085_0060【短編】 イヌのきもち おとめのきもちⅦ~ビーフィ~
●ビーフィ(Beefy)
元々は『牛肉のような』『筋骨たくましい』といった意味。
ペット用語としては、体重が重いイヌのこと。
犬種による発達よりも、肥満によるものの意味合いが強い。
「我々が入って構わないのでしょうか?」
「少なくとも誰がスタッフがわかるよう、顔を合わせておかないと、いざという時に困りますから」
実務者との顔合わせが終わると、マネージャー氏に連れられて客室へ入室した。
「しかも、イヌまで出しても」
「いえ……マイリーのペットがいますので、今更と言いますか」
ちなみに大型犬はケージから出て、リードを持つ十路に並んで歩いている。ホテルはペットお断りだが、上層フロア全体がマイリーによって貸し切られているため、他の宿泊客に迷惑にならない。特例的に許可されてるのだろう。
シティービューの眺望が見渡させるのだろうが、今はカーテンが締められている。
フロア自体が特別だから、単なるスイートルームではないというのは想像していたが、想像以上に違っていた。ダイニングやキッチン、ベランダまであり、ホテルの客室よりも高層マンションを思わせる、長期滞在も可能な部屋だった。かといって短期滞在用マンションなどとは、調度全てのランクが違う。
(レジデンスっていうの? これがお金持ちの世界なんだぁ……)
一夜の贅沢なら設備が無駄な気がし、長期滞在なら安い部屋でいいと考える。すごいとは思っても憧れはしない。小市民全開の女子高生は口を開けて関心したが、そもそもイヌは体温調節で口を開けてるので誰も気にしない。
「Tempura~♪ good. good boy~」
問題のマイリー・シチュワートはというと、入室した十路たちに気づいた様子もなく、リビングのソファで大型犬と戯れていた。
『イヌにテンプラって……』
「ネコにSushiってつける大物アーティストもいるからな……」
『日本人には理解できない感覚です……』
溺愛されるゴールデン・レトリーバーはどうでもいいので、有名アーティストの顔をじっくり確かめる。一応は見覚えあるが、大型犬の趣味では本当に『一応』でしかなく、ステージ用の化粧が施された顔なので、ほぼスッピンであろう今とは印象が違う。
大きめの口に厚めの唇。やはり大きめの尻が生み出す女性らしいくびれのある体型。典型的なアメリカ美人の特徴を備えている。顔立ちの特徴はモンゴロイドで、肌は赤みを帯びた褐色。中東アジアの人々とも違うように思うため、北米先住民か中南米先住民系だろうかと、人類学的な視点でぼんやり考える。
ちなみに名前で誤解しがちだが、モンゴロイドはアジア地域の人種だけではない。中央アジアからインド洋沿岸、太平洋地域どころか、ベーリング海峡を渡りアメリカ大陸まで広く分布している。
「Lady. More than that――(レディ。それよりも――)
それはともかくマネージャー氏が、仕事の話をしようと彼女へと呼びかける。
(Lady、ねぇ……)
日本語に訳せば女性でしかないが、幅広い意味を持つ。社会的立場のある女性への敬称としても用いられるため、マネージャ氏が呼びかけたのは、その意だろう。
イヌ相手に笑顔を向けていたアーティストは一転、人間には無気力と苛立ちが混じった顔を向けてくる。
「Zatanna? Dr.Strange? (ザターナ? ドクター・ストレンジ?)」
「That have nothing to do with Marvel and DC.(マーベルともDCエンターテイメントとも関係ありません)」
大型犬には理解できなかったが、どうやらアメコミの『魔法使い』と同一視して揶揄されたらしい。
「Then, put out the pigeon.(じゃあ、ハト出してよ鳩)」
「Ask a magician.(手品師に頼んでください)」
「Do you know who I am? (わたしが誰だか知ってんの?)」
「Not at all. I'm not interested in music, I don't know you well.(いいえ。全然。音楽に詳しくないので、あなたのこともよく知りません)」
苛立ちが募っていくマイリーの声と、全くトーンが変わらない十路の声が途切れたら、冷たい風が流れた気がした。
『先輩ぃぃぃぃっ! 少しくらい話を合わせましょうよぉぉぉぉっ!!』
支援部問題児コンビに負けず劣らずの問題児ぶりだった。ある意味ジャパニーズ・SAMURAIばりのバッサリ感かもしれない。
だが、大型犬が思った理由とは、少し違うセリフを十路は吐いた。
「Does the guard need to be your fan? Rather, it is a hindrance to work.(護衛があなたのファンである必要性は? そんなのむしろ仕事の邪魔になります)」
(これがプロ意識……なのかなぁ?)
