たんぽぽが綿毛になるように*3
そうして、翌日。
僕らは王城に向かって……そこで久しぶりに、ラージュ姫に会った。
「ああ、トウゴさん!お久しぶりです!」
ラージュ姫は駆け寄ってきて、僕をぎゅっ、とやってくれた。あの、あの、落ち着かない!落ち着かない!
「お元気でしたか?」
「うん。すこぶる元気です。ラージュ姫は?最近はルギュロスさんと仲良しだと聞いたけれど」
「ふふ、そうですね。私も元気ですし……ルギュロスさんとも仲良くさせて頂いていますよ」
「おい!誰が仲良しだと!?」
ラージュ姫と話していたら、ルギュロスさんがちょっと怒ったような声を上げてきた。成程、仲良しだ……。
「……では、早速ですが、面会されますか?」
「あ、ああ……」
ルギュロスさんは少し緊張した面持ちで頷く。けれど、両側には僕とフェイが控えているし、後ろにはライラが居るんだから大丈夫だよ、多分。
僕らは揃って地下牢の方へと進んでいく。僕らはもう何度かこっちに来ているので、慣れたものだ。慣れてはいる、けれど……それでもルギュロスさんは緊張するんだろうし、僕らだって、何も思わないわけじゃない。
全員黙ったまま、地下への階段を下りていく。どんどん進んで、見張りの兵士の人に挨拶して、鍵付きの扉を開けて、奥へ進んで……そして。
「……そういえばここ、こういう和やかなかんじになってたんだったっけか」
黄色いたんぽぽとピンク色のたんぽぽがふわふわ生える芝生の床の上、ピンク色の壁、ピンク色の天井に囲まれて、たんぽぽが2本頭からみょんみょん生えているアージェントさんがすっかりやつれてそこに居た。彼の横では『ゲンキダシナヨー』『オチコンデルトハゲルヨー』と喋っている花が居る。
……何故ここに、喋る花が!?
多分、喋る花は妖精が植えたんだろうなあ。そういえば以前、妖精達に喋る花の鉢植えをプレゼントしたことがあった気がする。成程、あれがここに植わっているのか……。
「……伯父上。その、久しいな」
ということで、実に和やかな空間の中、落ち着かなげなアージェントさんは僕らを見つけて、すっかり疲れた表情を浮かべた。『次は何を植えるんだ』みたいな顔だけれど、僕はこれ以上何も植えないよ!
「……外に出せとは言わん。だが、せめて真っ当な牢に移してもらいたいものだな」
アージェントさんはそんなことを言って、深々とため息を吐いている。いや、あの、ごめんなさい、うちの妖精が……。いや、でも案外いいんじゃないだろうか、喋る花。退屈はしないだろうし……。
「それは国王陛下が決めることだ。私の知ったことではない」
ルギュロスさんは早速、アージェントさんの言葉を突っぱねて……それから、さっさと本題に入ることにしたらしい。
「だが、減刑を嘆願するつもりだ。今日はそのために、ここへ来た」
ルギュロスさんの言葉を聞いて、アージェントさんはゆるり、と顔を上げる。
「まあ、そうだろうな。アージェント家の当主であったものが公開処刑ともなれば外聞が悪い」
「その通りだ」
まるで湿っぽいところのない会話をして、2人は表情を動かさずにいる。
「であるからして、伯父上の刑はまあ、内密に処刑となるか、はたまた終身刑となるか……そういったところに落ち着くであろうよ」
「いっそさっさと殺された方がマシだと思えるがな」
あっさりとそう言って、アージェントさんはため息を吐く。……あの、この牢、そんなに嫌?
