020_2000 チェスゲームⅠ~Task switching -2 Dogs-~
左腕に巻かれた多機能アウトドアウォッチは、午後九時を過ぎた時間を表示している。
神戸空港は、人工島ポートアイランドの更に南沖に建設された海上空港だ。
所有するのは二五〇〇メートル滑走路一本のみ。ほぼ真南の関西国際空港、兵庫・大阪県境にある大阪国際空港の補助的な役割を担う地方管理空港なので、大きくはない。
発着回数や運用時間、国際線就航が制限されているので、九時も過ぎれば残る定期便は東京・羽田の離発着一便のみ。
その空港島に渡るには、ポートアイランドから伸びる、長さ一キロ余りの海上連絡橋のみ。片側一車線の道路を車で走るか、軌道が引かれた新交通システムに乗るか、あるいは歩道を歩くか。通常そのいずれかの手段でないと渡れない。
関西国際空港まで定期船が往復するベイシャトルも存在するが、今回は考える必要はない。目標は車を使うことを知っている。
だから交通量がほとんどない連絡橋の路肩に、海風をにはためくカバーシートを被った物体が置かれ、その側に男女ふたりが座り込んでいた。
「こういう時、普通の高校生なら、どうするんだろうな?」
地面で胡座をかき、電動オートバイから電気を取った電動工具で、切断した鉄棒の先を尖らせていた青年が訊く。着ているのは学生服だが、夜でも目立つ白い蛍光塗料が塗られたナイロンのジャケットを羽織っている。
「や~……? 諦めるしかないんじゃないですか?」
その隣でダンボールを敷いて割座して、作業している少女が応える。彼女も青年同様に、学生服の上から安物のジャケットを羽織っている。
「お父さんの転勤で引っ越さないとならないけど、転校したくなくたって、結局は子供もついて行くことになるじゃないですか? あれと同じじゃないです?」
「一気に話が小さくなったな……すると俺たちはダダこねてる子供か」
「あはは……」
当然ながら、青年は十路で、少女は樹里で、シートを被せられているのが《バーゲスト》だ。
こんな場所で座りこんで、工作をしている状況を説明するには、少し時間を遡る必要がある。
△▼△▼△▼△▼
コゼットの本音を聞き出した後。
教えられた予定とは違う行動をされる可能性もあったため、コゼットに『必ず助ける』と言い含めて送り出し、十路はオートバイで追跡し、クロエたちがホテルに入るのを見届け、そのまま路上で監視しつつ、電話で指示を出した。
樹里はその指示に従って別行動し、呼び出されていた実家に一時向かってから、街中で合流した。
「木次、頼んだものは?」
「全部持って来ました。あと、これが野依崎さんが調べてくれたことです」
「サンキュ……うん。それはいいんだが?」
差し出された印刷用紙を渋い顔で受け取った十路は、樹里の背後を指差した。
「そのオマケは?」
「や、その、学校で捕まって仕方なく説明したら、ついて来られて……」
「水臭いですね~」
「そうだぞ~」
いつも通りの緩い顔を見せる、ナージャと和真の部外者コンビがついて来ていた。
想定外の登場人物に、十路はものすごーく嫌な顔をした。
「あのな……? どこまで木次から聞いたか知らないけど、俺たちがやろうとしてんのは遊びじゃないんだぞ……?」
しかしナージャはいつものホンワカ笑顔で、和真は悪童のような笑顔で応じる。
「わたしたちだって、部長さんがこのまま国に帰っていいとは思ってませんから」
「だから俺たちも手伝おうと、樹里ちゃんにくっついて来たわけだ」
「いやお前ら、なにも理解してないだろ……」
十路は周囲を見渡し、他に人の耳がないのを確認して、更に声をひそめた。
「……世間的に見れば、俺たちは帰国しようとする王女を、誘拐することになる」
法的な問題は、クロエたちに手落ちはない。十路たちがそれを打ち破るには、法を無視した手段を取るしかない。
「しかも今回、少なくともしばらくは、《魔法》を使うわけにいかない」
樹里の《魔法使いの杖》は、今朝つばめに取り上げられた。そして十路の空間制御コンテナもまた、彼女に預けてある。
犯罪を起こそうとしている以上、責任者であるつばめに話を通して、装備を手に入れるわけにはいかない。止められるのは当然避けるべきだし、監督不手際以上の責任を負わせるのは、本意ではない。
それだけならば、樹里は《魔法使いの杖》なしで《魔法》を使う異能と、十路は《使い魔》があるので、さしたる問題ではない。
しかし犯罪行為に《魔法》を使うことは、十路も樹里も良心が咎めるし、部の性質上、悪用は避けるべき事柄だ。
だから常人でも可能な方法で、正当性をもぎ取る必要がある。
それを端的に説明したが、和真が異議を唱える。
「だからこれからホテルに殴りこみに行くんだろ?」
「アホか……ホテル騒がして警察呼ばれて捕まるだけだ」
「じゃぁ、どうするんだ? 十路のことだから、勝算があるから事を起そうとしてるんだろ?」
「かなりギャンブルだけどな……クロエ王女は、俺たちに喧嘩を売ってる」
理事長室で彼女は、つばめ相手に予定を語っていた。
――先生。コゼットは今夜一〇時の、神戸空港発のチャーター機で帰らせます。
――あれ? その言い方だと、クロエちゃんは一緒に帰国しないの?
