異世界留学生*2
お腹いっぱいになった僕らは先生の家に帰って、そこで魔王におせんべいを一袋、お礼として渡して、魔王がおせんべいの袋を大事そうに抱っこしながら『まおーん』とのんびり手を振って門をくぐって向こうへ帰っていくのを見送って……さて。
「じゃあ、改めて外出してみようか」
「うわー……ちょっと緊張するなあ」
フェイが珍しくちょっと緊張気味というか、尻込み気味。でも、まあ、そうだろうなあ。僕だって、異世界の森じゃなくて町からスタートだったら、すごく緊張してたと思うよ。何だかんだ、人が居るっていうのは緊張するものだから。
「えーと、車っつうのはこっちの馬車みてーなもんで、轢かれると馬車どころじゃねえ大怪我になる……しんごーが青なら進んでいいが赤だったら青になるまで待つ……これだけ守ればとりあえず大丈夫か!?」
「うん」
フェイには予め、この世界の交通ルールを説明してある。本当に簡単に、だけれど。……ほら、魔王が車相手に威嚇していたのを思い出したので。
「で、服も……さっきのカフェのマスターの反応見る限り、別に変じゃねえだろ?」
「うん。変じゃないよ」
服装が異世界仕様だとちょっと不思議なので……ちゃんと、あっちで描いて用意してきた。
臙脂のハイネックのセーターにチャコールグレーのジャケット。フードにふわふわしたボアのついた、ちょっとカジュアルなコート。黒い細身のズボン。靴だけは向こうの世界でのショートブーツだ。これならまあ、こっちの世界でもそんなに変なデザインじゃないので。
……ちなみに、肌着の類は全部、フェニックスの抜け毛を折り込んだ布でできてる奴だ。ぽかぽかあったかくて、もう、これだけはどうしても手放せない……。
「ええと、どこに行きたい、とか、ある?」
「いやあ……もう、全部!としか言いようがねえ!」
成程。全部、かあ。それは結構難しいけれど。うん。でも、フェイに満足してもらえるように、頑張ってエスコートするぞ。
ということで僕らはまた先生の家を出て、どんどん歩いていって……大きめの通りに出る。
「うわあ……」
そして、そこでフェイは初めて車を見た。
「成程なあ……魔王が威嚇するのも分かるぜ」
魔王みたいにまおんまおんと騒ぐ訳じゃないけれど、フェイは車を見てちょっとだけ身を竦めている。……やっぱり車が大きな怪物か何かに見えるのかもしれない。あれが機械だっていうことは言ってあるんだけれどね。
「すげえなあ。あんなもんがあんな速度で走ってて、事故にならねえのか?」
「……なるよ。何人もあれで亡くなるし……ええと、先生も、まあ、そうだし」
車の事故について考えると、ちょっとだけ、まだ苦しい。……いや、先生はどうせ今日もにこにこ楽しく向こうで魔王に猫じゃらしを振って遊んでいるんだろうから、あんまり悲しく思うことなんて、無いのかもしれないけれどさ。
「あー……そっか。なるほどなあ。やっと色々、合点がいったぜ。そうだよなあ、ああいうのが突っ込んで来たら、人は簡単に死んじまうよなあ……」
フェイもちょっとしょぼんとしながら、一緒に道を歩く。……すると。
「……あの、フェイ。別に、大丈夫だよ?」
「んー、いや、そうなんだろうけどよお。でもなんとなく、不安でよお……」
……何故か、フェイが僕を庇うように、車道側を歩き始めた。いや、そういうことしなくても、ここ、ちゃんと歩道がタイル敷きになってちゃんと舗装してあるところだし。車道より一段高くなってるし。大丈夫なんだけれど……。
いや、そもそも、僕、フェイにそういう風に心配される覚えはないのだけれど……うう。
「お前に『二回目』はぜってーに味わわせたくねえなって、思ってる」
……うん。
何か、何か男としての沽券にかかわるというか、ちょっとプライドがへにょりと萎れてしまいそうというか、そういうのは確かにそうなんだけれど……でも、まあ、親友が僕のことを思いやってくれていることは、分かるので。まあ、いいか……。
なんとなく車を警戒するフェイと一緒に歩いて向かったのは、図書館。
「すげえ本の数だ……!」
ほらね。やっぱり。
フェイもきっと、ここを気に入ると思ったんだよ。彼も本が嫌いじゃない性質だしさ。それに、文字が読めなくても、写真集とかなら、見て楽しめるわけだし。
