドガルドの無能らしい!」
「おう。俺、これでも結構な派手好きだからよ!こういうの、カッコいいだろ?」
ヴィオロンさんは炎のドラゴンを破ってほっとしたようだったけれど、それに対してフェイはけらけらと笑って……。
「ついでに仕事が早いってのも俺っぽくていいだろ?」
……フェイが魔法を使うと、ヴィオロンさんの目の前に、また炎のドラゴンが現れていた。
それも……2体。
それから、ヴィオロンさんの防戦が続いた。
まず、ヴィオロンさんは炎のドラゴンと直接魔法で戦うのは得策じゃない、と判断したらしい。ドラゴンを目がけた攻撃はしなくなって、その代わりに床に描かれた魔法の模様を水で打ち消し始めた。
けれども、フェイが魔法の模様を描くスピードが相当に速くて、ヴィオロンさんは防戦一方になってしまう。
続いてヴィオロンさんはステージ上を動き回って、炎のドラゴンを避けつつフェイを狙って魔法を使う戦い方に切り替えた。
けれどこちらも上手くいかない。何せ、炎のドラゴンはどんどん増えていくし、フェイ自身だって動き回れるんだから。その間にヴィオロンさんの服の裾や髪の一房がドラゴンの攻撃に焼け焦げるようになる。……後で描いて直してあげよう。
「……ふむ」
……観戦中。ふと横を見ると、ラオクレスの横顔が妙に楽しそうだった。
「あの、ラオクレス」
「……なんだ」
「なんか、ワクワクしてる?フェイと戦ってみたい、とか、思ってる?」
僕が聞いてみると、ラオクレスはちら、と僕を見て……ちょっと恥ずかしそうに言った。
「……少しだけ、な」
そっか。つまり、今のフェイはラオクレスが戦ってみたいと思うくらい、強そうに見える、ということなのか。……嬉しい。僕の親友はね、最強の石膏像に認められるくらい、強いんだぞ!
それから、ヴィオロンさんが反撃に出た。
風の刃をいくつも飛ばして、炎のドラゴンごと、その向こう側に居るフェイを斬り裂こうとし始めたんだ。
風の刃のいくつかはフェイの頬や脇腹に切り傷を作っていった。けれど、それだけだ。フェイは切り傷くらいで音を上げるようなことはしなかったし、炎のドラゴンでヴィオロンさんの視界を遮る方針に出たから。
ヴィオロンさんとしては、さっさとフェイ自身を狙いたい。けれど、炎があまりにも多くてフェイの姿がよく見えない。
結果、闇雲に放たれた風の刃が幾らかフェイを傷つけて……けれど、そこまで。
炎のドラゴンを突き抜けるようにして、フェイがヴィオロンさんへと突進していく。ヴィオロンさんはフェイがここまで接近しているなんて思わなかったらしい。咄嗟に気づいて風の刃を飛ばしていたけれど、もう遅い。
フェイは自分に向かって飛んできた風の刃をギリギリで躱すと、その刃が肩口を斬りつけていくのも構わず、尚も突進した。
そして自分の手の甲に描いた魔法の模様から炎を舞い上がらせて剣に纏わせると、その燃え盛る刀身で、ヴィオロンさんの杖を、弾く。
静まり返った会場の中心で、フェイはヴィオロンさんの目の前に燃え盛る刀身を突き付けていた。
めらり、と燃える炎がフェイの瞳に反射して、ぎらりと光る。その目はそれこそ、今にも目の前の獲物を食い殺してしまいそうな、ドラゴンのそれだった。