「まあ、そういうわけだ。面会もこれで最後となるかもしれん。言い残したことがあれば聞いておくが」
ルギュロスさんもあっさりしたもので、さっきまでの緊張はどこへやら、気丈というよりは無味乾燥といったような様子で、アージェントさんにそう聞いていく。
「……ふむ、そうだな。次期当主はお前になるのか?」
するとアージェントさんはそんなことを聞いてくる。ルギュロスさんは少し面食らったような顔をしたけれど、『その予定だ』と堂々と答えた。これにラージュ姫はにっこり。
「そうか。なら……そうだな、私の部屋の書き物机の一番上の抽斗の中に、それぞれの領主についての覚書がある。使え」
アージェントさんはそう言うと、更にちょっと考えて、ぽつり、ぽつり、と話していく。
「そこに書かなかったことについては……グリンガルは最近、森を切り開こうという計画が悉く失敗しているらしい。援助を申し出れば貸しを作れる可能性が高いが……恐らくあそこには手を出さない方がいいだろう。援助を求められたら適当に濁してなんとかしろ。決して、自らは手を下すな」
……その計画の失敗って、精霊様が怒ってるからなんじゃないだろうか。駄目だよ、精霊様が住んでいる森を切り開こうとしちゃ。うーん、精霊様の様子を見に、今度ちょっと行ってこようかな……
「ゴルダは切り捨てろ。諸々の動乱があったが、どうせ良い方には転ばん。王家派に擦り寄ることになるだろうからこちらには引き入れられんぞ」
ゴルダは……少し、最近は良くなってきてるって聞いてる。ラオクレスの一件があってから、領主の人は民衆からの圧力を受けて頑張っているそうだ。
「マーピンクは関わり方次第で有効に使える。あれは秘密というものをまるで黙っていられないらしい。逆に流してやりたい誰かの秘密があったなら、マーピンクの長子に言っておけ」
マーピンクさん、元気かなあ。そろそろ、手の甲に描いた目、消してあげようかな……。
……まあ、そういう風に、アージェントさんはあの領主はどうだ、あの領地はこうだ、と、色々なことを話した。
時々、僕らが裏の事情を知っている話が出てきてドキリとさせられたけれど、それらについても、それ以外についても、まあ、概ね、真っ当なことしか喋っていなかった。
アージェントさんが喋っていたのは、為政者としての知識とか、そういうものでしかなかった。彼個人の思いとか、そういうものは一切、出てこなかった。
それがなんとなく、この人らしいなあ、と、思わされた。
「……と、まあ、こんなところか」
やがて、喋り終えたアージェントさんはそう言って、ふう、と息を吐いた。
「言い残したことはこれだけだ」
実にあっさりとした『言い残したこと』だった。なんとなく、聞いていて僕やフェイなんかはちょっと、物悲しくなってしまうような。そういう。
「……まあ、構わんが。伯父上個人としての思いなどがあれば聞いておこうと思ったのだがな」
そして、ルギュロスさんもなんとなくちょっと、心残りがあるような顔でそう言って……ふと、皮肉気な笑顔を浮かべた。
「そうだな……どうだ、甥を騙して魔物の姿へと変じさせて、裏切って切り捨て、そして異世界の知識に心奪われるあまり魔物と手を組み、果ては世界を滅ぼしかけてその後始末まで失敗した……そのご感想などは?」
随分と相手を傷つけるような物言いだなあ、と思ったけれど、それを言うルギュロスさん本人が傷ついているようにも見えた。
「私は負けた。それだけに過ぎん」
そして流石にアージェントさんはちょっと不愉快そうな顔をしていたけれど、あっさりとそれだけ言って……それで終わってしまった。
「あれで勝っていればそれでよかった、と?ご自分が下手を打ったというご自覚はお在りか?」
「トウゴ・ウエソラを侮りすぎた。また、王家の気位がもう少し高いと認識していたからな、そのあたりの認識の誤りについての自覚はあるとも。更に強いて言うならば……」
アージェントさんはルギュロスさんに結構なことを言われて、そして……ちょっとだけ、憎しみとか、怒りとか、そういうものを表出した。
「……愚者に率いられることとなってしまったこの世界に、同情を禁じ得んな」
アージェントさんの短い言葉には、僕やフェイなんかに向けたのであろう、憎しみや怒りが混じっている。
……いや、僕にも、多少は分かるよ。一応。アージェントさんにはアージェントさんの理想の世界があって、彼はそれに向けて行動していた。それは……まあ、一応、この世界の為、っていうことになるんだろう。多少、アージェントさん自身の為の方に傾いていた気もするけれど、それは僕らだって同じなので。
「……成程な。伯父上。ならばあなたは少々、夢見がちに過ぎると言わせて頂こう」
そしてルギュロスさんは……なんと、ちょっと安心したように笑いながら、こう言った。
「私はあれから学んで、分かったことがある。この世は愚者だらけだ」
……これ、笑いながら言う内容だろうか!しかも、ちらり、と僕やフェイを見ながら言ってきた!ちょっと腹が立つので、後で魔王をけしかけてやろう。まおんまおんと頭をぺしぺし叩かれてしまえ。
「奴らは我々程には賢くない。まるで理解できん、非効率と非合理の塊。間違っていることを悪いとも思わず、日々、恥を積み重ねてそれを恥とも思わず生きている!」
「それがどうした」
「だからこそ、奴らを統治しようとするのであれば理想的な世界は不適なのだ。だが、賢人たる貴様にはそれが分からんらしい。実に『夢見がち』なことだな」
嫌味と皮肉……いや、もっと純粋な悪口みたいなものなんだけれど、こういうのを喋っている時、ルギュロスさんはなんとなく輝いている気がする。うーん、不思議だ……。
「……そうだな。そして実に無駄だ。世界を率いる者が大いなる知識を得て、愚者をそうとは気づかせずに動かした方がよいだろう。奴らは永遠に愚者なのだからな。その程度の諦めは付いているとも」
更に、アージェントさんはフェイをちら、と見た。なんですか?僕の親友は馬鹿じゃないぞ!