早速、写真集の並びの方へ向かっていくと、フェイはきょろきょろと物珍しそうにあたりを見回しながら、目をきらきらさせている。
「こんなに大きな図書館じゃあ、本を探すのも一苦労だなあ……あ、でも、司書さんが居るのか」
「うん。司書さんに聞くと本を探す手伝い、してくれるから。それに、タイトルや何かで検索を掛けることもできるよ」
「けんさく?」
フェイがきょとんと首を傾げたのを見て、まあ、フェイにならこういうのを見せた方がいいよね、と思い直して、ちょっと来た方へ戻って……本の検索用の端末の前へ。
「なんだ?この箱」
「図書館内の本を検索する端末。ええとね……じゃあ、折角だから先生の本、調べてみようか。著者名で……『うぬきまもる』と……」
キーボードで文字を入力すると、フェイはぎょっとしたように僕を見て、端末画面を見て、また目を輝かせ始める。けれど、僕が普通に使っているものについては、家の外ではあんまり騒がないようにね、っていう僕との約束を守ってか、目をきらきらきらきらさせているだけだ。……フェイがちょっとだけ、カーネリアちゃんに見えてきたぞ……。
「はい。出た。ええと、先生の本、あっちの書架とそっちの書架にありそうだね」
そうしてフェイを連れて、端末で検索できた番号の書架に向かうと……そこには見覚えのある名前が書かれた、見覚えのある本が何冊か。
「おお……見たことあるぜ!ウヌキ先生のやつ、だよな!?」
「そう。さっきみたいに調べれば、何万冊も本がある図書館で、ちゃんと目的の本の場所を探すことができるんだよ」
「ど、どういう仕組みでだ!?」
「え、ええと……ごめん、そんなには詳しくないんだ。けれど多分、本の情報が1冊ずつ全部入力されていて、僕が提示した条件にひっかかる本の情報を全部探して表示している、っていうかんじだと思う、んだけれど……」
フェイは本もだけれど、それ以上に機械類の仕組みが気になるらしい。まあ、フェイだからなあ。
……それからもしばらく、フェイは本の検索用端末をあっちの世界でやるとしたらどういう仕組みにすればいいか、なんてことを考え始めたらしくて、楽しそうににこにこしていた。まあ、親友が楽しそうで何よりだよ。
それからフェイと一緒に数冊、写真集を見てみた。景色も、動物も植物も、フェイには全てが異世界のものだ。彼の興奮ぶりは中々すごくて……ええと、まあ、すごく興奮していたので、しょうがない。写真集を借りて、家で見ることにした。じゃないと、図書館で騒ぎそうだったので……。
ということで、早速先生の家へ帰る。フェイとしては、ひとまず今日手に入れた情報を整理してじっくり味わう時間が欲しいみたいだ。その気持ち、分かる分かる。中々贅沢で幸せな楽しみ方だよね。
ひとまず、お風呂を沸かす準備をしてフェイに『どうしてここ押しただけでお湯が出てくるんだ!?』とびっくりしてもらったり、先生が食べないまま放置されることになってしまったお米を炊飯器で炊き始めたり、向こうから持ってきた野菜やお肉を切ったりして……フェイが今晩ここに泊まる準備を始める。つまり、お風呂と食事の準備。
鍋の中で野菜と鶏肉がことこと煮込まれる状態になって、炊飯器がふしゅうと湯気を吐き出して、お風呂がぴろぴろりん、と湧いた合図をしてくれて……。
「えーと、じゃあ、火を止めて、ルーを入れます」
「お、おう……?なんだこれ」
「えーと……カレーのルー。香辛料と調味料を脂で固めたもの、っていうかんじでいいと思う……」
……僕とフェイが作っているのはカレー。シチューと迷ったのだけれど、カレーを食べたことが無さそうなフェイにはこっちの方がいいかな、と思って。野菜もお肉もソレイラ産だけれど、カレールーは先生の家の戸棚に眠っていたやつだ。つまり、こっち産。
フェイとしてはやっぱり、異世界の食品が珍しいらしくて、カレーの香りがふわりと漂い始めると好奇心と期待に目を輝かせ始めた。今日はフェイの目がきらきらし通しだなあ。嬉しい。
そうしてルーが溶け込んだ鍋をもう一回加熱して、ちゃんと混ぜて、ちょっとふつふつしてくるまでやっている間に、炊飯器がぴろりん、とご飯が炊けた合図をしてくれる。
「……こっちの世界の道具って、歌うんだなあ」
……フェイにはちょっとこれが新鮮だったらしい。お風呂といい炊飯器といい、電子レンジといい、確かに歌うよね。いや、歌……?
