7話:森と村、そして壁*6
起きたら、朝だった。
ちゅんちゅん、と小鳥の声。あと、キョキョン、といういつもの声。今日も巨大なコマツグミは元気らしい。
……ん?
「今何日!?」
僕がいつのまにかハンモックに居るってことは、誰かに運ばれたってことだ!そして、気づかなかったんだから多分、僕、寝てた!多分、魔力切れで!
慌てて起きてみたら、周りはがっちり馬に囲まれていた。ああ、いつもの……。
馬を掻き分けて家に向かって、玄関から駆けこんで……そこで丁度、ラオクレスとぶつかった。彼の分厚い胸筋にぶつかって、僕は尻もちをつくことになった。
「……起きたか」
「うん。あの、僕、何日寝てた?」
「3日半、だな」
一方、僕にぶつかられたのに微動だにしなかったラオクレスは、僕を引き起こしながらそう言った。
そっか。3日半。ということは、ギリギリアウトだ!ああ……。
「驚いた。いきなり壁が生まれたからな。農夫達が大慌てだった」
「あ、そういえば彼らには伝達しなかったけれど……大丈夫だっただろうか」
「怪我などは無い。ただ、彼らも驚いてはいたが」
そっか。まあ、そうだろうなあ、と思いながら、僕はちゃんと自分の脚で立って……それから、空腹を感じた。そんな僕の顔を見たラオクレスは、僕の空腹を察したらしく、おかしそうに笑いながら言う。
「……何か食べろ。魔力切れだったとはいえ、3日半、何も食べていなかったんだ」
「うん。そうする」
ラオクレスに促されて、僕は居間へ向かう。そこではアンジェが妖精達と作ったらしいパンケーキがお皿の上に乗っていた。
「あっ!トウゴおにいちゃん!」
アンジェは僕を見るなり、ぱっ、と顔を輝かせて……それから、パンケーキのお皿を僕に差し出した。
「どうぞ!」
「え、いいの?」
僕が起きることは想定されていなかったと思うから、これは多分、僕以外の誰かの分だったんだろうと思うんだけれど……。
「いいからトウゴ、食っちまえよ。こっち、まだ妖精が焼いてるから……」
……見てみたら、台所では妖精達がパンケーキを焼いては積み、焼いては積み上げて、パンケーキの塔を作っていた。そこからリアンは適当にパンケーキをとって、そこにアンジェが蜂蜜みたいなものをとろりと掛ける。新しく盛り付けられたお皿は、ラオクレスに差し出された。
パンケーキはちょっと小さめだ。僕の掌くらいの大きさ。妖精がひっくり返せる限界がここら辺なんだと思う。
ふんわりしたパンケーキには、とろりと蜂蜜みたいなものが掛けられているのだけれど……蜂蜜にしては、ちょっと、香りが違うっていうか、甘さがさっぱりしてるっていうか……。
「……おいしい?」
「うん。すごく美味しい」
シロップがふわふわのパンケーキにじんわり染み込んでいて、すごく美味しい。……けれど、このシロップの正体が分からない。僕が首を傾げていると、アンジェはちょっとはにかみながら、教えてくれた。
「妖精さんが集めてきたお花のみつ、かけたんだって」
……妖精ってミツバチみたいなこと、するんだ。そっか。知らなかった。
妖精が集めた花の蜜は、とろりとしていてさっぱりした甘さで、香りがすごくいい。なんとも贅沢な味。幸せな朝ご飯だ。
妖精作のパンケーキを食べて、食後にお茶を飲もう、と思ったら、窓辺にいつのまにか例の木の実が置いてあったので、そっちを飲むことにした。多分、龍がコマツグミに渡して、コマツグミが窓辺に持ってきたんだと思う。……窓から外を見たら、窓に密着するみたいにしてこっちを見ているコマツグミが居たから。うん、びっくりした……。
……コマツグミに見守られつつ、僕はラオクレスとクロアさんから、壁に関する話を聞く。
「ええとね。とりあえず今、フェイ君達はちょっと忙しいみたいよ。突然壁が生まれたものだから」
まず、クロアさんからそう言われて……うん、いや、必要なことだとは思うのだけれど、ちょっと、フェイに申し訳ない。
「農夫達も混乱していたわね。『森の近くに畑なんて作ったから、精霊様がお怒りなんじゃないか』って。……まあ、まさか、その精霊様が畑を作った張本人だなんて、普通は思わないわよね」
うん……。怒ってなんていないし、むしろ、僕、畑を作りたい方なんだけれどな。でも、この気持ちを伝えるのって難しそうだ。
「まあ、逆に言えば、森を畏れさせることには繋がった。森の不可侵は守られるだろうな。森が黙っているだけではないという証明になったのだから」
