7話:絵に描いたような世界を描く*1
明日の夕方まではこの家を使っていい、と聞いたので、僕は早速、水彩画用紙の水張りをした。下描きは後で。代わりに、ラフスケッチを描くためにコピー用紙数枚を持って、先生のノートPCの前に陣取る。
「おお、やる気だね」
「はい」
石ノ海さんはどこかうきうきした表情で僕のことを見ている。……遺品整理のお手伝い、なんてことよりも先に絵を描き始めてしまう僕に対して怒ったっていいと思うのだけれど、彼は『いやあ、大体の仕事は終わったし、契約書云々の位置は護の置き手紙にあったし、トーゴ君が描いている方が護の供養になるだろうからなあ』とにこにこしているばかりだ。ありがたいことに。
……僕がこれから描くのは、先生の原稿の、続き。
僕を愛してくれて、僕が愛する、大切な世界を救うため。そして何より、僕がこの現実を乗り越える……いや、やり過ごす?うん、まあ、そういうために、僕は続きの世界を描こうと思う。
先生の原稿も、すぐに見つかった。ドキュメントフォルダの中に入ってた。更新日時の新しい方から順番に見ていったら、仕事で進行中の原稿の中に紛れて、『まだ無題』という名前のファイルが見つかった。それを開いてみたら……なんだか懐かしい世界が、目の前に広がる。
ドラゴン使いの伝説が残るレッドガルド領。
その中心に生い茂る精霊の森。
そこに住む、体も態度も大きな鳥……。
……そんなところから、この物語は始まっていた。
「大分違うなあ」
面白いなあ、と思いながら、僕は物語を読んでいく。
先生が書いた原稿は、面白いことに、鳥が主人公だった。
……うん。鳥。あの鳥。あのふわふわの巨大コマツグミを中心に、三人称視点で進む話だったんだよ、これ。
その鳥が住む森に迷い込んできた人間の男の子が居て、そいつが絵を描いて、森の中で変化が起きていく……。うん。つまり、鳥による僕の観察日記……?いや、概ね鳥と一緒に動いている神様、第三人称による僕観察日記……?
……まあ、そんなかんじ。
大体は鳥と一緒に視点が動くから、細かいところはあんまり分からない。僕が何を考えたかとか、どういう会話をしたかとか、そういうのが全て書いてあるわけじゃない。当然、物語として記されているのは、僕の生活のごく一部だけ。
その一方で、僕が見ていなかった部分……例えば、鳥が精霊の卵を産んで満足するシーンとか、鳥がゴルダの山の中で引っかかって僕らに置いていかれて憮然とした表情をしているシーンとか、僕が夜の国へ行ってしまっている間、鳥が僕の家に侵入しようとして諦めたシーンとか、そういうものも書いてある。……あの鳥、色々やってたんだなあ!
三人称だから、鳥が何を考えているのかもよく分からない。何なら、僕自身のことすら、そんなにはよく分からないかも。だからこそ、自分があの時こう思った、とか、こう感じた、とか、そういう色々が深く思い出される。
物語はどんどん進んでいく。僕は夢中になってそれを読み進めていく。
身に覚えのある事件が起きて、それが解決されて、時々鳥のシーンが挟まって、それから森がどんどん変化していって、僕が学んで、成長して……。
……そういった話を読み進めて、読み進めて……最後。
夜の国の魔王が昼の国にやってきて、マーセンさんとインターリアさんの結婚式があって、それから……そのあたりで、物語は唐突に、ふつり、と途切れてしまった。
「成程、カチカチ放火王はそもそも、先生の物語の中には登場していないのか……」
あれは書を焼く存在であって、元々物語の中に居たわけじゃない、と。それがどういう訳か、あの世界にやってきて、あの世界を燃やそうとしていた、と……。
……あれっ。もしかして、カチカチ放火王のおかげであの世界、長持ちしてたんだろうか?だって、カチカチ放火王が出てくる前にこの話自体は終わってしまっている。それでもまだ、あの世界が崩壊せずに残っていたっていうのは……カチカチ放火王が居て、話が続いたから、っていうこと、なんだろうか……?
