天使の彫刻*2
「リアン。君、羽が生えそうとか、そういうことはない?」
「は?」
温泉から出て真っ直ぐリアンのところへ向かって、そこで僕は、リアンにぽかんとされてしまった。え、違うの?
「え、な、なんでだよ。羽が生えそうだと鸞がすりすりやりにくるのか?」
「いや、僕に羽が生えた時には君達に背中を撫でてもらった記憶があるので……」
確かそうだったなあ、と思い出しつつ答えると、リアンも撫でた側として記憶があるらしい。ね、そうでしょ?
「羽が生えている先輩としては、気になる」
「やだやだやだ。俺、トウゴと同種の生き物にはなりたくねー!俺は人間でいたいの!」
そ、そんなに嫌……?羽、慣れてしまえば中々悪くないよ?空を飛べるから鳥瞰の絵を描けるし、ちょっと高いところにも手が届くし、移動速度は上がるし、レネが喜ぶし……。
「大体、羽が生える時って、背中がむずむずするんだろ?俺、それ無いもん。だからきっと羽は生えねえよ」
「そうかなあ……羽の後輩ができたら嬉しかったんだけれど」
「俺はやだからな!」
ああ、そう?まあ、嫌がっているなら無理にとは言わないけれどさ……。
「で、一応背中を確認させてもらいたいんだけれど、いい?」
「ええー……まあ、いいけど。本当に羽が生えてきてたら困るし」
とりあえず背中を確認する約束は取り付けることができた。よし。ということで……。
「寒くない?」
「あ、うん。寒くはねえけどさ……」
リアンは、訝し気に僕の部屋を眺めつつ、言った。
「別に、ここまであったかくしなくてもいいんじゃねーの?」
「いや、冬に服を脱いだら寒いし」
……背中の確認、ということではあるのだけれど、それってつまり、リアンには服を脱いでもらわなきゃいけないので。つまり、ちょっと寒い思いをさせるので。その時、あんまり寒いと可哀相なので……僕の部屋には今、暖炉の火がしっかり入っていて、どんどんぬくぬくしてきているところ。
「ええと、じゃあ、よろしいでしょうか」
「別に勿体ぶるものでもないだろ。ほら」
ということで、リアンはシャツを脱いで、背中を見せてくれた。ええと……。
「……羽は特に生えてこなさそうだね」
ひとまず、羽っぽいものは、無かった。まあ、うん。
「いや、でもよく考えたらトウゴに羽が生えた時も、背中には異常、無かったよな?むずむずしてただけだろ?」
「まあそう言われればそうだね」
「ええー……じゃあ俺も、もしかしたらいきなり羽、生えるかもしれねえのかなあ……やだなあ……」
リアンは『羽が生えるのは嫌!』と存分に主張してくれているのだけれど……僕としては、そこじゃないところが気になっている。
「ねえ、リアン」
「ん?なんだよ」
言うのがちょっと躊躇われるなあ、と思いつつ、でも、これで言わないのもなあ、とも思ったので……僕は、リアンに正直に言ってみることにした。
「鸞がすりすりやっている理由、分かったかもしれない」
「えっ、本当に!?」
なんだなんだ、とリアンが期待に目を輝かせているのを見て、ちょっと申し訳ないような、そんな気持ちになりつつ……。
「鸞は、リアンの背中の傷、治したいんじゃないかな」
僕は、リアンの背中にある傷跡から、どうにも、目が離せない。
リアンの背中には、傷跡がある。僕はリアンを拾ってきてモデルにしようとした時、一緒に一度お風呂に入っているから見たことがある。リアンは傷をちょっと気にしているようだったし、傷があるからモデルとしての給金が貰えないんじゃないか、なんて心配もしていたけれど……けれど、あれ以降は見たこと、なかったな。
「ええと、まだ、痕、あるんだね」
「まあな。消えるもんじゃないだろ、こういうのって」
リアン自身はあまり気にしていないような口ぶりでそう言うけれど……全く気にしていないわけじゃないっていうことくらいは、分かるよ。
「鸞と一緒に、温泉に入ったんだよ。確かに、それからだったな。鸞が俺にすりすりしてくるようになったの……」
それからリアンはそう言って、成程なあ、っていう顔をし始めた。
「ラオクレスがアリコーンと一緒に温泉に入った、って言ってたから、俺も真似してみようとおもってさ。それで鸞を連れて脱衣所に入ったんだけど……服脱いでちょっとしたら、鸞が妙に俺の周りでばたばたするようになってさ。それから、湯船でもずっと俺にくっついてるし、肩に首を凭れさせて……よく考えると、あれ、泣いてたのかな……」
成程。まあ、そうだろうなあ、という気持ちで納得する。鸞としては、初めてリアンの傷を見て、ものすごくびっくりしたのかも。傷ついた生き物を見て涙を流す優しい生き物だから、自分の愛する契約主が傷ついているのを見て、それはそれはショックだったに違いない。
