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今日も絵に描いた餅が美味い  作者: もちもち物質
最終章:今日も絵に描いた餅が美味い
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1話:絵に描いた餅は確かに美味かったから

 僕は目覚めた。

 消毒液の匂い。

 シーツの感触。

 ブラインド越しのぼんやりした光。

 腕に繋がれた点滴のチューブを引っ張って、僕はそっと、ナースコールを押した。




 *********

 最終章:今日も絵に描いた餅が美味い

 +++++++++




 ぱたぱたと僕の周りで忙しく動く看護婦さんをぼんやり眺めて、ああ、戻ってきたんだなあ、と思う。

 ここは元の世界。創られたファンタジーの世界じゃなくて、どうしようもなくどうしようもない、元の世界だ。

 体は大体元気。痛む箇所が所々あるけれど、それだけ。……まあ、脚が1本折れているらしいのだけれど、本当にそれだけだ。

「あの、すみません。僕、どれぐらい寝ていましたか?」

「そうですね……18時間ぐらい?目を醒ましてくれて、本当によかった」

 看護婦さんに聞いてみたら、どうやら事件から1日と経っていないらしかった。

 そっか。3日以内だから、セーフ。フェイには怒られないだろう。……そう考えると、なんだかおかしくて、ちょっと寂しい。

 フェイはもういない。僕が3日以上寝ていたって、怒ってくれない。そういう世界に、僕は帰ってきてしまった。

「……あの、宇貫護さんは、ここに入院していますか?僕と一緒に事故に遭ったと、思うのだけれど」

「宇貫さん?いえ、入院してらっしゃらないですね」

 念のため聞いてみたけれど、先生はどうやら入院していないらしい。……まあ、そうだよね。

 この病院じゃない病院に運ばれてしまったのかもしれないし……もしここに居たとしても、多分、入院じゃないんだろう。霊安室とか、そういうところに居るんじゃないかな、先生。




 それから少しして、両親が病室に入ってきた。

「桐吾!ああよかった……心配したのよ」

「お前、ずっと目を覚まさなかったんだぞ」

 なんだか久しぶりに会う人達だから、ちょっと新鮮だった。まあ、ご心配をおかけしました。……うん。

「心配してくれてありがとう。でもご覧の通り、左脚を折っただけみたいだから……」

 とりあえず何か言わなきゃな、と思ってそう言ってみると……なんだか、母親も父親も、怪訝な顔をした。

「桐吾、あなた……折っただけ、だなんて!大怪我でしょう?もうじき期末テストもあるのに……」

「……テストまでに退院できるのかな」

 そもそもテストって何だっけ。……いや、大丈夫だけれど。でも、異世界生活をしている間に勉強したことが抜けてしまったところ、あると思うので……まあ、今すぐにテストを受けたいとは思わない、なあ。いや、テストを受けたいと思ったことなんてそもそも無いのだけれど。

「なんとか期末テストまでに退院させてもらえるように、お医者様には言っておくけれど……」

 いやいや、そんな無茶な。お医者さんを困らせないでほしい。そんな、『急げ』って言ったらすぐ治る、みたいなこと、無いと思う。


 ……それから、母親が僕の荷物を出し始めたり、父親が事件の話をしてくれたりするのをぼんやりとやり過ごして……ふと、言ってみた。

「ねえ、お願いがあるんだけれど。紙と鉛筆と消しゴム、欲しいんだ。……絵を描きたい」

「……え?」

「うん。絵」

 駄目かな、でも、ただ入院しているだけよりは、何か描いていたい気分なんだ。

 僕は、口下手なので。だからその分、描いて、自分が思っていることを外に出したいんだ。ライラが言っていたけれど、そうやって僕は声を発する生き物らしいから。

「……そんな馬鹿なこと言っていないで、今は怪我を治すことに専念して」

 けれどもどうやら僕は、やっぱり描くことを許してもらえないらしい。

「描かずに居たって治りが早くなるわけじゃないと思うんだけれどな」

「口答えしないで。お母さんを困らせないで」

「……そんなに困る?」

「いい加減にしなさい!」

 母親がそう叫んだところで、廊下に居たらしい看護婦さんが、何事かと慌てて入ってくる。それに母親は取り繕うように笑顔を浮かべて、なんでもないんです、なんて答えて、それきり。

 ……それきり、なんだけれど。でも、ここで終わらせてしまったら、何も変わらないから。

「お父さん。お母さん。ちょっと……いや、ちょっとじゃなく、話したいことがあるんだけれど、時間をもらってもいい?」

 そう、切り出してみた。

 話したこと、無かったから。僕が先生に出会ってからの話、何も、したことが無かった。

 中学受験に落ちて、川に飛び込もうとして先生に引っ張り上げられて、そこで僕は、絵を描くことで生きられるようになって……こっそり描いて、なんとか生き延びてきたわけなのだけれど。

 でも、その辺りの話を両親には全くしていなかった。だから今からでも、するべきだと思った。

 ……のだけれど。

「こっちも忙しいんだ。急にお前が入院することになったからな。話はまたの機会にしてくれ」

「……うん。分かった」

 そういう話はできないらしい。……まあ、仕方ないか。




 結局、僕の荷物を置いていったり、何か手続きをしたりして、両親はその内帰っていった。

 少しの着替えと少しの日用品、そしてたっぷりの勉強道具が僕の病室に残されていって、それきり。

 また静かになってしまった病室で、僕はぼんやり、天井を見上げている。

 折れた脚はギプスで固定してあって動かせない。でも、そこ以外は所々痛みつつもちゃんと動かせるもので、頭だって当然動くわけだから……考えてしまう。

 ……何も、変わらないんだなあ、と。

 夢のような世界で過ごして帰ってきたって、現実は何も変わらない。両親は相変わらず僕の心にはあまり興味が無いようだし、僕を待っているのはテストだし。なのに、先生は、居ないし。