そう考えると、やっぱりあいつ、いい奴だったんじゃないかなあ、という気がしてきてしまう。すぐそういう風に考えてしまうの、あんまりよくないかもしれないけれど。僕を燃やしたこと、まだ忘れてないけどさ。
それから僕は、考える。
……ここから続きを描くとして、僕は一体、何を描けばいいんだろうか、と。
悩んでいる内に、すっかり日が暮れてしまった。なので石ノ海さんに大通りまで送ってもらって、それから僕は家へ帰る。
両親は帰宅が遅かった僕を責めるようなことを言ったけれど、僕はちょっと上の空なままだったし、そして両親はちょっと、僕の様子がおかしいことを怖がっているらしくて、下手に僕をつついて僕が真剣な話し合いの席を設けようとしないようにふるまってくれたので……まあ、僕は無事、お風呂に入って、夕食を摂って、そしてうっかりもう一回お風呂に入りかけて、ああもうお風呂入ったんだった、と慌てて寝室へ入って……。
……僕はベッドの中で鉛筆を動かしていた。
ラフスケッチはもう、何枚もできている。けれどどうにも、しっくりこない。
続きを描く、となった時、最初に『なら実際にあったことをそのまま描けばいいんじゃないかな』と思った。カチカチ放火王が出てきてからの一連の。
……けれどそれって、つまり、この物語の終点が、僕の帰宅になってしまう。それって……いや、物語としては、正しい、のかもしれないけれど。でも、なんだか、嫌だった。
折角フィクションを生み出すなら、とびきり都合のいい話がいい。そういう物語に救われたい。
……なら、どういう結末なら僕も納得できるのか、というと、これが分からない。
何も思いつかない、というかんじ。要は、僕には物語を紡ぐセンスはあんまり無いんだよ。
一晩、眠った。眠って、眠って……日曜日の朝。
僕はまた、散歩に出かける。朝早くから散歩。普段の両親ならきっと咎めたと思うのだけれど、今はどうも、僕をどうしたらいいのか扱いかねているらしい。そういう訳で、意図的にかたまたまか、寝坊している両親に書き置きだけ残して、さっさと散歩に出かけた。
朝早くの街並みはヒヨコ色。
ほとんど真横から、突き刺すように降り注ぐ朝陽。
長い長い自分の影がヒヨコ色のアスファルトの上に青っぽく伸びて、吐き出した息がふわふわ白い雲になって、松葉杖がカツカツ音を立てる。
大通りに出て、駅の方へ歩いていって、途中で曲がって図書館の方。そのまま図書館を通り過ぎたら、さらにずっと進んで……先生の家。
呼び鈴を鳴らすと、ぴんぽーん、と、ちょっと間抜けな音が響く。そして、家の中でパタパタ音が聞こえて……がちゃ、とドアが開いたら、そこに石ノ海さんが居た。
「やあ、トーゴ君。おはよう」
「おはようございます」
そうして挨拶して、僕の一日が始まる。
……呼び鈴を鳴らしてから少しの間、少しだけ、先生が出てきてくれるような気がしたのは、内緒。
「やっぱり悩み中かい?」
「はい……」
石ノ海さんにお茶を出してもらって、ついでに『食べるかい?』と勧められたロールぶどうパンを1つ食べて、朝ご飯。
「僕、物語を考えるセンスは無いみたいです」
お茶の中にふわふわ漂うお茶っ葉の欠片を眺めて、確かめるみたいに言ってみる。
……そう。僕には、物語を考えるセンスが無い。それは、本当に。
「しかも僕は文章を書くのはあまり得意じゃなくて……だから絵を描いて続きにしようと思ったんです。でも、文章と絵って、全然性質が違う」
話しながら、思う。
僕が得意としているものは、絵。大好きなのも絵だし、まあ、だから、僕が生み出すなら、絵しかないな、と思っている。
けれど、絵って……その、物語にするには、ちょっと難しい部分が多い。
まず、文章みたいに子細に物事を語ることはできない。登場人物の胸中なんて、絵にははっきりと表せない。
次に、文章みたいに理路整然とした物語を形作ることはできない。絵は、物語を語るにせよ、あくまでもぼんやりとした輪郭ぐらいしか表現できない。
そして何より……隙間なく物語を綴ることは、できない。それをやろうと思ったら、それはもう絵じゃなくてアニメーションだ。
だから、絵と文章はとにかく、性質が違う。言ってみれば、情報の圧縮効率が全然違う、ってことなのかもしれない。文章って、そこにある景色とか食べ物の味とか空の色とか、そういうものをぎゅっと圧縮して、読み手の頭の中でそれをもう一度組み立て直して景色や味や、そういうものにしているんだと思う。
その点、絵は圧縮効率が悪い。読み解く必要がほとんど無い。だから絵では多くのことは伝えられなくて、多くのことを伝えようと思ったらアニメーションにするとか、とにかく枚数を描かなきゃいけないっていうわけで……。まあ、現実的じゃない。
