友達
「おはよう。優希」
「お、おはよう……」
結局、告白への返事が出ないまま週が明けてしまった月曜日の朝。教室で顔を合わせた稔くんはいつも通りの感じだった。
一方で、僕のほうは意識しまくりで、まともに稔くんの顔も見れないし名前も呼べなかったりする。
稔くんは特に気にした様子も見せず、席に座って荷物を整理している。そんな稔くんを横目でそっと見ながら思う。いつもと同じというより、むしろいつもよりもすっきりした雰囲気を感じる。
その気持ちはなんとなく分かる。たぶん、僕が夢月ちゃんに元男の子だったことを打ち明けた直後と同じ気持ちなんだと思う。
ずっと心の中にしまい込んでいた重石(稔くんの場合は僕への想い――ってこんなこと言うのは恥ずかしいけど)が取れて、気持ちが軽くなったんだ。
その一方で、その重石を渡された僕はその重さにまいっているわけで。うん。不公平だ。もしかして夢月ちゃんにも悪いことしちゃったのかな、あとで謝っておかないと。
とりあえず、稔くんから執行猶予は頂いているので、今日一日は、稔くんの気持ちに甘えて、いつも通りに接してみようかと思う。
「なぁ。優希、一時間目の宿題だけれど」
「ひぃゃ、はっ、はいっ?」
稔くんに不意に声をかけられ、身体の奥から変な声が出てしまった。い、いつも通りって、どうだったっけ?
そんな僕の様子は、当然周りから注目の的で。うう。恥ずかしい。
「んん~、くりゅ、みのるんと何かあった?」
さっそく、後ろの席の柚奈ちゃんに背中を突っつかれながら聞かれてしまった。
「な、何にもないからっ」
そう答えつつ、前にも似たようなやり取りがあったな、って思い出す。
けれど今回の柚奈ちゃんは絶句することなく、むしろ、むふぅと僕を見て意味深に笑っただけだった。
こ、これは、絶対にばれているっ。
「夢月ちゃん。もしかして、柚奈ちゃんに言った……?」
僕は前の席の夢月ちゃんに、そっと話しかける。
「言うわけないって。優希が顔に出し過ぎなだけ」
「えぇっ」
そんな僕たちのやり取りに、隣の席の稔くんが顔を赤くした。ひそひそ話だから声は聞こえてないと思うんだけれど、会話内容を察したのかな。
うしっ。平然としている稔くんに、一矢報いた。
……って、そういう問題じゃないっ。
やっぱり、このままじゃだめだ。
早めに返事しないと。
☆☆☆
意識しまくりの一日が終わって、ようやく家に戻ってきた。もちろん、結論はまだ出ない。ていうか、彩ちゃんや香穂莉ちゃんの質問攻めにあって、考える余裕もなかった。
なんでこう、みんな勘が鋭いんだろう。それとも、僕が鈍いだけかな。
考えてみると、彩ちゃんには以前から、稔くんとラブラブって言われていたし、周りからすると、僕と稔くんって、そう見えたのかもしれない。僕としては、面白がられてからかわれているだけだと思って、そんなこと、ちっとも考えたことも意識したこともなかったのに。
……でも、本当に意識したことなかったのかな?
チョコを渡したとき、振り袖姿を見てもらったときに感じた、不安と喜び。三学期が始まる前、稔くんに電話したときのこと。体育祭の練習をする稔くんと夢月ちゃんを見て感じた、焦りに似たような寂しい気持ち。
色々な出来事が頭の中に浮かんで、あっという間にいっぱいになってしまう。
「ううう。分かんないーっ」
今日もベッドに寝転がってごろごろ考えようとしたら、携帯が鳴った。
珍しい。お母さんからだ。
「ごめんなさいね。今大丈夫?」
お母さんの声はいつも通りで、慌てた様子はない。どうやら、何か大変な事が起こったってわけではなさそうで、少しほっとした。
「うん。大丈夫。どうしたの?」
「優希が送ってくれたチョコが昨日届いたから、一応その報告をね」
「えっ。昨日?」
僕はカレンダーに目をやる。昨日って――時差以前の問題だ。確か、ちゃんと着日を指定したはずだったけれど。
「どうやら、こっちの配送業者でトラブルがあったみたいなのよ。優希の手配が間違っていたわけじゃないから安心してね」
「そんなことがあったんだ」
電話の向こうで、お母さんが苦笑交じりに話を続ける。
