085_0030【短編】 イヌのきもち おとめのきもちⅣ~ガード・ドッグ~
●ガード・ドッグ(guard dog)
守衛の補佐をするイヌ、あるいは番犬のこと。
転じて、その役目に適した犬種の総称としても使われる。秋田犬、ボクサー、ジャイアント・シュナウザー、ジャーマン・シェパードなど。
「マイリー・シチュワート?」
食事を流し込んだ十路と共に五階に上がり、共に生活している長久手つばめから、あらましを聞くことになった。
「ジュリちゃん、音楽は全然だから洋楽なんて聞かないだろうし、全米チャート一位とかグラミー賞受賞とか言ってもピンと来ないだろうけど、名前くらいは知ってるでしょ?」
「ですね。すごい歌手ってくらいの認識しかないです」
「いまツアーで来日してることは?」
「朝のニュースで見たような……?」
歯磨きしながらテレビを見ていて、洗濯機のブザーが鳴ったので席を外して、すぐ忘れた。忙しい朝に見た興味ないニュースなどその程度だ。
「じゃあ、昨日のライブ公演中止になったってのも知らない?」
「見たのがそのニュースだったんですかね?」
「中止の理由が、今回支援部に依頼が回ってきた理由。詳しくは世間に隠せる規模だけど、発砲事件が起きた」
つばめがタブレット端末を差し出したので、受け取ってPDFデータ化された資料を確かめる。
電話であらましは聞いても詳細は知らないのか、脇から十路も覗き込んできた。彼の吐息が耳元をくすぐる感触に肩が震えたが、気にせぬ体で画面を見る。
まずは被害者の情報として、マイリー・シチュワートという女性歌手の略歴がある。近年だと発表した曲は、軒並みビルボードチャートTOP3内。きっとフレーズくらいは聞いてるだろうが、タイトルだけ見ても樹里にはピンと来ない。
スワイプして読み進めると、肝心な昨日の事件資料が出て来る。一介の私立学園経営責任者の手に、写しとはいえ警察の捜査資料があってはいけないが、支援部の特殊性やつばめの謎の伝手を思えば今更のこと。
内容は拳銃乱射事件だが、被害は幸いにも軽傷者のみ。それも銃弾を受けたのではなく、その時の騒動が原因の打撲などによるもの。ただしこの騒動が原因でライブが中止となったので、そういう意味では数千万円の被害が出ている。
「容疑者は捕まって、証拠もあるんですね」
犯人と思しき外国人男性の資料も入っている。
取り調べでは容疑は否認。銃にその男の指紋は複数回ついているが、容疑者の体に硝煙反応はなし。確定しているのは、事件に使われた銃を持っていた点だけで、この男性が銃撃事件の犯人かは確定していない。よって拳銃所持の容疑で逮捕・捜査し、余罪追求とのこと。
「階段で転んで気絶してたところを逮捕って……そういうこともあるんですね」
被害者が有名人であるとはいえ、樹里はよくある事件以上に思えない。新聞掲載は一面記事ではなく三面記事になるような、マヌケな犯人の顛末だ。犠牲者がいなくてよかったとしか思わないが、覗き込む十路は眉を寄せて首筋を撫で始めた。
「変な事件だな……?」
「転んで気絶はやっぱりあり得ないです?」
「それも変だけど、さすがに説明せんとわからんか。まずはこれとか」
十路の指が捜査資料をなぞる。押収された銃の写真を経由し、聞き込み内容をまとめたのだろう事件当時の証言で止まる。
「サイレンサー使った時の銃声って、どのくらいなんです?」
「抑制効果はせいぜい三〇デシベル。一番小さい.22LR弾でも素の発砲音は一四〇デシベル。耳がイカれる音が、うるさい音になるだけ」
「映画だとパスパスした音だけで、誰にも気づかれずに撃ってますけど、その程度なんですね」
「そこまではフィクションの領域だけど、『誰にも気づかれずに』は達成できてると思う。科学捜査研究所ででもちゃんと検証しないと断言できないが……」
十路の指がフリックして別のページに移動させ、現場見取り図を滑る。
「着弾位置から考えて、犯人はここの物陰から動かず発砲してる。近距離銃撃戦の距離だ。なのに事件当時、どこから撃たれたか、多分誰もわかっていない」
抑制器の主たる役目は、焼け石に水なので音量を絞ることではない。そもそも発砲音を抑えるのは、空気中を飛翔する弾丸の殺傷能力低下と同義だ。一般人が想像するほど静かなら銃撃の意味がない。
なので周波数帯を変えることで周囲の音にまぎれやすくし、発射閃光を抑える。どこから撃たれたか咄嗟にわからなくし、撤退や追撃の時間を稼ぐのが現実的な目的となる。
