5話:夜の国*4
とんでもないところに来てしまったなあ、と思いつつ、でも、どこかで納得する自分も居た。
ここがずっと夜の国なんだったら、レネはここの住人としてぴったりだ。星空みたいな色合いで、ちょっとひんやりしたかんじで。うん。ぴったり。
……ただ、これ、ずっと夜の国だとしたら、森とは全然違う場所、っていうことになる。僕、随分遠くまで来てしまったみたいだ。いよいよ、家に帰るまではレネ頼り、っていうことになるんだなあ……。
……しばらく帰れそうにないし、その間、森の皆には心配をかける。
あ、なんだか、森のことを考えていたら、少し……その、寂しくなってきてしまった。
これが噂に聞く『ホームシック』っていうやつだろうか?『早く帰って自分のスペースに籠りたい』っていう気持ちじゃなくて、『早く帰って皆に会いたい』っていう気持ちになっている。
……皆、元気かなあ。どうしよう。心配だよなあ、特に、ラオクレスは、僕がこっちに来る前、最後に僕を見ていた人だから、多分、すごく責任を感じて落ち込んでるんじゃないだろうか。
うう……。皆に連絡、とれないかなあ。
レネがお風呂に入っている間に、僕は手紙を書くことにした。
森の皆に向けての手紙だ。
僕は無事なこと。ラオクレスと一緒に行った画廊で出会った不思議なお客様の居るところです、ということ。
それから、一日中夜の、不思議な国に来ています、ということ。多分、次に月が細くなる時に帰れると思います、ということ。
僕が居なくなってしまった後、森がどうなったのか、心配です、ということ。
それから、僕が居なくて皆にも心配をかけていると思うけれど、僕は元気なのでどうかあんまり心配せずに……。
……手紙って、改めて書こうとすると難しいな。ええと、うーん。僕、作文はあんまり得意じゃない。割と昔からそうだ。
けれどなんとかかんとか、手紙らしいものを書き終えて……最後に、ちょっと窓から見た風景を描いたものを添えて、終わり。
手紙と風景画を封筒に入れたら、あとは……駄目元で、ちょっと、挑戦してみる。
この手紙の配達を。
最近ずっと、『書いたものが実体化する能力』について、限界を突き詰めて考えたりしていなかったのだけれど、僕、この世界に来てから結構色々やっている。
まず、絵に描いた餅を食べてる。……絵に描いたものを実体化してる。
それから、馬やフェイの治療をしてる。描いたものを現実に反映させてる。泉を作ったりも、多分これ。
あとは、森の壁に門を作った。門同士が繋がっているっていう、ちょっとありえないものも、作れた。
……門を作れたんだし、泉を作れたんだし、あとは、密猟者達をロープで縛ることもできたし、ええと、つまり……僕は、考えるわけだ。
『この手紙が落ちている森の風景を描いたら、手紙を森に届けることができないかな』って。
早速、森の風景を描くことにした。
一番よく見ている風景は家の前の泉だと思うのだけれど、それでうっかり手紙が泉に落ちてしまったら嫌なので……ちょっと考えた結果、ラオクレスの家の前にした。
……フェイの次に付き合い、長いから。それでいて、フェイの部屋は、その、実はあんまり、覚えてない。何も見ずに描けるほどには。いや、だって、レッドガルド家にお邪魔すると、僕は客室を1つ使わせてもらってしまうので、フェイの部屋に行くことって、あんまり無いんだよ。
その点、ラオクレスの家は僕が描いて建てたやつだから、構造はちゃんと分かってる。ラオクレスの家の景色も、ちゃんと覚えてる。
1つ、ちょっと不安なことがあるのは……ラオクレスが丹念に雪かきをしていたら、多分、ちょっと景色が違うよな、っていうことだ。森の中には雪が積もってる。雪解けにはまだもうちょっとだけあるから、何もなければ、夜明けの森は雪が降って、足跡が消えてしまってまっさらな状態だと思うのだけれど、ものすごく雪かきされていたりすると、ちょっと……。
……けれど、考えて、僕は、しっかり雪が積もっている風景を描くことにした。
多分だけれど、ラオクレス、雪かきする余裕がないんじゃないかな、と、思って。
彼は真面目だから、多分、僕のことをすごく心配してくれていて、それで、雪かきどころじゃないと思う。何なら、ずっと詰め所に居て、家にあんまり戻れていないかも。うん。ちょっとエゴイスティックなかんじなのだけれど、でも、そんな気がするから……。
まあ、元々、駄目で元々なんだから、あんまり気負わずに描こうと思う。
僕が描いていたら、レネがお風呂から出てきた。
僕の手元を覗いて、目をきらきらさせている。そんなに見られるとちょっと恥ずかしい。
