090_1390 常人以上超人未満たちの見事で無様な生き様ⅩⅩ ~不思議の国のアリス~
コゼットは唐突に動きを止めた。
「あーぁ……」
堕天使の短矢が突き刺さり炸裂した傷口からこぼれ出た血は、地面に跳ね返る。
生命が危険と、ひっきりなしに生体コンピュータが警告を発している。
血みどろで脱力したコゼットに、ロジェは不審げに眉を寄せて動きを止めた。抵抗を諦めたと思ったろうか。
「血ぃ出て頭冷えて、ようやく目ぇ覚めましたわ……」
唇を軽く歪ませるだけの空虚な笑いを浮かべたコゼットは、《サラマンダーおよび霊的媾合についての書/Fairy scroll - Salamander》を実行。堕天使の邪眼で溶解し灼熱する地面と壁を、熱力学操作で強制的に冷やす。
《ガルガンチュワ物語/La vie tres horrifique du grand Gargantua》実行。石の腕で、地面に突き立てた杖を上から押さえ込む。
「我ながら、バカですわね……」
まだ戦意を失っていない。ロジェが動こうとしたが、先じて《ピグミーおよび霊的媾合についての書/Fairy scroll - Pygmy》を実行。三次元物質形状制御による石の槍襖を生えさせ、武装メイドを強制的に追いやる。
そして改修で追加された杖の引金を引く。炸薬の破裂音を鳴らし、石突のスパイクが地面に深く突き刺さる。更に変形した足が展開し、杖は直立したまま固定される。
「なーんで……これまで同様、クロエの土俵で……正面から、戦ってんですわよ……」
距離が開けたことで、ロジェが矢を放ってきた。《魔法》を付与されていない、ただの矢だ。
だからコゼットは腰の後ろに手を回す。吊り下げられていた大判の書籍――《パノポリスのゾシモス》を手にし、振り回して矢を跳ね除ける。
そして地面に立てた杖と合体させる。柄頭部分の板が展開し、本を固定。乗せた本の厚さが段違いのため、譜面台と呼ぶよりも立見書見台と呼ぶのが正しいか。
否。開いた本のページだけでなく、周辺にも《魔法回路》が展開するその様からすれば、操作卓と呼ぶのが正しかろう。
「やってんのは……チェスじゃねぇーつーの……!」
動かすのが億劫な手と頭で仮想のキーボードを叩き、残量少ないバッテリーを交換しながら、コゼットは歯噛みする。
姉とのチェス対局は、常に負けていた。
認めるのが癪で、盤をひっくり返していた。
そんなことをしても、負けた事実が消えるわけはない。『引き分け』と称していたが、敗北し続けたとわかっている。子供っぽさがそれを認めさせなかっただけ。
今は違う。
平面のマス目六四、駒三二個の、平等なルールに則った戦争ゲームではない。規則正しく区画割などされておらず三次元的に隆起し空もあり、兵力差も火力差もある、現実の戦場で戦っている。
多少軍事に携わっていようと、将校としてしか知らない者よりも、確実により深く知る人間兵器のフィールドで。
「わたくしの土俵で勝てると思うなクソ女ぁぁぁぁっ!!」
だから盤面をひっくり返すことで、戦局もひっくり返すことができる。物理的に、ほとんど言葉そのままの意味で。
「《不思議の国のアリス/Alice in wonderland》!!」
ラプンツェルの書架に収められている一冊。かつての幼い彼女――不名誉号をつけられる前と同じ名の、少女の冒険譚によって。
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青い励起光が一瞬だけ駆け抜けた地面が鳴動した。
地震大国・日本に住む者ならば、警戒はしつつも過度には反応しない揺れだろう。
だがクロエが指揮する部隊の人員は、地震が滅多に起こらないヨーロッパ圏の人間が多い。訓練では経験できない事態に、本能的な恐怖でざわめき、動きを止める。
そこへ部隊は様々なものに襲われる。ある者は圧倒的圧力に。ある者は硬い衝撃に。ある者は大量の水に。
涙の池が再現される。島が割れて海水が浸食し巨大な水たまりが作られる。自身で流した涙で溺れまいと必死で泳ぐ少女のように、足が着かない水たまりに落ちた者たちも泳ぐ。だがネズミやアヒルにドードー、インコに子ワシ、その他めずらしい生き物がいくつか。池に嵌って混雑する人間大の動物たちたちが、岸へ泳ぐのを阻害する。
突如生まれた水場から離れていた者は、違うものに襲われる。地面が隆起し、滑走路が丸ごと持ち上がったような巨大なテーブル上へと強制的に引き上げる。
気違いお茶会が再現される。巨大な三月ウサギが『茶ぁもっと飲みなよ』とティーポットの水でテーブルから洗い落とそうとする。帽子屋がキラキラコウモリを謳いながら岩石のタルトに投げつける。本来そうされる側の眠りネズミが、部隊員を捕まえティーカップに押しこもうと追いかける。
偶然それらから逃れられた者も、無事では済まない。
女王様のクロケー場が再現される。巨大なハートの女王がフラミンゴの木槌を振り上げ、巨大な球を打つ。罠にかかったトレジャー・ハンターさながらに、転がる巨岩から逃れるために全力疾走を強いられる。安全地帯に逃れようにも、トランプの兵隊たちが槍を突き出し追い立てる。
遠目に見れば、物語の一部を体験できる、テーマパークのアトラクションのように思えるかもしれない。
しかし実際に体験するのは冗談ではない。子供に弄ばれる虫のような気分で、小規模な天変地異に放り込まれる。銃火器や《魔法》で迎撃しようにも、所詮は大量の土塊なので無駄な抵抗に終わる。
それが超広域物質流動化制御術式《不思議の国のアリス/Alice in wonderland》だ。
大量の《ゴーレム》を作る《魔法》ではない。島ひとつを全て《ゴーレム》化させるほどの大規模術式だ。以前の装飾杖では特にバッテリーの問題、性能不足でおのずと封印されていたが、改修し使用可能になった。
しかし使えても、示威行為にはともかく戦闘に使うには無駄すぎる、『出来損ない』の《魔法》だ。
「ぐ……」
逃れるのに遅れたクロエは、《ゴーレム》の形成に指揮車ごと巻き込まれた。海亀モドキの甲羅と、半分埋まった車に挟まれる形で、下半身が抜け出せず動けなくなった。
今のクロエの姿は、半端ながら異形のものになっている。片目だけ覆うベネチアンマスクを着けているように、左目周辺だけ白磁そのものに思える肌になり、瞳は白目部分がなくなり、悪魔を連想させる有蹄類の横長の瞳孔へと変化している。
――不透明性……想定に限界があり、常人の対応能力を容易く裏切ってくれること、でしょうか?
