竜の巣ごもり*3
……こうしてレネの巣ごもり1日目が終わって、翌朝。
「……ん?」
なんだか耳がむずむずして、僕はぼんやり目を覚ました。
なんだろうなあ、と思いつつ、耳元を探ってみると……ふに。
「んっ?」
温かくて柔らかくてすべすべしたものに手が触れたので、慌ててそっちに目をやる。……すると。
「……んみゅ」
レネが。レネが……寝ぼけて、僕の耳を、唇でふにふに、はみはみ、と甘噛みしていた!
「だ、駄目だよ!食べないで!僕はご飯じゃないってば!」
慌ててレネを起こすと、レネは、ぱち、と目を開けて、けれどまだ眠たげにとろんとした目を僕に向けて……にっこり、満面の笑み。
「とうご」
「うん。トウゴですが」
僕が答えると、レネはくすくす笑いながら、とうご、とうご、と僕の名前をもう何度か呼んで……そして。
「……また寝ちゃった!」
寝てしまった!またしても!
……ドラゴンの巣ごもりって。必要だから、するんだなあ。
異文化の異文化たる理由がちょっと分かったような気がして、僕はなんだか新鮮なような、ちょっと慄いたような気分になりつつ、もそもそ寄ってきたレネの抱き枕になるのだった……。
「ふりゃー……」
そっか。ふりゃーか。ならよかったよ……。
それから少しして、タルクさんが部屋に入ってきた。するとレネは途端にぱっちり目を覚まして、それから、僕を見て、タルクさんを見て、僕を見て……。
「……わにゃ!?」
何か混乱したような声を上げた。あの、もしかして巣に入ったことを覚えていないんだろうか?
ちょっと心配になりつつ僕とタルクさんとで見守る中、レネは跳ね起きて、傍にあったスケッチブックに手を伸ばして、鉛筆を走らせて……。
『寝てしまいました!不覚です!折角の、トウゴとの巣ごもりなのに!』
そう、ちょっと涙目になって主張してきた。
「まあ、巣ごもりはまだあと2日あるし」
「みゅー……」
レネはちょっと落ち込みながら、ご飯を食べている。僕も一緒にご飯。
今食べているものは、巣の中に予め持ち込んで蓄えてあった食べ物だ。レネが好きな果物やパンが多い。巣ごもり期間中は調理ができないから(流石にキッチンは巣の中に持ち込めない!)調理済み食品や保存食っぽいものを食べることになる。ちょっとあたためるくらいなら、レネが火を吹いてこなせるんだけれど、まあ、パンをちょっと炙るぐらいってことで。
『今、レネの体調はいかがですか?』
ということで僕も果物を食べつつ、レネにそう聞いてみる。すると、レネはスケッチブックに鉛筆を走らせて、文字を僕に見せてくれた。
『ちょっと怠いです。まだ魔力が馴染まないのかもしれません。』
成程。道理で、ちょっとレネが気だるげなわけだ。
『でも、もっと症状が重くなるドラゴンもいるそうです。ナトナはすごく、巣ごもりの儀式が辛かったみたいです。それと比べればずっとずっと楽です。』
ナトナ……ああ、竜王様か。そっか。竜王様はきっと、魔力が馴染むまでが大変だった人、なんだろうなあ。
ところで……いや、もしかしたら僕が鳥の巣で抱卵していた時って、変な実を食べさせられて魔力が増えてしまって、それで熱が出ていたわけなのだけれど、あれってドラゴンの巣ごもりに近い状況だったんだろうか。うーん……。
『それに、トウゴが居ます!楽しいこともいっぱいしたいです!だから、気分はすごくいいんです!』
……まあ、今はとにかく、レネが楽しく巣ごもりできるようにサポートしよう。そのために僕、呼ばれたわけだし。
『日向菊のお茶を水出しにしておきましょう。水瓶から水差しにお水を入れて、そこに茶葉を入れておけばお湯が無くてもお茶が飲めます!』
「それはいいね」
部屋の中は、暖炉でしっかり火を焚いているので、ぬくぬくと暖かい。けれどやっぱり夜の国なので、床から染みてくるような寒さはどうしてもある。そういう時には温かいお茶の方がいいんだろうけれど……まあ、水出しのお茶っていうのも、悪くは無いだろう。寒くなってきたら毛布にくるまってぬくぬくすればいいや。
食事が終わったら、レネはちょっとお手洗い。ぱたぱたと羽を動かして、トイレ方面へふわふわ飛んでいく。
『トウゴ、疲れていないか?』
レネがトイレに入ってしまうと、タルクさんがそう、聞いてきた。
『はい。ぐっすり眠って、むしろ元気です。』
『これがあと2日あるんだが、大丈夫か?』
『まあ、多分。ごろごろしているだけなら全然大丈夫ですよ。』
僕が答えると、タルクさんはちょっと安心したようなジェスチャーをして……それから、ちょっと首を傾げつつ、またスケッチブックに文字を書いて……。
『レネは無礼なことをしていないか?』
……無礼。無礼、というと……うーん、無礼、ではない、と思うけれど……。
『レネにちょっと食べられかけました。』
ついさっき、耳をはみはみとやられていたのは記憶に新しい。あれはちょっとびっくりしたよ、流石に。
『あちゃー』
それに対してタルクさんはこの反応だ。『あちゃー』って文字に書くと、なんとなくちょっと間が抜けたかんじがあるね。
『あれは一体何なんでしょうか。レネは人間を食べたいの?』
『いや、そうじゃないそうじゃない。ただ、ドラゴンは強欲だからな。巣ごもりの時は特にそうだから……もう、巣の中にあるような大事なものはなんでも唇で触れたいし、齧りついちまいたいんだろうし……』
……うーん、つまり、とりあえず僕は食べられそうになっていたわけではない、っていうこと、なのかな。まあ、それならいいんだけれど……巣ごもり中のドラゴンは、巣の中にあるものに唇で触れたくなってしまう、と。うーん、不思議な生態だ。
『まあ、もし歯を立てられたらレネを殴り飛ばしていい。』
「いや、それはちょっと……」
レネを殴り飛ばしたくはないなあ、と思ったのだけれど、でも、よくよく考えると、レネは『かぷり』だけでアージェントさんの前腕の骨を全部折っちゃったんだったなあ。
……殴り飛ばしはしないけれどさ。でも、警戒はしよう。じゃないと、かぷっ、とやられて全身骨折、とか、あり得ない話じゃない……!
