030_0700 堤南十星の秘密Ⅰ~ヤンソンの誘惑~
それから、十路の生活が変わった。
たとえばその日の夜。
放課後の部活動は、依頼が複数入ったため、部員各人がバラバラのタイミングで帰宅した。
樹里は早めに活動を終えて部室に戻ったが、他のメンバーが戻ってこないため、七時を待ってから帰宅。そして夕食の用意をしていたら、来客を告げるチャイムが鳴った。それも外部の人間がエントランスから鳴らしているのではなく、住人以外ありえない部屋の前のものだった。
部活関係の連絡だろうかと、怪訝に思いながら樹里が玄関の扉を開くと、そこには十路がいた。
「頼む、木次……!」
「ふぇ!?」
顔を合わせるなり、彼は樹里の手を掴み、軽く握り締めた。
男らしい手の大きさと、ゴツゴツとした感触、そして唐突な行動に泡を食う樹里に構わない。十路は普段の怠惰な風情をかき消し、余裕ない口調で叫ぶ。
「コイツなんとかしてくれ!」
今まで扉の陰になって樹里からは見えなかった、彼が逆の腕で抱えていた物体を突き出した。
「むー! むー!」
「なにやってるんですかぁぁぁぁっ!?」
魚のようにビチビチ蠢く生物の出現に、樹里は全力で叫んだ。
十路が小脇に抱えていたのは、南十星だった。声を出せないようタオルで猿轡がされ、荷造り用のビニール紐で見事に拘束された、かなり犯罪チックな有様だった。
しかもそれだけではない。なぜか南十星はネコミミカチューシャを装着し、毛皮風のモサモサしたツーピースで胸元と腰元が隠されていた。もちろん尻尾も装着されている。
「部屋に帰ったらコレに出迎えられた! 俺を投げ飛ばして押さえ込もうとしやがった! だから逆に拘束した!」
「…………」
冷静さが微塵も感じられない十路の事情説明に、樹里は二の句が告げられない。ツッコミどころが多すぎると人はかえって反応に困る。
「身の危険を感じる! だから木次! コイツ頼む!」
「……や、その、それはいいですけど」
どう反応したものかと樹里は困りながらも、それだけ返す。『どこでそんな服を用意した?』と訊きたくなる南十星のコスプレ姿には触れない。
余談だが、南十星の体の隆起はさほどないので、そういう格好を見てそそられるかというと第三者的には微妙な気がなきにしもあらずだが、それはさておき。
完全に移動したわけではないが、まだ十路の部屋で生活している南十星は、こうして就寝時だけは樹里の部屋で寝ることが決定した。
△▼△▼△▼△▼
他にも、たとえば十路が部活を終えた夜。
南十星と一緒の時間を少しでも削るかのように、時間をずらして彼は帰宅した。
(なんで俺の部屋に入るのに、こんな警戒しないとならないんだ……)
情けない思いでそんなことを考えつつ、前日、ネコミミ装着の南十星に襲いかかられたのもあるので、部屋の様子を扉越しにうかがう。
しばらく一緒の部屋に生活することを聞いたつばめが、部屋の合鍵を彼女に渡し、電子ロックの指紋データも登録したのだ。普通ならば『気が利いてる』と言える行動かもしれないが、今は余計なことだと十路は恨みたくなる。
分厚い金属越しでは、内部の気配はわからない。だから十路は一気に決着をつけるつもりで、扉を勢いよく開いた。
「おかえりー」
今度は玄関先で襲いかかられることもなかった。南十星は部屋着の上からエプロンをつけて、キッチンに立っていた。
だから十路はかえって拍子抜けする。
「…………」
「なに玄関に突っ立ってるの? 入ったら?」
「あ、あぁ……」
「そのままお風呂入ってきたら? 汗臭いよ?」
風呂という言葉に、以前入浴していた時に南十星が突入してきたことを思い出し、
十路の中で警戒心が生まれる。
あの時は大して気にしなかったが、彼女が告白した今、事情が異なる。
そんな十路の気持ちが伝わったのか、南十星は小さく笑って否定する。
「ご飯作ってるんだから、突撃しないって」
そう言われても信じることができない。
そして不穏な――というよりは、いまだ信じられないことを言われたため、南十星がいなくなってから風呂に入ることする。
「なとせが料理……?」
目の前でエプロン姿の南十星が料理しているのだが、十路からすれば信じられない。ついこの前まで『少しは料理できるようになれ』と言いながら、彼が二人分の食事を用意していたのだから。
いつ豹変して襲いかかられても対応できるよう、まるで猛獣が暮らす檻に入ったように警戒しつつ、十路は自室の片隅で様子を見守る。