「いただきます」
「いただきます!」
ということで、僕らの晩御飯はカレーライス。僕は自宅に『今日は晩御飯食べてから帰ります』って連絡を入れてあるので大丈夫。
……魔王を連れて行ったあたりから、両親はちょっと、その、僕に対して諦めがついてきた、らしい。なんだか遠いところに行っちゃった、みたいに思っているのかも。だから、以前だったら絶対に許されなかっただろう『晩御飯食べてから帰ります』も、ちょっと文句を言われるぐらいで済んでいる。
「ん!これ、どういう味なのかと思ったらこういう味なのか!」
「お口に合いますでしょうか」
「合う!なんか、すげえ合う!これ美味いなあ!」
両親の文句はさておき、フェイはカレーライス、気に入ったらしい。「うちの領地の名物料理にしてえ……」とのことだ。そんなに気に入った……?
そうしてご飯が終わって、洗い物をして、フェイが『この洗剤すげえな!』と科学技術の結晶に目を輝かせて……それからフェイにお風呂の入り方を教えた。ええと、これがシャンプーでこっちがボディーソープ、シャワーはこっちに捻ると出てくるよ、みたいな。
そうして説明してからフェイがお風呂に入って……歓声がお風呂場から聞こえてくるのを聞きつつ、僕は今日のフェイの顔を思い出しながら描かせてもらって……。
……さて。
フェイがお風呂から出てきてほかほかしている状態で、今度はドライヤーなんかの説明もして、『これに関しては火の精にやってもらった方が早いなあ』なんていう結論に至りながらもドライヤーを使うフェイを描いて……そうしていよいよ。
「よし!本、この包みだよな!」
「うん。それそれ」
僕らは改めて、図書館で借りてきた本を開く。
「うわー……すげえなあ。こんなに精密な絵……」
「それ、写真っていうんだよ。絵とはまた違うんだ」
……まず、フェイが驚くのはそこからなんだよ。写真が珍しい、っていう、そこから。
「ってことは、この世界って絵師の仕事、すごく少ないんじゃねーの?」
「まあ、絵は実用品っていうよりも芸術品、っていう扱いだね。写真で済むものをわざわざ絵にするのはコストがかかるし……」
大変だなー、なんて言うフェイの声を聞きつつ、そういえば向こうの世界だと絵を写真代わりの実用品として使うっていう面があったんだよなあ、と今更気づく。僕が最初に『仕事』として描いた、レッドガルド一家の肖像画。あれはこっちの世界で言うところの家族写真っていうことなんだろうし。
色々考えながらも最初に開いたのは、動物の写真集だ。フェイは結構、生き物が好きなのかも。なんだかんだ、結構すぐに馬とも馴染んでたもんね。
「この世界にはドラゴンは居ねえの?」
さっき、動物の写真集を見て色々とそっちも気になり始めたらしいフェイがわくわくと聞いてくる。あらゆる方向に向かって好奇心旺盛だなあ。
「居るには居るけれど、多分、フェイが思うようなやつじゃないよ」
僕は『コモドドラゴン』とか『土竜』とかを想像しつつそう答えた。するとフェイは「どんなのだ……?」と気になる様子だったので、まあ、後で画像を見せてあげよう。
「結構変なの色々居るんだなあ」
「そりゃあね」
僕からしてみると、向こうの方が変な生き物だらけなんだよなあ。……筆頭はへんてこな巨大コマツグミ。
「こんなのとか、実際どんなかんじなんだろうなあ。でっけえ猫、ってかんじ?」
「うーん……僕も、最後にこういう動物の実物を見たのは小学校の低学年ぐらいだったから……あんまり、覚えてないなあ」
フェイがライオンの写真を指差しながら聞いてくるのに、あんまり上手に答えられない自分に気づく。
……動物園なんて、最後に行ったの、本当に前だなあ。というか、まあ、どこか遊びに連れていってもらえた最後がその辺りだったのだけれど……。
「え?実物、この辺りに居るのか!?見たことあるんだろ!?」
「え、あ、うん。ええとね……野生のやつは当然、居ないんだけれどね。でも、動物園、っていうのがあって……実際の動物を見られるように、色んな動物を飼っている施設があるんだよ」
説明すると、フェイは、へー、と興味深げに頷いて……ふと、ちょっと真剣な顔で、身を乗り出した。
「……なあ、トウゴ。それって、今の予算でも見に行けたり、するか……?」
僕は考えて……ちょっと調べて……そして、答えた。
「……うん。交通費込みでも、十分にいける!」
「おお……!な、なら、トウゴ!俺、動物園、行ってみてえ!」
「うん!行こう!」
フェイが表情を輝かせているのを前に、僕もなんだか、わくわくしてきた。
……動物園。今の僕が行ったら、どんな感想になるのかな。