――少々仕事が残っていますもので。あぁあと、帰国するまでは、わたくしが泊まる部屋にコゼットもいてもらいます。
VIPのスケジュールなど機密事項だ。これから別れようとする者に、そんな説明をする必要はない。
そしてそれを語った時の、クロエの表情が気なった。以前彼女が部室に訪れた時に見せた挑発的な目。
「俺たちに部長を取り戻してみろって、言ってるような気がしてならない」
「王女様の目的は、部長だけでなく、私たちも、ってことですか?」
十路の説明に、樹里も疑問を挟む。
「そこはわからないけど……でも、欧州陸軍連合戦闘団の連中は、まだ国内にいるんだろ?」
「はい。野依崎さん曰く、そういうことです」
十路が今朝、メモに書いて野依崎に調査を頼んだことだった。それを樹里に指示して、返事をもらいに行かせた。
「だったら今回のことで、俺たちの邪魔をしてくると考えたほうがいい」
「部長さんも巻き込んで、ですか?」
ナージャも疑問を挟んでくる。
「むしろそのほうが好都合だろ? 部長を国に閉じ込めておくより、巻き込まれて死んでもらったほうが、問題が片付いてスッキリ。悲劇の王女として株も上がる」
「うぇ~……社会の暗部って考え方ですね~……」
「《魔法使い》の世界はそんなものだ。それに相手が実力行使してもらわないと、正直俺たちも困る」
「それはまたなぜ?」
「正当防衛・治安維持って名目で、俺たちが《魔法》を使っても言い訳が立つし、部長を『誘拐』したって事実もあやふやにできるんだが……」
そこで言葉を一度切り、十路は首筋をなでる。
「だけど一番の問題は、部長を取り返して終わりじゃない」
相手がどう対応しようと、社会的には十路たちは誘拐犯であることに変わりない。軍隊を持ち出すのはやり過ぎだが、正当性はある。
その上、逃走し続けるなど現実的ではないし、コゼットに普通の生活を続けさせるのが目的ならば、逃げていては意味がない。
「今回の問題の根本は、部長が《魔法》を嫌う国の王族であることだ。これは俺たちには、どうしようもできない」
「ふぇ!? 私たちがなにしても意味ないってことですか!?」
樹里の言葉に、十路はより一層渋い顔になるが、口にしたのは微妙ながらも反論だった。
「その対策はない事もないけど……」
「なんです?」
「部長を奪い返してからでないと始まらないし、ここで問答しても仕方ない話なんだ」
「や、そこ大事だと思うんですけど……」
「納得できないと思うけど、時間もないし、今はそれで勘弁してくれ」
不得要領でも樹里にはそこまでしか説明せずに、十路は改めて部外者ふたりに宣告した。
「とにかく、俺と木次はそれなりに荒事の経験があるけど、今回の件はそれでも相当ヤバイ」
実はクロエが彼らに喧嘩を売る気がなく、司法の手に委ねる気ならば、十路たちにはどうしようもできない。
見込みどおりに事が進んだとしても、今度は多国籍軍を相手にすることになる。
肉体的にか社会的にかの違いがあるが、どちらにせよ抹殺される可能性が高い。
それでも十路たちはやる気だが、部外者はその限りではない。
「だからナージャと和真は帰れ――」
「さーてさて、どういう作戦にしましょうかー? 和真くん、地図を」
「ほいさー」
関わるなと言ってもふたり無視して、気楽な調子で鞄から神戸市内の地図を出して広げ始めた。
その態度には、十路も爆発しかけた。
「お前らなぁ!? 人の話聞いてんのか!?」
「聞いてるよ。その上で手伝おうって言ってるんだぞ? 樹里ちゃんと十路だけじゃ手が足りないだろ?」
和真が一変した。三枚目の雰囲気が漂う軽薄な口調が、低く真剣になった。
「ここで部長さんを見捨てる方が利口でしょうけど、それならわたしはおバカさんでいたいですね~」
ナージャはいつも通りの雰囲気で、アメリカナイズに大仰に首を振った。
トラブルご免の十路が彼らの立場なら、多分逃げている。クラスメイトたちの言い分は信じられない。
「なに考えてるんだよ……?」
「部員じゃないですけど、わたしたちもあの部室が、大好きなんですよ」
「だけどお姫様がいないと、違うだろ?」
そこで、黙って様子を見ていたイクセスが、ぞんざいな声で口を挟んだ。
