085_0010【短編】 イヌのきもち おとめのきもちⅡ~パンツ・トラウザー~
●パンツ・トラウザー(pants trouser)
ファッション用語としては、フォーマルなスラックスパンツを呼ぶ。
日本人の意識では『スラックス』はフォーマル服の印象があるが、英語圏ではフォーマル、カジュアルを問わない。またトラウザーはイギリス英語的な単語。
ペット用語としては、狆、パピヨン、ボルゾイなどといった長毛種犬の大腿部後面に生える、長くて厚い飾り毛。キュロットとも呼ばれる。
パンツを取る者、などといった意味はない。
正式に付き合っている、とはまだ言えない。
だが十路に想いを告白して以来、樹里はなにかと彼の部屋に入るようになった。
今日もそうして彼の部屋にやって来た。十路は部活や勉強で帰宅の時間が合わず、樹里が先に帰宅して、彼の部屋で料理していたのだが。
「んまっ! じゅりさん! この料理なんザマス!?」
なぜか小姑と一緒に夕食を取ることになった。
いやまだそう呼べる関係にはないが、堤南十星が十路の義妹であるのは事実で、なんとなく言動的に。
どこで手に入れたのか。キレッキレのフォックス型眼鏡をかけた南十星は、樹里の料理を口にするなり、蔓を押し上げ甲高い声を上げた。俳優経験もある彼女だがまだ一〇代、うるさ型マダムの演技はさすがに無理がある。
「カレーに牛肉なんて馬鹿にしてるザマス!?」
「ええと……なっちゃん家のカレー、豚肉だった?」
「そこはモツかおもろに決まってるザマス!」
「モツなんて普通入れないでしょ!? 『おもろ』ってなに!?」
堤家の兄妹が幼少期を過ごした静岡市では、割とモツが入っている。ただしカレー風味のモツ土手煮が周知された結果であって、カレーライスに最初から入れるかと問われると、やはり疑問符がつく。
そして『おもろ』とは、静岡県西部の郷土料理である豚足の煮付けだ。磐田市では近年ご当地カレーとして入るようになった。
「これで堤家の味を守る気あるザマスの!?」
「堤家の味を知らないよ!? なっちゃんの料理がそうなの!?」
「ンなワケないじゃん。あたしがメシ作るようになったの、オーストラリア行ってからだし。しかもおかーさん大雑把な人だったから、同じ料理でも作る度に味違ったし」
堤家の味が既に存在しないなら、なぜイビられないといけないのか。南十星が冗談で言ってるのはわかっていても、樹里はイラッとした。
「ジョークはともかくさ」
眼鏡を外して放った南十星は、改めてスプーンを手にし真顔になる。
「いつまでこんなこと続ける気? あ、別にブラコン炸裂させて、追い出そうとしてんじゃなしに、純粋な疑問だけど」
「や。それはわかってるけど」
樹里と十路との仲に関して、南十星は応援してくれているわけではないが、少なくとも否定はされていない。
なにせ十路の部屋の合鍵を、彼女から受け取ったのだから。
「兄貴に告白したはいいけど、返事まだなんしょ? なのにこんな風に毎日ここに来て、甲斐甲斐しく兄貴の世話してんの、どーなの?」
「や。私がやりたいからやってるだけだし」
「……策士? 天然?」
「ふぇ?」
「あぁ、うん。わかったからいいや」
通い妻やられている十路からすると、結構なプレッシャーではなかろうか。返事の催促どころか、否は許されないと感じるのではなかろうか。
そんなこと思いもいない樹里は小首を傾げたが、南十星が納得したならまぁいいかと首の角度を戻した。
「じゅりちゃん的には返事、急かしてねーの?」
「んー……先輩の事情も結構知っちゃったしね。衣川さんのこととか。なのに私が言い寄ったから、ものすごーく複雑なのも想像できるし……」
ただでさえ禁欲的に見えてしまう十路のことだ。そんな簡単なことだとは思えない。というか彼の性格を考えれば、簡単に返事するほうが信用ならない。
それだけ告白を真剣に受け止めてくれている、と考える。
だからあまり深刻にはならず、樹里は水の入ったコップを傾けた。
「そんなんで兄貴のチ●コいじれんの?」
「ぶふぅぅぅぅっっ!?」
一応は乙女の根性で水鉄砲は耐えようとした。いや耐えようとしたがため、口だけでなく鼻からも香辛料混じりの水が逆流した。
