13話:妖精洋菓子店*4
妖精洋菓子店の人気は、まるで衰えなかった。それどころか、開店直後の人気を、ほとんど保ち続けて、もうすぐそれも超える……らしい。
「すごいわね。お菓子屋さんでこんなに利益が出るなんて思ってなかったわ」
クロアさんは帳簿をつけながら、そんなことを言う。……どうやら、すごく利益が出ている、らしい。
「ふふ、やっぱり妖精達のお菓子が美味しいからかしら」
上機嫌なクロアさんは、最近すっかり、お菓子屋さんが楽しいらしい。妖精達とアンジェと一緒になって、商品開発にも余念がない。
「……ええと、それに加えて、店員さんが綺麗だから、だと思う」
「あら」
そして、僕が例の噂について言うと……。
「そんな風に褒めてくれるなんて。どうしたの?私のこと、口説く気にでもなった?」
クロアさんはちょっと身を屈めて、僕の顔をやや下から覗き込むみたいにして見つめてくる。森色の瞳がすごく綺麗で、それを縁取る金細工みたいな睫毛はすごく長くて、ほんのり笑みの形に緩む唇が、なんだか、すごく魅力的に見えて……。
「ち、違うよ。そういう噂になってるってフェイが教えてくれたから」
慌てて僕は意識を強く保って、クロアさんから目を逸らす。駄目だ。これ以上見ていたらクロアさんのこと、100枚分ぐらい描きたくなってしまう。
……ん?
「……今、誘惑の魔法、使おうとした?」
「ええ。腕が鈍ってないか確かめようと思って。でも、何かしようとしたって思われたなら、私の腕、結構上がってるんじゃないかしら?精霊様を誘惑しかけたってことだものね」
ちょっとおかしいなと思って聞いてみたら、クロアさんにしれっと返されてしまった。……うう。
「まあ、それはいいのだけれど」
よくないけれど、何か言ってもこの上機嫌なクロアさんに勝てる気はしないので、ちょっと抗議の目で見つめてみるだけにしておく。
「まあ、私達が看板になっているっていうのも、あり得ると思うわ。リアンとアンジェは天使だし、ライラはちょっと磨き足りないけれど、それでも十分綺麗な宝石だわ。彼女のあの気の強そうな目、私、すごく好きなの。……それから、自分で言うのもなんだけれど、まだまだ私だってそれなりに綺麗でいるつもりだし」
クロアさんがそう言うのを聞いて……僕は納得する。
リアンとアンジェは天使だ。亜麻色の髪に空色の目。透き通るみたいな肌。そしてちょっと人間を警戒しつつも好奇心と充実感が勝っている顔のリアンと、妖精と言葉を交わせるくらいに純真な雰囲気のアンジェ。うん。妖精のお菓子屋さんにぴったりだ。
ライラも、分かるよ。彼女、すごく綺麗だ。濃い栗色の髪は無造作に束ねてあるだけだけれど、最近、クロアさんから貰った油?か何かで手入れしてるらしくて、艶々してすごく綺麗になってきた。あと、クロアさんの言う通り、目が、すごく綺麗だ。
……そしてクロアさんは、言うまでもない。うん。だから、『まだまだ私だってそれなりに綺麗』っていうのは、ちょっと謙遜しすぎだと思う。
「クロアさんは綺麗だよ。すごく。『まだまだ』なんてもんじゃなく。アレキサンドライト蝶で飛んでる時なんて、妖精の国の女王様に見える」
なので正直にそう言ってみると……クロアさんは、ちょっと驚いた顔をした後、少し頬を膨らませるみたいにして、じとりとした目を僕に向けた。
「……トウゴ君。あなたも誘惑の魔法の練習中かしら?」
「え」
誘惑の魔法の練習……そ、そっか。そういうこと、僕、言ってたのか。ええと……。
……うん。
「うん。腕がどんなものか確かめようと思って」
開き直ってそう言ってみたら、クロアさんはきょとん、として……それからころころ笑いながら、僕の頬をつまんだ。
「生意気!」
……ちょっとだけ、『してやったり』っていう気分。うん。
クロアさんとのやりとりの翌日、僕はちょっと、妖精のお菓子屋さんを見学に行くことにした。
……最近の僕の仕事って、あんまり無い。夏だから薪割りとかの仕事は無くなってしまったし、農作業は農夫の人達が僕にはやってほしくないみたいだから、止めておくことにしている。だから、僕の仕事って、馬の世話をちょっとと、依頼が来た絵の制作。あと、森の結界の維持や更新。そんなかんじだ。
だから、その日の午前中に馬の世話が終わってしまったので、僕は結界のメンテナンスをして、その後……お菓子屋さんに足を運んだ。
お菓子屋さんのドアを開けると、からんからん、とベルが鳴る。
「いらっしゃいませ……あ、トウゴじゃない。珍しいわね」
「うん。見に来た」
僕が店に入ると、ライラが出迎えてくれた。チョコレートブラウンのワンピースにクリーム色のシャツとエプロンがよく似合ってる。
「何か買っていくの?」
「ええと……あっ、木苺のケーキ3つください。それから、紅茶クッキー1包み」
「はいはい。じゃあ包むわね」
ライラがそう言うや否や、カウンターの向こうで妖精達がわっと動いて、ケーキの箱とクッキーの包みを袋に入れてくれる気配があった。うーん、すごい。早業。
「はい。お会計、銅貨5枚ね。……あんたからお金とるのも変かしら」
「ううん。払うよ」
僕が財布から硬貨を出して払うと、ライラはお菓子の袋を手渡してくれた。うん。すごく、店員さんっぽい。
「……ライラ、ちゃんと絵を描く時間、とれてる?」