包丁で指を切ることもなく、皿を割ることもなく、食材を炭化させることもなく、調味料を大量に投入する様子もなく、南十星は手馴れた手つきで料理する。
(木次から話だけは聞いてたけど……料理できるのかよ)
そうこうしているうちに、出来上がった料理がテーブルの上に並べられた。
メニューはアジの塩焼き、筑前煮、玉子焼き、ホウレン草の白和え、きゅうりとタコの酢の物、そして味噌汁にご飯。
「しかも和食作れるんだな……」
「ん? 洋食の方がよかった?」
「いや、米としょう油と味噌の方がいい……」
色々な意味で、なとせが作ったとは到底信じられない和食が並んでいた。
「じゃ、食べよ」
促されるままに席につき、南十星の視線に若干の気まずさを感じながら、十路は箸を取る。
まだ油が跳ねるアジの塩焼きは、火の通り加減も過不足なし。
そして次に味噌汁をチェック。湯に味噌入れただけなんてオチはなく、ちゃんとダシの匂いと味がする。
そのようにして十路は一通りの料理を味見して、様子を見守っている南十星の顔を見た。
「ど?」
「…………はぁ」
十路の返事はため息になって流れ出た。
味は申し分ない。コンビニの出来合いや冷凍食品も味としては上々吉だが、それよりも彼女の料理ははるかに美味いと感じる。
つまり、十路の好みを承知した味付けをしている。美味いが物足りなさを感じる大量生産の味ではなく、たった一人のために完全専用カスタマイズの食事だ。
「で、味どうかな?」
「美味いけど……味の濃さは、これで丁度いいし……」
「そっか。よかった」
安心したように南十星は笑い、箸を取って食べ始める。
そんな彼女を十路は、複雑な感情が浮かんだ眼差しで向ける。
そしてこの日から炊事だけでなく、家事全般について南十星が自主的に行いはじめた。
△▼△▼△▼△▼
他にも、たとえば昼休憩時間。
十路は朝のうちに購買で用意したパンで昼食を済ませることが多いが、その日は違った。
「お? 今日はパンじゃないのか?」
「わ。珍しいですね?」
十路の席周辺を陣取り、昼食を共にする和真とナージャは、カバンから出てきた弁当箱に目をつける。
ノロノロとした動作でそれを取り出した十路は、弱々しい声で説明した。
「なとせが作った弁当だ……」
シンプルなハンカチに包まれた弁当箱を、ナージャは宇宙人でも見たかのような視線を送る。
「味は大丈夫、なんですよね……?」
「最近は南十星が飯を作ってるから、その点は心配してないんだが……」
南十星の料理の腕前を、ナージャは樹里の部屋に泊まった際に知っている。そしてその後、十路に対して彼女がそれを隠していた話も聞いた。
だから壊滅的な料理に仕上がる心配は、十路もしていない。
していないが、十路はなぜか弁当箱のフタを、爆弾解除のごとくそっと開け、隙間から中身を覗き、そして一気に開くという警戒した開け方をする。
三人の前に現れたのは、揚げ物が多いから茶色一色なわけでもない、色彩豊かで栄養バランスまで考えられた、非の打ち所のない中身だった。
「お前はなにが不満なんだぁぁぁぁっ!!」
高遠和真、起つ。両の拳を握り締め、雄々しく猛る。
「こんな愛妹弁当作ってもらって! これが俺の昼飯だぞ! 学食のパンだぞ!」
和真は、カレーパンと焼きそばパンの入った購買の紙袋を見せ、そして男泣き。
「俺だって女の子が手作り弁当ほしいよぉぉぉぉ……! 特にナージャさんのぉぉぉぉ……!」
「泣いて頼むなら、和真くんのお弁当も作りますよ?」
自分の小さいランチボックスを出しながら、ナージャはにこやかに言うと、和真は恥も外聞もなく床で土下座した。
「お願いしますナージャさん! 愛情たっぷりなのをひとつ!」
「はい。愛情は塩分という形で示しますけどね。一キロくらいたーっぷり入れちゃいますよー」
「がっでむ!?」
以前言ったことを、ナージャは有言実行する気らしい。
そんないつもの調子の二人のやりとりも、十路は疲れた顔を向けるだけ。
「そんないいものじゃないぞ……? もう隠す必要がなくなったせいか、飯だけでなく、家事はなとせが全部やるようになったんだけどな……」
そこで言葉を切り、十路はから揚げを口に入れる。
冷凍食品ではない。肉にしみこんだ下味に果物の風味を感じるので、酢豚にパイナップルを入れるように、酵素で肉を柔らかくしているのだろう。しかも溶き卵を通して揚げていることで、時間がたっても衣に水分が移らない工夫がなされた、手の込んだ一品だった。