プロフェッショナルのアマチュアの違いを語ると、大抵の場合は金銭面に落ち着く。仕事として食べていけるだけの立場にある者がプロ、そうでなければアマと。
もうひとつ言われるのは、仕事に対する責任か。
プロだからこそ線引きをキッチリさせる。素人にはわからない部分は『プロに任せておけば大丈夫』と根拠なく思われがちだが、安請け合いはしない。
だから護衛として参加する以上、太鼓持ちの期待をされても迷惑。
十路から樹里には不安視されても不思議ない部分だ。
(や~……先輩のことだから、トラブル避けたいだけかも)
でも最初から護衛以上を求められないために距離作ってる可能性が高そうと、首を振って納得する。
「Whether you're a 『Diva of the world』or a housewife, our job doesn't change.(あなたが有名アーティストだろうと主婦だろうと、我々がやることは変わりません)」
返事はなく、代わりにクッションと苛立ちが投げつけられた。十路も黙って受け止める必要はないと、軽々と叩き落す。
「And...She is Working now. Keep your pet away.(それから、ここにいる間、彼女も仕事中なので、あなたのペットを近づけさせないでください)」
「!?」
向けられた榛色の瞳に、大型犬は毛皮を震わせた。
十路は『関わらせるな』と注意したが、そう言うことで逆にマイリーの注意を大型犬へ変えさせ、話を強引に終わらせようとしている。その意図を察してしまった。
「What's breed of dog...?(その子の犬種、なに?)」
「I don't know the breed of dog. It is said to be a wolf Hybrid, but I don't know if it's true.(犬種はわかりません。狼犬と言われていますが、本当かどうか)」
十路の説明は事前に打ち合わせもしていないテキトーな嘘だが、大ハズレでもない。
今の大型犬は、タイリクオオカミのDNAデータで変身している。《ヘミテオス》の権能は、大型化はさして難しくないが、小型化にはかなり制限があり、イエイヌでは引っかかるために。
ただオオカミそのものに変身してしまうと、詳しくない一般人でも違和感を持つ者もきっといる。だから顎の筋肉発達を弱めたり、最も異なる胸郭をイヌ化させたりと、細部はいじっている。
言葉としては正しくないが、オオカミがイエイヌに家畜化される発展途上、半端なイヌという意味での『狼犬』と言えなくもない。
「Don't touch. Cut off your arm.(触らないほうがいいですよ。腕食い千切られるので)」
『……猛獣にしないでください』
憮然として無線を飛ばすものの、さすがに十路も人間相手の会話中にイヌへと返答しない。
あと、『触るな危険』と言われているにも関わらず、近づいて手を伸ばしてくるマイリーはなんなのか。
「Tempura, Your friends.(テンプーラ。お友だちよ)」
(話聞かない人だなぁ! 先輩の英語通じてないの!?)
更に『近づけんな』と言われて尚、なぜペットを近づけようとするのか。
しかもイヌも普通に近づいてくる。
「グルル……」
牙と警戒心を向き出しにしてみたが、テンプラくんは構わず近づいてくる。
(こっちもマイペースなコだなぁ!?)