けれどなんとか、僕は無事にラオクレス邸前の様子を描き終えて……最後、家の前のウッドデッキの上に、封筒を描き込む。
封筒ははっきりと目立つように、鮮やかな空色。僕がこの世界に来て最初に手に入れた青の絵の具の色だ。鳥の卵の殻の色。
……レネがそれを見て、また目をきらきらさせている。レネは青空の色が好きみたいだ。夜の国の人だから、青空が好きなのかな。
そうして僕は、描き終えた。
記憶だけで描いた風景画に、僕の手元にある空色の封筒を描き加えて、それで……。
「……駄目かあ」
何も起こらない。
まあ、当然かなあ、と思いながら、ちょっと落ち込む。うう……。
片付けなきゃな、と思って、絵の具の箱に蓋をする。筆は洗って、拭いて、そして描き終えた風景画のスケッチブックの上に手紙の封筒を乗せて……。
……その途端。
ふるん、と絵が揺れた。
それと同時に、封筒も揺れた。
ふるふる、とお互いがお互いに滲み合うように震えて、溶けて……きゅっ、と縮まったと思ったら、ぽん、と、絵が元に戻った。
……そして、封筒は、スケッチブックの上から消えていた。
「……やった」
届いたかな。本当に届いたのかな。
すごく心配だけれど、でも、きっと、なんとかなってるって、信じたい!
それに、今、ものすごく魔力を消費したような感覚があるから、今のやつが何かの魔法として発動してる、っていうことは確かだと思うんだ。
一気に魔力が消費されて、ちょっとぐったりしながら僕が椅子に座ると、レネが僕を心配して何か言いながら僕に毛布を掛けてくれる。いや、あの、寒い訳じゃないんだ……。
大丈夫だよ、と伝えられるように、レネに笑顔を向けながら、僕は……疲れて重くなった体で、思う。
どうか、どうか、届きますように!
……その後、僕はタルクさんに案内されて、お風呂に入ることにした。1人で入れるよ、と思ったのだけれど、その、ええと、この世界では着替えとか、お風呂とか、誰かに手伝ってもらうのが普通みたいで……うう、落ち着かない。
けれど、ぬるめのお風呂に入ってじんわり温まったら、なんだか眠くなってきたので丁度良かったかもしれない。この国にも湯船に浸かる習慣があってよかった。多分、ちょっと寒い場所だから、こうやって体を温める習慣があるんだろうな、と思う。レネの部屋は暖炉の火で温められているけれど、ドアが開いた時とか、ちょっと肌寒いんだ。
そしてお風呂を出た僕は、ブルーグレーの寝間着っぽいものに着替えさせられて、そして、現在時刻は夜10時。うん。寝るには良い時間。
レネはもうベッドの中に入っていて、そして、僕がタルクさんに連れられてベッドルームに入ると、ぱっ、と起き上がって、僕を呼ぶ。
「とうごー」
呼ばれたので近づいてみると、レネは遠慮がちに、僕の服の袖を引っ張る。ええと……
「とうご、とうご」
「……あの、一緒に寝る?」
僕がちょっとだけ、ベッドにお邪魔すると、レネは嬉しそうに僕の場所を空けてくれた。そして僕の袖を、つい、とひっぱる。うん。レネはベッドに他人が入るの、気にならないタイプらしい。にこにこしてる。
……レネの顔を見る限り、どうやら、僕は今後も、レネのベッドにお邪魔することになるんだろうなあ。ええと、じゃあ、お邪魔します。
レネは僕よりも体温が低い。ちょっとひんやりするかんじだ。夜の国は気温も体温も全部、全体的に温度が低めなのかな。
けれど、他人の気配があるって、ちょっと安心するというか、寂しくないというか……。
……ホームシック気味の僕には、丁度良かった。うん。ありがたい……。
起きると朝じゃなかった。夜だった。でも多分、丁度いい時間だ。6時。多分、8時間睡眠を達成したんだと思う。朝にならないから、8時間なのか20時間なのかが分からないけれど……。
レネはまだ、僕の隣で寝ていた。入眠した時よりも僕の近くに来ている。
……なんとなく、だけれど、レネは、僕で暖をとっている、気がする。うん。なんとなく。特にレネの足の先が僕の方に近づいてる。寒かったのかな。
この夜の国って全体的に温度が低くて、だから昼間がある世界の僕はレネ達にとっては大分温かくて、暖をとるのにちょうどいいのかもしれない。ということは、僕、ゆたんぽっていうことなんだろうか。いや、居候の身分だから、別にゆたんぽでも全然構わないけれどさ。
……あ。そっか。この国に来てから僕、やたらと毛布を掛けられている気がするのだけれど、それって『昼の国の人にはここは寒いんじゃないか』って気を遣って、毛布を沢山掛けてくれていた、のかもしれない。そっか。謎が解けた!