完璧だった。文句のつけようがない。味ではなく別の理由でため息が出るほどに。
から揚げを飲み込んでから、十路は魂が抜け出るような声で説明が続けられる。
「……いつも布団フカフカで干したような匂いがするし、シーツは毎日交換してるし、タオル使う時は交換されてるし、シャンプーとかボディソープとかトイレットペーパーが切れてることがないし、部屋は埃ひとつ落ちてないし、冷蔵庫の中が整理されているし、洗濯物はいつもちゃんと畳まれてるし、食器とか洗面台とか陶器製のものはすごい白くなってるし……」
「お前はなにが不満なんだぁぁぁぁっっ!!??」
和真絶叫。普通の男ならば、そこまで完璧に家事をしてくれる女性が側にいて不満をこぼせば、同じように反応するかもしれない。
「それは、大変ですね……」
しかしナージャは、十路に同情した。
「自分の部屋でそこまでやられてしまうと、十路くんは身の置き所ないでしょうし、なんかこう、下手に物が使えないというか……」
「わかってくれるか、その気持ち……」
潔癖症ならそこまで要求するかもしれないが、十路はそこまで要求しない。だからむしろ完璧な部屋では、精神的に休まらない。
しかも、と十路は言葉を続ける。箸を持つ手を細かく震わせて。
「……寝る時以外、同じ部屋で生活してるのに、なとせが家事をいつやってるのか知らないんだ……」
十路は自室で休めないのは、恐怖からだった。それはお化け屋敷のような一過性のものではない。ただ平原に立っているつもりだったが、実は地雷原だと気づいたような心境に近い。
「なとせが俺の部屋にいる時って、いつも柔軟しながらパソコンで映画観てるだけなんだ……朝晩の料理だけは、台所使ってるからわかるけど、この弁当はいつ作ったんだか……しかもウチのマンションって窓が開かないから、布団干せないのに……」
「「…………」」
理解がナージャと和真の心に浸透していくと、二人も背筋を恐怖で震わせ始めた。
三人とも南十星に持っているイメージは、天真爛漫でハイテンションなものだ。だから余計に、彼女が家事をしている場面を想像しようとしても、できない。
更にそれは、命を助けられた鶴が機織りをするが如く、見てはならない禁忌の気配をなぜか感じる。
三人は無言のまま、昼食を食べ始めた。
十路は精神をガリガリ音を立ててヤスリがけされているので、それ以上は触れたい話題ではない。ナージャと和真も空気を読んで、触れずにいた。
△▼△▼△▼△▼
さらに別の日の午後。
総合生活支援部員たちは授業時間にも関わらず、部活動の呼び出しがかかった。
つまり《魔法使い》の緊急即応部隊としての活動。今回の場合は消防からの要請だった。
このようなことは滅多にはない。《魔法使い》は《魔法使い》の事情があるように、常人は常人の事情がある。
消防隊員たちには役目とプライドがある。異能の使い手である《魔法使い》なら片手間で片付けれることも、決死の覚悟で当たらなければならない難事になるが、そのために彼らは職業に就き、必死の訓練を積んでいる。簡単に放り出せるものではない。
部員たちとしても、社会的にはただの学生なのだから、あまり当てにされても困る。
だから部に依頼要請が入るのは、常人ではどうにもならない状況か、プライドや大人の事情よりも事態収拾が優先されるべき時だけだ。
今回の場合は後者。大型雑居ビル内で火災が起こったからだった。
「木次さん……! この人をお願いしますわ……!」
大気分子制御術式《シルフおよび霊的媾合についての書/Fairy scroll - Slyph》を実行し、《魔法回路》による即席ガスマスクで半分顔を隠したコゼットが、勢いよく煙が噴出する入り口から出てきた。ビルで働いていたのだろう、無残に焼けた制服を着た女性に肩を貸して引きずっていた。
「了解です!」
救急隊員たちに混じって負傷者の治療に当たっていた樹里が、その女性を《魔法》の身体能力で軽々と受け取り、即座に処置する。
軽度の負傷ならば普通の応急処置で充分だが、女性の負傷は体表面五割以上の火傷、生死に関わる重傷だった。だから樹里は《魔法》を出し惜しみせず、《マナ》を通じて無事な細胞組織を移植交換し、火傷した皮膚をそぎ落とすような、常識外のナノテク医療を実行する。
「外からじゃ、やっぱ人がいるかわかんないワケ?」
「えぇ……」