品物を受け取りついでに聞いてみたら、ライラは笑って頷いた。
「ええ。それはもう。……最近は1時間以上魔法画に使ってるし、3時間の鉛筆デッサン、やってるの。お店に出てるのは、デッサンやった後のお昼時からだから」
そっか。……そう言うライラは楽しそうで、よかったなあ、と思う。絵を描くことが楽しいっていうのは、すごく幸せなことだから。
「魔法画を1時間しかできないのだけ、不満だわ。……あ、誤解しないでよね。時間が無いんじゃなくて、体力と魔力が無いのよ」
ああ、うん。それも分かる。
鉛筆デッサンを連続18時間は何とかなっても、魔法画連続18時間は無理だ。僕も、魔法画は連続して精々6時間とか、下手すると4時間ぐらいしかできない。
「自分の画力の限界って、イメージじゃない。想像できないものは創造できないのよね。だから、今の自分の限界を確かめるには、魔法画って、すごく良くって。……ってことで、もっと効率よくやれたらいいんだけど……」
……ライラとそんな話をしていた時だった。
カランカラン、とベルが鳴って、ドアが開く。お客さんだ。
「……いらっしゃいませ」
あれ、と思った。ライラがちょっと、愛想が悪い。
気になって、お客さんの方を見てみた。……すると。
「やあ、ライラさん!」
明るく笑いながら、花束を持った男性が挨拶していた。
なんだか場違いなかんじのする男性は、森の花じゃない花の花束を持って店内を進んでくると、きょろきょろと店内を見回す。それと同時に花束がふわふわ揺れて、なんだか甘い香りがふわふわ漂う。
「おや、クロアさんは?」
「今日は非番です」
「そうか。それは残念だな」
ライラはなんだか、ツンツンしている。僕と会ってすぐの態度より酷い。あの時のライラの態度って、彼女自身、僕にちょっと嫌われようとして、ある程度意識してあの態度を取っていたんだろうな、っていうかんじがあったんだけれど……今は、純粋に嫌だからこの態度、っていうかんじがする。
「それで、あの話は考えてくれたかな?」
「ええ。考えたわ。そして結論は変わりません。私、ここを出る気は無いの」
……な、何の話だろうか。
「クロアさんも?」
「でしょうね。さあ、分かったらその花束持って帰って頂戴。お菓子屋さんにそういう香りの強い花を持ってくるなんて非常識よ」
ライラはそう冷たく言って、男性に『しっしっ』というように手を振った。
「そう冷たくしないでくれよ。僕は君達を本当に気に入ってるんだ。こんな辺鄙な場所じゃなくて、僕の領地に来ないか?」
「だーから!そうするつもりは無いって言ってるでしょ!帰って!」
ライラが気色ばむと、店の奥の方から妖精達がそれぞれの手に木べらとかおたまとか泡だて器とかを持ってちょっと構え始めた。こらこらこらこら。
「あの」
流石に妖精が人を殴り始めたらまずいので、僕がちょっと横から声を掛けることにした。
「彼女、困ってるみたいなので……」
僕より背の高い男性を見上げるみたいになるから格好がつかないけれど、とりあえず、ライラの前に割り込みつつ、そう言ってみる。
すると、男性はちょっときょとんとして……言った。
「ええと、君は……初めて見るね。このお店の子かな?可愛いね」
それからちょっと微笑まれて……目が合った時、ちょっと、ぞわっとした。
あれ、と思う。何だろう、この感覚。……その感覚を味わった途端、僕は、ああ、これ、クロアさんの目の弱い奴だ、と、気づいた。
……この人、僕のことを誘惑しようとしている?
まさか、と思いつつ、じっと、男性の目を見つめ返してみる。
クロアさんの目よりずっとずっと弱い誘惑の魔法だから、跳ね飛ばすぐらいはできる。だって僕、クロアさんの本気の本気の誘惑の魔法、受けたことがあるんだ。最近だって受けてるし、やり方は、分かるよ。
……そうやって魔法に対抗したら、男性は、ちょっと驚いて、そして、興ざめ、みたいな顔をした。それと同時に、ぞわぞわするかんじも消える。
「お引き取り願えますか?彼女、困ってます。それから、僕も困ってます」
僕はライラを背後に、じっと男性を睨む。ちゃんと睨めていたかは分からないけれど、とりあえず、『帰ってください』っていう気持ちはすごく込めた。
すると男性は……ちょっと肩を落として、小さくため息を吐いた。
「ごめんごめん。なら帰るよ。悪かったね。ああ、そうだ。じゃあ帰る前に、クッキー2包み。紅茶の奴と、木の実の奴がいいな」
ライラはぎろりと男性を睨むと、クッキー2袋を包んで突き出しながら、「銅貨2枚!」と言った。すると男性は笑いながらクッキーの包みを受け取って、金貨を1枚出してライラの手に乗せる。
「お釣りは要らないよ」
「あらそう。でも返します。銀貨9枚と銅貨8枚のお返しよ!」
するとライラはそれを予想していたように、用意されたお釣りをざらざらと男性の手に乗せた。
「また来るよ。今度は香りの弱い花にする」
「もう来ないでほしいわね!」
ライラのツンツンした言葉を背中に浴びながら、男性は肩を竦めて店を出て行った。
……ええと。
「換気!換気よ!ったく、何考えてあんな花束なんて持ってきやがったのよ、あいつ!」
ばん、と勢いよく窓を開けて、ライラはいよいよ、怒りだしたのだった。
……なんだか、これ、ちょっと厄介なことになっている、気がする。