「だから六発も撃つ猶予を与えてる」
「や? 猶予ってほどです?」
「壁の着弾が二発ペアで大きくズレてる。闇雲な乱射じゃなくて、二連射を三回したと見る」
拳銃はそうそう命中するものではないし、中っても小口径の弾丸ではなかなか行動不能にできない。
だから二連射するのは、単純ながら効果的かつ実戦的な使い方と言える。
「連射三回、狙いの修正二回で、ざっと三秒としようか。だけど人間の平均的な反射反応速度は〇.二五秒。どん臭い民間人でもなにか行動するし、訓練された人間なら接近して反撃できる」
「そう考えると、結構長い時間ですね」
「だから抑制器は効果を発揮してたと思う。護衛は対象の盾になったはいいが、攻撃方向もどこに逃げればいいかもわからなくて、その場で防御姿勢を取る以外できなかった、ってな」
「……ふぇ? 動かなかったのに、誰にも中っていない?」
「あぁ。だから変なんだ。それに抑制器は特殊な装備だから、正規ルートで手に入れるなら所持登録が必要で時間かかるし、裏ルートだと吹っかけられるだろう。しかも押収されたのはFNX-45タクティカルモデル。一般販売してるとはいえ、特殊作戦軍向けに開発された新型拳銃だ。使用弾薬は.45ACP弾。抑制器との相性がいいし対人攻撃力も高い。極めつけに事件が起きたのは、ホームセンターでもスーパーでも銃も弾も販売してない日本。これらから導き出される結論は?」
「状況証拠は素人の仕業と思えないのに、結果は素人同然?」
「正解。一度は現場から逃走してる点から見ても、犯人が素人とは思えないんだが……?」
「わざと外したとか?」
「可能性だけならゼロじゃないが……それやる理由がなぁ? 脅し目的なら、こんなご大層な準備は必要ないし」
元特殊作戦要員らしい十路の不審がようやく理解できたが、話の本題ではないのでひとまず置いて、視線をつばめへ移す。
「それで。大阪公演での護衛に、私と堤先輩が参加ってことですか」
「そーゆーこと。元々の護衛はいるけど、増強するんだって」
「襲撃事件、一度で終わりそうにないですしね……」
「警視庁もテロリスト絡みで捜査してるみたい」
もう一度タブレット端末に目を落とし、その部分のページに移動する。
東京で捕まった容疑者の自供はないが、目星はつけられている。
数ヶ月前、マイリー・シチュワートは公共の電波で、名指しであるテロリストグループを馬鹿にしているのだ。報復があっても不思議はない。
「護衛は苦手なんですから、いい加減俺に持ってこないでほしいですけど……しかも対象が女性なら俺の出番はおかしいでしょう?」
電話では文句を言い足りなかったのか、十路がしかめ面になる。
「だから《治癒術士》の保険も含めて、ジュリちゃんのコンビでってことで」
「もっと問題です。今回木次じゃ無理です」
そんなに頼りないかと、樹里は明け透けな言葉にムッとする。
「私じゃなにが問題なんですか?」
「護衛対象と相性が悪い……いや、俺の基準で話せば、護衛される側として失格」
「歌手としての実力は確かだけど、どちらかというとマイリー・シチュワートは、お騒がせ娘として有名ってのは、知らない?」
想像とは少し違う答えが返ってきた。
疲れた態度を垣間見せる十路だけでなく、つばめまで護衛対象の問題点を挙げていく。
「ワガママで飛行機の運航止めたこともあるし」
「マスク着用を拒否したり、機内サービスのナッツが袋入りだったんですか?」
「いんや。CAさんに注意されたから水ぶっかけて、離陸前だったから飛行機下ろされた。愛犬家だけど、どこにでも連れていこうとするからイザコザが耐えない。あと気分でライブすっぽかしたこともある。だからアンチも多い」
「犯人候補がテログループだけじゃなさそうですね……」
十路もタブレット端末を指先で叩きながら、補足してくれた。
「今回の事件も、護衛対象のワガママが大きな原因だな。部屋に入る時、普通は護衛が先に入って室内を調べる。だけど待たされるのが嫌で楽屋に押し入って、襲撃されてる。しかも護衛が一時的に減ってた時に」
「減ったって、交代のタイミングだったんですか?」
「いいや。護衛対象がパシらせたから」
「うわ……」
いざという時は身を挺してでも守る護衛を、小間使い扱いして遠ざけるなど論外だろう。樹里でも非常識だとわかる。
「えぇと……マイリーさん、現状をちゃんと理解してるんでしょうか?」
「護衛の指示に従わず好き勝手して、今回の事件で罵ってるみたいだから、とても期待できない」