それからレネも起きて、半分寝ぼけた状態でより一層僕の方に近づいてきて、それで、『ふりゃー……』みたいなことを言った。なんだろう、ふりゃー、って。
……僕が『ふりゃー』の意味を考えていたら、レネはふと、ぱっちり目を開けて、それから慌てて、僕から離れた。多分、謝ってる。いや、いいんだよ。ゆたんぽとしてお役に立てるなら、それはそれで嬉しいし……。
それからまた、昨日と同じようにレネは支度をして、僕はレネが満面の笑みで選んだ服を着て(今日はグレーとベージュの間ぐらいの色のやつとピンクがかった濃いグレーを重ねた長いずるずるした服だった。やっぱり女の子っぽい……)、そしてレネを見送って、絵を描いて、途中でタルクさんがご飯を持ってきてくれて、絵を描いて、レネが帰ってきて……というように過ごした。
こうして、僕はレネの部屋で居候させてもらいながら数日、過ごした。
その頃にはなんとなく、お互いに言いたいことが分かるようになっていた。なんと、『ふりゃー』の意味も大体、分かった!
……多分、『あったかーい』だと思う。レネは毛布に埋もれながら『ふりゃー……』って言うし、部屋に帰ってきて暖炉の前にせかせか移動して、そこで『ふりゃー』って言う。お風呂の方から『ふりゃー!』ってはしゃいだ声が聞こえてくるし、あと、僕に毛布とかを掛けながら、『ふりゃー?』って言う。
なので僕は毛布を掛けてもらって『ふりゃー?』って言われたら、『ふりゃー!』って返すことにしたし、ベッドに一緒に入ったら『ふりゃー?』って聞くことにした。
レネは最初こそ驚いていたけれど、これをすごく喜んでくれて、僕らはよく『ふりゃー?』『ふりゃふりゃ』みたいなやりとりをすることになった。
楽しい。
……こういう具合に、異文化コミュニケーションは中々、上手くいっている、と思う。
森のことを考えると色々不安にもなるけれど、でも、手紙は多分、届いた、と思うし……あんまり心配していても仕方ない。だから不安になってきた時には意図して絵を描いて気を紛らわすことにしてる。それに、描かなきゃ僕が生きてる意味が無いんだから。
……ということで主に、レネの絵を描いてる。
レネの許可は、下りた。色々な絵を描く過程で、レネの絵もさっと描いてみたら、嫌な顔はされなかった。ちょっと恥ずかしそうではあったけれど、別に構わないみたいなので……タルクさんが夕食(一日中夜の国に朝食も夕食も無い気がするけれど、とりあえず夕食)を運んできてくれて、それを2人で食べた後、僕は遠慮なく、レネを描かせてもらっている。
レネはちょこん、と椅子に座った状態で、はにかんだような笑顔を浮かべている。タルクさんは時々、僕の後ろから絵を見て、ふんふん、と頷いたりしていて、なんだかちょっとだけ楽しそうに見えた。
……そんなある日。
月はもう、半月を通り越して細くなってきた。多分、明日か明後日には有明の月になる、んじゃないかな。
それを窓から眺めながら、窓の外の風景画を描いていたら……がちゃ、とドアが開いて、レネが帰ってきた。
の、だけれど。
「レネ、おかえりなさ……」
……レネは、いつもと様子が違った。
まず、血塗れだった。手や顔、胸のあたりやそこらに血がついてる。
それから……頭には角が2本生えていた。手は大きくなって、硬そうな鱗と鋭い爪がついている。
お尻には尻尾が生えていて、背中には、翼。
それらは濃紺に星をちりばめたような色合いで……星空のドラゴン、っぽく、なってる。