「もっとも、お父さんが大変でね。最初は、チョコが届かないから優希に嫌われてしまったのだろうか、って落ち込んで。その後、もしかしてトラブルかもって思うようになったけれど、『ちゃんと送ったか?』って優希に電話して聞くのは優希を疑っているようだし……って。で、チョコが届いて大喜びしたのはいいのだけれど、今頃チョコが届いたなんて電話したら、優希が責任を感じてしまうんじゃないかって。かといって、そのことを話さず電話しても、なんでバレンタイン当日に連絡しなかったのかって思われたら……って。もぉ、馬鹿みたいに……」
悩んでいるお父さんの姿が鮮明に頭に浮かんで、僕は思わず笑ってしまった。
「ははは。あとでお父さんに直接電話しておくよ」
「ええ。お願い」
その後も、二人して、お父さんをだしに話しが盛りあがった。
「ところで優希。バレンタインはどうだった?」
お父さんの話がひと段落して、お母さんが不意に話題を変えて聞いてきた。
「えっ? えっと……」
唐突に稔くんのことが思い浮かんだ。告白のこと、お母さんに相談するのって、アリなのかな。中学生にもなって恋愛のこと親に話すのって変かもしれない。けれど……
「あの……お母さん。お父さんには絶対に内緒にしてほしい話なんだけれど」
「なぁに?」
そう聞き返すお母さんの声は、どことなく嬉しそうに聞こえた。
僕はじっくりと、海外通話だと言うことも忘れて、バレンタイン翌日の出来事をお母さんに話した。
「なんか不思議な感じね……」
「え?」
お母さんのつぶやきに、僕は思わず聞き返す。
「以前の私なら、『恋愛なんて時期早々』と一蹴していたと思う。ううん。普通の娘を持つ親としても、そう答えるのが正しいのだと思う。けれど……優希の話を聞いたら、とても嬉しくて……」
お母さんの声が震えている。もしかして……泣いてる?
「優希が女の子になって、ちゃんとやって行けるか不安だったの。けれど優希に、こんなにも早く、そういう人が出来て……」
――って、ちょっと待ったっ。
僕は慌ててお母さんの言葉を遮るように言う。
「あのっ、勘違いしているようだけれど、僕はまだ稔くんと付き合うって決めたわけじゃなくてっ」
「あら、そうなの」
お母さんの声が素に戻った。なんか残念そう。
「そもそも、付き合う付き合わない以前に、好きという気持ちもよく分からないから……」
稔くんは僕のことを好きだと言ってくれた。――じゃあ、僕は? 稔くんのこと、好きなの?
もちろん、嫌いじゃない。むしろ好きだ。けどそれは、恋愛対象として好きなのか、友達として好きなのか……。
そう考え込んでしまう僕に向けて、お母さんが言った。
「確かに。女の子になったばかりの優希が戸惑うのも分かるわ。けどもっと単純に考えてみたら? 一緒に居たい、そばに居たい、お話がしたい、そのような気持ちで、考えてみては駄目かしら?」
「え? それで、いいのかな……」
戸惑う僕にお母さんが続ける。
「ねぇ。優希は、稔くんのこと、どう思っているの?」
「えっ? えっと……勉強も運動もできて、冗談もよく言うから話していて楽しくて。僕のこと色々気遣ってくれて優しい面もあって、顔も男前っていうか客観的に見ても格好いいと思うし……」
と僕の口から出るのは、稔くんに対する褒め言葉ばっかりで。
そのことに気づいて、まるでのろけているみたい、と思わず頬が熱くなる。
電話先のお母さんが小さく笑っているのが聞こえた。
「ふふ。そんな子から、好きって言ってもらえるなんて、母親として鼻が高いわ」
「もぉーっ。だからっ、たまたま席が隣だったから仲良くなれただけだって」
冗談めかして言うお母さんに、僕は頬を膨らませながら文句を言った。
――たまたま席が隣、か。
口にしてから、ふと思う。
入学してからずっと。隣りの席には当たり前のように稔くんがいた。けれど、あの日稔くんも言っていた通り、二年生になってクラスが変わったら、稔くんとは離れ離れになってしまうんだ。
もう今までみたいに、授業中にこっそりカードゲームの話をしたり、暑い日に下敷きで仰ぎっこしたりできなくなっちゃうんだ。眠くてうとうとしていても、手厳しいツッコミが来ないし、逆にこっちがシャーペンの芯でほっぺをつんつん突っつくのもできないんだ。
そう思うと、急に寂しくなってきた。
これがお母さんの言う、一緒にいたい、そばに居たいってことかな……。でも普通の友達との違いって……。もう少し早く、僕が女の子として稔くんのことを意識していたら、それが分かったのかな……。
「うーっ。頭痛くなってきた」
「ふふ」