留守番を言いつけられた南十星が、窓から炎が飛び出すほどに轟々と燃える建物を見上げて問う。
《魔法》とて万能ではない。普段ならば《マナ》を通じたレーダーで、建物内の人間の存在など探知できるが、炎が発する電磁波や熱によってどうしても乱れてしまうため、今は生存者を目で確認するしかない。
だが、その確認作業も終わりに近づいてる。乱れて煤で汚れた髪に触れながら、《魔法》の無線を通じてコゼットは呼びかける。
「消防隊長、そちらの隊員の状況は?」
『要救助者はもういないようだ。隊員は現在撤収中だ』
「総合生活支援部も、あと一人で撤収完了です。消火はどうしましょう? 要救助者がいないなら、一気に消火できますが、実行していいものでしょうか?」
『大丈夫だ。そちらに頼む』
消防隊の責任者と打ち合わせる。部に協力要請は出されたが、この事態の総責任は向こうにある。それに相手はこういった事態に対するスペシャリストだ。異能を操る《魔法使い》と言えど、実質的には素人同然なので、勝手はできないし、コゼットはしない。
打ち合わせが終えたとほぼ同時、駆動音を響かせて、その発生源が現場内から外に飛び出し、スキール音を立てて停止した。
「ふぅ……」
包まれていた《魔法回路》を解除し、学生服にフルフェイスヘルメットをかぶったままの十路が姿を現した。彼の《魔法使いの杖》はないため、《使い魔》の機能で熱と有毒ガスと防御しつつ、オートバイに乗ったまま建物に突入していた。
「要救助者は見当たりませんでした」
平坦だが気の抜けた様子はない声で、ヘルメットを脱ぎながら十路が報告する。生死が関わる非常事態では、彼でも腑抜けていなかった。が。
「お疲れー」
「――っ」
南十星に声をかけられると、怯えたようにビクリと肩を震わせる。
その時、音が新たに発生した。炎が燃えさかる音、熱せられたガラスが破裂する音、そんなノイズが満ちている場所に立っている、金属が軋む程度の音は気にしていなかった。
「先輩! 避けて!」
それでも樹里が鋭い声を警告した直後、意味を理解できないままでも十路は反射的に、跨っていた《バーゲスト》を盾にするように動くが。
「やば――!?」
自分の致命的なミスに気付き、液体窒素でも流し込まれたように背筋が凍る。
非公式特殊隊員だった彼が一番馴染みある、手榴弾や銃弾に対する防御姿勢を取る事が、ここで正解ではない。
見上げた先――上から巨大な壁面看板が落ちてきたら、意味がなかった。
【トージ! 掴ま――】
そのビルに入っている会社とは関係ないだろう、自動車の姿が晴れ晴れしく描かれた鉄板に押し潰される前に、イクセスが自律行動で避けようとしたが、それよりも先じて爆発がすぐ近くで起こる。
「どっせーい!」
崩れ落ち、彼らを下敷きにしようとした看板に、《魔法回路》に包まれた南十星が、人外の跳躍力で迫る。
固定支柱や電飾込みで百キロ超の金属塊は、トンファーによるアッパーカットでへしゃげ、屋上へと殴り飛ばされる。
「ぶぇ!?」
換わりに上を向いていた十路の顔面に、南十星がヒップアタックで落下してきたが。看板に比べれば半分以下の軽量だが、落下エネルギーが加わった南十星のクッション役は、かなり辛かっただろう。
「兄貴、大丈夫?」
「お前が落ちてこなければな……!」
スカートに頭を突っ込んでいる状態なので、視界はほとんど効かない。レギンスをはいているから、男としては夢のような実行したら手錠がかかるような事態にはまだなっていないが、南十星の股間に頭を突っ込んでる現状をなんとかしようと、十路は見えないままに手を動かす。
「ふぁ!? ちょ、兄貴!? ダイタン!?」
「いいから俺の顔面から降りろ!」
固いような柔らかいようなどこに触れたのかよくわからない学生服越しの感触があったがそれはあえて無視し、南十星を無理矢理どかそうと十路が手を伸ばす。しかしその手をくすぐったいのかなんなのか、南十星が体をくねらして暴れて降りない。
【なにこんな状況でじゃれてるんですか!!】
「を゛!?」
そんなAIの怒鳴り声の後、重い衝撃が無防備だった腹部に響き、背筋力で南十星を顔に載せたまま『く』の字に体が曲がった。どうやらイクセスがオートバイの重量で踏んだらしい。タイヤに包まれた前輪を乗せただけでも、洒落にならない腹パンチ(?)になるだろう。
こうして十路の精神が削られるだけでなく、肉体的にも被害が起こっていた。