「愚者共に賢くなれと言って奴らが賢くなるはずもない。いずれ教育を施し、より賢くなれとしていったとして……まあ、不可能だろうな。愚者は愚者を産み、愚者を育てる。だが生まれた子を全て集めて賢者が教育を施すというのも無理のある話だ。であるからして、この世は永遠に愚者だらけの、碌でもない世界のままなのだ。だからこそ、私が……」
「それは不可能というものだ、伯父上。あなたが如何に賢かったとしても、人間1人にできることなど限られている」
ふん、と鼻で笑って、ルギュロスさんは偉そうに続けた。すごいなあ、この人達。2人ともとても偉そうに喋っている……。
「より多くのことを成し遂げようと思うのであれば、より多くの人間を巻き添えにすることだ。志を同じくする賢人同士、集まるのが理想なのだろうが……それを望むには世界には愚者が溢れすぎている。ならば、誰とも手を組まずに1人で碌に何も為せずにいるか、ソレイラのように壁を設けて選ばれた者のみの狭い世界を作り上げるか……はたまた、妥協するか、だ」
喋りたいだけ喋って楽し気なルギュロスさんは、そこで、ちら、と僕らを見た。なんですか。どうせ僕らは愚者ですよ。……という気持ちで、フェイと揃ってじっとりルギュロスさんを見てやったのだけれど。
「まあ……案外、この世界は捨てたものではない。愚者だらけの世界だが、よくよく観察してみれば、真なる愚者と、多少はまともな者とが居る。そう、例えば、こやつらは愚かだが、愚かなだけでもない。……十分に、手を組むに値する。多少、こちらが譲歩することが増えたとしても、だ」
……ルギュロスさんがそんなことを言うものだから、僕ら、なんだかじわじわ嬉しくなってきてしまった!
「そうかあ!だよなあ!組む手は多い方がいいよなあ!ってことでこれからもよろしくな、ルギュロス!」
「気安く触るな!」
「触ってやる!触ってやる!おらおらおら」
「これだから貴様は愚かだと言っているのだ!」
フェイがそれはそれはにこにこしながらルギュロスさんにぺたぺた触っている。しまいにはぎゅうぎゅうやり始めた。アージェントさんがそんなフェイを見て、謎の生物を見るような目をしている。まあ、あなたには理解できないであろう生き物だよ、フェイは。どんなもんだい。
「……ルギュロスよ。トウゴ・ウエソラを見ていれば分かるだろう。力を持っていても、それを正しく使う意思がない者が、如何に厄介か」
「それはあなたが下手を打っただけの話だ、伯父上。いくらでもやりようはある。何から何まで、全てあなたの理想通りに物事を運ぼうとしなければ、な」
「妥協しろ、と?」
「そうとも言える。だが……それ以上に、より、様々なものを知ることだ。ぶつかり合った相手のことを、知ることだ。私はそう、知った」
アージェントさんが、ルギュロスさんを警戒するように見つめる。けれどルギュロスさんは落ち着いたものだった。相変わらず、ちょっと偉そうに、堂々と喋る。
「こやつらの考えはまるで分からん。分からんが……だからと言って、知らぬままで居るよりは、知っておいた方がよいものだったと、思っている。無駄に思えたものが、案外役に立つ、とな。……そして、こやつらと手を取り合っていた方が、私は私の理想により近づける。そう判断した」
僕とフェイはなんだか嬉しくなってきてしまったので、ルギュロスさんと手を繋いだ。ルギュロスさんはものすごく嫌そうな顔をしながら、そっと、僕とフェイの手を剥がした。
そんな僕らを見ていたアージェントさんは、そっとため息を吐きながら、じっと険しい目でルギュロスさんと……僕を、見ている。