森も人間も仲良くできるといいんだけれど、でも、それって難しいのかな。……だったら最初から、壁で分けておいた方がお互いに気兼ねなくやっていけるのかもしれない。
……その日の内に、農夫の人達が、小さい祠を作っていた。そしてそこに、ちょっとしたもの……早速採れた果物とか、レッドガルドの街から買ってきた粉で焼いたパンとか、小さな葡萄酒の瓶とか、そういうものがちょこんとお供えしてあった。
精霊様にお供えしている、ということらしかったので、人が居ない間にこっそり貰って、鳥と一緒に食べてみた。美味しかった。鳥としては、焼き立てパンの香ばしさが気に入ったらしい。うん。僕もパン、好きだよ。
ただ、葡萄酒は……飲んでみたら、体が熱くなって、力が抜けて、眠くなって、そのまま寝てしまった。起こされて起きたら、僕の横で鳥も寝てた。どうやら僕も鳥も、お酒に弱いらしい。
そして、お酒を飲んだことが知れたら、ラオクレスにちょっと怒られてしまった。いや、でも、お供えされてたし、飲まないと失礼になるかなって……。
……結局、村の人達には『精霊様にお酒は駄目です』って伝えておくことにした。そうしたら、水やジュースが供えられるようになったので、僕も美味しくいただいてる。嬉しい。
嬉しかったので、お礼に花を咲かせておいた。あと、畑の方へ流れ出る水に、ちょっと、例の木の実の果汁を混ぜておいた。畑の肥料になるといいな。
……こうして、突如として現れた壁は、ちょっとした話題になった。
農夫の人達が驚いていただけじゃなくて、森の横を通って町から町へ行き来していた人達が、森の異変に気付いたりとか。そこから話が広まって行ったりだとか。そういう具合に、『森に突然壁ができた』っていう話は、広まっていったんだけれど……。
……なので、壁を眺めにくる観光客が、出てきてしまった。
「観光名所になるとは思ってなかった」
交通の要所になるつもりではいたし、森の周りはぐるりと町になったらいいな、とも思ってた。けれど、まさか、壁が観光名所になるとは!
「まあ……こんなの、普通じゃあり得ねえしな。精霊様のお力、ってことになってるけどよ。だからこそ、珍しいし気になる、ってとこだろうな!」
フェイはそう言いつつ笑っているけれど、これ、結構大変なんじゃないだろうか。というか、フェイは、森に遊びに来るためにレッドドラゴンで壁を超えてくるから、ちょっと目立ってしまうんじゃないだろうか……。でも、下手に壁に出入口を作ってしまうと、それはそれで問題になる。早く門をうまく作って、森の中と外とを繋ぐ奴も作った方がいいかな……。
「ああ、まあ、他人が増えたのは大丈夫だぜ。どっちみち、森の傍に町なんて作ったらこうなるだろうなって思ってたし、最終的にはここ、もっと栄える予定なんだしな。避けては通れねえ道だろ」
そっか……。うん。まあ、そうだよね。これは必要経費。起きても別に困らないこと。話題になって人が集まれば尚、良し。厄介ごとが増えるかもしれないのは、どっちみち避けて通れない道だ。うん。真正面からどんとこい。
「じゃあ、あんまり人が来ない内に、門も出してしまった方がいいんじゃないかな」
それから、僕はフェイにそう、提案した。
壁ができてまだ10日程度だけれど、だからこそ、今のうちに門まで作ってしまうべきなんじゃないかと思う。
……だって、ほら。今、門まで作ってしまえば、壁の分と門の分と、話題になって目立つのは1回で済む。けれど、これ、壁がいい加減馴染んでから、っていうことにしてしまうと、門ができた時にまた、大騒ぎになってしまいそうだ。
そしてその時には森の周りに沢山人が来ているだろうから、今、騒ぎになるよりももっと大きな騒ぎになってしまうだろう。だから、今の内なんじゃないかな。
「……お前、本当に大丈夫か?壁だけでも3日半、寝てるんだぜ?」
「うん。でも、これだって避けては通れない道だよ」
森が邪魔ものにならないために。今まで幾世代分もの恩を返せるように。森の周りに人が集まって、もっと森を好きになってもらえるように。やっぱり、森には門が必要だと思う。無くてもいいかもしれないけれど、やっぱりあった方がいいに決まってるし、僕はやってみたい。
……フェイは考えて、考えて、それから結論を出してくれた。
「……分かった」
フェイはそう言って、頷く。
「じゃあ、親父と兄貴に話してくる。……で、可能な限り早く、やってもらうことになると思う。いいか?」
「うん」
そうしてもらえるなら万々歳だ!描くぞ!とにかく描くぞ!