【……トージ、時間の無駄です。そのふたりは脅して協力させたことにでもして、作戦を立て直したほうがいいです】
「あぁもう……!」
彼らが聞く耳を持たない以上、確かに時間の無駄だった。十路は短髪頭を掻きむしり、ため息をついて指示を出した。
「メールでおいおい説明するから、ナージャと和真で買い物に行ってきてくれ……行き先はホームセンターと、服売ってるトコと、電子パーツが買える店と、大きいアウトドアショップだ」
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そして現在、彼ら四人と一台は所定の位置につき、準備を進めていた。
「どうして先輩は、部長を助けようとしてるんですか?」
ホームセンターでドラム丸ごと買ってきた細いワイヤーロープを、樹里は教えられた通りに手を動かし、板を使って編んでいた。
「部長に頼まれたから」
棒手裏剣に加工した鉄棒を結束バンドとまとめ、十路は自分が作った仕掛けを確認する。
路肩には用途別に色テープで目印をつけられた、大量の消火器が並んでいる。釣りの重りとして売られていた鉛を、簡易ガスバーナーで溶かして、ホースを切った噴射孔を詰めて、いつかのように改造していた。ただし今回作ったものは、水を入れて固定を緩く密閉した、以前にも作った簡易ロケットだけではないらしい。
ホームセンターの園芸コーナーにあった肥料と、塗料コーナーの有機溶剤、他数種類の物を混ぜたものを詰め、中に入れたカセットコンロのガス缶に、自作の電子回路を組み合わせたものがあった。
「ややややや……それ、先輩が無理矢理言わせたじゃないですか……」
「まぁ、そうだな……結局、俺はワガママなんだろうな」
連絡橋の欄干には、一定間隔で花火をまとめてガムテープで固定していた。束ねた導火線には、キッチンタイマーと電子ライター、自作の電子回路を接続したものが取り付けられている。
「誰もがずっと学生でいられるわけじゃない。家の事情で退学する場合もあるし、そうでなくても卒業すれば学校を離れる」
やや離れた常夜灯の支柱には、いつかオートバイを捕縛するのに使った鎖が固定してある。その先端には、マリン用品も売る大型アウトドアショップで購入した、鉤が四方に出た小型船舶用の錨が付けられている。それもまた改造を施し、スタンドをつけて中心軸で浮かせて重りでバランス調整し、まるで脚の長いシーソーか、昔の玩具の水飲み鳥のような仕掛けに作り変えている。
「でも今回の部長の件は、それとは違うと思う。だからだ」
「それだけ、ですか?」
「普通の生活ができない《魔法使い》にとっては、十分な理由じゃないか?」
「や~、そうかもしれませんけど……」
十路の腰には、ロッククライミングで使われる安全帯を装着されている。やはり鉤つき錨をつけたザイルが、丸め束ねてすぐ使えるようにしてある。
「もしかして、俺が部長のこと好きだからとか、そんな理由でも想像してたのか?」
「ふぇ!? それは、まぁ、考えなくもなかったですけど……」
「あの人と付き合うとか勘弁してくれ……そんな事になったら、絶対毎日ケンカになる」
「最近それがおふたりが仲のいい証拠に思えてきたんですけど……」
「怒鳴り合うのがスタンダードの人間関係ってどうよ……?」
そして工具を詰め込んだ、小さなバックパックも背負う。
「そう言う木次は、どうして部長を助けようとしてるんだ?」
「他人事じゃないからですよ。《魔法》じゃどうしようもできない事情は、私にもありますから」
樹里の作業を待つ間、十路は人工島の方角に首を巡らす。
先ほどからサイレンが聞こえる。
クロエが安全に事を運ぼうと、日本の警察に協力を求めたことを想定できるが、十路には違う様子に感じる。
サイレンはパトカーのものだけでなく、消防車のものも混じっているため、火事でもあったのかと想像する。
(そういやなとせが、神戸で映画の撮影があるとかなんとか言ってたな……それ絡みか?)
直接の関係はなくても、事を荒立てようとしている今、障害になりうる車が近くにあることに顔をしかめてしまう。
(あれから連絡ないけど、なとせのヤツ、神戸に来たのか?)
もっとも、どんな状況であっても、実行するしかない。