「それに、種類の違う情報媒体をくっつけて1つの物語にするっていうこと自体、結構難しい気がして……」
そして、更に悩ましいことに、先生が書いたものは文章で、僕が描くものは絵なんだよ。
そう。この話を僕が完結させようと思ったら、文章から突然、絵に切り替えなきゃいけない。……これは中々、大変だ。
「完結させるって言っても、出鱈目なことはしたくないんです。できれば、僕も先生も、この話自身も納得できるような。だから……どうすれば、文章がいきなり絵になってしまってもいいのか、どうも、分からなくて……」
お茶を飲んで、湯気とため息を吐きだす。
「……絵って、こういう時、あんまり都合がよくないですね」
「そうかい。まあ、それを言うと僕の得意とする媒体なんて、絵よりももっとぼんやりだぞ」
石ノ海さんもロールぶどうパンを齧りつつ、そんなことを言う。ちなみに、石ノ海さんは……ええと、音楽を趣味とする人、だった。職業は音楽が関係ないらしいんだけれども。
まあ、つまり、彼の得意とする媒体は、音楽。……確かに、ぼんやり、だよね。うん。
「だが、音楽には音楽にしかできない情報伝達がある。言葉で無くとも空気を震わせ、心までもを震わせる。音楽はある種、もっとも原始的な情報伝達方法だからね。その分、言葉よりずっとダイレクトに心に響くってこともあるだろう」
石ノ海さんの嬉しそうな解説を聞いて、成程なあ、と思う。必ずしも、情報の圧縮率だけにこだわる必要は、無い。僕だって、絵が文章より優れている部分、幾つも知ってる。全体像の把握には言葉での説明より絵の方が適しているし、色合いを伝えるには言葉じゃ不正確だ。それに、言葉にしたくないものだって伝えられるっていうのが、絵のいいところの1つだと思うよ。
「まあ、折角だ。君の好きなようにやった方がいいと思うよ。出来の良し悪しよりも、好き嫌いでやった方がいい。その方が後悔が無い。持論だがね」
……良し悪しより好き嫌い。成程。分かるような、分からないような。
まあ、とにかく、僕自身が納得できるような結末にしたいなあ、とは、思う。だからこそ、困っているんだけれど。
……そのまま僕は、ぶどうパンを食べ終わってお茶を飲んで、どうしようかなあ、と悩んで……。
「ところでトーゴ君。折角だ、もう1つパンはいかがかな?ほらほら、お食べ」
そうしている内に、僕のお皿の上にはもう1つ、トースターで温められたロールぶどうパンが乗せられる。
「ありがとうございます。でも、いいんですか?」
「うん。僕ぐらいの齢になるとね、ロールパン5つ入りを1人で消費するのは中々難しい。美味しいんだけどね、ぶどうパン」
今日の朝食のために、と石ノ海さんが買っていたものをこうして僕が食べちゃうのはちょっと申し訳ない気もするのだけれど、貰っちゃった以上はありがたく貰っちゃうことにした。
……ということで、ぱり、と、焼けたパンの表面を噛み砕いて、その中のふわふわに齧りつく。ふんわりとバターやイーストの香りがして、干しぶどうの甘さと小麦の旨味がじんわり広がって……。
「いやあ……なんだろうなあ、君を見ていると、どうにも、食べ物を与えたくなってくる……」
「えっ」
唐突に石ノ海さんにそう言われて、びっくりしてしまった。いや、あの、なんだって、また。
「なんだろうなあ、なんだろうなあ……君がものを食べているのを見ていると、どうにも、もっと食べさせたくなってしまう」
僕をじっと見つめていた石ノ海さんは、うーん、と唸りつつ、腕組みして天井と壁の境目辺りを見つめ始めた。
「護も似たような気持ちだったんだろうか……」
「さあ……」
確かに僕、先生によく食べ物を貰ったなあ。色々食べさせてもらって、そのおかげでそこそこ元気に居られた気がする。
「……僕、物語の中でも、たくさんご飯を貰っているんですが、そういう性分なんでしょうか」
「うん。そんな気がするなあ。なんとなく君は、見ているとおやつを与えたくなってしまうし、ちょっと寒そうにしていたら毛布でくるくる巻きたくなる気がするね……」
そ、それはどうなんでしょうか。僕、流石に巻かれちゃうと困るのだけれど。いや、好きだけれどさ、毛布。
それから僕は、色々と思い出した。とりとめもなく、主に『やたらと食べ物を貰ったことについて』。
あの世界でも僕、色々貰いっぱなしの日々だった。
お供えとしてパンや果物やジュースを貰ったし、妖精カフェの試食をさせてもらったし、何かにつけてお茶を楽しんでいたし、毎日ご飯は美味しかった。