考えすぎて頭の中がパンクしそう。けれど、代わりに心の中のもやもやが少し晴れたような、そんな感じがした。お母さんとこうやって話したおかげかな。あと少しで答えが出そうな気がする。
僕はふと時計を見てびっくりした。わっ。もう一時間近く経っている。
「それじゃあ優希。頑張ってね。お付き合いするしないはともかく、相手に失礼のないようにね」
「うん。あ、あの。このことはお父さんには内緒で……」
知られたら稔くんの身が危ないような気がして。
お母さんがふふっと笑って言った。
「分かったわ。女と女の約束ね」
「うんっ」
僕が男の子だったとき、お父さんとお母さんに内緒でこっそり「男と男の約束」をしていたから、こうやってお母さんと内緒話をするのが不思議な感じがした。
その後。
電話が切れて静かになった部屋で一人じっくりと考えて。
夕食・お風呂・トイレのときもずっと考えて。
――そして就寝するために入ったベッドの中で、僕はついに、稔くんの告白に対する答えを決めた。
☆☆☆
翌日。ホワイトデーはまだまだ先だけれど。
「稔くん。放課後、学校の屋上に来てくれないかな。あのことの返事をしたいから」
朝、隣の席に着く稔くんに向けて、僕はそっと囁いた。
「あ、あぁ」
昨日と同じく普段通りの様子だった稔くんも、さすがにそのときばかりは、緊張した面持ちになっていた。
表面上は何事ともなく、一日の授業が終わった。
もっとも放課後のことで頭がいっぱいで、ちっとも集中できなかったけれど。明日、稔くんにノート見せてもらおう。……って、稔くんも僕と同じだったりして。授業中、先生に指されて、珍解答していたもん。
そのときの様子を思い出して、くすりと笑ってしまう。
けどすぐに、どよんと重いものが僕の心に圧し掛かってくる。
――そもそも明日の僕は、いつものように稔くんに「ノートを見せて」って言えるのだろうか……
いけないいけない。
僕は慌てて首を横に振って打ち消す。
今からマイナスなことを考えていたら、ダメだ。平常心、平常心。うん。
「それじゃ、夢月ちゃん。またねー」
「うん。また明日」
部活のある夢月ちゃんと別れて、僕は普通に帰る準備をして教室を出た。僕の家庭科部はお休みだけれど、稔くんの野球部は活動している。部活が終わるまでずっと屋上で待つのも辛いので、図書室で本を読みながら時間をつぶすことにした。
「……うーん」
授業と同じでちっとも頭に入って来ない。気づいたら、本を逆さまに持って読んでいた。
壁に掛けられた時計を見上げる。まだ野球部の部活が終わる時間には早いけれど……そろそろ行こうかな。
僕は席を立って、本を本棚にしまうと、図書室を出た。
いつもは降りる階段を上っていく。
屋上に出たことはないけれど、校舎の真ん中にある階段だけ三階より上があるので、そこから出られるのだろう。
三階は三年生の教室が並んでいるので、肩身の狭い思いをしつつ、さらに上に登る。薄暗い階段の先に、屋上への扉が見えた。
けれど、そこで僕は、重大な事実を知った。
「えっ。嘘っ。鍵がかかってる!」
そう。屋上への扉が開かないのだ。
朝登校しながら、告白の返事をするのはどこがいいだろうと考えた。お互いの家はあれだし、学校でするのなら……と考えて、よく漫画などである屋上を選んだんだけれど。そういえば小学校も、危ないからって屋上への扉に鍵がかかっていたっけ。
僕は、自分のボケボケっぷりに頭を抱えてしまった。とはいえ、鍵のありかもわからない。今更どうしようもないので、暗い踊り場で、稔くんを待つことにした。
下の階から放課後の賑やかな声が聞こえる。誰か登って来ないだろうか。不安になる。
どれくらい経ったのだろうか。
不意に、こつこつと階段を上って来る音が耳に入った。話し声は聞こえない。誰だろう。一人かな。どうしよう。隠れる場所ないし……
「屋上で待ってるんじゃなかったか?」
そんな僕に向けて、意地悪い声がした。足音の正体は稔くんだった。部活が終わった後なのに、しっかりと制服に着替えていた。
「ご、ごめん。実は……」
「扉があかないんだろ。ほら」
そう言って、稔くんは右手を掲げた。その手には鍵の束があった。
「屋上の鍵は職員室で管理されているんだ。以前グランドがぬかるんでいて使用できないとき、屋上で筋トレやったことあるから場所知ってた。管理甘いから、記録帳に適当な理由を書いておけば、誰でも持ちだせるぞ」
「へぇ。そうなんだ」