「事件が起こっても、大阪公演やるんですね」
「ビジネスとしちゃ大事にしたくないだろうし、なにより当人が『テロリストに負けてたまるか』ってやる気らしい」
「うわぁ……」
待ったなしの炎上案件、しかも失敗せずとも精神的・社会的生命が失われそう。直接樹里たちが得るわけではないが、高報酬でも見合わないと思ってしまう。
「つばめ先生。断れないんですか?」
一縷の望みをかけるが、彼女は無情にも首を振る。
「ちょっと無理。相手はそんじょそこらの小娘じゃないし。未遂でも事件が起こった以上、警察も日本国内で流血沙汰になったら威信に関わる。断って軋轢生むのは避けたい」
「逃げるの無理なら、やるしかないですけど……」
つばめに文句を言ってたが、十路は部活を了承しているらしい。ものすごく嫌そうな顔で愚痴をこぼしながらでも。
「同性の護衛が必要でも、木次を連れて行ったら、相当ナメられる」
「まぁ……実際、高校生の小娘ですからね」
「どうパシらされてどう問題になるか、わかったもんじゃない。それで前任と同じように、失敗したら目も当てられない。しかもどう転んでも、こっちが不愉快になる気しかしない。どうしても俺がやらないといけないなら、木次はメンバーから外して他の面子を選ぶ。《治癒術士》の保険を捨ててでも、下手こく可能性を下げたほうがマシ」
「はぁ……」
十路の弁に、樹里は反応を迷わせる。
また腹立たしい彼の独り善がりかと思ったら、今回は違った。外す理由が樹里の頼り甲斐とは全く違う問題で、部の評判や人の生死にも関わってくるため、個人的感情はさておかないといけない。
夕食前の電話でその辺りを話していそうだが、納得をひとつひとつ得ようとしているのか、つばめは改めて確認する。
「トージくんが考えるベストな人選は?」
「部長ですね。身元を周知させておけば、余程のバカでない限りケンカ売られないです」
経済力や知名度が洒落にならない世界的アーティストでも、対抗馬は容姿端麗・頭脳明晰・名家出身・(表向きは)性格良好の役満王女だ。URキャラだからと傲慢に振る舞えば、ただでさえ世間で論われるご時勢なのに、やんごとない身分のEXRキャラをナメくさったら社会的生命が吹っ飛びかねない。少しでも危機管理能力が働く者なら、最初から問題を起こさない。
コゼット・ドゥ=シャロンジェにケンカを売れる余程の馬鹿が言うのはどうかと思っても、空気読める樹里は態度に出さない。
「そうだけど……コゼットちゃんには昨日まで別の仕事をお願いしてたから、続けざまはさすがにね」
「じゃあナージャ……あぁ、アイツも昨日から別の部活でしたっけ? 学校来てませんでしたし」
「うん。コゼットちゃんみたいに事前封殺はできなくても、いい感じに取り繕うだろうけど、いない以上はどうしようもない」
ナージャ・クニッペルは、親しい人間にはエキセントリックさを発揮するが、常識人として振舞うことができる。人心掌握にも長けていて、場を回すのは上手い。
心根優しい樹里でも、あの外国人留学生の先輩が常識人とは、ちょっと言えない。ウソはつきたくない。
「なら他――」
「さすがに危険がわかってて、義務教育組を使うのは世間的にね? それにこう、護衛としちゃ問題ないだろうけど、デリケートな問題には致命的な気がね……保険外してまで入れるかって考えると……」
つばめでも言葉を濁したが、南十星と野依崎雫のダブル問題児なら、無礼ぶっカマすこと間違いない。樹里でもそう思ってしまう。
「俺と木次しか選択肢がないのか……」
「そーゆーこと。トージくんが懸念するように、ジュリちゃんがいることで失敗要素が増えるのも理解できる。ならジュリちゃんはそう認識されない形で支援してもらうってのが、モアベターな苦肉の策。マイリーは今回日本にもペットを連れてきてるし、まるきり無茶な方法でもない」
「だから木次がイヌに変身してって……」
十路が樹里の顔を見下ろしてくる。しかめているが不機嫌な表情とは違うので、本当に困り、迷っているのだろう。
懸念を排したいだけでなく、樹里への心配も含まれていなければ、彼はこんな顔を向けるはずない。
「仕方ないですよ。その方法でいきましょう」
「…………スマン」
葛藤の百面相を披露したが、十路も最終的には納得してくれた。
危険が予想され且つストレスの源泉みたいな場所に、彼ひとりで放り込む状況は避けられた。
「でもイヌ用の服は要求しますからね!?」
あと大事なことも忘れてはならない。