――わたしは即応性を挙げます。兵站など不要、個人に対する補給や輸送で活動可能ですから。
蘇金烏に問われ答えた、自分とロジェの回答を思い出す。
(ふふ……危惧したとおりですわね……たった一手で、ここまで理不尽にひっくり返されるとは……)
気づけば地形の変化はそのままに、戦場の動きが止まってる。部隊員たちの声は聞こえるが、ほとんどは助けを求めるものや悪態だ。生きていても行動不能にさせられただろう、事の終わりを察してしまう。
「……クロエ」
だから、ギプスというより石の包帯と呼びたくなる物を体に巻いたコゼットが、動けないクロエを見下ろす。
血で己を染めた凄惨さは比較にならない。だが六月、すぐ隣の人工島で相対した時を思い出す。
あの時のコゼットは己の意思を伝えるために、土と硝煙に塗れた姿で息急き切って、ホテルにいたクロエに会いに来た。部員たちの協力あってこそだが。
今度はひとりで、姉の前に立った。
しかしそれに割り込もうと、クロエの視界に人影が飛び込んでくる。片翼を広げ、グルカナイフを振りかざしたロジェだ。メイド服はボロボロになり、洋弓は破損しているから、ナイフを手に飛び込んでくるしかなかったのだろう。
「しゃしゃり出てくんなクソメイド! テメェの出番は終わった!」
巨大な石の鷲獅子が立ち塞がる。手加減なく手加減した、せいぜい車に撥ねられる程度のネコパンチで、ロジェが吹き飛ぶ。
「あー……うん。ロジェ? コゼットと話あるから……というか、もう終わるから休んでていいから」
「もう少し早く、おっしゃってください……」
王女の無碍な言葉に、職務に忠実なメイドが後悔をこぼし、それきり静かになった。とどめになって気絶したらしい。
コゼットと改めて向かい合う。肩で息をしていた彼女は、杖を片手に提げたまま時間をかけて息を整え、空の左手を握りしめる。
「ぶっ!?」
その拳を、動けないクロエの頬に叩きつけてきた。
「ふ、普通、ビンタでしょう……!?」
「《魔法使い》に普通を求めんじゃねーですわよ……今じゃクロエのほうが普通から外れてますけど」
《メリリム》に変化した部位を打たれたので、痛みはない。殴られることも予想の範囲内で、衝撃はない。
「ボケが……やっぱり貴女、大嫌いですわ」
「そんなにわたくしが人外になったのを、貴女が気にかけます?」
「望む望まぬに関わらず、結局クロエが《ヘミテオス》になったのは、わたくしのせいでしょうが……」
「コゼットと家族なのは、否定しようがない事実ですもの」
意地っ張りだけど、今は少しだけ素直に。
ぶっきらぼうだけど、本当は優しさも持ち合わせてて。
頭がいいのに、子供のような甘さが残る。
嫌いであっても、嫌いになりきれない。
そんな妹は、悲しげな苦笑を浮かべる。
「やっぱり、クロエには敵いませんのね……そんなの御免ですけど、仮になりたくても、わたくしでは絶対に女王になれませんわ……」
身を捧げる覚悟が。
貫く意思の強さが。
王女としての格が違う。
しかし姉は、なんでもないような微笑を返す。
「面倒ごとを姉に押し付けられるのが、妹の特権ですわ。もちろん限度ありますけど」
最近の子育て論ではNGだが、世間でよくある話。
嫌々ながら親に押し付けられても、見得が出てくれば義務に思えてしまう。
お姉ちゃんは、妹を守らないといけないのだ。
お姉ちゃんは、妹の憧れでないとならないのだ。
「大体、姉よりデキる妹なんて、存在すると思ってますの?」
「ハッ。テメェが這いつくばっててわたくしが立ってる今の図で、よくヌかせますわね?」
「いえだって、コゼットのズタボロ加減、確実にわたくしを上回ってるでしょう?」
「あーはいはい。んじゃぁテメェが負けっつーこと、わからせて差し上げますわ」
彼女たちらしくないやりとりも、彼女たちらしいやりとりも、家族としての語らいは終わり。
形式的に、尖った杖の石突が鼻先に突きつけられる。
「降伏なさい。白旗揚げるなら、命まで取りゃしねーですわ」
「仕方ありませんね……クロエ・エレアノール・ブリアン=シャロンジェの名において、降伏勧告を受託します」
部隊員に向けて、英語とフランス語で降伏を無線で下すすと、クロエは深々と安堵のため息を吐く。
これで壮大な姉妹喧嘩を、終えることができた。