「げほっ、ごほっ……そういうのは早すぎるんじゃないかなぁ!?」
鼻すすりながら痛みに悶えながら撒き散らした水を拭きながら、樹里は涙目を南十星に向けた。いくら女同士とはいえ、あからさま過ぎるだろうと。
「オトコとオンナが一緒にいりゃぁ、いずれそーゆーコトするワケじゃん」
「だとしても真っ先に考えることじゃないと思う!」
「いやさ、傍で見てて、けっこーヤキモキすんのよ。とっとと『オラ、チ●コ出せ』ってパンツずり下ろしゃいいのにって」
「確実に先輩ドン引かせるよ!?」
「うんにゃ。ガチ蹴りされた」
「…………」
実行はジョークだと思いたいが、それ以上は踏み込めない。南十星に肯定される可能性を考えると、真偽の確認など恐ろしくてできない。失敗確定の策を提案するかというツッコミはこの際どうでもいい。
「なっちゃんのそういうところ、つばめ先生みたい……」
「うん。キャラ被ってる」
なぜよりにもよって、そんな部分を被せるのか。当人たちも狙って被せているわけではないのは理解していても考えるだろう。
オッサンじみた二九歳独身女と被っている事実をもっと深刻に考えてほしい。年頃の女子中学生として嫌がってほしいのに、なぜなんでもない顔でスルーするのか。
「あたしも三十路手前でケッコン焦るようになるかなぁ……? ヤだなぁ……」
否。南十星も気にはしているらしい。
「それはともかく」
立ち直ると、南十星はまた真顔になった。
「じゅりちゃんが将来的にどこまで考えてんのか知らんけど、兄貴との関係を先まで考えるなら、性格の相性もカラダの相性も大事っしょ? つか、最終的に相性ダメなら仕方ないけど、最初から真剣に考える気ないなら、あたし殴るからね?」
思わず樹里は息を飲んだ。狂気的な家族愛を持つこの少女では、殴る=殺すにしか聞こえない。
彼女なら、本当に殺る。明石海峡大橋の上で実感した。
南十星は現実主義者だ。自身が関わる範囲であれば、子供じみた能天気な恋心など完全否定する。
なにせ彼女も十路も、《魔法使い》と呼ばれる人間兵器。常人にしか通用しない甘い理屈など、軽く吹き飛ぶ人種なのだから、恋愛や結婚にも大きな制限が付きまとう。
今の樹里は、南十星にほんの少しチャンスを与えられただけで、受け入れられているわけではない。
兄の害になると判断すれば、積極的に排除へと動く。
「白馬に乗った王子様が迎えに来て幸せにしてくれるとか、冗談キツいっての。つーかウチの鉄馬に乗った《騎士》様なら、そんなオンナ、ヨーシャなく見捨てるだろーけど」
幸せは相手が運んでくれると信じているお姫様など必要ない。
南十星にとって必要なのは、兄を幸せにしてくれる人物なのだから。
そして、そのために、樹里に努力を暗に求めている。
南十星にはそう言える資格がある。十路との血縁だけでなく、こう見えて彼女は二次元顔負けの妹キャラだ。いつも笑顔を絶やさず健気、家事も勉強も戦闘も両立させる、お義兄ちゃん想いのパーフェクト・シスターなのだ。
アホの子という現実が、美点を全て帳消しにしている気するが、それはさておき。あと健気さに狂気がブレンドされすぎてる気もするが、それもさておき。
南十星がそんな人間であるのは、十路と離れて暮らしていた間、努力していたからに違いない。
なのに報われていない。
だから兄の相手に求めるのは、ある種当然と言える。
「それ、私がなんの努力してないってこと?」
ただし樹里も覚悟していたこと。禁欲的と言えば聞こえはいいが、守りたいと思うことを恐怖し、拒む十路が相手なのだから。
樹里も負けじと目に力を入れて、南十星の茶色い瞳を見つめる。
「さぁ? 判断するのはあたしじゃないし。乙女でもマグロでも兄貴がいいなら、それで終わりの話じゃん。ただ手札は多いに越したことないって、あたしが思うだけ。たとえば――」
メンチ合戦は南十星が先に逸らしたことで終わった。気合負けしたのではなく、ジト目にして樹里の胸部へと移した。
嫌な予感がした。
「な、なに……?」
「プレイのバリエーション増やすのに、せめて挟めるようになれよ、とか」
直後、衝撃を受けた樹里は崩れた。
凶器:貧乳扱い
死因:胸へのコンプレックス