僕がやる気を出していたら、突然、フェイが、僕に指を突き付けてきた。
「……で、だ!お前の親友である『フェイ』から、1つ、条件がある!」
「条件?」
何だろう、と思って聞いてみると……。
「今度は龍と一緒に描くこと!できるならあのでっかい鳥とか、お前の鳳凰とか管狐とか、あとラオクレスのアリコーンとかとも一緒に描け!」
……そういうことを、言われてしまった。
「……龍?え、あの、なんで?」
龍……あの、龍は、すごく頼りになる。ライラの時にもすごくお世話になったし、その前も、レッドガルド領に魔力の雨を降らせてくれたし。けれど……ええと。
「そーだ!龍だ!……多分、この森で今一番魔力が多いのってあの龍だろ?その次くらいにあのでっかい鳥か?」
うん。多分そうだと思うよ。だってあの龍は、霊脈の代わりができる龍だから。それで、あの鳥も、先代の精霊だから。それは分かるんだ。でも……うう。あの龍、僕が魔力切れになると、虐めてくるんだけれど……しょうがないか……。
ということで、翌日。僕は、龍と鳥、そして鳳凰と管狐と、ラオクレスのアリコーンとフェイのレッドドラゴンとに囲まれながら、門を描き始めた。
……すごく、大所帯。しかも、管狐と鳳凰以外、皆、僕よりずっと大きいし。圧迫感がすごい。
あと、皆で画用紙を覗き込んでくるから、すごく、描きづらい……。
でも、描き始めたらすぐ集中できたので、その内、皆の視線は気にならないようになった。
……描くのは、部屋だ。森の中央の建物。円形の部屋に、ドーム状の天井。いつかこの建物の中を壁画でいっぱいにしたい。そういうつもりで、壁を広く取る。
そうして部屋を描き上げると、部屋が生まれた。森の真ん中に近い、けれど僕らの居住区とも鳥の巣とも龍の湖とも被っていない場所にできた建物は、とてもいい具合だ。想像通りに建物ができて、嬉しい。
それから僕は、建物の四方に門を描く。まだ、何もない、ただの門だ。ぽっかりと入り口があって、その向こうに森の景色が見えている。
その門が実体化して、建物の四方から風が入ってくるようになって……ここからが本番だ。僕はこれからこの門を、魔法の門にする。
僕は鳳凰に運んでもらって、森の上空に出る。
そして、森の四方、どこに門を作るかを決めた。決めたら今度は、それぞれの地点から、壁に背をつけた状態での景色をスケッチする。
……要は、中央の建物の門から見た、『向こう側の景色』になる景色だ。これが無いと、魔法の門なんて描けない。
僕は何とか、その日の内に簡単なスケッチを4方向分、描き終わった。そして翌日……僕はいよいよ、魔法の門を描くことになる。
またしても圧迫感のある皆に囲まれながら、中央の建物の中、僕は、建物と建物の四方にある門、そしてその門の向こう側に見える景色を描いていく。
……建物の中や門の重厚感を表現するために、油絵の重く暗いかんじにしたい気持ちもあった。だけれど、自分が一番慣れている方法が水彩だから、水彩で描くことにした。それに、門の向こうのかんじは、水彩の方が表現できる気がする。
建物の中は薄暗くて、ただ、門の向こうから差し込む光だけが光源。そういう状態だから、門の向こう側がとても明るくはっきり見えて、一層、門がそれぞれ別の場所へ通じているって分かるような構図になっている。
それから当然だけれど、1つの絵に描けるのは3つの門までだ。最後の1つの門はどうしたって1つの構図の中に入れられない。だから、最後の1つの門……視点の背後にある門は、床に落ちる光のかんじで表現することにした。
ひたすら描きこんでいく。建物の石の継ぎ目の1つ1つ。掘り込まれた文様。床の埃の上に落ちる外からの光。門の向こうに広がる景色の中、揺れる草の1本1本や枝葉の1つずつまで。
真正面に広がる景色に、4か所分のスケッチを重ねて、架空の景色を描き上げていく。
そうして、僕が納得いくまで描きこんで、描きこんで、描きこんだ絵は……実体化しなかった。
「……駄目か」
なんというか、失敗する気があんまり無かったのだけれど、けれど、これは失敗だ。……もしかしたら、絵の実体化をこういう風に盛大に失敗するのってこれが初めてかもしれない。
だから、なんというか……ちょっと、ショックだった、というか、どうしていいか分からない、というか……。
何も変化が無い門の向こう側を眺めて、僕はちょっと、しばらく、ぼんやりすることにした。絵に集中したせいか、頭もぼんやりしているし。
何が駄目だったんだろう、と考えても、段々悲しくなってきてしまうので考えるのをやめた。疲れている時は反省しちゃ駄目だって先生が言ってた。休んで元気になってから反省しないと悲しくなるだけだぜ、って。
……ちょっと背中を倒すと、丁度、ぽす、と鳥のお腹に埋もれる格好になった。
それがなんだか心地よくて、僕はそのまま失意の中、昼寝することにした。おやすみなさい……。