時々人間じゃない生き物からも食べ物を貰っていた。リスが森のどんぐりを分けてくれたり、馬が果物を持ってきて食べさせようとしてきたり。
そういうことを思い出していくと、楽しかったし、幸せだったなあ、と、思う。
あの世界は本当に、温かくて、優しくて……。
……それからまたちょっと考えて、結論を出す。
やっぱり、あの世界にはどこまでも幸せであってほしい。だから僕がこれから描くものも、文句なしのハッピーエンドで終わらせたい。
けれど、僕にとっての幸せって、表現するのが難しいな。ええと、僕にとっての幸せっていうのは……。
絵を描けて、好きな人達が居て、可愛い生き物が居て、豊かな自然があって、美しいものに溢れている。
フェイが何か面白い提案をして、ラオクレスが腕組みしながら皆を見守っていて、クロアさんが楽しそうにフェイに乗って、リアンがカーネリアちゃんに手を引っ張られて連れてこられて、アンジェがリアンの反対の手を繋いでてくてくやってきて、それに妖精達もついてきて、ライラがお茶の準備をしながら笑っていて、ラージュ姫が大福を持ってきていて、レネが大福をもちもち齧っていて、ルギュロスさんが多分、フェイに呆れている。
あと、鳥がふわふわ真ん丸の体で偉そうにしていて、そこに魔王が埋もれてまおんまおん言っていて……。
……そうだ。
「カチカチ放火王も一緒に居られたら、いいのにな」
燃やされたこと、忘れてないけど。忘れてないけどさ。でも……小さな形になってもいいから、楽しいこと、一緒にできたらよかったのにな、と、思う。少なくとも、あのままあそこでお別れしてそれっきり、っていうよりは、小さくてもいいからまた会える方がいい。
……でもなあ。あいつ、そういう奴ではなかった、とも思うんだ。仲良くしてくれるというよりは、敵対している。僕らを燃やすことに余念がない。そういうかんじ。
だったら……そういう生き物が出てくる話にするには、どうすればいいだろうか。
まさか、本を焼かせてしまう訳にはいかない。燃やされちゃったら話が無くなってしまう。物語の世界なのにその世界が燃やされちゃったら……。
「……そうだ」
ふと、思いつく。
燃やされちゃったら、無くなってしまう。
逆に言えば、燃やされちゃったんだったら、続きが無くても不自然じゃない。
……先生の話に続きが無いのは、カチカチ放火王が出てきて、燃やしちゃったから。
そういうストーリーは、どうだろうか。
そうだ。そうだ、そうだ!それなら、文章がいきなり終わってしまうのも仕方ない。だって、燃やされちゃったんだから!
そして、燃やしちゃった犯人として、カチカチ放火王だって描けるだろう。よし。描いてやるぞ。簡単に消えられると思ったら甘いんだからな。
……よし。僕が描くもの、決まったぞ。
僕が描くのは、先生の話の続き。
先生の話がカチカチ放火王に燃やされてしまった後で……作中の男の子が、描いていく絵。作中作を先生が書いたなら、作中作を僕が描いたっていいだろう。そうだ。僕の絵は、物語の中の『トウゴ』の絵。
それで……世界を、もう一度、創ろう。
燃やされて、失われてしまった世界を。『トウゴ』がもう一度、描いて、生み出していく。
そういう絵を、描こう。
……そういうわけで、僕は慌てて、画用紙の水張りをもう数枚分、やってしまおうと思って……。
「あああああ……板が無い!しかも紙もない!」
気づいた。僕、この世界では自由に画材が使えないんだった!ああ、なんてこった!描けば出てくるあの世界って、本当に恵まれてたんだなあ!
「ははは。トーゴ君。『かみよ!』ってかんじだなあ。勿論『かみ』はGODじゃなくてPAPERの方で」
はい。その通りです。紙様、紙様、どうか助けてください、っていう気分……。
「……そんな君に、ほら」
紙様はさておき、石ノ海さんは僕を見てくつくつ笑いながら……薄くて大きい包みを差し出してきた。
「『メリークリスマス、トーゴ。プレゼントだぞ』だそうだ。君へのプレゼント置き場は護の寝室のクローゼットの中だ、と護の手紙の中にあったからね」
ああ、僕が読むのは遠慮してほしい、っていう、あの部分。……あそこに、僕へのプレゼント置き場が、書いてあった、のか。
「折角ならクリスマスまで待った方がよかったかもしれないが、君はこれを今すぐ使いたいだろうからね。世界を救うんだろう?なら、早い方がいいだろう?」
……包みをそっと、開く。
するとそこにあったのは、水張り不要の、水彩画用紙のスケッチブック、だった。
……ああ。
先生って、先生って……神様、だったのかもしれない!いや、少なくとも、紙様!ありがとう紙様!




