異世界留学生*1
そうして、次の休日。
「よっ、と……よし、通れた!消えたりもしてねえ!」
フェイは、『門』を潜って、興奮気味に周囲を見回した。
「うおおお……見たことない壁材!真っ白な光のランプ!床つるっつるだな!この床板、何で磨いたらこんなにつるっつるになるんだ!?」
「樹脂加工とかしてあるんじゃないかな」
……なんてことのない、ごく普通の民家の洋間。それを見ただけで、フェイはもう、大興奮だった。
まあ……初めての異世界、なので。好奇心の強い彼は、こうなっちゃうらしい。
「これがガスコンロ。ここを押すと火が出てくるよ」
「うおーっ!すげえーっ!」
「ここを押すと換気扇が回るから、ガスを使っている間はこれを回してね」
「な、なんだこれ!何で回ってるんだ!?」
「えーと、電気……?」
……今日からフェイは数日間、先生の家で過ごす。先生の許可は貰ってるし、僕の部屋(つまり『門』がある部屋)にフェイが泊まれるようにベッドを異世界から搬入しておいた。ええと、普通のベッドだと細い門を通らないので、部品ごとに分けて送って、こっちで組み立てるかんじで。
「2階は先生の部屋だから立ち入り禁止ね。飲食したかったらここのコンロを使って調理もできるけれど、こっちの電子レンジを使って温めてもいいよ」
「なんだこの箱!すげえーっ!」
「お風呂の沸かし方教える?お風呂の時だけ向こうに帰ってもいいと思うけれど……」
「いや!折角だからこっちの世界を堪能してえ!風呂でも便所でも全部!」
「そっか。そういえばトイレの使い方も説明しないといけないのか……」
それでまあ、フェイは非常に興奮している。彼にとってはこれらすべてが未知の魔法に見えるのかな。
僕は……向こうの世界では、結構『魔法』というものに慣れるのが早かったものだから、そんなには困らなかった。何なら、文明というものがほぼ無い森からのスタートだったし。
「いや、すげえなあ……な、トウゴ!今日はとりあえず、この家にあるものの仕組み、全部教えてくれ!」
まあ、その点フェイは都市部からのスタートな訳で、その辺りも結構勝手が違うのかな。それ以上に彼自身の好奇心とこっちの世界の道具の複雑さ、いや、向こうの世界の魔法の単純さによるところが大きい気もするけれど。
そうして僕はフェイに、家電製品の使い方を一頻り説明した。
トイレはこうやって使ってこうやって流すんだよ、とか。(流した後にどこに行くのか、っていう説明までしたのでちょっと大変だった。)
電子レンジはこうやると物が温まるけれどかけちゃいけないものもあるよ、とか。(マイクロ波っていうものの説明に『そういう魔力みたいなもの』っていう説明をしてしまった……。)
ガスって何だ、とか。電気って何だ、とか。そういう説明をしていて、つくづく、ああ、僕が今まで学校で学んできたことって無駄じゃないんだなあ、と思う。フェイに諸々を説明するのに、結構、そういう知識を使うことになったから。
「へえー……成程なあ、魔法が無い世界ってどういう世界だよ、って思ってたけど、こうなってんのかあ……」
「魔法だったら1つで済むようなことが、こっちの世界では目的1つ1つに応じて沢山道具を作らなきゃならないんだよね」
「なるほどなあ。おもしれえなあ……」
フェイはリビングのソファに座って、あれこれメモを取っている。
……その様子を見ていて、なんとなく、ああ、やっぱりフェイって先生っぽいところあるよなあ、と思う。先生もこうしてここのソファに座って、メモ帳にボールペンで何か書いていることが多かった。
そういえば、初めてフェイに会った時も、ちょっと先生っぽいなあ、なんて思ったことがあったっけ。
「……フェイって、先生にちょっと似てる」
「え?俺がか?」
ちょっと言ってみたら、フェイはきょとんとして目をぱちぱちさせた。うんうん。そういう反応も、ちょっと先生に似てるんだよなあ。
「まあ、俺もウヌキ先生が書いた人物、ってことなら、似てるとこあるのかもしれねえけどさあ……」
「それを言ったらクロアさんもそうだということになるけれど」
「……成程。確かにクロアさんとかラオクレスとかよりは俺の方がずっとウヌキ先生に似てるな!」
うん。そうでしょ。
なんだか面白くてくすくす笑っていたら、フェイもつられて笑い出して、ちょっとの間僕らは2人で笑っていることになってしまった。
まあ、こういうのも楽しいので、よしとしよう。
「ええと……じゃあ、まずはお昼ご飯、食べに行こうか」
「おー!……って、あー……」
さて、最初はお昼ご飯、と思っていたら、フェイが急に、しゅんとし始めてしまった。
「……こっちの世界では、金ってどうやって稼いだらいいんだ?貨幣の換金はできねえだろ?」
ああー、成程。そっか。そうだよね……。
僕のお小遣いが多少あるから、食事の分くらいは、まあ、あるんだよ。今年のお年玉は親に持って行かれてしまう前に僕が貰って大事にしまっておいたので。だから、そこから出してもいいと思っていたのだけれど……フェイはその辺り、気にするらしいので。
「うーん、でも、ものを売るのは色々と、こう、問題があるんだよ……」
……けれども、この世界でお金を得るのって、大変だ。
僕の学校は当然、アルバイト禁止なので働いてお金を得るっていうことはできない。