ゴールデン・レトリーバーも大型犬だが、大型犬との体格は比較にならない。
大雑把には体重二五キロ以上を『大型犬』と分類される場合が多いため、同じカテゴリーに入ってしまうが、より細かく分類すれば、変身した大型犬は四〇キロ以上の超大型犬となる。
(もー……)
なので簡単に押さえ込める。前肢で強引に伏せさせれば、体重差を跳ね返すことができない。
(遊ばないから。大人しくしてるの。いい?)
イヌに変身したからといって、イヌと意思疎通できるわけはない。それでも大型犬は心の中で言い聞かせる。
だがテンプラくんはご機嫌に尻尾をフリフリ。遊んでもらってると認識しているらしい。
(もぉ~……!)
前肢を離してみると、舌を出した満面の笑みで、後ろに回り込もうとする。
なので大型犬は、背後を取らせないよう、その場で回転する。
『先輩! 止めてくださいよ!』
飼い主の制止は期待するだけ無駄。十路に無線を飛ばしたが、『それくらい問題ないだろ?』みたいな不得要領顔を向けてくるだけで、助けてくれそうにない。あまつさえ動きを阻害しないよう、リードを緩められている。
尻尾も使ってガードしていたが、テンプラくんは意に返さない。毛の長い尻尾で顔を叩かれても平然とし、後ろに回りこむのを諦めない。
(もぉぉぉぉっ!)
「キャイン!?」
「あ」
「Tempura!?」
痺れを切らし、前肢で張り飛ばした。テンプラくんはダブルアクセルを決めてソファに沈んだ。
(人間の時ならまだしも、今イヌに近づかれるのイヤだよ!)
可哀想に思わなくもないが、乙女の股間の匂いを嗅ごうとする(イヌ基準では挨拶)失礼すぎる輩に対する報復としては順当 (人間基準)と己を納得させる。怪我には細心の注意を払って打撃ではなく衝撃を与えたので、肉体的にはなんら問題ない。
「Get out! (出て行け!)」
早速肉体以外の問題が発生した。目を回すイヌを心配し、抱きかかえたマイリーに怒鳴られる。それよりも、『なにやってんだ』とでも言いたげに見下ろしてくる十路の目が、大型犬には効いた。
本来のテンプラくんの居場所なのか。あるいは無礼な輩たちと一緒の空気を吸わないためバルコニーに出ようというのか、マイリーはカーテンを開けた。
梅田北ヤードを挟んで、空中庭園が有名な超高層ビル・梅田スカイビルが見える。
「Asshole!(馬鹿野郎!)」
直後に十路が血相を変えて怒鳴り、動こうとした。
同時にガラスが粉砕した。
「!」
即座に大型犬は即座に脳機能を全開にし、知覚をコンピュータのものへと引き延ばす。
見る光景がスローとなる。倍強化ガラスが放射状の割れて穴が穿たれ、ライフル弾が室内に飛び込んできていた。
とはいえ、その射線上には誰もいない。床材に刺さるだけだ。
(大ハズレだけど……やっぱり、護衛っぽく動いたほうがいいのかな?)
スローで動く十路は決死の表情だ。いくら彼でも《魔法使いの杖》非接続状態で、ライフル弾を知覚できはしない。命中弾かどうなのか判断せぬまま、護衛としての行動だ。
(ワンコ殴り飛ばしたの、有耶無耶にするためにも、私の手柄を作っといたほうがいいか……)
知覚速度と比べたら運動速度は大幅に劣るため、水中のようなもどかしさを覚えながら、大型犬は棒立ちのマイリーに飛びかかり、服を咥えて引き倒す。
イヌを抱えたままマイリーが床に倒れるベクトルなのを確認し、その背後に大型犬は割り込む。
そして知覚速度を平時に戻すと、破壊音や悲鳴が一斉に襲い掛かる。鋭敏なイヌの耳にはなかなかキツい。
(ぐへっ!?)
覚悟して筋肉質の四肢を張っていたとはいえ、倒れる人間プラス犬のクッションになるのはかなりキツかった。
「警察に連絡! 狙撃場所は梅田スカイビル! 確保急げ!」
一瞬気が遠くなった時に、十路の指示が聞いた気がした。




