085_0080【短編】 イヌのきもち おとめのきもちⅨ~セント・ハウンド~
●セント・ハウンド(Scent hound)
獣猟犬のことをハウンド(hound)と呼ぶが、その中でも視覚ハウンドと嗅覚ハウンドとに分類される。
嗅覚に優れ、視覚外の獲物を追跡するのが得意。
ダックスフンド、ビーグル、ハリアなどが該当する。
株式会社大阪シティドームのスタッフと共に、十路と大型犬はドーム内を見回る。
京セラドームは、ただの野球場ではない。展示会・博覧会といったイベントスペースでもある。しかもレンタルスペースは球場部分だけでなく、大小ある。一般的な屋外球場では最上段であたる五階より上は、そういった施設になる。
「こっちはどっちかっつーと警察の管轄だな……」
『うーん……要予約で、入場には身分証明書が必要。野球観戦の時はともかく、コンサートの時は演出の都合でかなり制限がある……ビスタルームにもやっぱり警戒が必要ですか?』
無線越しに質問してみたが、十路は首筋を撫でて返事しない。無関係のスタッフがいるから会話を避けているのか、はたまた判断に迷っているからか。
ちょっとしたホテルのような調度の、家族や仲間内で飲食しながら野球観戦もできるビスタルームは、かなり見下ろす形になるがバルコニーもある。しかもコンサートやライブの際には、照明が禁止される。
警備の目を潜り抜けさえすれば、暗殺者が事を成すには、絶好の場所にも思える。
しかし大型犬の問いに十路は答えることなく、エスカレーターで最上階へと上がる。
アリーナほどの広さは必要がない、あるいは都合が悪いイベントで使用される、最上階の多目的ホールも明日開放される。ライブとは関係ない、子供向けのイベントで。
外からドームを見ると波打つ『つば』部分に当たる多目的スペースは、球場とは独立している。そのため一般客は専用のエスカレーターを使わないと入れない。
「……俺ならこっちを選ぶな」
『どうしてですか?』
十路はまたも無言だが、隠されていない空調設備やパイプを指差した。
なにが言いたいのかしばし悩んだが、大型犬にもピンと来た。
『あ。そっか。空調と電気とかの設備関係で、ドームの天井近くに出る点検用通路があるんですね?』
十路が小さく頷く。途中の階層も巡ったが、最初から彼の目的はこの階だったらしい。
同行しているスタッフに話を通し、関係者以外立ち入り禁止の扉が開錠された。
「……あれ?」
だが運営会社のスタッフは、扉に手をかけて動きを止める。
「どうしました?」
「いえ、なぜか開かなくて……先ほどは開いたのですが」
「先ほど? 他にも誰かが?」
「イベント会社の方を、設備調整のためにご案内いたしました」
「…………」
素人考えでは、別に不審を抱くことはない。
だが十路はなにか予感したのか、スタッフを押しのけるように扉に取り付く。
「ふんっ!」
南十星がよく見せる靠撃と同種の、超至近距離からの体当たりをぶちかます。すると金属の向こうで重いなにが動く音がして、扉が開いた。
完全には開かない扉の隙間から十路が入ったので、大型犬も続く。
外開きの扉が開かないのも当然だった。イベント会社のスタッフジャンパーを着た男が、扉にもたれて座っていた。
『生きてます。気絶してるだけみたいです』
十路は倒れた男の首筋に手を当てたが、生体コンピュータが稼動している大型犬は見ただけで、自発呼吸と脈拍があるのを観測できる。
「警察と、イベント関係者に連絡してください」
スタッフに言い置き、十路は素っ気ない通路を進む。いつの間にかリードは手放されていたが、大型犬も続く。
空調設備の稼動音が大きく響く。高出力の照明が近いため熱も感じる。広くても屋外とは違う空間特有の空気感が襲い掛かる。
ドーム内の屋根と壁面の接合部分に出たところで、十路は足を止めた。
『あ』
影に紛れる全身暗色の、目出し帽を被る不審すぎる人物が、膝立ちでピストルスコープをつけた回転弾倉拳銃を下へ向けていたから。
下には設営途中のステージ上で、スタッフたちに指示を出している、イヌ連れのマイリーの姿がある。彼女を狙っていた以外に考えられない。
十路は身構えたが、大型犬は困惑した。
この距離でイヌの鋭敏嗅覚ならば、不審人物の匂いがハッキリわかるから。
『先輩……あの人から、しちゃいけない匂いがするんですけど』