レネがトイレから出てきたら、交代で僕もトイレ休憩。
戻ってきたら、レネが巣の毛布を上手く整えて居心地のいいようにしていた。
「とうごー」
「うん。今行くよ」
僕も巣の中に戻ると、レネがすぐにきゅうとくっついてくる。……ここ1日で僕、ものすごくレネにくっつかれている気がする。まあ、巣ごもりだもんなあ。
『トウゴ、トウゴ、お喋りしましょう!』
そしてレネがスケッチブックを手ににこにこしているので、僕もスケッチブックを持ってきて、筆談の準備。
『再会した時には言いそびれてしまいましたが、またこの世界に戻ってきてくれてありがとう。また会えてうれしいです。』
『僕も戻ってこられて嬉しいです。これからまた、よろしくね。』
最初に挨拶をする。こういうの、ちゃんと言っておける時に言っておいた方がいいよね。
『トウゴが居ない間、とても寂しかったです。空から太陽が無くなってしまったみたいでした。』
レネは思い出したのか、ちょっとしょんぼりしながらそう書いて見せてくれた。空から太陽が無くなった、っていうのは、非常に大変なことだ。……僕が居なくて、それくらい落ち込んでくれたのか。なんだかちょっと嬉しくて、たくさん申し訳ない。
『でも、これからはまた時々、会えますか?』
『うん。勿論。僕は度々こちらの世界に来る予定だし、そうしたら夜の国にも顔を出せると思います。』
『それならよかった!』
僕の手を取って、レネはにこにこして……それから、また、スケッチブックに文字を書いて見せてくれた。
『ぜひ、トウゴの世界のこと、教えてください!』
『そんなのでよければ、いくらでも話すよ。』
レネはどうやら現実の世界に興味があるらしい。僕があれこれ話す間、驚いたり、にこにこしたり、うっとりしたりと表情をくるくる変えながら僕の話を聞いていた。いや、読んでいた……?
筆談のお喋りは、ちょっと疲れる。僕らは水出しで丁度よく出てきた日向菊のお茶を飲みつつ、案の定、冷たいお茶を飲んで少し寒くなってきて、毛布の中に潜ることになった。
……すると、ふと、レネがもじもじし始めた。
「どうしたの?ええと、わにゃーにゃ?」
「とうごー……」
レネはもうしばらくもじもじしていたのだけれど、やがて、意を決したように、スケッチブックを見せてきた。
『トウゴは鳥さんの卵を温めていたことがあると聞きました。』
「あ、うん。ついこの間も温めてたけれど……」
あれ、よくよく考えるとつくづく不思議だよなあ。どうして鳥は僕に抱卵させるんだろうか。いや、精霊の卵については、僕を精霊にするためだって分かるからいいんだけどさ。それ以外の、自分の子についても僕に抱卵させるのは、あれ、一体なんでなんだろうか……。
『厚かましいお願いなのだけれど、いいですか?』
『どうぞどうぞ』
僕がちょっと考えていたら、レネはそう前置きしてから……書いた。
『あっためてください!鳥さんの卵をするみたいに!』
……うん。
いいんだけれどさ。別にいいんだけれどさ。
なんだろう。ドラゴンは巣ごもり中、卵になりたがる……?
それから僕は、コロンと丸まったレネをお腹のあたりにセットして、レネの背中を撫でながら横向きに眠ることになった。
レネはレネで、卵役になったらなんだか落ち着いてきてしまったらしくて、すぐにすやすや眠ってしまった。まあ、元々あんまり体調もよくないんだろうし、たくさん寝ておいた方がいいのは確かだろう。よく寝てよく育て、ってよく先生も言ってた。昼寝しながら。
「とうごー……んー、ふふ……」
寝ながら僕の名前を呼んでくすくす笑っている卵をお腹に抱きつつ、僕は、つくづく不思議なドラゴンの生態に思いを馳せるのだった。
……帰ったら、先生に聞いてみよう。あなたはドラゴンをどういう設定のどういう生き物として書いたんですか、って……。