質屋さんやフリーマーケットのアプリケーションを使う、っていう手もあるのだろうけれど、それだって、あんまり異世界のものをこっちの世界で売りたくないしなあ。古物商取引の資格を持っている訳でもないし、その辺りは結構難しいので……ええと。
「すみません」
荷物を持って、先生の行きつけのカフェへ。からんからん、とベルを鳴らして入ると、いつも通りがらんとしたカフェの中で、マスターがにこにこしてくれた。
「ああ、いらっしゃい、トウゴ君。……おや?そちらは」
「ええと、僕の親友です。それでいて、先生の知り合い」
「はじめまして!フェイ・ブラードと申します!」
フェイが元気よく挨拶すると、マスターはちょっと驚いた顔をして、首を傾げた。
「外人さん、かな?随分と日本語が達者でらっしゃるものだから、びっくりしましたよ」
「ははは。まあ、勉強しました!読み書きはさっぱりですけどね!」
フェイはさらりと嘘を吐きつつ、僕にウィンク。そうそう。外に出る時はこういうことにしておこうね、と予め取り決めておいた通り。
「フェイ君も宇貫先生の知り合いとは。あの先生も中々顔が広いなあ」
笑いながら、マスターは僕らを席へと案内してくれた。そこで僕らはちょっと顔を見合わせて……。
「あの、マスターさん。相談なんですけれど……」
テーブルの上に、トマトを乗せた。
「お野菜と果物、買いませんか?」
「……おやさい?」
「はい。ええと……色々あるんですが……」
持ってきた袋の中から、そっと果物と野菜を出していく。
色が濃くてつやつやしたトマト。きらきら粒が輝くぶどうの房。桃も傷つかないように大事に大事に箱に入れて持ってきたし、ころんとした玉ねぎも、瑞々しいレタスも、色々持ってきた。
全部、森で採れた作物だ。最近のソレイラは冬なわけだけれど、温室栽培を試み始めたところで、この野菜はその試験作。
けれど、森の恵みをたっぷり注いで育てた自慢の野菜だよ。味がいいのも確認済み。
「おやおや。これは随分立派な野菜だ。それにこのぶどうと桃……どうしたんだい?」
「ええと、フェイの地元で採れたものなんですけれど、食べきれないので」
「そういうわけで、あんまり食料には困ってないんですけれど、その、金にはちょっと不便しているというか……俺がこっちに滞在している間、ずっとトウゴの財布に頼るわけにもなあ、と」
「そういうわけで、その、この野菜、500円で買いませんか!」
どうですか、という気持ちと一緒に、申し訳ないなあ、という気持ちにもなりつつ、僕はそう、マスターに聞いてみて……。
「え?これ全部で500円かな?」
「はい!」
聞かれて答えると、ふむ、とマスターは頷いて……レジに行って、5000円札を、持ってきた。……えっ。
「あんまり自分達のものを安売りしちゃあいけませんよ。野菜もそうだけれど、こんなに立派な果物は大変高価なものなんだから」
「そ、そんな、こんなには頂けません!無理言って買ってもらおうとしてるんですから……」
僕は戸惑ったけれど、マスターは僕の手に5000円札を握らせてくれて……そして。
「……野菜と果物を買う代わりに、というわけでは、ないのだけれど」
……はい。
「あの……前ここに来てくれた、黒い猫さんを、また連れてきてくれないかな……?」
……うん。
多分そうだろうなあ、と思いながら、いそいそとカウンターの向こうへ行ったマスターを見ていると、マスターが手招きしてくれる。僕とフェイはそっちについていって……。
「……うわあ」
「うわあ……」
「……グラタンをね。焼こうと思ってね。けれどうっかり容器から零れていたらしくて。それをそのまま焼いちゃったらオーブンの中で焦げ付いちゃってね……」
……そこにはすごいことになったオーブンがあった。
成程。これは、魔王の出番だ……。
ということで。
僕らは一度先生の家に戻って、そこから向こうの世界へ行って、魔王に事情を話したら『まおーん!』と頼もしい返事を貰って、魔王を抱きかかえて戻ってきた。
そこですごいことになってしまったオーブンを魔王にぺろんと綺麗にしてもらって、ついでにやる気を出した魔王がコンロやら換気扇やらなにやら、すっかり綺麗にしてしまうのを、歓声を上げながら見ていた。
「おおー!ありがとう、ありがとう!持つべきものは不思議なお客さんだなあ!」
マスターがにこにこ喜びながら魔王を撫でると、魔王は『まおーん!』と誇らしげ。かつ、嬉しそう。よかったね。そしてありがとう。
その後、『これはそちらの素敵な猫さんへのお礼!』ということで、ドリアをご馳走になった。お金を払おうとしたのだけれど、それは受け取ってもらえなかった。5000円は野菜と果物の代金で、かつ、魔王への仲介料、だってさ。
「うー、なんだか申し訳ねえ……」
「うん……」
僕とフェイがなんとなく縮こまっていると、マスターは僕らに食後のマシュマロココアを運んできてくれつつ、にこにこと笑った。
「そうですね。もし申し訳ないと思ってくれるなら、今後ともどうぞ、御贔屓に。ついでに、宇貫先生の話を聞かせてもらえると、嬉しいな」
……うん。
そうだ。そうしよう。今後、5000円分……いや、もっともっと沢山、ここのカフェに通おう。
それで、マスターも一緒に、先生の話をするんだ。思い出話もそうだし……向こうの世界の話も、こっそり混ぜてみようかな。マスターならきっと、大丈夫だと思う……。