「……力を持つ者が愚かであれ、懐柔しておくということは悪いことではない。確かにそうだ。私もトウゴ・ウエソラをそうしておくべきだと考えた。だが……懐柔されないにも関わらず力を持つ者が居るならば、それは排除しなければならない。違うか?それとも、世界の命運を決める立場に、その者達が本当に適すとでも?」
「知ったことか。そんなことは神や精霊のみ知っていればよい事。私は私のやり方で私の能力の及ぶ限り、世界に働きかけるのみだ」
ルギュロスさんはアージェントさんの視線から僕を守るように半歩進み出て、そう言い切った。
「譲歩しなければならないことは多いだろうな。だが、その分、こやつらにも譲歩させてやる。……人間1人でできることなど、限られているからな。忌々しいことに。だからこそ……世界を率いるために、世界に溶け込まねばならないのだ」
「この愚かな世界に、か?なんと、耐え難い……」
……そして、只々忌々しそうな顔をしているアージェントさんに対して、ふと、ルギュロスさんは思い出したように言った。
「……伯父上。私は幸福だな。世界に絶望するより先に……いや、世界に絶望した後にも、この世界に希望を見出すことができたのだから」
アージェントさんが、ものすごく驚いた顔をしていた。それはまるで、自分が探していた伝説の宝物を持っている人が目の前に居たのを見た時みたいな、そういう顔だった。
「……己の信念を保つことのできなかった敗者の負け惜しみか?」
「おや。牢の中に居る貴様こそが敗者だ。私は十分に『勝っている』。違うか?どうだ、伯父上」
「漫然と愚かさに埋もれて変質していくことが正しいとでも?」
「さて、な。正しさなど我々には分からんだろう。そもそも正しさなどどこにもないのかもしれん。ならば、自らがより愉悦を味わえる方へと向かった方が余程賢い」
ルギュロスさんはアージェントさんを見て、なんだかちょっとすっきりしたような顔で笑って言う。
「そう、だな……ソレイラの桃は、美味いぞ。伯父上。あれは中々の価値がある」
……桃。そっか。ルギュロスさん、桃、気に入ってくれてるんだ。
『無駄』じゃないって、思ってくれて、しかもそれをアージェントさんに言ってくれるんだ。……嬉しいなあ。
「私は、それなりに幸福にやっている。これからはより上手くやるつもりだ」
ルギュロスさんの言葉を聞きながら、僕ら全員、笑顔になってしまう。そうか、この人、幸福なんだなあ……。
アージェントさんは、何とも言えない顔をしていた。焦りみたいな、戸惑いみたいな……或いは、恐怖とか、そういう表情にも見える。
「……よし。これで私が言ってやりたいことは概ね言えた。言い残したことはお互いにもう無いな?」
「……ああ」
「なら、これで失礼する。……まあ、刑が決定するまで、どうぞお達者で」
ルギュロスさんはさっさと踵を返してしまった。それを見て、アージェントさんは只々、呆然としたような表情で居たけれど……やがて、ルギュロスさんが完全に見えなくなってしまってから……ちょっとだけ、笑った。まあいいか、みたいな。そんなかんじに。
そうして僕らもアージェントさんの牢の前から離れて、城の上階へ戻ってきて……さて。
いよいよ、王様との謁見ならびに、ルギュロスさんによるアージェントさんの減刑嘆願の時間だ。
「ルギュロスさん、ルギュロスさん」
「何だ」
「……緊張してる?」
牢に辿り着く前までちょっと緊張した様子だったのを思い出して、そう、聞いてみると……。
「いや。全く」
そう言って、ルギュロスさんはちょっと笑ってみせてくれた。
……アージェントさんには何か、気持ちの変化がちょっとはあったんだと思うんだけれど。
ルギュロスさんにも、気持ちの変化が何かあった、みたいだった。