「でも、鸞の涙があっても傷跡は治らなかったってことだもんなあ」
それから、リアンとしても、ちょっとショックだった、かもしれない。
……昔の傷には鸞や鳳凰の涙が効かない、ってことなのかな。自分が気にしているものが治らないって分かったら、それは、きっと……いや、あんまり憶測ばかり重ねるのも、失礼だよね。
「……ちょっと試しにもっかいやってみようかな」
それから、リアンは服を脱いだ状態のまま、鸞を宝石から呼び出した。鸞はくるん、と宙で一回転してリアンの前にやってくると……リアンの傷跡が晒されているのを見て、きゅるん、とびっくりしたように鳴いて、それから……。
「……まあ、これが原因で間違いないみたいだね」
「だよなあ……」
鸞が、すごい勢いですりすりすりすりやり始めた。リアンの背中がふわふわふわふわ、鸞の羽毛に撫でられ続けている。あったかそう。
「鸞。ちょっと涙の力を借りても……あ、もう出てらあ」
そして、鸞はリアンの背中にすりすりやりながら、涙を流していた。あああ……。
「……どうだ?特に変化、無いだろ?」
「うん……無いね」
そして、鸞の涙が伝うリアンの背中には、変わらずに傷跡が残っている。どうやら、古い傷は鸞の涙で治せないらしい。
鸞はますます泣き出した。ぴるぴるきゅるきゅる、鳴き声を上げながら涙を流して、そして、すりすりすりすり……。
「ご、ごめんな。別にお前の力不足とか、そういうんじゃないからさ、これは……」
リアンがそう言って鸞を慰めている。鸞としては傷を治すことに関してプライドもあるのだろうし、何より、愛する契約主の傷を見て、傷の由来を考えて、悲しくなってしまうのだろうなあ……。
僕とリアンとで鸞をなでなで宥めていたら、僕の宝石から鳳凰が出てきて、鸞にすりすり、とやり始めた。すると鸞は泣きながら鳳凰にすりすりやって、少しずつ落ち着き始めたらしい。……多分、兄貴分に慰められる鸞の図、みたいなかんじなんじゃないかな……。いや、僕、鳳凰も鸞も、男の子か女の子か、知らないんだけれどさ……。
「さて。これ、どうしようか」
そうして泣き疲れて寝てしまった鸞と、鸞と絡んで縺れて大変なことになっている鳳凰とが僕のベッドの上を占領する中、僕らは相談。そろそろ風邪をひきそうなので、リアンには服を着てもらって……。
「ええとね、リアン。多分、消そうと思えば君の傷、消せると思う」
早速、そう切り出す。リアンはちょっと戸惑った様子だったけれど、僕は続けて、話してみる。
「絵に描けば傷は消せるだろうし、もし痛みとかつっぱるかんじとかが残るようなら、先生に書いてもらえば、それも消えると思う」
「……そっかあ」
リアンはぽかん、とした顔になって、ふと、自分の背中や腕にある傷を、すり、と指の腹で撫でた。
「トウゴがいれば何でもアリだよな……」
「まあ、ある程度はね」
僕はリアンの答え待つし、リアンもじっと、考えているらしかった。つまり……『傷は消せますよ』っていうことについて。
……そう。リアンは、考えている。傷跡を消せる、という話をしても、『じゃあ消す』って言わない。
「……ねえ、リアン」
考えが行き詰っているらしいリアンに、僕はちょっと、聞いてみることにした。
「やっぱり、傷を消すのはちょっと、抵抗がある?」
すると、リアンはなんだか驚いたような顔をしながら、ちょっと考えて……途方に暮れたように頷いた。
「……うん。そう、なのかも」
リアンはそう言いつつ、自分で自分のことがよく分かっていない、というような様子だ。整理がついてないんだろうなあ。思えば、彼がこの森に来ることになってから、彼、ずっと何かしらか働いていたけれど……今思うと、それって森に来る前のことをあまり考えたくなかったからなのかもしれない。
「じゃあ、ちょっと話してみない?」
なので僕はそう、提案してみる。
「先生がよくそうしていたし、僕もラオクレス相手によくやらせてもらうけれど……人って不思議なもので、自分の考えを話していると、段々勝手に考えがまとまってくるんだよ」
「ああ……ウヌキせんせーが時々、魔王とか鳥に向かって話してるの、もしかして、それ?」
……先生、魔王や鳥相手にもやってるのか。いや、いいんだけど。別に、いいんだけど……僕も居ますよ!
「まあ、鳥でも魔王でもいいし、壁に向かって話したって効果は同じらしいんだけれどさ。折角なら、相槌くらい打ってくれる相手の方が、いいんじゃないかな……」
「まあ、そうだよな……魔王とか鳥ならまだしも、壁はちょっとな……」
リアンはそう言って頷いて……。
「……じゃあ、その、トウゴ。聞き役、頼んでもいいかな」
そう、おずおずと申し出てくれたので……僕としては、なんだか嬉しい。