 それからしばらくぼんやりしていた。その内病院食が運ばれてきて、僕はそれを食べた。あんまり美味しくなかったけれど、残さず食べた。こういう食べ物を食べることで、段々、心が現実に慣れていくような気がするから。

 そうしている間に段々日が暮れてきて、夕食が出てきて、消灯の時間になって……。

 ……真っ暗な病室でベッドに横たわっていると、やっぱりなんだか無性に寂しい。

 何もかもが今までとは違って……でも、これが当たり前で普通のことなんだな、と、思い出す。

 じわじわと思い出される記憶は、しっかり僕の中を塗り替えていく。意識がはっきりしてくる。より『現実的』になっていく。そんな感覚。

「……夢だったのかな」

 なんだか、変なかんじがする。僕は不思議で優しくて暖かい世界に居た、のだけれど、それはやっぱり夢だったんじゃないかな、という気がしてくる。寝ている間に見る方の、夢。

 魔法なんて存在しないし、あんなに暖かくて柔らかい世界が存在するっていうのも、よくよく考えてみたらおかしな話だ。先生の創作物が本当にあるにせよ、そこで暮らして楽しく笑っていた日々は……単なる夢、なんじゃないかな。

 そうだ。何もかもが、僕の頭が都合よく生み出した夢だったんじゃないだろうか。

 ……考えれば考える程、現実の硬くて冷たい寂しさが僕に染み込んでくる。何もかも夢で、存在なんてしなくて、僕は、ただ先生を喪っただけ。

 そう考え始めてしまったら、どうしようもない喪失感が僕の内側を食い荒らしに来る。今まで温かいものが詰まっていた場所が、どんどんぽっかりとした空洞になっていく。

 僕が経験したことなんてどこにもなくて、僕が見てきた景色なんてどこにもなくて……僕が大好きだった人達なんてどこにもいない!

 全部幻で全部嘘で、全部全部、夢だった。それなのに、先生のことだけは、きっと、夢じゃなくて……。

 ……考えて考えては、どんどん深みにはまっていくような気がした。きっとあの世界は存在したんじゃないかな、なんて思ってみても、それを証明する手段なんて無い。そもそもあんな世界存在しなかったんだから、先生の原稿を見つけたってきっと意味が無い。大体、原稿を見つけて僕はどうするつもりだったんだろう?僕が続きをかくのか?小説なんて書けやしないのに?

 ぐるぐる考えが渦巻いて、そこに呑み込まれて、夜の暗さに胸の内が塗りつぶされていくような気がして、僕はただ、ベッドの上、眠れもせずにずっと、寒いような怖いような、そういう気持ちでいて……。




 ……ふと、部屋が明るくなってくる。

 時計を見たら、もう夜明けの時間だった。ブラインドのかかった窓が、ブラインドの隙間から少し覗いて、薄藍色の空が見えている。

 徹夜してしまったなあ、なんて思いながら、ぼんやり窓を見ていると……やがて、窓のブラインド越しに、強い光が差し込んできた。

 僕は何となくそれに惹かれて、動かない脚をなんとか動かして、ベッドから出て、よいしょ、よいしょ、と窓辺へ進む。そうしてブラインドの間に指を突っ込んで、窓の外を見てみたら……。

 ヒヨコ色の景色がそこにあった。


 朝陽に照らされて、何もかもが金色に……ヒヨコ色に、輝いていた。いつか、僕が見た時と同じように。

 その美しさに見惚れて、色々なことをじわじわ思い出して、なんだかたまらなくなって、慌ててブラインドを引き上げた。そのまま窓を開けようとしたけれど、転落防止のためか、窓はちょっとしか開かなくて……でも、窓の外からふわりと吹き込む夜明けの冷たい空気と、その凛とした香りをたっぷり吸って、ガラス越しに景色を見る。

 綺麗だった。

 きらきら眩しくて、空が明るくて、街並みは全部、ヒヨコ色と影のハイコントラスト。

「……やっぱり、夢じゃないよ」

 覚えている。僕は、確かにこういう色の景色を、見ていたんだ。

 絵を描いて生きていきたいって、ちゃんと思えたあの日の朝。僕は確かに、こういう色の景色を見て……この景色を一生忘れないだろうな、って、思った。そして、確かに今、覚えてる。確かに覚えているんだ。あの時の気持ちごと、全部。

 もし、あの世界のことが全部夢だったとしても、構わない。

 僕にとってあの世界は、実在してもしなくても……大好きな、大切な場所だった。あの世界でもらったもの、たくさん、あるんだ。

 僕の中に、残ってる。優しくしてもらったことも、励ましてもらったことも、愛してもらったこと、全部、全部。

 だから……大丈夫。

「……描きたいなあ」

 この景色を描きたいって、思えるから。だから僕は、大丈夫だ。


 ……先生。僕、まだ、夢を見てるよ。




「……いて」

 ふと、手のひらが痛む。窓枠に押し付けていたせいかとも思ったけれど、ぴり、とした痛みはなんだか違う気がした。

 朝陽に照らされながら、なんだろうなあ、と、手のひらを見る。

 ……すると。

「あ」

 僕の手のひらには、火傷して白っぽくなった箇所があった。

 これ、カチカチ放火王の最後の攻撃で火傷したところだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] あいつめ………!
[良い点] 物語が丁寧に綴られていて、章の導入がちゃんと最後に回収されきれいにまとまるのがとても好きです。 [一言] 4日前に見つけてから読み込み、ようやく追いつきました。 追いついてしまいました………
[気になる点] まさか……全部出す?!
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