稔くんは「スケッチの為」と書いて鍵を借りてきたみたい。建前とはいえ、部活が終わった後、屋上でスケッチしている稔くんを想像してみたら……なんか格好いいって思った。似合わないけど。
僕は稔くんから渡された鍵を使って、屋上への扉を開けた。
「わぁぁ」
思わず声が出た。
扉の向こうから、夕暮れの空が飛び込んできた。
落下防止のため、背の高いフェンスに囲まれていてるけれど、網目の向こうに、僕が一年間過ごしてきた、水穂市の街が広がっている。背の高い建物があまりないから、広々とした畑やちょっとした林がどこまでも見ることができた。
「凄いねっ」
「あぁ」
しばらく二人して無言のまま、景色に見惚れてしまった。
「あのさ、優希。下校時刻まで、あまり時間がないぞ」
先に口を開いたのは稔くんだった。
普通を装っていたけれど、やっぱり気にしていたんだ。
「……うん」
僕は稔くんに向き合った。
そして、軽く深呼吸して、口を開いた。
「えっと。まずは、その、ありがとう。僕なんかを好きになってくれて。すごく戸惑ったけれど……僕を女の子としてそう見てくれて、嬉しかった」
稔くんは小さくうなずいただけ。僕の言葉の続きを待っている。
「僕って子供っぽいし、女の子になって日が浅いから、自分の恋愛なんてまだまだ先だろうって思ってた。だから、稔くんから告白されて、どうしたらいいか分からなくて。それでも、僕なりに精いっぱい、女の子として稔くんをどう思うか、異性として好きなのか、ずっと考えてみた」
強い風が吹き抜けて髪の毛を揺らす。今日の風はそれほど冷たくない。もう春が近づいてきているのかもしれない。僕は髪の毛を抑え、風が収まるのを待つ。
軽く息を吸う。次の言葉を言う前から、胸がちくりと痛む。――けれど、僕はその言葉を口にする。
「でもやっぱり、稔くんをそういう目では見られなかった」
「そうか……」
稔くんは一瞬、寂しそうな顔を見せたけれど、すぐにいつもと同じ表情に戻った。僕はその顔を見ることが出来ず、視線を落としながらも、精いっぱいの勇気を振り絞って、口を開く
「だから、その――」
顔を上げて、稔くんの目をまっすぐ見据えて言った。
「お友達からお願いしますっ!」
「え?」
屋上に吹く風に乗って、稔くんの気の抜けた声が僕の耳に届いた。
「ずるい答えだと思う。けれど、今はまだ稔くんのことをそう見れなくても、これからもっと稔くんと女の子として意識して接していれば、そう見られるようになるかなって。そうなったら……稔くんのことを特別に感じられるようになったら、すごく嬉しいなって思う自分がいることに気づいて」
これが「好き」っていう気持ちなのかな。まだよく分からない。
「けどいきなり恋人関係っていうのは無理だから、まずはお友達からスタートと言うわけで……」
僕がしどろもどろに説明していると、稔くんが急に笑いだした。
「え、なに」
「あのさ。優希。今までの、俺と優希の関係って、何なんだ?」
「え、それは……友達、だよね」
「あぁ。そうだよな。で、優希は今、なんて答えた」
「――あっ」
僕は思わず口を押えた。
お友達からって……とっくにスタートしてるじゃんっ!
がくりと一気に力が抜けて、僕はその場に座り込んでしまった。
そんな僕を見て、稔くんがついに声をあげて笑い出した。目には涙まで浮かんでいる。ひ、ひどい……。
けれどいつの間にか、僕も緊張が緩んで、稔くんと一緒に笑っていた。
こうやって稔くんと一緒に笑ったのって、いつ以来だろう。ずいぶん前の気がする。これからもずっと、こうやって笑い合えればいいな。
一通り笑い終えた後、稔くんが小さく咳払いをした。
再び真剣な表情に戻って、稔くんが、ゆっくりと僕に言った。
「一つ聞くけれど、お友達から、ってのは、今までとまったく一緒、ってわけじゃないんだよな?」
「ううん。そういう意味じゃなくて」
僕はぶんぶんと首を横に振った。
稔くんが言う。
「それってつまり……『お付き合いを前提としたお友達関係』ってことで、いいんだよな……?」
稔くんの顔が赤い。それはきっと夕日に照らされているからだけじゃない。
そして、たぶん、僕の顔も――
――うん。
稔くんの言葉に、僕は小さくだけれどはっきりと、首を縦に振ってうなずいた。
あと二話ほど、おまけのような話を予定しておりますが、無事ここまで書ききることができて、ほっとしています。
今までお読みいただき、ありがとうございました。