「どういう意味だ?」
『バニラと飴と紅茶の匂い、って感じですかね』
「……もしかして、覚えがある?」
『はい、すごーく……ほぼ毎日嗅いでますし』
「一瞬考えて、ありえないって思ったヤツの登場にビックリだよ……」
キーワードから連想する人物イメージは、あっさり共有できた。
「なぁ? 念のため訊くが、俺たち知り合いか?」
『…………』
不審者は拳銃を足元に置き、無言のままゆっくり立ち上がる。十路の問いかけを無視しているのでも、降参するのでもない。漫画的フィルターをかけて見たら、こめかみに汗を流している気がする。
十路がジト目を向けていたら、不審者は顔をゆっくり背けて紫の瞳を隠し、くぐもった声を返してきた。目出し帽のせいだけではない、精一杯変えているような女の声で。
『……初対面デスヨ?』
(やっぱりナージャ先輩だ……)
数日前から、別の部活で行方知れずになっているはずのナージャ・クニッペルと、こんな状況で鉢合わせするなど、全く想像していなかった。
「連絡しました――あ」
「『あ』」
なにも知らない運営会社のスタッフが、追いかけて登場してしまった。
十路と不審者が目で語り合う。
すぐに同意相成ったか、腰からナイフを抜いた不審者が、ヤケクソじみた勢いで襲いかかる。十路はタイミングを合わせて腕を取り、ナイフをあっさり押さえ込む。
更にふたりは肩で押し合いながら、器用に囁き声で怒鳴り合う。
『なんで十路くんがマイリーさんの護衛やってるんですよ……!』
「ナージャこそなにやってんだ……!」
『ホテルでなんて、危うく撃つところだったじゃないですか……!』
「アレやっぱお前が真犯人かよ……!」
そして身を離し、ナイフを繰り出し、腕をぶつける。
(うわー。白々しい……)
素人目には充分殺意みなぎる攻防だろうが、ふたりの実力を知って見れば、半分以下のやる気しか感じられない。
あのふたりならば読み合いなどせず、カンフーアクション映画ばりに高速の殺陣をやる。走るバイクの上で格闘戦ができる人々なのだから、狭く足元が不安定でも関係ない。
『こん――』
不審者が斜めに張り出す鉄骨を掴み、転落の恐怖を恐れることなく一瞬宙に身を躍らせて、『外側』から回り込む。
『やっ!』
突き出すナイフがいなされるのは織り込み済みと、そのまま十路に体当たりを仕掛ける。
『ほ――』
動きを封じようとした十路の手を逃れ、不審者は宙に身を躍らす。
『てるでっ!』
不審者は落ちてバルコニーに掴まり、危なげなく体を引き上げる。階下のビスタルームへと逃げてしまった。
いまの彼女は《魔法》を使うどころか、《魔法使いの杖》と接続すらしていない。《魔法》込みだとデタラメな強さだが、素でも充分超人クラスの人間なのだと改めて知る。
「もう一度関係各所に連絡を!」
「は、はい!」
十路も同じことができそうな気するが、追わない。スタッフに怒鳴り、彼女を見逃した上、ただの不審者として正体を隠した。
ナージャのことだ。きっとあの格好の下は、普通の格好で変装している。一度目を離して一般人に紛れ込まれたら、《魔法使い》でも再補足は相当難しい。事実であるし、追いかけない理由にもなる。
多目的ホールへ戻る道すがら、大型犬は無線で問いかける。
『まさか、ナージャ先輩が裏切ったってことですか……?』
「あのヘッポコにできると思うか?」
『だったらどうして?』
「部活だろ。俺たちとは別アプローチでマイリー・シチュワートを守ってる……だけどただ襲撃を妨害するんじゃなくて、実行犯をぶちのめして犠牲者が出ない形で代行してたから、ワケわからんことになってたんだ。今回も本当の襲撃犯はこっちなんだろ」
ナチュラルにナージャをヘッポコ認定してしまったが、十路はツッコむことなく倒れていた男を結束バンドで拘束する。
「理事長も先に言えよ……」
『つばめ先生の仕業なら、なんでこんなことを?』
「こうなりゃ見当はつく」
誰かの筋書きどおりに事が進んでいるが、殺害という肝心な部分だけを、それとすぐにはわからぬ形で潰している。
そして、きっとどこかでどんでん返しを起こすつもり。
だからつばめは、『敵を欺くならまず味方から』を実践した。
「あぶり出しだ。マイリー・シチュワートのすぐ近くに、事件の首謀者か協力者がいるんだろ」




